第七十四話 レギオン
援軍がこちらに向かっているらしい――。
天から果実が降ってくるようなその朗報は、一夜にして貧乳エルフたちの間を駆け巡ったようだった。
大好きなゲリラ戦とも合わせ、この戦いの先は明るい。
そう錯覚させ、撤退戦の中で士気を保たせるには十分な状況に思えた。
が……。
「ごめんなさい、長。退却する途中で食料の入った箱を枝の下に落としてしまって……」
「こちらは半分がけが人です。歩けない者は、自ら置いていってほしいと言いだしています。でも長、どうか彼女たちを見捨てないであげてください。お願いします」
しかしその翌日、また翌々日と、合流を果たした者たちはみな満身創痍で、次々に折り重なっていく不安は、そのたびに、遠くに見える希望の光をくすませていった。
希望に食らいつけばいいのか、絶望に身を投げ出せばいいのか、エルフたちの精神状態も、危険な状態へと近づいていく。
そんな中、僕とマギアは朝から晩まで、無心に仲間の援護に飛び回った。
仲間を増やしているのか、それとも、絶望を増やしているのか、ふとそんな愚にもつかない考えがよぎる。
その日、また一つ、悪い報せが届いた。
〈女神の樹〉の実の収穫よりも早く到着するはずだった最後の一団が、大幅に遅れたのだ。
それまで広場を保持するために、僕らは侵攻してくるリートレスの大群に、遅延戦術を仕掛けることになった。
退路はたっぷりあったので、とにかく暴れ回ることで時間稼ぎは成功した。
だけど、リートレスの侵攻を止めたことで、当然起きるべきことが起こる。
リートレスの各部隊は、足並みがそれほど揃っていなかった。だから、全面包囲されているとはいえ、戦場は限定できた。しかし、僕らがヤツらの部隊を足止めしたことで後続が追いつき、分厚い軍勢を作ってしまったのだ。
その大群は、よりにものよって、合流に遅れていた最後の一団が到着するその日、里の広場を襲った。
「わああ! 見張りは何をしてたんだよお!」
「霧にまぎれて、上と下の枝を通ってきたんだ! ちくしょー、囲まれるぞ!」
突然霧の下から現れた敵に、エルフたちはパニックに陥った。
僕は大急ぎでアディンに乗って空を舞った。
グーイ。
グーイ。グーイ。
グーイ。グーイ。グーイ。グーイ。グーイ。グーイ。グーイ。グーイ。グーイ……。
見下ろす広場のほとんどが、リートレスの兜が放つ鈍い輝きで埋め尽くされている。
広場のまわりの枝からは、木の葉に溜まった雨粒のように、ぼとぼととリートレスが落ちてきて、戦線に加わっていた。
すべての希望がオセロのように絶望にひっくり返るのに、十分な光景だった。
「〈ヴァジュラ〉!」
密集する敵のど真ん中に撃ち落とした魔弾は、これまでで最大の戦果を挙げる。しかし、空いたそばから塞がっていく軍勢の穴は、一人の戦力がもたらす効果の限界を告げていた。
「長、ここはもうダメだ! 退こう!」
「ダメだ! ここを目指している仲間が孤立する! もう少し……もう少し踏ん張れ!」
マギアの怒号も、リートレスの鳴き声の合唱の中に沈んでいく。
枝の端に追い込まれていた部隊を救おうとしたディバが、数体のリートレスに飛びかかられてもがいた。振り落としはしたものの、怒って叩きつけた尻尾が硬い音に弾き返され、危うく枝から落ちそうになる。
もはや戦いじゃない。
津波がすべてを飲み込もうとしている。
「長! 最後の人たちが来ました!」
死守していた南方へのルートを見張っていたエルフが声を張り上げた。
「撤退だあああああああああ!」
マギアの絶叫を待ち望んでいたように、エルフたちの防衛ラインが後退する。
が……!
「長、取り残された部隊が!」
後退のタイミングを合わせられなかった数名が、リートレスの群れの中に取り残されていた。すでに負傷者があり、抵抗力は限りなく弱い。まずい!
「わたしが行く! みんなは下がれ!」
マギアが戦列から飛び出した。
「待てマギア、無茶だ! 僕が行く!」
僕も慌ててアディンを急行させる。
夢中でアンサラーを撃ち続けた。
マギアと孤立部隊の周囲にいるリートレスたちが次々に弾けて消えていく。しかし、数はまったく減らない。
ガアッ!?
突如、アディンが空中でバランスを崩した。
上の枝から落ちてきたリートレスが、翼に取りついたのだ。
「うわあっ!」
アディンが大きく左に傾ぎ、僕は黒い背中にしがみつく。
くそっ、援護を中断させられた!
マギアは!?
敵を振り落とそうともがくアディンに世界を揺さぶられながら、彼女が槍を使って、孤立した仲間たちを味方の方へ投げ飛ばしていくのを見た。
しかし、最後の一人を投げ終えたとき、横合いから飛び出したリートレスが、彼女の脇腹を巨大な手で殴打する。
「ぐっ……!」
水平に吹っ飛んだ彼女は、細い枝に叩きつけられ、しゃがみ込む。
何かをつぶやき、すぐさまにらみ返した彼女の目には、決して臆せぬ闘志があった。
しかし、その炎を、視界を埋め尽くすように押し寄せたリートレスの軍勢が塗りつぶす――。
「マギアアアアアアアア!」
「長あああああああああああああ!」
僕とエルフたちの悲鳴が重なった。
――と。
「クオ・ヴァディス・アニマ (わたしはどこにいくのか?)」
「タイラニー!! (すべてはここにある!)」
伏したマギアの背後の樹が、突然弾け飛んだ。
高速で飛翔する木片のつぶてがリートレスたちに弾かれ、防御の轟音を幾重にも反響させる。
彼らの終焉はその中でやって来た。
〈エデンの樹〉の枝を丸々撃ち抜いたエネルギーは、マギアに躍りかかったリートレスの兜をすべて変形させ湾曲させ圧壊させ、弾けて砕けて塵にした。
声が響いた。
「全軍突撃! リートレスの脇腹を食い破れ!!」
『タイラニイイイイイイイイイ!』
太い枝に空いた大穴から、いくつもの銀光が飛び出してくる。
その一条一条が、絨毯のように敷かれたリートレスを裁断し、雑多な布きれへと変えていく。
それは、銀に輝く武具を身に纏ったエルフたちだった。
次から次へと新手が飛び出していく穴を呆然と見ながら、マギアが声を震わせる。
「おまえは……ミリオ……?」
穢れなき銀色に輝く額当て。月桂冠を象嵌した胸当てに、美麗なガントレットとブーツ。
槍は、以前のものではなく、柄の両端に刃が付いたツインランサーになっている。
そのいずれからも、ルーン文字の光が、雪峰に照り返る陽光のように清冽に輝いていた。
「そんなバカな……。ここからおまえたちの遺棄所まで、どれほどの距離があると思っている? どれだけの未開拓地と、危険地帯があると思っているんだ? どうやってここまで来た? 翼が生えたとでも言うのか……?」
ミリオはにこりともせず、怜悧な瞳に鋭い輝きを宿すと、頭上でツインランサーをくるくると回して風を巻き、勇ましく足下に突き立てた。
「徒歩で来た」
チャリで来た




