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2 傷だらけのあの子は笑う


岸波さんは不思議な人だ。


窓際中央の席に座る岸波さんは、授業中大概寝ている。たまに起きていると思えば、窓の外をぼーっと眺めているだけ。なのにやたらと成績は良い。模試の校内順位が一桁台だと聞いたことがある。


そして休み時間も移動教室も一人きりだ。思えば転校してきた時から周りに人はいなかった気がする。私みたいに孤立しているというよりは、一匹狼のような何か近寄りがたい雰囲気がある。


そういえば、転校初日から一度も笑った顔を見た事がなかった。あの告別式の痕跡の後始末をした時、振り返った岸波さんの冷笑的な表情。笑顔を見たのはあれが初めてだった。彼女の歪みを体現したみたいな、世界の全てを蔑むみたいな。私の事を嘲笑うあの人たちのそれに似ているようで、全然違って。

不思議な人。とても不思議な人。そんな人がなんで、あの時私の手伝いをしてくれたんだろう。


授業の終わりを知らせるチャイムが鳴る。

考え事をしていれば、午前の授業なんてあっという間に過ぎる。昼時間、教室に居場所のない私は、いつもお弁当を持って逃げるように別棟の美術室へ駆け込む。


「どこ行くの」


教室を出て廊下を数歩歩いたところで呼び止められる。一瞬固まって、でもあの人たちの声ではない事に気づいて、思いきって振り返る。

岸波さんだ。


「え、えーと、あの、その」

「あれ?お弁当持ってるね。もしかして他のクラスとかで食べるの?」

「い、一応、そんな感じ…」

「そうなんだ。よかったら私も連れてってほしいな」

「え」


岸波さんはにっこりと期待の眼差しを私に向ける。

お昼時の美術室に誰かを連れ込むのは、聖域に他人の侵入を許してしまうようなものだ。そこは、教室に居づらさを感じる一部の美術部員を救う場所。行き場のない人達が誰からも咎められない、唯一の場所。


でも助けてもらった恩もある。それに岸波さんも一人で行動している事が多いから、変に噂を流される事もないかな。あの人たちとグルだったらどうしようと思いつつ上手い躱し方も浮かばない私は、しぶしぶ同意して別棟に向かう。岸波さんは無言で私の後ろを歩き始めた。


美術室に着いて戸を開ける。今日は誰もいないようだった。


「へえ、いつも美術室で食べてるんだ。選択教科で音楽選んだから一度も来たことなかったな」

「……音楽だったんだ」

「一応私、吹奏楽部だしね」


一応という言葉が少し引っかかったけれど、とりあえずいつものテーブル、いつもの席に座る。岸波さんは私の向かいに座った。お互い無言で自分の昼食を用意して食べ始める。なんとなく気まずくて、話を振ってみる。


「えっと、岸波さんは……」

「無月でいいよ」

「あ、む、無月ちゃん……は決まった誰かとご飯食べてたりしないの」

「しないよ。私あんまり人といるの好きじゃないんだ」


無月ちゃんはそう言って、購買で買ったのだろうカレーパンをかじる。

じゃあどうして私についてきたんだろう。やっぱりあの告別式を見てしまったからなんだろうか。


「……だったらなんで、私とお昼食べようと思ったの……?」

「水縹さんとならいいかなって思ったの。それだけ」

「そ、そうなんだ……あ、私も、春海でいいよ」

「じゃあ春海ちゃんって呼ぶね」


無月ちゃんは少し微笑んで、紙パックのストローに口をつけた。

なんだか上手く躱されてしまった気がする。

一人しゅんとしていると、ジュースを飲み終えた無月ちゃんがおもむろに話し始める。


「春海ちゃんって美術部なんだよね」

「そうだよ」

「どんな絵描くのか見てみたいな」

「えっ、は、恥ずかしいから……」

「だめ?」


陰りを帯びた瞳で、困ったように笑う。その視線に耐えられなくて、私は去年描いた作品を引っ張り出してきた。意を決して無月ちゃんに見せる。


「わぁ…………すごい、すごいね」


挿絵(By みてみん)


それは黒い翼を持った天使の絵。この天使はいつかの夢に出てきた。黒い翼を持つ彼女は皆から死神と恐れられていて、でも私だけは彼女が天使である事を知っていた。私はどうしてもその寂しげな姿を忘れられなくて、木製パネルに彼女を描いたのだった。


「私、絵には詳しくないけどこの絵がとても素敵なことは分かるよ」

「あ、ありがとう……」

「春海ちゃんの描く絵は優しいね」


顔を綻ばせていてもどこか近寄りがたさを感じさせる無月ちゃんは、どことなくあの天使のようにも思える。

昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴る。


「チャイム鳴ったね。掃除行こっか」

「うん」

「絵、見せてくれてありがとうね」


無月ちゃんは私の顔を見て、普段の無表情さからは想像もできないほど優しく笑った。

今まで笑った顔を全く見たことがなかったというのに、今日だけで何回彼女の笑顔を見ただろうか。


もしかして、無月ちゃんはあの人たちとグルなんかじゃなくて、ただ私を可哀想に思っているだけなのかな。いじめられている私と、虐待されている彼女。同類だからって優しくされているだけなのかもしれない。

彼女の無条件の優しさの前ではただただ不安になる。好かれる理由もない私だから。

飄々とした彼女の後ろ姿を追いながら、彼女の意図を、目的を推し量った。



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