手形
狭いアパートの一室で、一人の女がテレビを見て笑っている。
「この番組面白い。来週も録画しよう」
髪は肩までの長さに切りそろえており、色はくすんだ茶色。容姿は周りからは、よく評価されるほうだと自分でも思っている。
今日の夜からは親友の奈央とここで飲み会をする予定だ。
「奈央早く来ないかな」
奈央が自分の部屋に到着することを心待ちにしているのは真己。奈央とは小学生の頃からの親友であり、今はお互いに大学3年生になったばかりである。今日の飲み会も月に一度は行っている。
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴る。それに呼応して、玄関に向かい、真己はドアスコープを覗いた。真っ黒な髪の色。艶を出しているのがスコープ越しでも分かる。万人受けしそうな顔立ち。奈央である。チェーンを外し、ドアを開ける。
「やっと来た!待ちくたびれたよ」
「ごめんね。今日は大学のサークルが長引いたの」
「気にしないで。入って。入って」
一か月毎に変わりない会話を続ける二人。お酒も入れば口もどんどん饒舌になる。
「真己。もう彼氏出来た?私はまだ」
「私も出来てない。男なんか今はどうでもいいかなって思う」
「真己は美人だからモテるじゃん。私はどうも周りから八方美人って思われてるみたいなの」
「嘘!初耳。お互い大学違うから仕方ないか。奈央がそんなに言う人は私が許さない」
「ありがとう。そう言ってもらえるだけで何だか嬉しい」
夜も更けてきて、そろそろお互いに眠ろうかと話していると、ふと、奈央が怪訝な表情を浮かべた。
「どうしたの?気分悪い?」
「そうじゃなくて……そういえば、ドアに手形みたいなの付いてたの思いだしたの」
「えっ。気付かなかった」
「足元のほうだからかな。くっきりと付いてた」
その言葉を聞き、真己は真っ先に玄関から外に出て、ドアの足元部分を確認する。
確かに、大人の右手のような手形がくっきりと映っている。ドア自体の色が白色である為、真っ黒な手形はより一層目立っていた。
「いやだ……絶対いたずらだよね。悪質」
文句を言いながら、真己はすぐにその手形を拭き取ろうと、洗面所に行き雑巾を手にした。今は十一月。雑巾に染み込ませた冷たい水が手に痛みを与える。
「待って。真己。拭き取ったら駄目」
今にも拭き取ろうとしていた真己の手を奈央が引き止める。
「手形だから、指紋とか残ってるんじゃない?警察に相談してみようよ」
確かに奈央の提案は頷ける。しかし、真己は手形をこのまま残しておくことに、吐き気すら覚えていた。出来れば、今すぐにでも拭き取ってしまいたい。
「気持ち悪いし、きっと一回きりのいたずらだから大丈夫」
そう奈央に話しながら、手形を丁寧に拭き取っていく。奈央は終始不安気な表情であった。
手形を拭き終えた後は、先ほどの不安感は薄れ、二人は朝まで飲み会を続けた。
あれから数日後、真己は大学から戻り、帰路についていた。
「今日の講義は眠かった」
そう呟きながら、自分のアパートの目の前に着くと、眼を見張った。以前、付いていた手形がまたついていたのだ。それも一つでは無く、複数も。数え切れない程。
「いやああああああ!!」
真己は絶叫し、すぐに部屋に入り雑巾を手に取るとすぐに手形を拭き取っていった。拭いている間は手の震えが止まらなかった。最後の手形を拭き終えると少しずつ冷静さを取り戻しつつあった。
「どうしよう。奈央に連絡?いや、警察に言ったほうがいいのかな」
悩んだあげく、警察に駆け込む真己。警察官に事の成り行きを説明すると、すぐにアパートまで付き添ってもらえた。
問題の手形はもう拭き取ってしまっていた為、警察官には見せることが出来なかったが、警察官からは見回りを行う旨を伝えられた。その言葉を聞き、真己は涙が出るほど安堵した。
さらに数日後、真己のスマートフォンに警察から連絡があった。不審な人物を検挙したとのこと。
アパート周辺で見かけ、尋問すると今までドアに手形を付けるいたずらの常習犯であることが判明。年齢は50代。無職の男性。すぐに逮捕され、少しの間ニュースに顔も映されていた。
「本当に良かった……捕まってくれて」
自室で大好きなビールを飲みながら、真己はひとりごちていた。
ピンポーン
チャイムが鳴る。今日は月に一度の飲み会の日だ。
「奈央。久しぶり」
「真己こそ久しぶり。ごめんね。私全然真己の力になってあげれなくて」
二度目の手形については、奈央に相談していた。すぐに泊まり込むと言い張る奈央に対し、真己はお金の問題もある為、断り続けていた。
「無事に犯人捕まったから大丈夫よ。早く飲もう」
「うん。ありがとう。あれ?」
すぐに部屋に上がり込むかと思われたが、
奈央は玄関付近で立ちすくんでいる。
「どうしたの?奈央?」
「まだ手形残ってるじゃん。全部拭いてなかったの?」
「え……」
奈央が指さした先はドアの内側であった。