第九十話 砂漠の刃
時間は少し遡る。
「へえ、いつもここから飛び降りてたんだ」
出撃の準備を整え、神殿の縁に立ったマルネリアは、身を屈めて下界をのぞき込んだ。
「落ちても平気なの?」
「うん。そのへんは女神様がフォローしてくれてるから」
「楽しみだなあ。あれ、でも竜たちはお留守番?」
「アディンたちは強すぎるから、まずは僕らだけで土地の様子を見ておくんだ。そこの住人たちにとって重要なものまで破壊しかねないからね」
「考えてるんだねえ。確かに、いきなり〈バベルの樹〉を攻撃されたら、エルフは味方とは思わなかっただろうね」
感心した様子のマルネリアに僕は、「じゃあ行こうか」と告げ、促す目線をパスティスへと向けた。もう熟練の相棒とも呼べる彼女のうなずき一つを合図として、虚空へと片足を踏み出す。
何の感慨も抱かない地上降下だけど、やっぱりエリア最初は胸が高鳴る。
ゲームで学び、ゲームで育ち、ゲームを愛する人間のサガ。
次はどんな不思議な世界が待っているのか。いつも同じ平凡な日常を生きていた僕にとって、それは、ゲームのタイトル画面でしか味わえない感覚。
それを一際強くしたものがここにある。
いわんや、印象深い砂漠においてをや、だ。
自由落下で何層もの雲を抜けると、目指す大陸の全景が露わになった。
砂漠の大地〈ブラッディヤード〉。
〈オルター・ボード〉で見たものよりはるかに鮮やかな真紅が、海の深い青と強烈なコントラストを生み、その境界線をちらちらと光らせる。
さらに近づくと、地形がはっきりと見えてくるようになった。
砂丘が作り出す、数え切れないほどの三日月型の影。
自然が無造作に生んだそれは、見渡す限りの赤い大地に広がっている。人の力では到底できない。しかし、風というごくありふれた現象が作り出した光景だ。
上空から少しでもエリアマップを確認しておこうと思ったけど、あちこちで砂煙が立ち上り、めぼしいものは発見できなかった。
鎧の上をざらついた感触が撫で上げていくのがわかった。乾いた空気に混じった砂粒だ。
砂漠ならではの気候。
ただ、直接浴びれば火傷するという日光も、女神様の加護のおかげでオールセーフ。水分補給にもそれほど気を遣わなくていい程度には守られているそうだ。
そうでなければ、まず真っ先にフルアーマーの僕が熱中症で死ぬ。
そんなことを考えながら降下するうち、僕らは砂浜に面した場所へと到達していた。
「着いたねえ。空から見たよりは、少し赤が淡いかな」
マルネリアがどこか楽しげな声で言う。彼女の言うとおり、足下の砂は真紅というほどの濃度ではない。
「砂と、水、しかない……。変な、場所」
パスティスが、前後の海と砂漠を見比べながら戸惑い顔になっている。砂漠は初めてらしい。
それは僕も同様で、日本人にとって、ゲームでは定番といえる砂漠地帯も、大森林以上に縁のない場所だ。
降下してみて改めて、その加減を知らない殺風景さに圧倒される。
砂埃で濁る空の下にあるのはすべて赤砂の山で、岩場があるのはここ海岸の付近のみ。後は目印らしいものもなく、ただただ無尽の砂丘が、凍った波のように不毛な世界を縁取っている。
一応、岩場くらいはあるんだろうけど、全部砂の下に埋もれてしまっているのだろう。
まったくすごいところだ。
「とりあえずは……」
シュゴー。
毎度おなじみ天界への反逆行為、〈ヘルメスの翼〉の無駄遣いから始める。
海岸線付近にある崖は適度にでこぼこしていて、指を引っかけて掴まるにはちょうど良い形だった。
日陰ができる位置でもあったので、パスティスもそこに避難していた。早くも小休止の気配。正直、この毎回の儀式は、テンションに水を差している。
「…………?」
僕は掴まっている岩を見て、ふと不思議に思った。
この岩、縁がずいぶん荒れてるっていうか、ボコボコだな。
ひっかき傷にも似た跡がいくつも見える。
何なんだろう、これ。
《風と砂が鳴る、不毛な大地。動くのは燃えさかる太陽と、砂粒と、私のみ。生きる者はすべて、この命の色をした砂に溶けてしまったのだろうか。おや……あれは……? 何かが迫ってきている。何だ? 壁のような……一体……》
主人公、どうした……!? 応答せよ、主人公!
くっ、うちの斥候に何かあったようだ!
壁が迫ってくる? どういうことだ?
今回はゲームオーバーにはなっていないみたいだけど……。
「騎士殿、むこうで何か起こってるよ」
そのとき、大きな帽子を日傘にして、砂漠の様子を眺めていたマルネリアがぽつりと言った。
ちょうど〈ヘルメスの翼〉の魔力も尽きたので、急いで彼女に並んで視認する。
「え……!?」
僕はそこで、主人公が言いたかったことを理解した。
「赤い壁が……迫ってくる……!?」
奇しくも主人公の言葉を繰り返すことになった。本当にそうとしか言いようがなかったからだ。
砂漠の彼方から迫ってくるのは、壁のような雲だ。
……あれは嵐か……いや……!?
「シ、シムーンか!?」
僕はうろ覚えの単語を叫んでいた。
シムーンというのは、超ヤバイ級の砂嵐のことだ。
生き物は飲み込まれたが最後、熱風の中で一瞬にして脱水症状に陥り、強風で呼吸もままならずに窒息死するという、毒ガスめいた天災だった。
それがこっちに向かっていている!
どうしよう、隠れないと! 岩場の裏なら大丈夫か?
そのとき、カツンという小さな音が、僕の鎧の上で跳ねた。
不思議に思って足下に落ちたそれを拾い上げると、
「…………!?」
それは、引きちぎれたような小さな金属のカケラだった。
「いたっ。何か飛んできたよ」
マルネリアが帽子を押さえながら、慌てて岩陰に避難してくる。
よく見ると、足下の真紅の砂の中に、黒々とした金属片がぽつぽつと顔を出している。
「何だこれ……砂に金属が混じってるぞ……」
!!?
僕ははっとして、岩壁を凝視した。
岩壁に走る無数の小さな溝。拾った金属片を当てはめてみれば、溝の幅とだいたい一致する。背筋が凍った。
「シムーンに混じって、金属片が飛んできてる……!!?」
息を呑む僕の隣で、パスティスが不安げに言う。
「騎士様、どう、したの。もっとちゃんと、隠れないと、ダメ、だよ……」
「ダメだ、みんな逃げろ! パスティスもマルネリアも撤収だ! このままじゃみんなズタズタにされるぞ! 早く!」
突然僕がわめき始めたので、パスティスもマルネリアもぎょっとなった。
「騎士殿、落ち着いて。そんなふうに言われても全然どうすればいいかわかんないよ。何が起こるの?」
ぶーと唇を尖らせるマルネリアに諭され、僕ははっとなる。
貴重な時間を消費し、焦燥で乾いたのどに砂漠の空気を一度取り込んで、深々と吐き出した。冷静さが五パーセントくらい戻ってくる。
「あの砂嵐の中にこの金属片が混ざり込んでるんだ。ここら一帯は、あの砂嵐に切り刻まれる。僕は鎧を着てるからいいけど、パスティスとマルネリアは危険すぎる。すぐ天界に引き返すんだ」
よし、今度はちゃんと伝えられた。悪い報せなので、二人の顔が強ばるのは避けられないけど。
「アンシェルも聞こえてたよね。二人を天界に戻して」
羽根飾りに呼びかけると、返ってきた答えは意外なものだった。
「その対策で大丈夫なの騎士?」
「え?」
「天界に引き上げるのって、結構ゆっくりよ。そのシムーンっていうのが空まで伸びてたら、二人とも身を守るものが何もない状態で巻き込まれることになるわ。どう? 大丈夫そう?」
うっ……!!?
僕は迫り来る赤い砂嵐をもう一度見る。
その上辺は、雲の下腹をも巻き込んでいる。まさに砂漠のデモンズウォール。
「いや、大丈夫じゃなさそうだ……! アドバイス助かったよ、アンシェル感謝!」
「お礼はいいわ! どこかに身を隠せそうな場所はないの?」
僕は周囲を見回す。裏も表も傷だらけの岩くらいしかなく、遮蔽物としては役に立たななそうだ。
二人を岩陰に押し込めて、僕が覆い被されば少しは被害を押さえられるかもしれないけど、あの小さな刃をすべて防ぐには、我が身はあまりにも小さすぎる。どうしてもっとマッチョな偉丈夫に生まれなかったのか。すまんが恨むぞ両親!
他にないのか、安全地帯は……!?
何もない。漂流物すらない。
くそ、スタート地点でこんなピンチに陥るなんて!
ダメだ慌てるな、落ち着け僕! 打開策は必ずある。
集中しろ、考えろ、観察しろ、猟犬のように!
僕は感情を殺すように息を止めて周囲を見回した。
…………。
あっ……。
ある、あるじゃないか、こんなにでかい安全地帯が!
「マルネリア、水中で呼吸する魔法みたいなの使えない?」
「使えるよ」
「すぐ使ってくれ、みんなで海の中に避難するんだ!」
施術後、僕らは急いで海に駆け込んだ。
できる限り沖まで行って、身を伏せる。
シムーンの到来はすぐにわかった。
海中から見上げている水面が、まるで夜のように暗くなったからだ。
パチパチと小さな音がして、空気の泡を引き連れた金属片が弾丸のように海中へと潜り込んでくる。
水の抵抗力は、森で水中戦をやったときに直に味わっている。それを楽々突き破るこの勢いにぞっとする。地上にいたら、想像した通りの惨劇が待っていただろう。念のため、僕は海岸方面に立ち、身を屈める仲間二人の盾になった。
よくよく見れば、足下は例の金属片だらけだ。
シムーンに運ばれてくる砂はほとんどが水面に受け止められるけど、金属片だけは突き破って沈んでいるのだ。
こんな嵐に生き物が巻き込まれれば、水分どころか、体中の血液を吸い上げられることになる。
まさか砂が赤いのはそのせいじゃないだろうけど、〈ブラッディヤード〉の名付け親がシムーンのことを知っていたのなら、間違いなく、ブラッディは色のことだけを指す言葉じゃないはずだ。
パスティスとマルネリアは、対策ができるまで天界に避難させておくしかない。
久しぶりの、一人での探索か……。
あの広い茫漠とした世界を、孤独に。
でもアルルカも、そうだった。
なら、何も怖がることはない。堂々と行くべきだ。
海の底から黒々とした水面を見上げながら、僕はそんなことを思った。
今日はドラクエの発売日ですね。(現代感)
みなさまは行列のどのあたりにおられますか?(違和感)
帰りのカツアゲには十分ご注意下さい!(昭和感)
誰よりも早く進めて、学校のプールで会う友達に自慢しようぜ!(こなみかん)




