第一話 【K・B・S】ゲーム始動
スマホのアラームが鳴る。時刻は朝7時15分――本来なら、起床し職場に向かう時間。
日々の業務/200通程度のメール処理。会社内外からの電話対応。商談。生産性のない打ち合わせ。間抜けな上司の小言――退職した俺にはもう関係ない。
不快な音を止めて二度寝に入る。正午過ぎに目を覚まし、鶏のササミサラダと白米を食べ、遅めの朝食を終える。久しぶりに観るワイドショーは主婦が喜びそうな不倫やスキャンダルばかり。
時間なんて今は気にしない。徒歩5分のジムに向かう。クレアチンを飲み、2時間程のメニューをみっちりこなしてBCAAとプロティンを飲む。日頃の習慣――ストレスの解消にはもってこいの時間。
ジムでかいた汗を流すために家に戻る。ついでにポストを確認、宅配ボックスの中に荷物がひとつある。荷物を手に取り部屋に戻る。
シャワーを浴び終え、横になりながら、これからのことを考える。正確な退職日はもう少し先になるが、新しい就職先を見つけないと収入面でジリ貧になってくる。
程々の貯金はあるが、一生遊んで暮らせる金額でもない。どうせ数ヶ月後には元の日常生活に戻ると思うと、軽く欝になる。「宝くじでも当たらないかな、好きに生きられるのに」と馬鹿げた本音を呟く。
正直、サラリーマン生活を続けていた理由は世間体と金銭面を同時に満たせるからだけ。自分自身が中途半端な存在というのが嫌ってほどわかっている……。考えても変わるわけじゃない。紛らわすように他のことをしようとする。
そう言えば、荷物が届いていたなとテーブルの上に置きっぱなしにしているダンボール箱を見る。荷札の表記は――
[受取人は自分の住所と名前。届け人は同上]
会社で使用していた私物を送ったものかと思い、中身を開ける。
中身/A4のペラ紙1枚/タブレット端末一式/数冊のビジネス書/歯ブラシなどの衛生用品。ペラ紙とタブレットは入れた記憶はない。しかも、紙には
【あなたの夢が叶う。是非参加を!】
と大きな文字で書いてある。
ダンボールに封をし自分自身で発送をしたが、タブレット関連は誰かが退職祝いにこっそりと入れたのだろうか。あとで確認してみればすむ話。
ただペラ紙のメッセージが気にかかる。【自分の夢】この質問が俺にとって一番苦手な質問。30歳も過れば現実がわかってくる、願って努力しても叶わないことのほうが叶うことより圧倒的に多い。
だから、自己実現だとか出世して給料をあげたいなどと最もらしい嘘を言う。素直に言えば何も縛られずに好きに生きていくことだが、それが叶っていれば今の生活はしていない。それにそれを公言していたらただの馬鹿だ。
気を取り直してタブレットに電源を入れようとする。その瞬間、携帯のバイブの音が響く。タイミングの悪さに鼓動が高鳴る。
携帯を見ると友人から『今日、飲まない?』というメッセージ。
特に予定もないので、『了解』と返信。
帰ってからタブレットは確かめるとするか。
時刻は19時。待ち合わせの有楽町は平日でもサラリーマンやOLで人が多い。駅近くの喫煙スペースでIQOSを吸っていると友人が見えた。
森貴明――地元の同級生で麻酔科医。ルックスもよく、給料も医者だけあってかなり貰っている。ただ性格に難あり、33歳。独身。
「久しぶり、黒川。何食べる?」と森。
「いつのもの、ドイツ料理でいいんじゃない?」と俺。
「じゃあ決定。行くか」と森。
3分程歩きドイツ料理屋[オリーカーン]に着く。まだ19時なのに席は8割以上も埋まっている。
2人がけのテーブルに店員に案内される。隣には20代半ばのOL二人組、並とブス。
黒ビールとソーセージ、プレッツェル、ポテトを注文。
俺が「今日もいつも通りに定時に終わった?」と質問する。
「ああ、17時に終わって、サウナ行っていた。家帰っても暇だしやることないからお前誘ったよ」駄話をしているとビールが届く。乾杯。
「今日、お前も仕事終わるの早いじゃん。断られると思ったよ。私服だし、休みだった?」
「まあ、実は会社辞めたんだよね。正確に言うと有休消化があるから来月までは籍はあるけど……」そう答えると森は笑う。
「黒川。2回目だっけ? 今回も上司を殴ったのかよ。お前、サラリーマン向いてないって。いい加減覚悟決めて何か他のことしろよ」
「殴ってはないって、一応は円満退職。それに他のこととか今更無理だって。森みたいに強力な資格あるわけじゃないし、この年齢でやれることなんて今までしてきたことくらいだよ、世間体も大事だし」
「10年くらいリーマンやっていてよく頑張ったと思うけどな。合ってないことしてまた失敗したら今度こそアウトだろ? 考えてみたら? 普通が似合わない人種なんだから」
森の言うことは最もなことが多い。4年前に転職したときにも同じことを言われた。俺は同じことを繰り返した。自分でもサラリーマンが向いてないのはわかっている。それを踏まえての彼なりのアドバイス。
お互いにほろ酔い状態になり情報交換。五反田のハプニングバーに美人のヤリマンがいるとか、婚活パーティに参加するイカれたメンヘラアラフォー女とか、会員制の麻布のラウンジにいる女はほぼ買えるとか、金持ちの間ではニューハーフに勃起薬を飲ませて掘って掘り合うのがブームとか――下世話な話の連発。
時間も経ち、コリドーにナンパに行くこともなく解散。22時半過ぎに帰宅。ソファーに座り、BGM代わりにテレビをつける。テーブルの上には開けっ放しのダンボールの中にペラ紙とタブレット端末。相変わらずの怪しさだが、酔った勢いと夕方の続きで電源を入れる。
液晶が光り【K・B・S】と文字が出る。まずはユーザー登録画面に移る。自身のデータを入力。
氏名/黒川仁
年齢/33才
簡単に登録は完了。続いてゲームの説明。
1.KBSゲームは現実とリンクしております。
2. KBSゲームの存在を外部に知らせる行為については厳しいペナルティが発生いたします。
3.ゲーム開始日から10日ごとにプレイヤー査定があり、ボーナスやペナルティが発生いたします。
4.ゲーム開始日から100日以内にクリアポイントが50ポイント未満の場合はゲームオーバーとなり、プレイヤーは死亡いたします。
5.クリアポイントが50ポイント以上となった場合、ゲームクリアとなりゲームの機能をご利用可能なまま生活が送れます。またクリア特典として報酬500億円を差し上げます。
【500億円】現実離れした金額に思わず目を疑ってしまう。それに死亡するなんて物騒な単語を使うとは悪質なイタズラかと登録した自分が馬鹿みたいだと内心思う。
ゲーム画面のインターフェイスは一般的なOSとほとんど変わらない。5つのアイコンがあり、ゲームというより、普通のタブレット端末と同じにしか見えない
まあ、適当に中身でも確認するかと気軽な気持ちでアイコンをタッチしていく。まずは【I】マークをタッチ。おそらくはインフォメーションの【I】。ステータスが表記される。
所持金8,598,637円
CP0
ミッションクリア数0
達成目録数0
アイテム数0
プレイ時間20分
※タブを切り換えることによって持ち物を確認出来ます。
所持金の項目が自身の貯蓄とほぼ近いことが薄気味悪い。現実とリンクしているという説明を信じてしまいそうになる。
隣の【M】と書かれたアイコンをタッチ。ミッションと達成目録とタブで切り換えることが出来る。どの項目も???になっている。スクロールしてもミッションの項目は中々途切れない。推定150個以上。達成目録も同様。
次にメールボックスに触れる。メールが届いている。1通目は先程のゲーム説明と参加のお礼。2通目はチュートリアル。
[ミッションは街中で発生します。街を歩きミッションを見つけ出しクリアするのが目的です。
ミッションをクリアすることにより特典としてお金、CPが手に入ります。また、特典はミッションごとに異なります。
ヒント/アイテムを利用することにより効率良く進めることがクリアの近道]
ミッションの項目が???ばかりなのは自分で探すからか……。
【カゴ】マークのアイコンをタッチ。ショップ画面に移る。眺めていると“ミッションファインダー”というアイテムを見つける。価格は200万円。アイテム説明:地図アイコンからミッションのおおまかな場所がわかるようになる。
街中を舞台にしているのなら、闇雲に歩いてミッションを発見するのにも時間がかかるだろう。あてもなく探しても効率も悪いし、試しに購入してみる。他にもいくつか買えるアイテムがあるが、最安のアイテムでも100万円と高い。ショップのアイテム項目もまだ???が多い。
最後の【マップ】アイコンを開く。地図アプリように表記され繁華街を中心にマークがいくつかある。ここでミッションが発生するようだ。
舞台は23区内がほとんど、ソシャゲはあんまりやったことがないが、少し前に流行った有名な場所に行き、モンスターを捕まえるゲームの亜流のように感じた。
本当のゲームかすら不明だが、暇つぶしにはなりそうなのが率直な感想。明日からKBSゲームを始めてみて何もなかったら転職活動、面白かったら、しばしの休息で飽きるまでするかと考え、森から貰ったマイスリーを飲んでベッドに倒れる。
用語解説
クレアチン、BCAA、プロティン 筋肉増強のためのサプリメント。ジムに行けば売っています。
コリドー 正式名所は銀座コリドー通り。一般的にはコリドー街で通じる。有楽町から新橋まで山手線の高架下に周辺に飲食店が立ち並ぶ。現在はナンパスポットで有名。
マイスリー 短期型の睡眠導入剤。寝付きが悪い場合、処方されるケースが多い。