最悪にして最愛
最終話 最愛の人
西尾姉弟の口喧嘩から数日が経ち、毎夜厨房に通うようになっていたわたし。通う目的は美味しい物を食べさせてくれることと、西尾の喜ぶ顔に安心を覚えていたから。
「ねえ、どうしてあなたはここで料理をしているの? その腕ならどのお店でも通用すると思うのに……」
料理する手を止めて、真剣な顔つきで私を見つめる西尾。
「店にいた時、美味しいって言って通ってた子がいたんだ。いつしか俺はその子の笑顔さえ見れればいいなって思っちまった」
「それが揉めてやめた原因? ……勿体無いわ」
他人事なのに切ない話に耐え切れず、思わず俯いてしまった。うつむいた私に、西尾から意外な言葉を聞かされる。
「あまねっちの喜ぶ顔が見たいからだ!」
「あまねっちはやめて。天音でいい……」
「天音は俺にとって、運命の出会いなんだ! 君がまさかここに入居して来るなんて……想像しなかった」
興奮を隠せないのか、入居初日に聞かされた言葉以上のセリフが続く。
「ああ、俺、ここで料理作り続けてて良かった! って思った瞬間だった。だから何とか君に印象を残そうと、入居したての新人にあえて失礼な声をかけたんだ」
「ご、ごめんなさい。待って、お店に通っていた子って……私? 通っていたあのお店に、あなたがいたっていうの?」
大きく頷いた西尾の表情がパアッと明るくなった。
「ああ、そうだ。天音が通っていたあの店で俺は働いてた。食べてる時の嬉しそうな君を見ていたら、嬉しくなってさ」
「でも、私途中から通うのをやめたわ」
「君が来なくなったら寂しさを感じて、店にいてもやる気が出なかった。だから、やめた。それだけだよ」
出会いは偶然だったけど、必然だったというのだろうか。私の望む料理を作ってくれる人が、今、目の前にいるだなんて。夢なのだろうかと疑って、目を瞑った。
目を瞑った瞬間、彼は私に口付けを落とした。
「……んんっ!?」
今度は食べ物ではなく、彼の唇の感触だった。
「な……何するの!!」
「俺の本気を君に示した。料理好きの天音と俺は、一緒になる運命なんだ!! 天音の気持ちを、俺、待ってる。また明日もここで料理作って待ってるから」
そのまま背を向け、料理する彼の姿を見ながら、廊下へ出ていくわたし。
運命の出会いに驚いたと同時に、彼が私にした行動に胸の鼓動が収まらない。夜遅く、暗く寝静まった空間の中で、私だけが鼓動の音を賑わせていた。
「(まさか、そんな……彼が……わたしを?)」
初日の出会いの最悪さと、その後も妙に絡む彼との間に信じられない自分。また明日の夜に会いに行こう。そして……
※
お昼を食べるために、リビングルームへ向かって歩き出す私の前に一人の女性が立ち塞がった。
「ちょっと、ついて来てくれない? 来てくれるよね……」
「……は、はい」
気圧されるように、彼女の後ろを黙ってついて歩くわたし。
リフレシュルーム――
大画面のテレビ、沢山のゲーム機が無造作に置かれている室内はお昼時で人の姿はない。
「おい、私……あんたに忠告したよな? コウに近づくなって」
突然壁際に追いやられて、逃げ場がないまま彼女の言葉を聞くしか術がないわたし。
「あたしがどれだけの思いで、彼を守ってきたか分かんねえだろ? あいつは心が傷ついた状態で、ここに来た。そん時から、守ってんだよ!!」
「あの? ……言ってる意味がよくわからな……」
「それを急に入居してきたと思ったら、横からコウの心を弄びやがって! ふざけんじゃねえよ!! さっさとここから出て行けよ!」
静かな室内に彼女の低い怒声が鳴り響き、廊下にまで声が漏れているようだ。気圧されながらも、彼女の目を真っ直ぐに見据えながらグッと堪えた。
黙って冷静に怒声を聞き続けていると、彼女の一方的な感情に気付いた。彼に群がる女性たちの輪の中で、この人は想いを伝えることなくただ黙って見守っていただけのようだ。
「……彼のコト、好きなんですよね? それなら伝えたらいいじゃない! 守るって、見守るだけですか? それはただの一人よがりに過ぎないんじゃ……」
「黙れ!! コウの彼女は、あたしだけで十分なんだよ!!! あんたみたいな性悪女の出る幕じゃない! 黙って引きこもってろよ」
「性悪って、それはあなたのことでしょ? 私、陰で言う人、許せないし、そういう人にはコウさんを渡す気にならない」
私が出した彼への答えを言い放った直後、私の頬は彼女の平手で叩かれていた。叩かれた直後、強い衝撃を覚えたものの、すぐに彼女を睨み返した。
「このっ……」
二発目の平手打ちをしようとした彼女の動きが止まった。彼女の腕を掴んでいるのは、コウさんだった。
「お前、何してんだ?」
「え、コウ? どうして、ここに……」
「そりゃあ、あんだけの怒声だと厨房にも聞こえるっての! それに、俺の特別な彼女に手出しする奴を懲らしめようと思って来たのさ」
「……っ。私はあなたのことが……好き!」
「おいおい、今ここでそれを言うのかよ。その気持ちはありがてえけど、悪ぃ。お前の想いに俺は応えられない。ごめん!」
彼女の腕を掴んだまま、抱き寄せて耳元で囁いている彼。
「(想っていてくれてサンキュな。これくらいしか出来ねえが、許してくれ)」
「ごめん……なさ……い」
涙の滴を瞳から光らせながら、彼女は部屋から走りさった。部屋から出て行く彼女を眺めながら、緊張の糸が切れ、その場にへたり込んでしまった。
「あ、あれ? 腰が抜けちゃった」
「天音。大丈夫か? 痛かったろ?」
言いながら、私の頬に手を添えて心配そうに顔を見つめる彼。
「っと、ここじゃ落ち着かねえ。俺の部屋に行くぜ?」
私の腰辺りに手を伸ばしたと思ったら、抱え上げて抱っこされてしまった。
「ちょ、ちょっと、これって……」
いわゆるお姫様抱っこじゃないですか。アラサーの私が……まさかこんな――
抱っこされながら、初めて男性の部屋に入ることになった。意外にも部屋は片付いていて、白を基調とした室内の壁で落ち着いていた。
「天音、顔赤いぞ? まだ頬は痛むか?」
「だ、ダイジョブ。平気です」
抱っこされた緊張と、コウさんとの距離の近さに思わず後ずさってしまう。
「大丈夫。変な事なんてしないぜ。それよりも、ようやく名前で呼んでくれたよな?」
彼女への抵抗からか、自然と名前を呼んでいたことに気付いた。
「えっと、はい」
「もう一度、呼んでくれないか?」
「……コウさん」
あらためて本人の目の前で名前を呼ぶと、恥ずかしくて赤面してしまった。
「さん付けか。っていうか、天音って歳いくつ?」
「26だけど、どうして? そういえば、コウさんは何歳なの?」
つい最近まで名前で呼ぶことも無く、年齢を知ることが無かった。私の年齢を聞いた途端、コウさんは目を丸くして驚いている。
「はははっ! 何だ、タメじゃねえかよ」
「え、嘘、同年代だったんだ……」
「やっぱ、運命の出会いだったわけか! てか、さん付けしないでくれよ。何だか距離を感じちまう」
「ごめんなさい、今すぐには無理。でもその内、ね」
指を鳴らして悔しがる彼。
「コウさん、夜また厨房に行くから」
「いや、実はもう天音の想いを知っているんだ。あいつとのやり取りで聞こえて来て、すげー嬉しかった!!」
「あっ、う、うん。それでも、厨房に行きたいの。ダメかな?」
“そうか”と言いながら、何度も頷いているコウさん。ホッとした私は部屋から出ることにして、夜を待つことにした。
※
料理をしている彼の姿は何度見ても、見惚れてしまう。料理が美味しくて、料理している姿に心惹かれ、幸せな気持ちになれる。気持ちが言葉に乗せられて自然と紡ぎ出される告白――
「わたし、あなたのこと好き。大好き! 私の傍にずっといて欲しい」
「おおお? 待ち望んでいた天音の心をようやく聞いたぜ!! 俺はずっと、待っていた! 愛してるぜ、天音! ずっとお前の為に料理を作るぜ!」
「私も愛してます! 心の底から想ってます」
食べ物が近くにある場所で告白なんて、私らしいのかな。彼に抱き寄せられ、口づけを交わした。口に広がる甘酸っぱさは、甘みのある果物のようだった。
「んんっ……ん? イチゴ?」
「当たり! 悪くないだろ? 俺らにぴったりだ」
私たちの出会いは最悪な印象から始まった。待ち続けた想いが交差し、ようやく互いを愛する人に出会えた。私たちを繋いだ料理によって、心の欠片が紡がれていく――
※
「……ようやく決めたんだ? あまねっちが運命の彼女ね。まぁ、何にしてもおめでとう!」
「ああ。俺の彼女は天音だけだ。特別だからな。最愛の人だ」
雪乃さんに覚悟を決めて、私とのことを話したコウダイさん。姉の目を真っ直ぐ見つめて話すコウダイさんの瞳は揺るがない。
「雪乃さん、ありがとう。私、ここで運命が変わるなんて思ってなかったです」
「あまねっち、弟の事、よろしくね!」
「はい! お姉さん!」
“自立”の為に、シェアハウスに来たつもりなのに、幸せになれた。
最悪の運命から、私とコウダイさんとの最愛の日々が始まる――
【完】
3話構成で書いたお話でした。