5 信じてもいいの
「春海、お昼食べに行こう」
「うん、行こう、無月」
無月とクロッキー帳を開いて笑いあったあの日から一ヶ月。
私達はすっかり仲良くなっていた。
移動教室はいつも二人で動いて、授業でペアを組むような時には必ず無月とペアになる。お昼ごはんはもちろん、美術室で一緒に食べている。
「いつも思ってたんだけど、春海のお弁当に入ってる卵焼き、美味しそうだよね」
「え、一つ食べる?」
「いいの?」
「うん。その代わり、カレーパン一口ちょうだい」
「いいよー」
卵焼きを箸で無月の口元に運んで食べさせる。無月はそれを食べ終えると、私にカレーパンを差し出した。手も使わずそのままかぶりつく。
「へえ、春海の家の卵焼きは甘めの味付けなんだ」
「んー、日によって違うんだけどね。そのカレーパン、購買人気一番なだけあって美味しいね。ちょっと辛めだけど」
「でしょ」
「無月がほぼ毎日カレーパンと牛乳を欠かさない理由が分かった気がする」
「ふふ」
憧れ続けた、友達との何気ない時間がこんなに楽しいものだとは思わなかった。誰も私を笑わない、そんな空間で、彼女と他愛もない話をしながらごはんを食べる。幸せを寄せ集めたみたいな時間。そんな幸せを無慈悲に切り裂くのはいつもチャイムの音。幸福な時間はすぐに過ぎてしまう。
「掃除行こっか」
「うん」
別棟から本校舎までの渡り廊下を歩く。その時、前からあの人たちが歩いてくる。視線を合わせないように慌てて目を伏せた。心臓がうるさい。すれ違うまでの一瞬が永遠にも思える。そして、すれ違うまさにその瞬間、あの人たちが私を鼻で笑った。
すれ違いざま、あの人たちはいつも私達を嘲笑う。
はみ出し者の私達が寄り添うのを愚かだとでもいうように。
そういえば、スクールカーストなんて言葉があったな。私は間違いなく、クラスで唯一の三軍だ。無月はどこに属するのか分からない。分からないけど、無月は一人でいても笑われる様子はないから、二軍なのかもしれない。
一人でもちゃんとうまく生きていけただろう無月の穏やかな日々を私が奪ってしまっているようで心苦しい。
下校時間。夕日の熱を背中に感じながら、無月と同じ方向の帰り道を歩く。昼間の嘲笑と無月への申し訳ない気持ちが頭から離れない。
「……るみ、春海」
「えっ、あ、何?」
つい考え事に没頭していた。急いで無月を見れば、心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。
「……春海、午後からずっと元気ないけど、何かあった?」
まっすぐな瞳が真剣に私を見つめる。本心を言うか迷って、でも誤魔化しきれる気もしなくて、思いきって打ち明ける。
「……あの人たち、私達を見ると蔑むみたいに笑うの。私といると無月まで笑われちゃう。無月は関係ないし、ほんとはあの人たちに笑われたりしないはずなのに、私が巻き込んでるみたいで……苦しい」
両手でリュックのストラップを握りしめながら言葉を吐き出す。それでも歩みを止めずにいると、視界の端から無月が消える。振り向けば数歩後ろで無月が立ち止まっていた。彼女の背後から差す西日が眩しくて、思わず目を細める。
「じゃあもう、二人だけの世界を作ろうよ」
「二人だけの世界?」
「そう、一度この世界を滅ぼして、新しく私達だけの世界を作るの」
「ふふ、無月、そんな事できないよ」
「できるよ。私達なら、きっと」
逆光を受けた無月が確信に満ちた笑みを浮かべる。真っ黒な瞳だけが一瞬ぎらついて見えて、その美しさに息を呑む。
その言葉、信じてもいいの。
私は、二人だけの世界に行きたい。