第七十五話 復讐
話は数日前に遡る。
まな板の里を救うにはどうすればいいか。頭を悩ませていたときに飛び込んできた、ある急報。
「め、女神様、大変です! 湖が、みんなの湖が……!」
「何が起きたんですか!?」
「鉱床カエルたちで溢れかえっています!」
!!!?
湖に駆けつけた僕らが見たのは、理解しがたい光景だった。
モザイクアートのように、岸と浅瀬にびっしりと並んだ巨大な樹鉱石。それらはすべて、例の石を背負ったカエルたちのものだった。
「ぎにゃああああああああ……」
カエル嫌いのアンシェルが泡を吹いて卒倒する。
それもそのはず、恐ろしい数の鉱床カエルたちが、一斉にリーンフィリア様に向かってもそもそと歩き出したのだ。
「これは一体……?」
戸惑う女神様の近くで、背中をへこませたカエルがケロケロ鳴きながら飛び跳ねた。それを捕まえ、彼女は聞いた。
「おまえがみんなをつれてきたのですか?」
ケロケロ……。
カエルの言葉なんてわからないけど、肯定しているように思えた。
「女神様なら助けてくれると知って、鉱石に苦しむ仲間を呼んできたんじゃないでしょうか?」
ミリオが言うと、カエルたちが一斉に鳴き始める。どうでもいいけど、倒れたアンシェルにカエルが乗っかって、すごい死体蹴りになっているのですが……まあいいや。
「それはともかくとして、すごい量の樹鉱石だよ。ボク、こんなの見たことない。これ、もう一生石に困らないと思うよ」
マルネリアが呆然と言う。確かに、Sレア物資が聞いて呆れる量だ。
僕ははっとして〈オルター・ボード〉をのぞき込んだ。
里長:ミリオ
人口 ☆
武力 ☆
文化 ☆☆☆
資源 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
うおおおああああああああああああああ!?
通常プレイで貯め込んでいい資源量じゃなくなってる!
そのとき、〈オルター・ボード〉に見慣れない表示が現れた。
《資源を3消費して、兵種をアップグレードしますか?》
これは……?
僕は「YES」をタップ。
《アップグレード:ルーンファイター→ルーンナイト》
武力 ★★★☆
「……!」
この★が、アップグレード分の底上げのようだ。いきなり☆四つ。さらに、
《アップグレードボーナス:ルーンパルチザンを3部隊入手》
オマケで何かを手に入れたらしい。
《資源を3消費して、兵種をアップグレードしますか?》
また同じメッセージが出た。資源が余りまくっているせいだろうか。
僕は再び「YES」をタップ。
《アップグレード:ルーンナイト→ルーンファランクス》
武力 ★★★★★☆
《アップグレードボーナス:ルーンコマンドーを3部隊入手》
まだだ。まだ終わらんよ!
《資源を3消費して、兵種をアップグレードしますか?》
「YES」をタップ。
《アップグレード:ルーンファランクス→ルーンレギオン》
武力 ★★★★★★★★☆
《最終アップグレードボーナス:ルーンクルセイダーを2部隊入手》
どうやら強化はここまでらしい。でも、どうなるんだ、これ……。ミリオたちに別に変化はなさそうだけど。
「こんなときに何だけどさ、騎士殿。ここにある樹鉱石を元にルーン装備を調えたら、ミリオたちがものすごーくパワーアップするよ? する?」
マルネリアが遠慮がちに僕に聞いてきた。
なるほど、こういうことになるのか。
ん……? 待て……!
この驚異的に成長した戦力なら、今の状況でも、できることがあるかもしれない……。
今からつぼみの里を広げても、マギアやメディーナたちの救出には到底間に合わない。
でも……。
戦闘部隊だけを、突っ込ませればどうだ……? 間に合うんじゃないか……?
まわりは未開拓地ばかり。無補給の強行軍になる。
時間的余裕もないから、昼夜、ろくに休みもなしに駆けることになるだろう。
途中でニクギリたちの生息地にぶつかるかも。
下手をすれば“何か”にも襲われる。
悪魔の兵器と遭遇するかも。
最悪、ルーン文字もヤツらに通じないなんてこともあり得る。
むこうに着いたはいいけど、疲れ切って戦えない状況だって……!
不確定要素だらけだ。賭けに等しい。
こんなの、まともな考えじゃない。
それでも……。
マギアたちを全員救える大規模戦力は、ミリオたちしかいない……!!
でも、それには一つ、とても大きな問題がある。
僕はミリオたちに向き直った。
「ミリオ、他のみんなも、一つ、聞かせてほしいことがあるんだ」
僕の態度にただならぬものを感じたのか、微乳エルフたちの顔に戸惑いが浮かぶ。
言葉を選ぶ猶予もなく、僕は彼女たちに、端的な質問を向けた。
「みんなは、自分を捨てた里のことを、恨んでる?」
※
「突撃! 突撃! とにかく突撃だ! 足を止めるな! 最後の一滴まで力を振り絞れ!」
ポニテエルフの号令を聞くまでもなく、閉所を跳ね回るスーパーボールのように広場を駆け巡る微乳エルフたちによって、リートレスの部隊は次々に溶けていった。
兜の中に逃げ込んだリートレスもいたけど、串刺しどころか、彼女たちが槍の切っ先に傘のように広げたルーン文字の光にふれただけで消し飛んでいく。
その破滅的な直線運動から逃れようと、枝や幹の裏に隠れようとした個体は、待ちかまえていたディバとトリアの餌食になった。
完全なキルゾーンがそこに生成されていた。
しかしその一方で、窮地を脱した貧乳エルフたちの顔に喜びはない。
あるのはただ、戸惑い。
僕は大声でミリオたちが援軍であることを伝えたけど、それでも、表情に変化はなかった。
信じられないのだ。
自分たちが切り捨てた一族。
それがこの場に現れたことの意味を、彼女たちは理解しているのだろう。
巨乳エルフに虐げられ、抗争の発端とした彼女たちには、なおさらに。
助けに来てくれるはずがない。
微乳エルフたちは、里の窮地に乗じて、追放された復讐に来たのだ、と。
「ミリオ……」
「ミリオだ……」
貧乳エルフたちからは、恐怖ともとれるそんなつぶやきが聞こえてきていた。
「いつの間にか、こんなに強くなったんだな」
リートレスに強打された脇腹を押さえながら、マギアが屹立するミリオを見つめる。
「助けてもらった礼を言いたいところだが、おまえたちが聞きたいのはそれじゃないだろう」
「…………」
ミリオが見つめ返す中、マギアは静かに語った。
「わたしは、おまえたちを一方的に捨てた。誇りも、生活も、家族も奪って。さぞ恨んでいるだろう。復讐するは、おまえたちにある」
ようやく落ち着き始めた戦場は、しかし、すでに別世界のできごとのようだった。
微乳エルフを捨てた貧乳エルフたち。その清算が迫っていた。
「追放の判断を下したのはわたしだ。里の者たちは、それに従ったにすぎない。積年の恨みは、すべてわたしにぶつけてほしい」
座り込んだまま、マギアがこうべをたれた。
黙っていたミリオが、ゆっくり口を開く。
「恨みはありません。“姉さん”」
へ……?
姉さん!?
「……そうか。でも、仮におまえがそうだとしても、里の者はそうではないだろう。示しがつかなくなるぞ?」
「いいえ。わたしの里では誰一人、元の里を恨む者はいません」
「……?」
マギアが不思議そうに顔を上げると、ミリオは静かな足取りで彼女に歩み寄った。
「わたしたちはある日突然、住んでいた家を奪われ、家族を奪われ、生活を奪われました。そのときは確かに怒りも悲しみもありました。でもあの土地で寂しく暮らすうちに、誇りや自信と共に、怒りや憎しみも消え……生きる意志そのものを、失っていったんです」
一言一句の責任に切り刻まれるように、マギアの顔が歪む。
「でも、わたしたちはこうして生きる力を取り戻しました。与えてくださったんです。女神リーンフィリア様が」
「女神様が……」
「わたしたちが自力で取り戻したものじゃありません。すべて女神様のお慈悲。あの方が望むのはどこまでも平らで安らかな世界。わたしたちには、いかなる見返りも求めませんでした。そんな優しい想いに救われたわたしたちだから、もう怒りも憎しみも、ないんです」
「安らかな、平らな世界……」
マギアはうめくような復唱を返した。同族で争いを続けるエルフたちに、それは、遠く儚い言葉のように感じられたのかもしれない。
ミリオはそんな同胞を見て、微笑んだ。
「けれど、いかに女神様でも、一つだけ、取り戻せないものがありました」
「それは、何だ?」
「離ればなれになった家族や友人たち、です」
…………!
マギアも、見守るエルフたちも、思わず肩を震わせる。
「わたしたちが失ったものの中で、一番大切なものです。それが今、危機に瀕している。だからわたしたちは、その最後の一つを自力で取り返しに来たんです」
ミリオの笑みは美しかった。そして凛々しかった。
「ミリオ……!」
「ミリオちゃん……」
声は、固唾を呑んで見守っていた貧乳エルフたちから上がった。
数人が駆け寄ってきて、ミリオを囲む。
「ミリオ。ありがとう。助けてくれて、ありがとう」
「ミリオちゃん、ごめんね。あのとき何もしてあげられなくて、ごめんね……」
ミリオが里を追われる前に親交があった友人たちなのだろう。
ぼろぼろと涙を流す彼女たちの肩を、ミリオはそっと抱いた。
「いいんです。間に合って本当によかった……」
そこまで言って、ミリオは唐突に膝から崩れ落ちた。
「ミリオ!?」
マギアが慌てて支える。
ミリオの額からは汗がどっと噴き出し、呼吸は浅く忙しない。
「大丈夫。少し疲れただけです」
当然だった。
いかにパワーアップしたと言っても、体力は無限じゃない。
ここに来るまで何日も走り続け、その中でももっとも消耗が激しく危険な先頭にいたのが彼女だ。
振り返れば、槍を支えに座り込んでいる微乳エルフたちの姿がたくさんある。
戦場で見せた最初の突撃こそが、彼女たちの最後の力だったのだ。
僕は彼女たちに何て無茶なことを頼んだのか……。
でも、彼女たちはこの作戦を受け入れてくれた。
あの問いに、
「恨みはありません」
と迷いなく答えた、あのときに。
「姉さん、お願いがあります……」
マギアの腕の中でミリオが言う。
「何だ? 何でも言え」
「巨乳の里を救ってください。わたしの里には、あそこに家族を持つ同胞がたくさんいます。彼女たちの失ったものを、もう一度、取り戻させてください」
「…………!」
マギアの顔が強ばった。
あとがきに何も書かなければ緊張感が増すかもという浅はかさは愚かしかった




