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条件は洗い物

作者: 海藻若芽

「ねぇ、指輪洗うのどこだっけ?」

 私がキッチンで冷たい水と格闘しながら洗い物していると、正面にあるリビングでぬくぬくと温まりながらバラエティー番組に爆笑していた彼が聞いてきた。彼の手にはくすんだ指輪が握られている。普段つけっぱなしだから、気付けば結構くすむから定期的に磨くように何度か言ったのに。またそんなになるまで放置して。

「隣の部屋にある机の上にある箱の中ー」

 私は、彼には目を向けずに出来るだけ不貞腐れないように答える。

「はいよー」

 暇だったら、少しは手伝ってよ。隣の部屋に消える彼の背中を恨めしそうに睨んだ。

 指輪といっても、決して結婚指輪ではなく、付き合い始めて1年目に買った記念リングだ。それ以降、アクセサリーなんて買ってもらった記憶がないぞ、私。

 彼とは高校時代からの付き合いだ。出会いは彼が野球部で、私が野球部のマネージャーとして入部したことだった。別に甲子園に行ったから好きになったとかそういうわけじゃない。というか、大していい成績残せてなかったし。でも、彼の必死に練習する、ひたむきな姿がなんかぐっときて。顔とか好みじゃないけど、それでも好きになって。

 だから、高校三年生で彼に告白されたときは本当にうれしかった。今年で付き合って10年、もうすぐアラサーに二人とも仲間入りすることになる。

 私たちの友人はもう結婚している人もいる。焦っていないといえば嘘になる。私だって、結婚できるなら彼と結婚したい。そりゃあ彼に不満はたくさんある――気が利かないところとか、短気なところとか――あるけど、どうしようもなく彼とずっと一緒にいたいのだ。

 3年前にこの2LDKの部屋を借りて同棲を始めた。正直、同姓の話が出たときは私もいよいよかって思ったさ。でも、そこからの進展が一切ない。結婚のけの字すら出てこないのだ。この状況はまずいと思ってる。なんというか、この居心地の良さに彼が肩まで浸かっている気がする。いや、絶対浸かっている。このままこの沼から出てこないつもりさえ感じる。それは困る。ここは、私からもう少しアピールした方がいいのだろうか。今度、雑誌でも露骨に置いてみよう。

「うわー、凄い綺麗になった」

洗面所の方から嬉しそうな声が聞こえてくる。はいはい、よかったですねー。宿敵であるフライパンの油汚れを勝利した私は、タオルで手を拭いて、べたつきを落とす。最近はめっきり寒くなってきて、手が赤く染まっている。

「ほら、見てみて」

 洗面所から彼が戻ってくる。なんか変な作り笑いをしている? 濡れた手で首を触れてくるつもりだろうか。突然彼が片膝をついた。王子様かよ。背中に回っていた手が胸元に出てくる。王子様かよ。その手には、手のひらサイズの箱が握られている。彼がそれを開けた。中には彼の愛の結晶を形にしたものが入っていた。

「好きです。結婚してください」

「んへっ」

 思わず、ヘンな声が出た。人間って本当に思いもしないことがあると予想しない声が出るんだな。

「……んへってなにさ」

 ヘンな声は彼の耳にもばっちり届いていたらしい。私は色んな恥ずかしさというか、照れに耐えらなくなって、ごまかすように抱きついた。もう何度も抱きしめているのに、どうしてこうも顔が付き合い始めみたいになるかなぁ。

 彼が抱きしめ返してくる。密着が増して、彼の胸元に耳が当たる。ドクンドクンドクンドクン、と聞こえてきた。どうやら彼も私と同じのようだ。手に自然と力が入った。

「なんで今日なのさー」

 とりあえず、走り回る鼓動を落ち着かせたくて、話題を振ってみる。

「いや、ほら、今日はいい夫婦の日らしいから」

 私は今日の日付を思い出す。11月22日。それに乗っかったのか。記念日とか気にするタイプじゃないくせに、そういうところは気にするのか。普段から気にしとけと、思い切り頭をこすりつけてやる。彼が呻き声をあげるが、そんなこと知らない。

「いつから練ってたの?」

「3カ月前ぐらいから。映画見た帰りに、ウエディングドレス眺めたときから」

 彼の言う3カ月前っていうのは、私がとある映画を見に行ったデートの話。その時、たまたま近くで結婚式をやっていたのだ。その時の花嫁が凄くすごく、モデルみたいに美人な人だったから、良く覚えている。でも、その時に私は眺めていただけで、彼も特に話題に出していなかったのに。彼は、花嫁じゃなくて、花嫁に憧れる私の横顔を見ていたのか。

「ふうん、そっかぁ」

沈黙。

「それで?」と彼が口を開く。

「それで?」と私が返す。

「返事、まだ聞いてないんだけど」

「……そうだなぁ。今度から洗い物するって約束してくれたら、いいかな」

「いくらでも、してやるよ」

 彼が抱きしめてくれていた手を名残惜しそうに離して、私の左手を取る。

「手、つめたいね」

「洗い物してたからね」

 彼が私の薬指に指輪をはめる。ぴったりと嵌まった指輪は私たちを祝福するように光った気がした。私たちは顔を見合わせると、お互いを抱きしめあう。うん、相変わらず同じ気持ちだ。私は彼の音を聞きながら、この喜びに浸る。

 明日は例の雑誌を買ってこないとなぁ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 日常の中の特別な日。こういうお話好きです。 設定もスッと入ってきて良かったです。 主人公がおちゃめ可愛いのも好印象でした。 この二人には是非幸せになって欲しいですね。
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