第八十九話 血塗れの大地
「……はい、これであなたは騎士様の従者となりました。以降はわたしの加護の元、共に世界の危機と戦いましょう」
「はい、女神様。これからもよろしくね」
次なる土地を目指し、空を移動中のリーンフィリア様の神殿にて。
リーンフィリア様の前にひざまづき、二言三言を儀式のように取り交わしたマルネリアは、胸に当てていた帽子を頭に乗せ直すと、傍らで様子を見ていた僕に、拍子抜けした顔を向けた。
「これだけで従者になれちゃうんだ? もっと色んな神様に面通ししないといけないのかと思って、ちょっと面倒くさいなって思ってたのに」
マルネリアの歯に衣着せぬ物言いに、アンシェルがむっとした顔になる。
「罰当たりなこと言わないの。これは儀礼的なもので、正式な儀式はリーンフィリア様とわたしが裏でやってるのよ。従者だけでも珍しいのに二人目だなんて、各部署への連絡が大変だったんだから」
「わたしの、ときも、簡単に、済ませてくれた、から……。アンシェルには、感謝、してる……」
僕の傍らにいるパスティスが言うと、アンシェルの頬が簡単に赤くなった。
「わ、わかればいいのよ」
あっ。わかりやすいツンデレだ。保護しよう。
「何はともあれ、これでボクは騎士殿の従者なんだね。にゃはは……」
マルネリアが妖艶に笑って僕の腕に絡みついた。
「騎士殿はボクの主人だから、何でも命令できちゃうね。ねえ、ほら、何か言ってみて。ボク言うこと聞くよ」
「そう……。じゃあとりあえず、今使ってる部屋の掃除してきて」
「えーっ。やだよ、面倒くさい。もっと楽しいこと命令してよお~」
恐ろしく案の定の手のひら返し。僕じゃなくても誰も見逃さない。
「面倒くさいじゃないわよ! あんた女神様の神殿を何だと思ってるの?」
「ほら、近所のアンシェルおばさんがお怒りだ」
「おばさんじゃないわよコノヤロー!」
アンシェルのロケット頭突きが僕を吹っ飛ばした。
〈ディープミストの森〉を出発してたった二日だけど、神殿はマルネリアのせいで大変なことになっていた。
彼女には整理整頓という概念がないらしく、一度引っ張り出したものをその場に放置していく癖があった。おまけに置き場所を選ばないため、神殿をちょっと歩けば、投げ出された彼女の私物やら何やらが目につく有様。
しかも厄介なことに、この魔女はそれらすべての位置を正確に記憶していて、勝手に片づけると「ものが消えた!」と大騒ぎするのだ。
里にいる頃は、彼女はまだ旅の身で、私物もほとんど持っていなかったからわからなかったけど、出立に際して方々の小屋から回収してきたものが今、小さな厄災となって神殿――特に保全係であるアンシェルの神経を二桁番号の紙ヤスリで削っている状態だ。
ちなみに、以前、ミリオと行った魔女の小屋がやけに片づいていたのは、マルネリアではなく、ミリオたちが感謝の気持ちを込めて日頃から整理整頓していたからだった。今さらそんなことを知っても遅すぎる。
本人は服装も含めて、極めてずぼらでズサンな生き方をしている。それは、晴れて天界の関係者となってからも変わらなかった。
「騎士殿、よく飛んだねえ」
マルネリアが、吹っ飛ばされ終えた僕のところにへらへら笑いながらやってきて、またへにゃっと張りついた。何も反省していない。
思い返せば、あの森のエルフでまともな人は誰もいなかったな……。
まあ、仕方ないか……。ここは『Ⅱ』の世界だもんな。『Ⅱ』じゃしょうがないよ。
…………。
…………。
……ああ!?
何が仕方ないだよツジクロー!?
おまえ、今自分が何を思ったかわかってるのか!?
やばい、やばい、やばい!
な、慣れてきている……! コレジャナイの世界に……!!
今後どんな変人が出てきても「ふざけんなwwww」で済みそうになってる!!!
冗談じゃないよバカヤロー!! 認めてどうする!? 戦わなきゃ、コレジャナイと!
言いたいことはちゃんと言わないとダメだ。
コレボタンとコレジャナイボタンはまだ錆びついてはいない!
僕は張りついたマルネリアをじっと見つめる。
この機会だ。まずはこのゆるエロのコレジャナイ魔女に、理想的なコレエルフというものを語り聞かせ、再教育を――。
「ん?」
兜の目に当たる部分に黒い影が巻きつく圧迫感を覚えた瞬間、視界が塞がれた。
何だ、何が起きた? 慌てて手で確認する。こ、この緻密で規則的な凹凸のあるさわり心地は……。
「ハッ!?」
背後から強力な想念をキャッチし、僕は目の見えない顔をそちらに向けた。
「マルネリア……ばっかり……見ないで。わたし、悪い子に、なる、よ……」
声の主がすなわち、この目隠しの犯人だ。兜を覆っているのは、鱗が閉じたサベージブラックの尻尾!
まるで、「だーれだ?」みたいな状況だけど! しかも尻尾があるキャラにしかできない特殊なシチュエーションみたいだけど! 微妙に圧力がかかってるぞ!!
「落ち着こう! こういうのは竜たちの教育にもよくないよ! わかった、しない! マルネリアを再教育なんかしないよ!」
うっかり聞かれてもいないことまで口走ると、当然、傷は広がる。三流の悪役がよくやってた。
「んあ? 騎士殿、再教育ってなあに? ボクをどんなふうにしたかったのかな? いいよ。何でも言ってよ。あ、もしかしてご主人様って呼んでほしい? いいよ~、えへへえ~」
マルネリアが濡れたティッシュみたいにさらにしっとり張りついてきた。
火に油どころか、火に油を注いだのちに水をぶっかけたようなもの(大爆発)。
「アディンたちも揃って、悪い子になる……! 悪い子になって、かまって、もらう……!」
「グッ……! バカな、ルーン文字で強化された上から、平気で圧迫してくる……!? 鎧の強度は上がっているはずなのに!?」
キリリ、クルクルクル……。
近くで腹這いになっているはずのアディンたちから、興味ありそうな鳴き声が聞こえてきた。僕らが睦み合ってるとでも思っているのか!? これを愛情表現と勘違いして真似されたら死ぬぞ!? 頭が数字の8みたいな形になっちゃう!
《私の戦いもここまでか……》
不吉なこと言ってんじゃないよ! 僕の走馬燈はまだ再編集が済んでないんだ。あんなもん見てられるか!
おかしい! おかしいですよスタッフ!
ラブコメならちゃんとラブコメにしよう! こんなの違うよ!
コ、コレジャナイ……コレジャナイ!
【ぼくのもとめるらぶこめじゃない:カウント拒否】(累計ポイント-3000維持)
め、目がああああああああああああ!
※
願いが通じて、ラブコメという名のただの危機的状況が長引かないうちに、神殿は新エリアの上空へと到達した。
例によって、神殿の縁から下を見ても雲しかないため、〈オルター・ボード〉での確認になる。
けど、これは……?
「赤い……」
画面に映る大陸は、見事に赤一色になっていた。
まるで血塗れの大地。
どういうこと?
「〈ブラッディヤード〉よ」
画面をのぞき込むすべての顔の中で、アンシェルがぽつりと言った。
「何それ……。名前的に、まともな土地じゃなさそうなんだけど」
「“血飲みの大地”とか“血を吸う砂”とか呼ばれてるから、騎士の認識でだいたいあってるんじゃない? まあでも、実際は単なる砂漠地帯よ」
「砂漠!?」
「そう。〈ブラッディヤード〉は砂漠の大陸なの。砂の色が血のように赤いから、そんな物騒な名前がついてるのね。……なんか今、やけに反応しなかった?」
「それは、そうさ」
答えながら、僕は密かに微笑んだ。
森の次は砂漠。より過酷な環境になり、攻略難易度も上がるだろう。
しかしそんなの問題じゃない。砂漠、砂漠だ。フフフ……。
『リジェネシス』を正しく楽しんだプレイヤーなら、砂漠と聞いて期待に胸が膨らまない者はいない。
場合によっては、まさにコレボタンの押しどころになる。
『Ⅰ』のエリア構成は、平原、砂漠、雪原、山岳に、蒼い荒野の五つだった。
この中でも砂漠は、アルルカという人気キャラの、勇敢であり同時に悲壮でもあったイベントで知られている。
悲しみにまだ耐性のない子供心にはっきりとした傷を残しつつも、決してただの鬱ではなかった“砂漠の極星”の記憶が、僕の胸をじんわりと熱する。
アンチスレによってコナゴナにされた僕のファンとしてのハートだけど、そのカケラはまだあちこちに残っていて、それが熱を発しているみたいだった。
もちろん、彼女がいた砂漠は〈ブラッディヤード〉ではなかったけど、それは関係ない。このエリア、どんな困難が待っていようと僕は彼女のように戦ってみせる。
教えてやろう、『リジェネシス』プレイヤーはみな、勇敢な砂漠の戦士だということを……!
「詳しいことは、とっかかりとなる土地を解放してからね。みんな、準備して」
『了解!』
コレボタンの用意も忘れるな!
僕はかつてない期待を込めて、降下する砂漠を思った。
けれども、このときからほどなくして。
「ダメだ、みんな逃げろ! パスティスもマルネリアも撤収だ! このままじゃみんなズタズタにされるぞ! 早く!」
僕らは初めて、完膚無きまでの撤退を余儀なくされることになる。
新しい土地は、旅人に新鮮な驚きを提供すると同時に、無知をあざ笑う。
知らない者が悪い。
おまえに、ここに踏み入る資格はないと。
身から出た錆のコレジャナイは許されない(全日本コレジャナイ協会規約第一条第四項)




