第八十八話 バイバイ、魔女
「タイラニー。お祭りはどうでしたか? これほど盛り上がったのは、きっと、エルフの里ができて以来のことだと思います」
集会場の応接間で僕らを迎えてくれたミリオが、人数分のお茶を入れながら微笑んだ。
「わたしたちが再び晴れやかな気持ちで、このお祭りに参加できるとは夢にも思っていませんでした」
やや自虐的な発言に聞こえるけど、ティーポットを傾ける彼女に翳りはない。里を追い出されたつらい過去を区切り、新たな気持ちで、元の里の人々との暮らしを再スタートさせた人の顔だ。
「他の微乳エルフたちも、この新しい里で大切な人を見つけ、虎視眈々と狙っているみたいです。うふふ、みんな前向きでいいことですね」
やめてくれ。
頼むから清らかな恋愛をしてくだしあ。
「ミリオたちはお祭りを見に行かないの?」
僕がたずねると、彼女はテーブルにつくメディーナ、マギアと柔らかい目線を交わし、
「わたしたちは日が暮れて、人出が少し落ち着いた頃に見に行こうと思っています。仕事は山積みですし、三人揃っていると何かと騒ぎになりますから」
「ホントは今すぐにでもマギアと一緒に店を回りたいんだけど。絶対、お花の交換っこしようね。ねっ、マギアっ!」
「お、おい、メディーナッ……。みんなの前だぞ、何言ってるんだ、おまえ……!」
マギアが慌ててたしなめると、
「ハッ!? み、見ないで……! わたくしを見ないでください!」
手で顔を覆って、メディーナはテーブルの下に逃げ込んでいった。かつての落ち着きや、巨乳エルフを束ねた威厳は微塵も感じられない。
一方で、注意したマギアの方も、テーブルの下をのぞきこみ、
「は、花の交換はちゃんとしてやるから出てこい。女神様たちに失礼だぞ。まったく、おまえというやつはいつもいつも……」
という、いつもの覇気ある口調ではなく、子供をなだめるような優しい声で語りかけているのだから、もう彼女たちに権威だ立場だとかいうのを求めるのは間違いなのかもしれない。
もう、ただのノロケでいいんじゃないかな。
メディーナが復活したのは、ミリオが全員のカップに果実茶を注ぎなおしてからしばらくしてだった。
三人のエルフは、椅子に腰掛けるリーンフィリア様の前に、恭しくひざまずいた。
「本日、ここにお越し頂いたのは他でもない。これからのことについて、女神様にご相談があったからですわ」
まだ頬の一部に羞恥のあとが見えるけど、メディーナは努めて平静に切り出す。
「改めて、この森のエルフたちを救っていただき、お礼を申し上げます」
『タイラニー』
「女神様たちのお慈悲がなければ、里の再興もできず、仮にできたとしても、再び同族で争う悲劇が繰り返されていたでしょう」
『タイラニー』
「わたくしたちが愚かにも排撃した微乳エルフたちを救ってくださったこと、そして、わたくしたちの争いを収め、はるか以前の時代と同じく、一つの里にまとめてくださったこと、本当に、ありがとうございました」
『タイラニー』
その、卒業式みたいにいちいちタイラニーの唱和が入るのさえなければ、実にまともで、これまでの激戦を偲べる話なんだけど。なぜ挿入した?
「タイラニー」
そしてごく当然のように祈りの言葉を返す、うちの教祖兼女神様のイヤな安定感よ。
「これは、みなが力を合わせた結果です。ここにいる誰もが、本当に頑張りました。つらい過去があったからこそ、それを乗り越える力もまた生まれてきたのです。みなで胸を張りましょう。本当にエルフたちが蘇るのは、まだこれからなのです」
リーンフィリア様の謙虚なお言葉に、感激した様子のエルフたち。
エルフ同士の争いは確かに愚かな過去だった。
だけど彼女たちはそこから抜け出し、さらに、内乱の愚かしさを知った。
ただ知識として知っているのではなく、里のみんなが実感として理解している。為政者だけでなく、本当に一人一人が。それが何より大事なことだった。
もしまた同じ危機が訪れても、今度は道を誤らない。
仲直りの方法を、彼女たちはもう知っているのだから。
「里はかつてない規模になりました。もう、女神様のお力がなくても順調に発展していけます。どうか、ここと同じく、苦しんでいる他の土地をお救いください」
――お別れだ。
「はい。あなたたちも、頑張ってくださいね」
リーンフィリア様が、メディーナ、マギア、ミリオと、しっかりと握手を交わす。
〈ヴァン平原〉に続き、二度目の別れ。
今回は、これまで以上に住人たちとの深い交流があった。
ただ土地を離れるだけでなく、心の一部を置いていくような、そんな寂しさがある。
「あーあ、騎士殿たち、他の土地に行っちゃうのかー……」
マルネリアが背もたれに身を預け、空元気のような声を上げた。
みんなの視線が向く。
過去の資料や知識を持つマルネリアは、里にとって貴重な人材になっていた。
特に、抗争が始まる前の古い知恵は、これからの里運営に欠かせない情報となるだろう。
争いが終わった今、彼女の帰還を妨げるものもない。
マルネリアの母親であるミルヒリンスの一件もすでに報告されている。
安否のわからない彼女を捜索するか否かの判断はまだ下っていない。けれど、マルネリアがそれを望み、手を貸すのなら、下の世界の探索と合わせて実現不可能なことではないだろう。
彼女がこの土地ですべきことは、多い。
マルネリアの茫洋とした瞳が、迷いに揺れる。
何に?
何にだろう。
僕はそれを知ってる。でも、僕はそれを言えない。
彼女が決めて、彼女が進む道だから。
「ねえ、騎士殿……」
マルネリアが僕を見る。
「ボクのこと、置いてっちゃうの?」
飄々とした彼女が初めて見せた、すがるような、泣き笑いの顔。
……ガッハァ!!?
ま、待って。そんな顔で僕に決定権委ねるの?
こんなの、拒否できるわけないじゃないか。脅迫だよある意味!
兜をかぶっててよかった。自分がどんな顔してるか、わかったもんじゃない。
僕は平静を装い、念を押す。
「いいの? お母さんのこととか」
「お母さんの人生はお母さんの人生。ボクの人生はボクのものさ。あの調子だと高確率で生きてて、今も下の世界を飛び回ってると思う。それに手帳にあったでしょ。神秘の見せ合いっこしようって。そのとき勝つためには、この森にとどまってちゃダメ。世界のことや〈原初大魔法〉のことを調べたいんだ」
マルネリアははっきりと言った。
「だけど、僕らと来るってことは、とても長い時間、ここを離れることになるかもしれないんだ。天界での時間の流れが違うのは知ってるよね?」
「そんなの平気だよ。だってエルフって、最低三百年は生きるもん。十年や数十年くらいじゃ、ちょっと久しぶりってくらいだよ。百年目の再会でも、別に驚かないね」
え、マジかよ!
ていうか今さらエルフの長寿設定とか開示されるのか!?
じゃ、じゃあ、ひょっとして、若々しく見えるここのエルフたちも……?
「なんでしょうか?」
「なんだ?」
「どうかしたんですか?」
にっこり微笑んでくるメディーナ、マギア、ミリオ。
しかしその笑顔が作る陰影には、何とも言えない凄味がある。
よそう! 正解を知っても誰も幸せにならない問いだ、これは!
「それにさ、騎士殿。ボクがいなかったら、ルーン文字の調整とかどうするつもりなの? もし何かの拍子で狂いが生じたら、騎士殿は常時魔力暴走を起こしている歩く爆弾になるよ」
「ええっ……」
ステージ開始直後の無敵時間を利用して、敵を爆殺していくボンバーマンの光景が頭をよぎる。あれが永遠に続いたら、僕の周囲からありとあらゆるものが消え去るだろう。行き着く先は新型のぼっちだ。
気がつけば、トルクメニスタンの“地獄の門”みたいな名所になって、常時爆発している謎の空間みたいな伝説の一部になるわけか! やめろォ!
「だからさ……ボクに、ついてこい、って言ってよ……」
そこまで脅しておきながら、マルネリアはあくまで、弱々しい眼差しを僕に向けた。
からかっているのか?
いや、そうじゃない。そうじゃないよ。
彼女だって、旅立ちに不安がないわけじゃないんだ。
ここに残るという選択肢は、彼女の中にも少なからずあるはず。
そしてそれは、楽なことだ。
これまでどおりにやれる、という安心感。
旅行の直前で突然、「ここで中止したら楽なのにな」なんて思うのと近いのかな?
だから、背中を押してほしがってる。傍若無人、天真爛漫な彼女が。
不安と戦う、ちょっとの勇気をくださいと。
なら、僕は……。
「リーンフィリア様……」
目線を向けると、リーンフィリア様はにっこり笑ってうなずいた。
アンシェルもやれやれと苦笑いし、パスティスはゆっくりと首を縦に振った。
三人のエルフたちも同様に微笑む。
反対意見は一つもない。
だったら、誰に気兼ねすることもない。
「マルネリア――」
僕は手を差し出した。
「黙って僕についてこい!」
「うん!」
マルネリアは大きな返事をして、僕の手を取った。
魔女が、故郷に別れを告げた瞬間だった。
※
タイラニー!
タイラニー!!
タ イ ラ ニ イ イ イ イ イ イ イ イ イ イ イ イ イ イ!!!
里を震わせんばかりの盛大なタイラニー斉唱に見送られ、僕らはエルフの里を飛び去った。
みんなが顔に歓喜と涙を浮かべ、諸手を振った。
それは、広大な土地に芽吹いた花々が、一斉に開花するような光景にも似ていた。
「タイラニー! タイラニー! みなさん、整地の心を忘れないで! 頑張ればどんな土地でも平らになるんです! わたしも頑張りますから!」
リーンフィリア様も><顔になって、両手を振り回してエルフたちに応える。
同じく、僕も大きく手を振って別れを惜しんだ。
パスティスとアンシェルは控えめに、マルネリアは帽子を手に大きく振って。
魔法が僕らを上へ上へと運び、眼下の里が霧の奥に消え、大陸を覆う巨大な森が一つの視界に収まるようになっても、エルフたちの歓声はまだ聞こえるような気がした。
そして声が聞こえなくなっても、目を閉じれば、たくさんの思い出が、まぶたの裏側にはっきり残っている。
旅立ちの、寂しいような、清々しいような胸の内。
きっと、僕の心の一部は、この森に残ることを選んだのだろう。
でも、悲しくない。心の空いたところに、里での思い出をいっぱい詰めたから。
さようなら、エルフの里。
さようなら、エルフのみんな。
ミリオ、メディーナ、マギア。
みんなに会えて、よかった。
次回、新たなコレジャナ……素敵な土地との出会い!




