青緑苑②
女将の目がうつろとなっている。何せ夕方。暖かい夕日に、訪れ往く闇の気配。そして音のない静寂。夢の世界はすぐそこまで迫っていた。
そんな時であった。
ふと、砂利を踏みしめる音が響いた。しかしその時それを彼女は認識していなかったかもしれない。夢に入りゆく彼女である。
砂利の音は間違いなく、青緑苑の門のあたりから響いていたのだが、どうだろう、それは何の音だったか。
しかしその音はもう一回響く。音が門を潜り、続いて石畳が擦れる音がした。
その音はゆっくりと、しかし一定の感覚を刻み、彼女の元に、青緑苑の方へ向かっていた。
ガラス戸の手前で音が止む。
静寂が再び訪れた。
と、思えばゆっくりと響きだすのは虫の声。夕暮れの空は宵の色を深くし始めていた。
ふと、急にガラスの鈴の音が鳴る。風鈴である。軒下に欠けられた風鈴が、風に揺られたのだった。
済んだ風鈴の音は、女将の耳にも入ったようである。彼女の眼がすぅと開いた。
目を二、三度しばたたき、あくびを一つ。額に皺をよせ、不機嫌そうな彼女の顔が現れた。
「あ、あのぅ…」
急に人の声がした。思わず驚き女将は背筋を伸ばし、声の方を見る。
彼女の視線の先、宿のガラス戸を隔てた先には、若い女性の姿があった。
女将の蛇のような目が彼女を捉える。
困った顔をした若い女性は、すみません、と一言いうとガラス戸を少しだけ開け、顔を覗かせた。
「あ、あの…。今日、お部屋空いていますか?」
そう彼女は女将に言った。
女将は瞳を丸くし、彼女を見つめていた。