溶けだす心
第2話 年下の男の子とギャップ
んんー……お母さん、ご飯。寝ぼけた私の声に返事がなく、外から鳥の囀る声が聞こえるだけだった。
……あ、そっか。もう家じゃなかったんだ。ベッドの中で、背伸びをしながら体を起こした。
外に出る用事もないので、部屋着のまま朝のテレビを見る。テレビから聞こえてくるのは、占い。
「今日の貴女は、多くを学ぶでしょう!」
はぁ? 学ぶって……学生でもないのに、ホント適当だ。とりあえず、朝食食べに行かなきゃ……
下の階へ降りて、広い部屋に行くと大勢の男女が各々で好きな場所に座っている。テラス席、ソファー、テーブル席、カウンター。
パッと見ただけで50人近くの人たちが、思い思いの所にいた。
どこに座ればいいんだろう……まだ来たばかりの私に仲の良い人なんているはずもなく、適当な所に座ることを躊躇させた。
「あまねっちー! こっちこっち!!」
聞き慣れた声のする方を見ると、昨日のお姉さんが手を振っている。カウンター席へ誘導されて、雪乃さんの隣へ座ることになった。
「おはようございます」
「うん、おはよ。よく眠れた?」
「あ、はい。おかげさまで眠れました」
「おはようございます!!」
雪乃さんに向かって、お辞儀をしながら挨拶をする人の数が半端じゃない。この人はどういう人なのだろうと気になって、聞いてみた。
「あ、あの……雪乃さんって、その……どういう?」
「あれ、言ってなかったっけ? ごめんごめん、私、ここの管理者なのよ」
「ええっ? か、管理者?」
「一応、資格あるよ。あ、だからといって、権限で弟を住まわせているわけじゃないよ? 昨日も言ったけど、才能あってもそれをくすぶらせてるあいつが嫌でね」
何の才能なのかまでは知らないけれど、身内としては放っておけない心情なのかな。
「そ、そうだったんですね」
「あはは、ヤだなぁ。あまねっち、急に敬語じゃん! とにかくさ、ここで暮らしてる皆は色んなモン抱えてるってこと」
バンバンと、私の肩を叩きながら笑って話してくれた。ここの料理はバイキング方式らしく、あらかじめお皿やトレーに盛り付けられている。
自分で好きなおかずや、ご飯、パンを選んで食べられるようだ。
「あ、そうそう、意外かもしんないけど、ここでの料理はあいつが担当してんのよ。才能ってのはまさに料理のことだけど、半端に修行終えてここにいるっていうか……」
「それって、どこかのお店にいたってことですか?」
「いたことはいたけど、すぐ考え方の違いで揉めてやめたんだよね、あいつ」
……やっぱり料理人なんだ。適当に選んだおかずや、デザートを口にするとどれもが美味しい。態度や口調には不快しか残っていないけど、美味しい料理を作れることに関しては見直した。
「あまねっち、またあいつに何か言われたらいつでも言いに来てね? きつく注意しとくから!」
「は、はい。ありがとうございます」
「あ、そうだ! 来たばかりでここ、よく知らないでしょ? 案内してあげるよ」
「えっと、そうですね。お願いします!」
「敬語じゃなくていいのに……お姉さん、寂しいな」
「あはは……そ、その内に」
朝食を食べ終えた後、雪乃さんに付いて歩くと驚くばかりの光景が目に映り込んだ。まさかの地下と、スタジオだった。
「ど、どうしてシェアハウスにこんなものまで?」
「驚くよね? ここってさ、どこかのアーティストが建てたんだ。だけど、売れなくなって困りに困って、手放しちゃったっていうオチ」
生活するだけの空間に、地下があるのも驚いたけど使う人がいるのか疑問に思った。
「すんません、そろそろ使うんで説明、もういいっすか?」
雪乃さんの説明を聞いていると、空くのを待ちきれなかったのかわたしたちに声をかけてきた男の子。
「あ、すみません。え? あ、昨日の……?」
「え? ど、どうも」
私に驚いたのか、話しづらそうにしている。
「おっ、奏ちゃんじゃない! なになに、知り合い?」
「そんなんじゃないっすよ。音出すんで、扉閉めます」
邪魔して欲しくないのか、スタジオ室の扉を閉め切ってピアノを弾き始めた彼。口調にも驚いたけど、ピアノ奏者ということにも驚きを隠せない。微かに聞こえてくるその音色。心地よさと意外さに心が惹かれた気がした。
「……素敵」
「惚れちゃった?」
「そ、そんなんじゃないです。意外だなって感じただけで」
「総じてアーティストは、見た目とのギャップ違うから萌えるよね。まぁ、奏ちゃんも難しいけどね。付き合うとなると厳しいかな」
年下っぽいし、そこまで考えられないかな。ピアノは意外だったけど。タイプ違うっていうか、別の世界の人って気がする。初日に丁寧な口調で話をしてくれた彼の意外な一面を知ったものの、興味の惹かれる相手では無かった私はこの場をすぐに去った。
雪乃さんに連れられリフレシュルームはゲーム機の部屋だということを知り、図書ルームは本の置き場所で、一番驚いた場所は地下室だけだった。
「んー……。一応、あそこも紹介しとくか」
雪乃さんは乗り気ではなさそうに迷いながらも厨房へ足を向けた。
実は昨日の夜に来てたんです、なんて言えない。
西尾がいる厨房に辿り着くと、厨房前には予想通りの光景が広がっていた。顔が良くて、料理が美味い、でもキザで最悪なあいつの何がいいのだろう。
「うーん……。ここに群がってる子たちは、あいつの表面しか見てないな。確かに見た目いいし、腕も確かだけど、内面までは探ってないっていうか」
どういう意味だろう……?
姉だから分かることなのか、人気者の弟のことを想った発言なのかは分からなかった。
「はいはい、ごめんなさいね。ここ、通らせて」
問答無用に女性たちをかき分けて、厨房の中へ突き進むわたしたち。雪乃さんの後に付いて行きながら、女性たちから冷たい視線と舌打ちが聞こえた。
「……ちっ。何様なのあの女……」
中に入ると炒めた野菜が宙に舞う程、華麗な鍋さばきで調理する西尾の姿があった。黙って鍋を振るっている姿を見ると、口調とのギャップに思わず見惚れてしまっていた自分がいた。
「調理してるとこ、失礼するよ」
容赦なく、弟に話しかけるお姉さん。
「……あん? げっ姉貴。何だよ、何しに……」
雪乃さんの後ろに隠れていた私を見た途端に、笑顔に変わる西尾。
「んんっ。どうしてここに来たので? それも彼女と一緒にだなんて」
「あんた、いい加減にしな? 調子よく女の子達を誘って、その落とし前はつけられるわけ?」
「落とし前って……。いや、あの子らは別に……。それに、俺はもう半端はやめた。特別な子を見つけたからな」
「はぁ? 嘘……そんなコ、聞いたときないけど、誰よ、それ」
「あ、あの~……」
姉弟喧嘩が始まりそうだったので、話を遮ることにした。
「あまねっち、どした? あ、あー置いてきぼりだった……ごめん!」
「あまねっち……? ほぉ、そうか。俺の特別は、この子だ!」
そう言い放つと同時に、私の肩に軽く手を置いた。
「ちょ、ちょっと! やめてよ。私にはその気はないって言ってるじゃない!」
厨房前で舌打ちしていたあの女が近くにいることを気にしたせいか、手を振り払ってしまう。彼に対してキツく怒鳴ってしまった。私のただならない雰囲気を悟ったのか、雪乃さんがなだめるように割って来た。
「あ、あまねっち……落ち着いて! はぁ……あんた、昨日どれだけ迷惑かけたわけ? この子がここまで怒るなんて……」
雪乃さんが西尾に対して厳しく叱っている。
「……いや、俺は何もそこまでひどくは」
私の言葉に驚いたのか、言葉少なに下を向く西尾。
「……雪乃さん。あのっ、この辺で。機会があったら、ゆっくりお話ししたいです」
「勿論。歓迎するよ!」
これ以上ここにいては、事が荒立つだけだと思った私は話を終えた。雪乃さんにも意志が伝わったのか、先に厨房を出て行く雪乃さん。私は下を向く西尾の傍に近付いて、小声で言葉をかけた。
「(あの、私そこまで嫌ってないです)」
「へ? それじゃあ俺と……?」
「だからといって、彼女とかそれは別なので。……じゃあ、また」
雪乃さんが出た少し後に、私も厨房を出て行く。厨房前に群がっていた女性達は、雪乃さんが追い払ったのか、誰もいなくなっていた。
料理をしている姿に見惚れてしまった私は、西尾に対する気持ちが少しだけ和らいでいた。
それはまるで、カチカチに冷えた氷が徐々に溶けだすかのように――