〇〇五 そして伝説へ
まあ、そんな感じで、俺はいつの間にか名医になっていた。
だが、別に技術や知識があるわけではない。『栄養のある物を食べて、身体を温かくして寝て下さい』くらいのことしか言えない、極々普通の男に名医の名前は重過ぎる。いつでも返上したかったが、俺を頼りに土下座してまで治療を望む人々を見てしまうと「助けたい」と分不相応にも思ってしまう程度に責任感と良心を持って産まれてしまった。
昔の文献を読み漁り、幼少から記した患者の観察ノートを更に徹底し、動物実験を繰り返したり、民間に伝わる知恵袋から新たなヒントを得たり、時には山の中に住む異文化の民の薬を参考にしたりして、俺は徐々に知識を学び、そしてそれを多くの人に公開した。
この時代、知識は秘匿する物だった。知識を広めれば商売敵が現われ、自分の首を絞めかねないのだから当然と言えば当然だ。が、知識は共有してこそ意味がある。色々な思考を持った人間が、共通の知識を元に考えてこそ発展が見込めるのだ。
中々、その理論は理解されなかった。医療協会から訴えられるし、教会から異端扱いされたり、頭のいかれた錬金術師達の師匠になってるし、新興宗教の教祖に勧誘されたり散々だった記憶ばかりが甦る。
だが、中には頭の良い人もいて、その内に協力者もできた。
中でも権力と言う意味合いでは、とある公爵様が最大の味方だった。彼の一二歳になる娘の診察を機に縁を結べたのだが、あの時のことは忘れたくても忘れられない。娘の治療の為に集められた五人の名医の内の一人が俺で、診察が終わると五人の名医は四人になっていた。
消えたのは、公爵様に治療方法を訊ねられて「性交」と答えた医者だ。この時代、女性の体調不良は全て子宮が原因で、子作りをして子宮を正しい位置に戻せば女性特有の病気は全て治ると考えられていた。
ああ、これも勿論、アクタススが言い出したんだけどね?
もっともらしい説明を熱弁した医師は、公爵様の護衛に股間の一物を斬り落とされ、涙を流しながら内股で退室していった。あの光景は忘れられそうにない。
次は俺が診察の結果を語る番だった。股間が縮み上がるのを堪えて、偏食と女性特有の体質が原因の貧血だと説明した。食事療法で回復するだろうと説明すると、残る三人の医師が笑いながら俺の持論を扱き下ろして瀉血を勧めた。
貧血の患者の血を抜くことに、当然如く猛反対する俺。
が、血を抜くだけのお手軽さと、公爵夫人が日常的に瀉血をしていたことを理由に、瀉血は決行。瀉血をしたら二週間は絶対に瀉血をしないと言う条件をなんとか捩じ込ませたが、三人の医者はそんな俺の努力を嘲笑うように二リットル近くの血を令嬢から抜いた。鷲頭麻雀じゃないんだぞ。
彼女は半生半死を彷徨ったが、なんとか二週間を生き抜いてくれた。
その間、俺はなるべく滋養がつく物を食べさせようと、色々と工夫した料理を幾つか提案し、公爵様の許可を貰って令嬢の胃にそれらを押し込んだ。
公爵様は先見性のある聡明なお方で、俺の医療理論に強い興味を示してくれたので助かったが、ただご飯を食べさせるだけでもかなり大変だったのを覚えている。
死にかけの令嬢は中々咀嚼ができないし、死の間際でも偏食を貫こうとする意地っ張りで、何度も匙を投げそうになった。
瀉血大好きな公爵夫人は俺のことをヤブと決め込み、みみっちい嫌がらせをしてくるし、揚げ句の果てには瀉血の効果を見せてあげると言って血を抜き過ぎた結果、一時期意識不明の重体に陥った。三人の医者がそんな彼女に対して瀉血を提案した所で、医者は俺だけになった。最初から医者は俺一人だったと言う見方も出来る。
歴史ある公爵家の料理人様は、俺が厨房に入る事に良い顔をせず、ぐちぐちとうるさいし、食材を勝手に捨てるし、恥をかかせようとスープにヒ素を盛りやがった。あらかじめ女中を買収していたので告げ口してもらってことなきを得たが、あのままだったら令嬢はヒ素で死んでいただろう。
ヒ素入りのスープを飲む直前の料理長の証言から、ヒ素の購買ルートがあの時に股間を斬り落とされた医者だと判明して、役所の書類からあの医者一族全ての名前が取り除かれる事件もあった。
そんな地獄のような二カ月間が終わると、令嬢は無事に完治した。完治したもクソも、元々は軽度の貧血で、放っておいても死ぬことはなかったのだから、完全に徒労である。並行して、夫人の治療も行っていたので、疲労は二倍だった。
二度と、貴族の仕事なんてしたくないと思ったぞ。
が、公爵様は俺の治療に感銘を覚えたらしく、直々に色々と便宜を図ってくれた。異国の書物や医療器具の輸入、治療に関する税金の免除、死刑囚への人体実験の許可、処刑された死体の解剖権……等々だ。この人がいなければ、俺の研究は十分の一も進まなかっただろう。
強力なバックアップを得た俺は、我武者羅に人体の探究に人生を捧げた。そのおかげか、ちょっとずつ医学は進歩しているように思える。中でも、四〇の頃に設立した医療学園の存在は大きく、沢山のデータの収集と、正しい知識の継承がスムーズに行うことができた。
その貢献を湛えてなのだろう、人は俺のことを医聖なんて呼んでくれる。
正直、人体実験しまくったし、医療ミスで殺しまくったし、助けられなかった人間の方が遥かに多いので、この呼び方は重過ぎる。
だが、もう一つの名前で呼ばれるよりはマシなので、甘んじて俺は医聖の名を認めている。
ん? もう一つの名前を知りたい?
一度しか言わないから、聴き逃すなよ? 忌々しいその名前は――
『今アクタスス』
――四〇〇年の時を経て甦ったアクタススだと、人は言う。
勘弁してくれ。