2話
オレを真っ直ぐに見つめる、深紅の瞳。
人の視線を正面から受けたのは、覚えている限り初めてのことだった。
「キミ、誰?」
少女は、好奇心旺盛なキラキラとした表情で、オレに問いかける。
うずうずといった風に少しずつオレに迫ってくる押しの強さに負けたように、思わずオレは名前を白状した。(別に後ろめたいことがあったわけではない)
「ぼ、ぼくの名前は、アイゼン。アイゼン=レーグ……」
「ラーミナちゃんっ!バンソーコー!」
オレが答える言葉に被せるように叫ぶ声。
ふと見るとベッドの上にいた子どもが、いつの間にか泣き止んで、しびれを切らしたように少女の袖を引いた。その膝は擦りむいたのか赤くなり、血が滲んでいる。
「パパルナ、ちょっと待っててね」
少女は子ども──たぶん、女の子──を宥めるように頭を撫でると、部屋の角にある箪笥の方に行き、ゴソゴソと中身を漁り始めた。
「ん~、いんちょーがいればすぐなのになぁ」
戻ってきた少女は、その手に透明な液体の入った瓶と大きめの絆創膏を持っていた。
少女がパパルナと呼んだ子どもは、その液体をつけてもらっている間、ぎゅっと目を瞑っていたが、絆創膏をつけ終えるとにこりと笑った。
「ラーミナちゃん、ありがとー!」
「いえいえ、パパルナが頑張ったからだよ」
えらいね、と少女がもう一度頭を撫でるとパパルナは嬉しそうに笑って部屋を出ていった。
「さて、お騒がせしちゃったね。大丈夫?」
少女は、子どもを見送るとオレの傍に寄ってきた。そして、ベッドの端に座ると再びオレを真っ直ぐに見つめた。
「い、いや……その、ぼく」
「アイゼン君だっけ?そんなビビんなくてもへーきだよ~!」
少女は手を伸ばすと、オレの髪を掻き回すように力強く撫でた。それは、もうぐりんぐりんと頭がもげそうな勢いだった。
そういえば、頭を撫でてもらったのはいつぶりだったろうか。
混乱する頭の中で、ふとそう思った。
やがて満足したのか、少女はオレの頭から手を引っ込めると今度はオレの前──ベッドの上だ──に立ち上がり、自己紹介し始めた。
「私はラーミナ!
ここの子じゃないんだけど……たまに遊びにくるんだ!」
よろしくね、と差し出された手をそっと握り返すと陽が射したようにパァッと笑顔になった。キラキラして、とても可愛かった。
それから、オレとラーミナは兄たちが戻ってくるまで二人でずっと喋っていた。
そのとき知ったのは、ラーミナの母が異国人であることや、躍りが上手であることなど、他愛のないものばかりだったが、オレは初めて会話が楽しいと思っていた。
「アイゼン君の髪、すごくキレーだね!コクヨーセキみたい」
突然ラーミナはそう言った。
当時のオレにとって、黒髪はコンプレックスの最たるものだった。だが、彼女は羨望の眼差しでオレの髪を撫でていた。
「コクヨーセキってなに?」
「コクヨーセキはね!お守りなんだよ!
……ほら、これっ!」
ラーミナは自分の胸元を探ると、大人の親指の爪位の大きさの黒い石が付いたネックレスを取り出した。
石は真っ赤な夕陽を浴びても尚、艶々と黒く輝き、その中に金と虹の煌めきを抱いているように見えた。
(綺麗だ……)
オレはその石を惚れ惚れとするように見つめていた。それを見ていたラーミナは、少し考えるとネックレスをオレに渡した。
「これ、あげる!」
「えっ!?でも……いいの?」
「うん!これね、私が拾ったのをおかーさんがカコーしてくれたんだ。
でも、これはアイゼン君が持ってた方がいいかもって」
その言葉にオレはキョトンとなった。
ラーミナは内緒話をするようにオレの耳許に口を寄せると、こっそりと呟いた。
『アイゼン君、なやみがあるんでしょ?』
「っ!?」
驚いたオレをよそにラーミナはクスクスと笑った。
「だからね、お守り!」
どうしてそこに繋がるかは分からなかったが、ラーミナは楽しそうだった。
ラーミナは正面からオレの首の後ろに手を回し、ネックレスをつけた。
まるで抱きつかれているかのような格好にオレはドキドキした。
「アイゼン、戻ったぞ……って、何してるんだ?」
「っ!シュタール兄上……」
ノックもなしに実兄──シュタール兄上が入ってくる。
今のオレはラーミナと抱き合っているようにも見える体勢だった。そんな姿を兄に見られたことにより、ますます顔に熱が集まっていく。
もう、沸騰しそうだ。
兄はそんなオレを見て一瞬驚いたように目を見開いたが、賢く察しのいい兄は「外で待ってる」と言って部屋を出ていった。
……少しにやにやしているように見えたのは、気のせいじゃないはず。
「今のおにーさん?」
「うん……」
ふーんと言ってラーミナは興味無さげにその後ろ姿を見送った。それからまたオレの方に向き直ると、顔を近づけてラーミナは迫った。
「そ れ よ り!
アイゼン君、もう帰っちゃうの?」
「……そう、だね。兄上たちもお仕事終わったみたいだし……」
「えー!?まだお喋りしたかったのにぃ!」
心底しょんぼりしたラーミナを見て、オレはちょっと慌てた。
表情がくるくると変わるラーミナを見ていると、オレもなんだか感情豊かでいられる気がするから不思議だ。
「ま、また会いに来るから!」
「……ホント?」
「や、約束するっ!」
思わずオレはラーミナの手を両手で包むように握り、大きな声で叫んでいた。
ラーミナはもう片方の手でオレの頬をそっと擦ると、にっこりと微笑んだ。
「分かった!ゼッタイだよ!」
オレたちは、外に出るまで二人で手を繋いでいた。
────だが、その約束はしばらくの間果たされることはなかった。
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