〇〇二 異世界医者は衛生観念のないクズ
まず基本情報として、生まれ変わった世界の連中は全員が全員、衛生観念のないクズであることを宣言しておく。
…………いや、クズは言い過ぎかもしれない。文化も歴史も違うんだし、一方的に上から目線な事を言うのは、それこそ人道に劣るクズだろう。だが、それを差し置いても連中の衛生観念は狂っているとしか言いようがない。
俺は平民の中では最高位と言って良い家に産まれた。下手な貴族より金持ちレベルだ。
なのだが、そんな連中ですら日常的に手を洗わない。風呂に入らない、ついでに歯も磨かない。一か月に三回水浴びしただけで『ちょっと水浴び過ぎかな? 病気になったらどうしよ』とか世迷い事を言い出す。
もう、お前らの頭が病気だよ。
それ以下の暮らしをしている人々になると、もっとひどい。
ドン引きした連中の日常生活エピソードを一つ上げてみよう。農民の家の机にはちょっとした凹みがあって、奴等はそこに御馳走のシチューを注いで食っていた。何を言っているかわからないと思うが、俺も脳が理解を拒否した。三秒ルールとかそんなちゃちなレベルじゃあない。もっと恐ろしい物の片鱗を感じたよ。
で、俺の家は代々医者だったんだ。手を洗わない奴が他人の病気を治せるわけがないと思った君は正しい。病気の種類にも依るが、統計の結果では患者が治療によって回復することは稀だった。良くて二割だろうか? 大抵は病状も変わらず苦しい表情のまま家に帰っていった。その人達は幸運な方で、悪化する場合も多かったし、死ぬことも珍しくなかった。
この世界の病院は『病気を治療する』為に訪れる場所ではなく『病気で死ぬだろうから一か八か治療しを試そう』と言う賭場に近い。賭けるのは勿論、命と金だ。
そんな地獄の一歩手前みたいなポジションから抜け出そうと、俺は毎日の入浴と歯磨き、衣類の着替え、そして治療前後の手洗いと、床の小まめな掃除を推奨した。
これがドラマなら、俺の画期的なアイディアに皆が賛同し、劇的に患者の死亡率が下がってめでたしめでたしなのだが、現実はクソだ。
医者(医者を名乗る無自覚殺人者集団と言った方が正確かもしれない。基本、シリアルキラーみたいな奴しかいなかった)達は、俺の提案に断固として反対した。特に、血塗れの上に血塗れを重ね、真っ黒になったエプロンを手放すことを滅茶苦茶に嫌がった。膿がついて蛆が涌いて異臭を放つエプロンこそが、医者として働いてきた彼等の勲章であり、初心者丸出しの白いエプロンを付けることなんて絶対に許さなかった。
エプロンと一緒に、そのプライドと常識と命を捨てて欲しいと思いました。
ちなみに、手洗いも相当嫌がった。医療に従事する神聖なる医者の手が汚いわけがないとブチギレした挙句、血みどろの手でサンドイッチを食って「この程度で死ぬか!」と豪語された。
そのジジイは知らない間に死んでいた。どうやら、指先の小さな傷に気付かず仕事をしてしまったらしい。衛生観念もない医者達は手袋も使わずに患者の血や吐瀉物に触れるので、何らかの病気になりやすいのだ。極めて、ありふれた死因だと言える。
俺の親父の場合は「医者が血を怖がるな!」とマジでキレていたなぁ。
当然、患者の包帯は何十日もそのままだ。血と膿で皮膚とぐちゃぐちゃにくっついた状態でも誰も気にしない。って言うか、当たり前だが患者の身体を洗ったりもしない。傷口はそのままだし、おむつに糞尿がたまって蛆が集っても看護士達は指示しない限り交換しようとは絶対にしない。
ああ、そうそう。この世界の看護士は白衣の天使などではない。治療を嫌がる患者を取り押さえるのが主な仕事で、患者が泣こうが喚こうが大体トランプで遊んでいる。もし娘が『私、看護士になりたい』等と言おうものなら、そのご両親はその夢を諦めさせるか、或いは家族の縁を切る事だろう。
結局、俺が一八歳になって病棟一つを任されるまで、清潔な環境作りは許されなかった。看護師共は掃除の手間が増えて不評を訴えたが、給料を倍に上げれば喜んでやってくれた。俺だったら倍の給料もらっても絶対に嫌だが、そもそも汚いとあまり思っていないからか、滅茶苦茶すんなりと言う事を聞いてくれた。今までやらなかったのは、単に面倒くさいからに過ぎなかったようだ。
こいつら、人の命を何だと思っているんだ?
まあ、金で簡単に動いてくれるから、医者の連中よりは聴き分けが良くて好きだよ。見た目がプロレスラーみたいな奴しかいないけど。
そうして衛生に気を使って清潔な病院を心掛けると、俺が特別な治療をするまでもなく患者の死亡率は激減した。他の病棟と比べて明らかに人が死なないので、五年も経てば俺は名医と呼ばれていた。
名医のハードルが低すぎる。