6 深夜のならず者
「夜の散歩に行こう」
それは夜遅く突然訪ねてきた無月の言葉。ちょっと外に行ってくると母親に告げて家を出てきた。少しひんやりした夜の外気。澄んだ空気の匂い。点滅する信号の光で、私達の影が暗闇から切り出される。
「まるで世界に二人きりみたいだね」
そう言って、車通りもない道を踊るように歩く無月。見慣れない普段着姿が新鮮だ。白いノースリーブのブラウスは腕の包帯を際立たせ、黒い艶々した髪は、一定の間隔で街灯の光を照り返して揺れる。なんだか夢のようだなと思う。
「今日は新月だよ」
「そうなの?」
「うん、だから散歩に誘ったんだ」
空を見上げる。確かに、いつも私達を照らすあの光は見当たらない。無月は言葉を続ける。
「私ね、新月の夜に生まれたの」
「そうなんだ。……もしかして、だから名前が無月なの?」
「そうだよ。月明かりがなくても暗い中をしっかり歩いていけるようにってね」
「そんな意味があったんだ」
「うん。それに、新月にはスタートとかリセットって意味もあるんだよ」
虚空を見つめる無月。その横顔は美しい。
「春海さ、前に私に親から虐待されてるでしょって言ったよね」
「う、うん。あの時は本当にごめん」
正直思い出したくない、あの日の保健室での言葉。やっぱり覚えていたんだ。自分の暴言と向き合わされて、改めて申し訳なさでいっぱいになる。
「いや、それはいいの。……ただね、私虐待なんかされてないんだ」
「……えっ」
驚きで言葉が出ない。今までまるで事実のように思っていたけど、虐待されているというのはあくまでも噂だったのだ。でもそれなら、どうしてそんなに怪我をしているのだろう。目も、頬も、四肢も。
「じゃあ、どうしてそんなに傷だらけなの……?」
「んー、大切なものを守ってるから、かな……」
「大切なもの……?」
「うん」
「……それは、そんなに傷だらけにならなきゃ守れないものなの?」
「うん」
「そんなになってまで、守る価値があるものなの?」
「もちろん」
前を歩く無月が振り返る。街灯に照らされて、無月はどこか悲しげに微笑んだ。私は途端に無月のことが分からなくなる。無月は何か、大きな秘密を抱えている。そんな確信だけが残った。踏み入れない領域がある、その悲しさや悔しさが込み上げて、何も言えずに空を見る。月が無い。
「……月が無い夜は、なんだか寂しいね」
「月が無い夜はないよ」
「そうなの?」
「うん。月はね、いつでも春海を見ているよ。そこに無いなんて事はないの。太陽に照らされていたことを、そしてまた照らされることを尊く思いながらそこにいる。いつでもね」
悲しげな微笑みはそのままに、無月の視線は夜空に向けられた。
帰り道、無月は家まで送ってくれた。私はありがとう、楽しかった、また明日と告げて家の門扉を開けて中に入る。
「……きだよ、春海」
家のドアを開ける直前、無月が何か言った気がした。不思議に思って振り返ると、無月は何を言うでもなく優しく微笑んで手を振っていた。気のせいか、と私も手を振り返す。
今夜は明日に怯えても、きっとぐっすり眠れる。そんな気がした。