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第十五話 黒川仁の過去 前編

 黒川が新卒で入社した会社は始業のチャイムが鳴ると、ラジオ体操を行う習慣があった。ダルそうに適当に運動する社員、真面目にしっかりとやる社員、特に意味もなく長年続いた風習。


 終わると部内で簡単な朝礼が行われる。ゴリゴリの営業会社のように当日の目標や数字を宣言することもない。部長が全体の傾向を軽く話し、今日も頑張っていこうという程度。朝礼が終わると皆デスクに戻り、仕事を始める。ただ、ひとりの例外を除いて……。


今日は15分遅れで強い香水の匂いを漂いさせながら、黒川の直属の上司の伊東麻友子イトウマユコが悪びれた様子もなくデスクに座る。部長はもちろん営業本部長すら伊東の行動を黙殺している。


定時ギリギリにタイムカードを押し、そのまま近くのコンビニに買物に行く。あくまで形式とはいえ、ひとりの社員が身勝手な行動を取る。当然、他の社員は納得していない。それでも伊東だけは許される。


理由は簡単だった。伊東は営業部内ではぶっちぎりの数字を残している。上半期だけで予算をクリアし、下半期でさらに上積み。所属している営業第1部だけではなく、各営業部を統括する営業本部でも彼女の成績を込みで予算を立てている。


さらに輪をかけているのは伊東の性格だ。それはもう顔に出ている。美人だが誰が見ても性格がキツそうなのは一目瞭然。髪を結い、着物を着ていれば、銀座のママか極道の妻だ。


伊東は相手に有無を言わせない。自身の立場を使った言葉の暴力、機嫌が悪いときには椅子を蹴るといった暴力まで使う。そして、何があっても謝らない。彼女の考えが端的にわかる口癖がある。


「誰が売上作ってんだ。お前の給料はどこから出ている? つべこべ言わず言う通りにしろ」会社は伊東の人格的な問題より、彼女が出す利益を優先した。


 黒川の人生で初めて出会って種類の人間。すぐに暴力を振るう奴もいた、適当な嘘を並べて貶めようとする奴もいた、金を無心してくる奴もいた。理不尽さを感じながらも対処出来ていたが、それは関係性があくまでフラットに近いからだった。


会社という組織に入った以上、新人社員の黒川が伊東に逆らえるはずもなく、彼は自分の時間や日常業務を犠牲にして伊東のために働くそんな日々を過ごしていた。上から目線の命令を極度に嫌う性格の俺は成績だけでも伊東に見劣りしないよう努力を重ねていった。


 その結果、翌年度では伊東を越えることが出来ないにしても、営業本部内で上位5位という成績を残すことが出来た。彼女が押し付けてくる雑務に対し、拒否をし始め、衝突も何回か起きていた。衝突が起きると上司が仲裁に入るという繰り返し。


利益を出せる人材になれば、伊東の命令を拒否出来る正当性が生まれるし、彼女のように好き勝手にしてもいいんだという価値観が彼の中で芽生え始めていた。


 伊東の雑務を行わらなくなったため、そのしわ寄せは他の社員にやってくる。それを受けたのは営業事務課で働いている契約社員の高村美奈子タカムラミナコであった。


高村は仕事ぶりも真面目で、人柄も優しく誰からも好かれている人物。黒川が入社したときには、備品の場所や社内システムに使い方などを教えてくれた先輩社員、彼の業務のフォローなど様々な場面で協力してくれた。


 終業から1時間ほど過ぎ、事務所に戻ると半分くらいの社員しか残っていない。「戻りました」と挨拶してもまばら。黒川は取ってきた注文書の処理をお願いすべく、営業事務課に向かった。


黒川がフロアを見渡すと普段は定時に帰ることの多い部署の中でひとり高村だけが黙々と働いている。

「お疲れ様です。注文書の処理をお願いします。明日で全然構わないので、よろしくお願いします」


「黒川くん、すごいね、また注文取ったの? 処理しておくね」

「運がよかっただけですよ。でも、原本渡せて助かりました」ふと彼女のパソコンの画面を覗くと資料を作っている。一目で伊東に頼まれたものだとわかった。


本来、営業事務の業務は見積りや契約書の作成や処理であったり、入金の確認などが主な仕事となる。営業が使う資料の作成は彼女たちの仕事ではない。


「もしかして、伊東課長の資料作っています?」

「わかっちゃった? 黒川くんも作っていたんだよね、伊東課長の指示が独特だから時間かかっちゃって」高村からつい本音が溢れる。


伊東の資料作りの面倒さを黒川は知っていた。彼女は自身でほとんど資料を作らない。パワーポイントでラフな資料を作り、それを清書させる。そして、出来栄えが悪いと罵声とやり直し作業。


「ちょっと見せてもらってもいいですか?」伊東が作ったラフな資料を確認する。文字だけでグラフ、表などと指示している大雑把な資料。


「よければ、去年、僕が作った資料送りますよ。多分これ一から作ると半日はかかりますし、それに伊東課長、癖ありますから」

「黒川くん、ありがとう。じゃあ、お願いしてもいい?」彼女は笑顔になった。


 その日を境に高村だけ営業事務課で毎日残業している姿が見えるようになった。日常の業務に加えて、伊東の業務の手伝いをすることがいつの間にか当たり前になってしまったのが原因だろう。


今日も伊東の怒鳴り声がフロアに響く。高村が作った資料に納得がいかなかったようだ。黒川は出来る範囲で彼女のフォローをし続けた。そうしている間に二人の距離は縮まっていき、仕事終わりに一緒に飲みに行ったり、休みの日でさえ会うようになった。


黒川は彼女の優しさや純粋な性格に好意を抱き、数回デートした後に交際を申し込んだ。彼女の返事はオッケーだった。こうして黒川と高村は付き合い始めた。


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