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青緑苑①
山に陽が沈む。烏が鳴き巣へと帰る。
木々の葉は緑色を失い黒色へと変わり、赤い光と紫色の雲が空に満ちていた。
人気なき山の中に温泉旅館が、ぽつりと一件。まるで見捨てられた赤子のように建っている。
柱は黒ずんでいたが、それは塗られた漆だけのせいではないだろう。門に『青緑苑』と掲げられた一枚の木製の看板も、ひどく黒ずんでおり、かつ朱色で書かれた文字すらも一部その色を失っていた。
門をくぐり、石畳を歩き、入り口のガラス扉を開けると帳場がある。そこに一人年老いた女が座ってキセルをふかしている。地味なえんじ色の着物を身にまとっている。使い込まれた着物の色合いと、年輪を重ねた垂れ目の目じりが、どうしてここまで似合うのかといった容貌である。
彼女はどこを見るわけでもなく、ただうつろな目をし、無表情であった。
何せ仕事が特にないのである。
この旅館の宿泊者は本日皆無だった。当然料理の支度も、部屋の用意もする必要がない。
ただ無情に夕日が沈み、その光がガラス戸から入る。赤い色はいつもと変わらず、温度を持たず、紫煙と混じりて漂っていた。