第八十五話 原則
座標固定式の暴走魔力が消え去った後に残っていたのは、深々とえぐり取られた〈神祖の樹〉の根のみだった。
サブナク自慢の盾も弾け飛んでいったらしく見当たらない。
ただ、悪魔の方は確実に仕留めた。
シャックスが消滅したときに現れた、悪魔を吸い込む穴のようなものが、空間にわずかに残っていたからだ。
……勝った。
それを確信した僕は、思わず尻餅をついていた。
狙った通りの流れだったとはいえ、すべて計算尽くなんて余裕は微塵もない。
失敗のルートはいくらでも潜んでいた。
一度きりしか通じない正面からの奇襲。そのチャンスを掴み切った。
一瞬の動揺と判断ミスで、ここまで冷酷に勝敗は決する。
二度目の機会なんてない。
でも僕には与えられた。仲間に、与えてもらえた。
僕とサブナクに大きな違いがあるとすれば、そこか。
借りは返したぞ。悪魔野郎。
これで、アディンたちの魔法攻撃を跳ね返せる敵はいない。
いよいよ本格的に攻撃開始だ。
「いっ……!?」
立ち上がろうと地面についた右腕に激痛が走り、僕は慌ててサブナクに噛ませたあたりを確認する。
ガントレットに大きな損傷はない。
しかし、衝撃は通ったのか、腕には痺れたときのようなビリビリする痛みが残っていた。
敵の命一つと引き換えにしては、安い代償だ。ほっとけば治るだろう。
僕はその場を離れ、〈始祖の樹〉の幹へと向かった。
幸い、パスティスたちとはすぐに合流できた。
彼女のことだから、そう遠くに行かず、こちらの様子をうかがいながら雪豹退治をしていたのかもしれない。
しかし、生還した僕への喜びもそこそこに、悪い報せを伝えてくる。
「敵を何体かは倒した、んだけど……霧が晴れない、の……」
「何だって?」
「本当よ。ここまで七匹見つけて、いずれも竜がすぐに魔法で打ち倒してる。でも、瘴気は晴れるどころか、濃くなっている感じだわ」
返してもらった羽根飾りから、アンシェルの分析する声が聞こえてきた。
「だとしたら、もっと多くの雪豹が隠れているのか、それとも……それ以上の大物が、どこかに潜んでいるかだ」
僕が言うと、パスティスは「ごめんなさい……」と小さく謝ってきた。
「どうしたの?」
「見つけられ、ないの。そういう、大物が……」
パスティスは温度探知には長ける。でも、肝心の雪豹たちには体温がない。加えてこの霧では、上空からの捜索にも無理がある。
彼女は、僕が戦っている間にすべて終わらせておきたかったのかもしれない。
「パスティスが悪いわけじゃない。みんなで探そう」
「う、ん……!」
声で僕が笑いかけたことを察したのか、パスティスはようやく笑顔を見せた。
しかし、この作業が困難を極める。
何かがありそうなのは、瘴気の濃い、〈神祖の樹〉残骸の中央方面だ。
そちらを中心に捜索したいところだけど、瘴気が濃くなれば視界も悪くなり、なおかつ、〈神祖の樹〉が放つ怨念の数も増加していく。
〈神祖の樹〉はこれまで見たどんな〈バベルの樹〉よりも巨大で、幹の太さは、小さな町くらいなら平気で収まりそうに思えた。
そんな中で、どんなものかもわからない探し物をするのは、ほぼ不可能。
くそ、何か手がかりでもあれば……。
リーン。
僕の下で、アディンがまた新たに一匹の雪豹を消し飛ばした。
アディンだけで、すでに十数匹はやっている。他の竜たちも負けていないから、倒した総数はとんでもないことになる。にもかかわらず、瘴気の勢いが止まらないというのは、やっぱり雪豹よりも強力な発生装置がいるということだ。
どこにいる……!
必死に目を凝らす先で、一匹の雪豹が瘴気から飛び出してきた。
こちらに気づくと、そのまま、前を横切るようにして逃げる。
リーン。
数歩も逃げられないうちに、アディンがあっさりと仕留めた。
「ん……?」
おかしいな。
今のヤツ、何か変な動きじゃなかったか?
「パスティス!」
「何?」
霧の奥に呼びかけると、パスティスを乗せたディバがすぐ横まで飛んできた。
「攻撃を一旦中止してくれ。雪豹たちを泳がせて、動きを見たい」
パスティスはうなずき、竜たちへ即座に指示する。
「騎士殿、何か掴んだ?」
マルネリアの声だ。
「まだわからない。でも怪しい」
竜たちを集めて、空から観察する。
霧の奥から現れた雪豹は、上空にこちらの姿を認めると、すぐにきびすを返して走り出す。
ここまでは普通。あの改良型は、飛んでいる相手でなくとも原則的に戦いを避ける。僕のときからしてそうだった。
「アディン。追うんだ」
アディンは指示を理解してくれたらしく、雪豹を追いかけ始める。
「あっ、騎士! もしかして、あれが逃げていく先に、標的がいるってこと!?」
アンシェルが閃いたらしく指摘してきた。
でも。
「いや、多分、違う……」
僕はそれを否定する。
さっきの違和感はまさにそれが始点だった。
マギアたちの話によると、聖域周辺の雪豹たちは、エルフたちが近づくと瘴気の霧の中に逃げ込んだという。瘴気の中では〈神祖の樹〉の怨霊が守ってくれるから、その行為はごく当然のことと言える。
しかし、さっきの一匹は逆に逃げたように見えた。
今、追跡中のこの個体も、瘴気のまだ薄い〈神祖の樹〉の外縁方面へと走っている。
追跡の最中、新たに見つけた個体も、同じような方向へ逃げ出した。
僕は上空から、アンサラーで威嚇射撃してみる。
雪豹たちの逃げ道に大きな変化はない。一貫して、外へ。予想は確信へと変わった。
「やっぱり逆だ。ヤツらは、僕らの標的と逆方向に逃げている……!」
思い出す。野生動物の中にも、子供のいる巣に天敵が近づくと、親がわざと巣とは逆方向に逃げて気をそらすものがいるという。
これは、その行動に近いんじゃないか?
もっとも、こいつらにあるのは親心ではなく、もっと原則的な優先順位が定められているだけだろうけど。
かの有名なロボット三原則においても、ロボットが自身を守る順位は、人間を傷つけないこと、人間の命令を聞くこと、の次だ。
「パスティス、雪豹たちが逃げる逆側に行こう!」
アディンたちを急行させる。
途中で見かけた雪豹には、僕が上空からアンサラーを撃って威嚇する。
ヤツらは面白いように、ある一方向を避けて逃げていった。
確信は強度を増し、すでに攻略法へと変化している。
しかし、その法則に気づいてからも戦いは楽ではなかった。
瘴気の濃い方へと進んでいるのだから、怨霊のツタによる攻撃は激しさを増していく。
アディンたちは、速度を上手に調整しながら、それらをかいくぐるように飛んだ。
息苦しい持久戦。
一方的に攻撃されるばかりのアディンが苛立って唸るのを、僕は何度も背中を撫でて話しかけ、なだめる。集中力が切れたら、ヤツらに捕まる……!
そして、ついに。
霧の奥に、これまでの雪豹とは違う、異様な物体を発見する。
《見つけた。これがヤツらの本体か!》
へし折れた〈神祖の樹〉のぎざぎざが、針山地獄のように広がる一帯にへばりついていたのは、肥大した臓器の一部のような不気味な肉塊だった。
筋肉の収縮のたびに猛烈な量の瘴気が吹き出しており、さらには、その下の方に空いた穴から、もぞもぞと雪豹が這い出てきている。
まるで瘴気と雪豹の製造工場。〈ヴァン平原〉にもゴーレムを生成する移動工廠がいたけど、こいつもその類か。
「ホントにいたわ……! 騎士、あんたホントあざといわね!」
「目ざといだろ! あざといのは他の人たちだよ!」
アンシェルに叫び返した瞬間、アディンが大きく動いた。
〈神祖の樹〉の攻撃はここにきて、最大の頻度になっている。
この場にいられる猶予は短い。
《待たせたなリックル――》
「待たせたなみんな――」
「《あの醜い肉塊を焼き払え!》」
三匹の竜から放たれた雨のような数多の光線が、肉塊にいくつもの風穴を開ける。
光を尾まで飲み込んだ直後、穴を中心として輝く輪が表皮に広がり、一拍の後、内部から膨大な量の光熱を弾け散らした。
大爆発。
引きちぎれた肉塊が、光の中で、つちくれのように崩れ去っていくのがわずかに見えたものの、さらに追加された攻撃の魔力線によって爆風と衝撃が吹き荒れ、もはやその視認すらできなくなった。
しかし。
これまでの鬱憤を晴らすような攻撃魔法の豪雨が、〈神祖の樹〉の残骸の上に立ちこめていた瘴気ごと、標的を完全に吹き飛ばそうとする中、ある一点にその流れをかき乱す者がいることに気づき、僕は瞠目した。
暴虐的な魔力光を遮り、足下に伸びる影のような破壊の空白地帯を作っているのは……。
「…………!!?」
あの帝国騎士だった。
シャックスの洞窟の前に現れ、そして〈ヴァン平原〉でのボスとの戦いでもまみえた、帝国の黒騎士……!
体中の毛がぞわりと逆立つのを感じた。
竜の魔法による破壊が収まり、むっとする余熱が空間を圧する中、僕の体は知らず、両腕を胸の前で交差させていた。
「第二のルーンバースト……!」
鎧の縁取りから文字の光を吹き出させ、開いた口元から獣じみた炎の吐息をこぼしながら、僕はアディンの背から飛び降りていた。
ボス探しステージ
イライラして投げる人多そう
作者は某段ボール隠れんぼゲーで「周波数はパッケージの裏」というヒントを理解するまですごい時間かかりました。頭なんて飾りです。




