第八十四話 瞬戦
着地した際の衝撃が、周囲の水たまりに半端な波紋を作った。
不規則にうねる根は、戦場としてはやや不確定要素。不注意から足を引っかければ、大きな隙を晒すことになる。
その不確定要素を最少に押さえる方法は決まっている。
早期決着。
僕は片膝を落とした着地体勢から身を起こすと、久しぶりになる獅子面の悪魔を見据えた。
「よぉ、女神の騎士。互いに面倒な局面になったな」
溜息でもつくような声音で、サブナクは軽口を叩いてきた。
対抗して同じような口調を返してやる。
「おまえがそこにいるってことは、ここは守らざるを得ない重要なポイントなわけだ。わざわざそれを知らせていいのか?」
「戦のイロハとしてな、急所ってのは二つあるんだ」
僕の質問に直接的には応えず、悪魔は指を二本立て、そう切り出した。
「一つは、構造的な急所。人で言えば、頭、あるいは心臓。軍勢で言えば指揮官、指揮所。ここを攻撃されると大きなダメージを受ける。誰の目からも明白な弱点だが、構造上、取り除くことはできない。対処法は、隠す」
言って、盾を持ち上げ、頭を隠すような仕草まで取る。
「もう一つは?」
「もう一つは、防御の不備からなる弱点だ。軍勢で言えば、兵士の少ない部分。おまえは全身を鎧で覆っているが、オレは腕だけ。おまえに比べると、オレの防御は不備だらけの急所だらけということになる。こいつは、事前の手配で解消することもできる要素だ。ただ、ガチガチに守りを固めれば、それだけ動きも鈍くなる。スピードが落ちれば狙われやすい。兵士の話に戻せば、限りある兵士をどこも万全にすることは不可能だ。一長一短で完璧はない。だから必要な箇所だけ、集中して守る」
盾をかざして見せる。
「なるほど。勉強になったよ」
「だろ?」
「つまりこの場所は、もはや隠しておくには無理のある、堂々と守らなければいけない急所中の急所ってわけだ」
「正解」
サブナクは笑った。今度は僕から口を開く。
「お返しに、果てしなくどうでもいいことを教えてやる」
「何だ?」
「僕は自分で思うより、ずっと執念深い性格だったらしい」
サブナクは苦笑する。
「……だろうな。一度負けた相手と戦うってのに、ずいぶんと嬉しそうだもんな」
「嬉しいとまではいかないさ。真面目にやってるつもりだ」
少しむっとして言い返すと、サブナクの獅子鼻の上にシワが寄って、笑顔になった。
「ったく、女神も的確にイヤな人選をしたもんだ。執念深く、好戦的。そういうヤツは孤立しやすいから、大方どっかのピンチであっさりくたばるもんだが、おまえのまわりには、なぜかおまえを助ける人がいる。だから、こっちは里の襲撃に失敗した。――そして、また一つ、おまえを取り巻く輪ができた。負のスパイラルかね、これは」
「…………」
「竜をおいてきたのもイヤな判断だぜ。サベージブラックの狩りは一見荒っぽいが、その実、自然で美しい。反射するには格好の相手だったのに、おまえは単独で降りてきちまった。竜もそれに従った。あのひねくれ者の黒竜がだ。まったく、おまえは、単独の戦力として以外にも不思議で厄介すぎるんだよ」
僕は頬を緩めた。
「その長話と褒め殺しも、時間稼ぎのうちか?」
「まあな。防御ってな、おしなべて時間稼ぎさ。反撃の手がなければ、丸まって蹴られ続けるのと違いはねえ。ここまで付き合ってくれてありがとうよ」
そこまで言ってから、サブナクは頭をぽりぽりと掻いて、
「ああ、まあ、確かに時間稼ぎではあったんだが……。さっきの話はおおむね本音だ。あのキメラも竜も、戦いには優れているが、おまえほど不確定な動きはしない。別々に動いている分には脅威じゃねえ。厄介なのは全部おまえが悪いんだよ」
静かに戦闘態勢に入った。
「だから、ここで消えな」
「イヤだね」
僕も腰を落とす。
反撃の手というのは、あの雪豹と〈神祖の樹〉の亡霊のことだろう。
戦いが長引くほど、雪豹が瘴気をまき、亡霊を蔓延らせる。サブナクとのサシの勝負も不可能になるだろう。一刻も早く阻止しなければいけない。
……だったら何で、今までべらべらしゃべってたんだよ、って声が聞こえる気がするけど、うん、そのとおり。さっさと始めればよかった。
いや、ウソだよ……。ちゃんと考えてる。
精神攻撃の一種だ。精神攻撃と素振りは基本。
ヤツに「時間稼ぎはできたが、それは相手も承知の上だった」という意識を植えつける。
目的は、ヤツを最大限、警戒させることにある。
ルーン文字でパワーアップを遂げた僕だけど、この戦い、その優位性で押し切れるような単純なものにはならない。
こちらの攻撃が強くなればなるほど、サブナクの反射による脅威度は増すからだ。
では僕は何を狙うのか?
あの盾を破壊するのは現実的じゃない。
破壊するのは、ヤツの防御の思考だ。
防御というのは、「ぼうぎょ」というコマンド一つで実行できるほど簡単な手段じゃない。相手の狙いを先読みし、的確な対応が必要になる実は難しい戦法だ。
実際に未来を予知することはできないから、ヤツは自分の経験の中から、僕の動きを予測してくるだろう。
正攻法でヤツの読みを上回ることは、正直、僕にはできない。第二のルーンバーストをもってしてもできないと断定し、戦法を構築する。
搦め手だ。
ヤツを驚かし、動揺を引き出す。
これらがうまくいって、予測の限界が超えたとき、ヤツは最大級の隙を晒すはずだ。
なぜなら、人がもっとも崩れやすいのは、警戒心がフラットな平常時ではなく、警戒度マックスの緊張状態を決壊させられた瞬間だから。
さあ、勝負だ!
「アンサラー」
初手、アンサラー。
「〈アグニ〉装填」
赤く塗りつけた樹鉱石を長銃のボディに走らせ、火炎弾を生成。
相手の左に回り込みながら、即座に発射!
「おっと。鎧を縁取るだけじゃ飽きたらず、アンサラーにもルーン文字を応用してきたか」
サブナクは左の盾で防御。盾の色は、魔法防御の赤。でも反射はしてこない。
ルーン文字の輝きが盾の表面に残るのみ。
まず、ひとつ!
「うちのチビどもにとっては、そいつが一番厄介でなあ。魔法と物理、どっちつかずの性質だから、完全にはガードしきれない。で、あのザマだ」
サブナクの軽口を無視し、次。
「〈アルマス〉装填」
さらに左に動きながら、これも一発だけ撃つ。
また左の盾で弾かれた。光が散る。
ふたつ!
「ルーン文字に詳しい魔女を消しておきたかったが、まさか、捨てられたエルフと結びつけてあそこまで大事を起こすとは予想外だったぜ。やっぱ、無理してでも、あのとき魔女もおまえも消しておくべきだったなあ!」
次で最後、
「〈ヴァジュラ〉装填」
即座に撃つ!
みっつ!
サブナクが左の盾で受けた瞬間、僕はアンサラーを保持していた左手の五指を強く握り込んだ。これがトリガーになる! 意識を爆発させろ!
「第三のルーンバースト!」
左盾の表面に居残っていた三種の弾丸の痕跡が凝固し、発光。
その瞬間の空間座標を中心として、小規模の魔力暴走を引き起こした。
三属性の魔法弾には特殊な細工がしてある。
それは、着弾地点に、わずかな時間、ルーン文字の魔力を残留させる。いわば余熱のようなもの。
しかし三つの弾丸それぞれに記されたルーン文字表記を重ねることで、ごく最低限の、二つの文字列に匹敵する配列を作り出す。
正式にデザインされたものではないから、それがルーン文字として機能することはない。けれど、小規模の暴走、爆発を誘発させることはできた。
威力は第一のルーンバーストには及ばないけど、通常の弾丸よりははるかに高い。そして、その場に滞留する性質を持つ。つまり……!
バチッ!
「うおお!?」
盾の表面で発生した球状の魔力暴走域が、サブナクの左腕を盾ごと跳ね上げた!
左側にすきが生じる。
まず一手!
防御術に長けたサブナクは、のけぞりながらも咄嗟に右手の盾を中央に寄せ、アンサラーによる追撃へと備えてきた。このあたりはもう、意識を介さずに実行する、体に染みついた動きなのだろう。色は、こちらも魔法防御用の赤。ぬかりはない。
だが僕は、アンサラーの物質化を解除して、前に走り込んでいる。
「おおらあ!」
右逆手に抜いたカルバリアスを、サイドスローの要領で投げ放つ。
ブーメランのように回転し、円形の刃となって迫るカルバリアスは、間違いなくサブナクの両目を驚愕に見開かせた。
狙いは、悪魔の獅子面。
サブナクは右盾を顔の前にかざし、それを弾く。
ヤツの視界を切った! これで二手!
「うおおおお!」
僕はサブナクに肉薄し、盾の上部を掴み、足をかけて乗り越えると、
ヤツに、拳を振り上げた。
「!?」
サブナクには、すべてが意味不明だっただろう。
第三のルーンバーストという隠し技。
絶好のすきに投げつけられた、脅威度の低いカルバリアス。
そして、かざした盾の上から飛びかかってきた僕は、あろうことか、徒手で殴りつける体勢を見せている。
サブナクはこちらを最大限警戒していた。こちらの狙いを、幾通りも予測していたはずだ。
それは、一つ目は見知らぬ技で破られた。二つ目は取るにたらない技で、下回られた。三つ目はもはや、破れかぶれにしか見えない突撃で、呆然とさせられた。
すべてはずされた。
防御の思考は大きく揺さぶられたはずだ。
兵は詭道なり、なんて、素人の僕でも知ってる言葉だ。
戦いは騙しあいだ、みたいな意味。
僕は、前の悪魔シャックスとの戦いでその重要性を学んだ。
相手を騙す虚像、フェイントを。
互角以上の相手と戦う場合、正面から挑むのは下策だ。この場合の正面というのは、真っ直ぐ前からという意味ではない。相手が万全な体勢でいる、という意味だ。
一対一で正々堂々戦うスポーツにおいてさえ、正面からというのは稀。フェイントやフットワークを使って、相手に虚を見せる。それは防御の意味もあるけど、最終的な帰結は、相手の万全を崩すことにある。
騙し、読み違いをさせ、驚かせ、動揺させることに成功したとき、万全な体勢から迂闊な動きがはみ出る。そこに全力の攻撃を叩き込むのだ。
サブナクの防御技術は、僕の攻撃を上回っている。
加えて、やれやれ系の特徴なのか何なのか、若干のマイナス思考がある。そういうヤツは優位に立っても気を緩めない。油断は誘えない。
だからその万全を崩すには、ヤツの読みを徹底的にはずし、思考をパンクさせるしかなかった。
それなりに脅威度があり、そしてまるで予想外の行動の積み重ね。
果たして僕は、盾を二枚、乗り越えた。
この時点で、ヤツの防御は、少なくとも思考上は、失敗していることになる。
自身を守る盾が二枚ともなくなったとき、ヤツの防御戦法に空白が生じる。計算された熟練の動きが、別のものに乗っ取られる。
本能的な、反射神経に。
もし、僕が差し向けたのがアンサラーの銃口なら、ヤツは防御の思考を再構築できたかもしれない。
しかし予想外の拳。
ヤツの思考が決定的に崩れる。
先が読めなくなる。
そこに、最後の餌を撒く。
こいつは守りを得意とする悪魔だけど、結局は、獅子だ。
この顔が伊達であるわけがない。名は体を表し、体は性質を語る。
不用意な獲物が、目の前に迫っている。
どうする黒獅子。
獅子には本来盾なんかない。あるのは、たてがみと、爪と、そして――
牙だろう。
ガヅッ。
サブナクの野太い牙が、僕の右手に食い込んだ。
文字通り、噛みついて、拳を食い止めたのだ。
握っていた五指がほどけるほどの圧力。噛みつかれた手首より先が灼熱し、そのまま溶断されるんじゃないかってほどの熱さと痛みの中で、僕は笑った。
盾の奥に眠っていた牙を剥かせた。
これを、この瞬間を待っていた。
ヤツが防御巧みな戦士から一匹の獣に戻って食らいつく、この瞬間を!
獅子に食わせたままの右腕の下に、素早く左腕を走らせ、交差させる。
ルーン文字が走るまで、一瞬で十分。
僕は声と意識を振り絞る。三手、これで締め!
密着状態での、
「第一の……ルーンバーストッ……!!」
ツジクロー「俺TUEEEがしたいです・・・」




