4 救世主は何度でも
保健室で無月ちゃんを突き放した翌日。
無月ちゃんは学校に来なかった。
先生から特に理由が語られる事もなく、誰かが噂をする事もなかったから、休んだ理由は分からない。けれどきっと私のせいだ。
私はそれだけひどい事を言ってしまったのだ。
虐待されている事を引き合いに出すなんて、手段としては最低すぎる。こんな私にも笑って接してくれた彼女のコンプレックスを思いきり抉ってしまった。
謝りたい。けれどきっと許してはもらえないし、聞いてすらくれないだろう。それでもいい。なんて、謝る事で気を済ませようとする自分に嫌気が差す。彼女がいじめに加担するのももう時間の問題かもしれない。
そんな事をぐるぐる考えて、空いた窓際中央の席を何度も見つめていれば一日が終わる。
放課後の教室で一人、学級日誌を書く。欠席1名。理由については空白で。思わずため息をついた。私が言ったことはやっぱり図星だったのだろうなと思う。好かれる理由なんて私にはないし、人といるのが好きじゃない子が私を助ける理由だってない。分かりきっていた事だけど、それでも悲しかった。
傷だらけの救世主。そんなものは幻想だったのだ。
日誌を書く手を止めてとりとめなく考えを巡らせていれば、ふと次に描く絵の構想が浮かんだ。急いでクロッキー帳を開いてメモとラフをざっくり描いていく。
「何やってるの〜?」
独特の間延びした声。"あの人"だ。描く事に集中しすぎて、あの人たちが教室に入ってきていた事に全く気づいていなかった。
焦ってクロッキー帳を閉じようとすると、開いていたページに手が振り下ろされ、閉じるのを制される。そのうちにあの人たちはクロッキー帳を取り上げ読み始めた。
「ッ………返してっ………」
か細くて弱々しい声しか出ない。恥ずかしさに耐えられず、取られたクロッキー帳に手を伸ばすと躱される。あの人たちはページをめくり嘲笑う、嘲笑う。何これ。意味分かんない。ダサい。キモい。聞きたくない言葉、言われたくない言葉が否応なしに耳に突き刺さる。いろんな感情がごっちゃになって、涙が出そうだった。
取り返そうととにかく必死にもがく。どうしても取り返せず涙が溢れそうになったその時、あの人の手からクロッキー帳が取り上げられた。誰が取り上げたのだろうと伸びてきた手の主を見ると、そこには。
「こんな事して楽しいの?」
無月ちゃんだ。私は驚きで動きが止まる。無月ちゃんは無表情に冷たい目であの人たちをただ見つめていた。私の前で見せてくれた笑顔と結びつかないくらい、冷酷な顔つきをしている。
あの人たちも驚き怯んで、何も言わず急ぎ足で教室から出ていった。それを見届けると、無月ちゃんはこっちを見ていつものように笑った。罪悪感や不安がないまぜになって、私はびくっとしてしまう。
「大丈夫?」
「……な、なんで、助けてくれたの?私、あんなにひどい事言ったのに……」
「決まってるでしょ。春海ちゃんの事が好きだからだよ」
「好かれる理由なんて、私にはないよ……。だから、信じられないよ」
「……あのさ、哀れみとか同情とか、悦に浸るためだけにこんな敵作るような事できると思う?」
「それは……」
「ね、できないでしょ。私のことも、あなた自身のことも、信じていいんだよ」
まっすぐ私を見て無月ちゃんは言う。
「それに、あんなに魅力的な絵を描く春海ちゃんのアイデアの結晶を笑われたら癪だもの」
微笑を無邪気な笑顔に変えて、そう続けた。
「ね、私もこれの中身見ていいかな」
「……いいよ」
無月ちゃんはクロッキー帳を机に置いて丁寧にページをめくり始める。時折感嘆の声をあげたり褒めたりしてくれるので恥ずかしさが募る。けれど、彼女がクロッキー帳を読み進めていくうちに、私はいつの間にか彼女と笑いあっていた。