第六十九話 二つのルーンバースト
パスティスを下がらせた僕は、両腕を前に突き出し、手首のところでクロスさせた。
腰を落とし、足をやや前後に開いて、踏ん張る形を取る。
試すべき必殺技は、もちろんルーンバーストだ。
この扱いが難しい。ルーン文字とはまた別の神経を探らないといけないからだ。
ミリオたちは、これを二人でやっている。
マルネリア曰く、わざわざ二人でやる意味なんか何もなく、むしろお互いの精神を同調させる高度なナンタラカンタラが必要で、難易度は変態的に高くなるらしい。
彼女が微乳エルフたちをルーン文字の天才と呼ぶゆえんだ。
僕はそれを一人でやるのだから、うまくいかなくても泣き言を言ってる場合じゃなかった。
練習では、ある程度できている。
あとは焦らずやるだけ。
さあ、来いよ“何か”……!
森の上の月まで吹っ飛ばしてやる!
腕のルーン文字が光り出す。準備万端整った……!
周囲は“何か”の気配で満たされている。
敵意や戦意とは異なる、もっと生々しい意志。これは……憎しみ?
……来た。
音が近づいてくる。
霧の粒子を押しのけながら、分厚い憎悪の塊が迫ってくる!
方向は、左!
「騎士様、上!」
左の霧が割れると同時に、正面の霧も縦に割れた。
“何か”の鞭は一本だけじゃなかった?
「どっちでもいいさ! ルーンバースト!」
僕のかけ声ではなく、声によって作動させた意識下の神経により、誤読されたルーン文字が魔力の暴走を引き起こす。
上と左方から押し包むように迫ってきた“何か”の巨大な鞭が、それまでの強大なベクトルを失い、押し出されるようにわずかに後退する。
視認できたのはそこまで。次の瞬間に巻き起こった爆光が、おぼろげな“何か”を輝きの奥へと飲み込んだ。
「おぶふぇ!?」
手首の交差点を爆心地としたエネルギーが、枝の上に球状の破壊範囲を広げ、後方にいる僕まで巻き込んで万物を吹っ飛ばした。
「くっ、この……」
空中で体勢を立て直し、両足と片手を地面に叩きつけて勢いを殺す。後退したパスティスの真横まで、ざっと数メートルは滑り、ようやく止まった。
「にゃはは。攻撃範囲までは制御しきれなかったね」
マルネリアが気楽に笑った。一方の僕は、それなりにショックを受けていた。
「……今回のは完璧だと思ったんだよ……」
ミリオたちのルーンバーストは、きっちり前方を扇形に吹き飛ばし、自分たちへのノックバックは一切ないように制御されている。僕もそうしたかったけど、練習ではいつも自分を巻き込んでいた。だからこそ、あの踏ん張ったポーズを取っているわけだけど……。
「騎士殿にダメージは?」
「ない」
「じゃあ、それでいいよ。攻撃として使えれば十分だ」
僕は渋面した。
「何だか自爆みたいでイヤなんだけど……」
理想としては、爆発で相手を吹っ飛ばした後、粉塵が晴れて現れた僕が、ルーンバーストのポーズのまま決め台詞の一つでも言いたいところなのだ。それが毎回悲鳴を上げて吹っ飛んでいたら、誰の攻撃だかわかりゃしない。
「元々、ルーンバーストなんて微乳エルフたちの秘密兵器みたいなものなんだ。完璧に模倣するのは、女神様の力に守られた騎士殿でも無理だよ。自分にダメージはないんだし、ひとまずそれでよしとしよ?」
「わかった。それより、今は――」
やったのか? やってないのか?
僕は舞い上がった木屑の中に目を凝らす。
ルーンバーストによって、周囲の霧が大きく押しのけられていた。
本来の森の姿がはっきり見える。
しかし、その中に、“何か”の姿は見えない。
吹っ飛ばしたのか……?
「騎士様、あれ!」
パスティスが森のある一点を指さす。
枝葉に隠れるようにそこにいたのは、“何か”ではなかった。
「あいつ……!!」
霧を生み出す悪魔の兵器、雪豹だ。
しかし、以前見た個体よりも一回り大きく、突き出した器官の数も多い。
強化個体か……!?
それにしても、この距離にいながらずっと襲ってこなかったのはなぜだ?
まるで“何か”に攻撃を任せ、自分は霧をまくのに専念するように……。
……待てよ。
霧か?
霧が“何か”の秘密を隠しているのか?
マギアも、霧に紛れて襲われたと言っている。
“何か”は霧とセットなのか……?
たとえ違うとしても、霧が晴れれば“何か”をより広く目視できることは確かだ。この機を逃すべきじゃない!
「パスティス、あいつを先に仕留める!」
「うん……あっ、逃げた……!」
大型雪豹が、森の奥へと走っていく。
逃げるだと? 明らかに以前のタイプとは異なる役目を負っている。ますます怪しい!
「逃がさない」
僕は胸の前で腕をX字に組み合わせる。今度は左腕を上に。
ルーンバーストを使えるのは一度の戦闘で一回まで。魔力を暴走させた文字が疲弊するからだ。
でもマルネリアは、疲弊した文字であっても、別の記述と組み合わせることでもう一度だけ別のルーンバーストを発動できるよう、文字の並びに細工をした。
腕にあるルーン文字の光が肘へと抜け、両脇の記述へと入り込む。そこからさらに全身の文字へと拡散していくさまは、血流の循環を連想させる。これが――。
「第二のルーンバースト」
活性化した全身のルーン文字から、青白い炎が吹き上がった。
口元にある牙のようなギザギザ模様が割れ開き、そこから吐息のような炎がもれる。
「き、騎士、様……?」
全身から炎を噴出する僕は、あらゆる意味で怪物じみている。
パスティスの口からもれた戸惑いの声に、わずかに顔を向け、「大丈夫。悪者じゃないよ」と一言伝えてから、消えた雪豹の方を見やる。
「僕が先行する。ついてきて」
地を蹴ると、踵に刻まれたルーン文字のエネルギーが、僕を一瞬にして前方へと吹っ飛ばす。
まるで〈ヘルメスの翼〉の推進力。
第一のルーンバーストが追いやった霧の境界線まで、あっという間に到達する。
突入。
雪豹が枝を蹴って逃げていく音を捉えた。
一度の跳躍で、鳥のように体が飛ぶ。
体を滑っていく空気が暴風のようだった。
距離はどんどん縮まっていった。
第二のルーンバースト。
全身のルーン文字の効力を一時的に強化し、身体能力を一気に釣り上げる。
いわゆる、リミッター解除……!
ただし、これのデメリットは第一のルーンバーストどころじゃなく、一度効果が切れた後は、すべてのルーン文字が無効化される。
強化効果がゼロになってしまう。つまり、僕がただの僕になってしまうのだ。
まさに切り札。
でも、使い所を惜しむものでもない。ズタボロになってから切り札を切っても遅いのだ。
さあ、雪豹の後ろ姿が見えたぞ!
しなやかな動きで枝から枝へと飛び移る雪豹に対し、僕は接触する枝葉を砕き散らしながら強引に進む。スピードに思考がついていってない。
しかし、確実に距離は詰まってる。もうちょっと!
アンサラーはまだ使えない。入り組んだ枝が邪魔だ。
もっと近づいて……!
「!」
圧力が押し寄せるのがわかった。
“何か”だ。
消し飛んではいなかった。でも、霧の外では襲ってこなかったことが、僕の判断の強化材料になる。“何か”と霧には関係がある、きっと!
「うおおお!」
判断力をフルに使って、足下から伸びてくる“何か”をよける。
けれど一瞬にして後方に置き去りにしたそれを見て、かすかに安堵したのが間違いだった。
枝から枝へ跳躍しようとした直後、その軌道を読み切ったようなもう一本の“何か”が僕を弾いた。
「ぐあっ!」
お互いの勢いが推力を相殺しあって、僕の体を空中でわずかな間、停止させる。
下方の枝は遠い。ここで落ちると雪豹を取り逃がしてしまう……!
でも、いくら第二のルーンバースト発動中でも、空中での機動はできない。
目の前に太い枝が見えた。
手を伸ばすけど――……ぎりぎりで掴め……ない……!!
ダメかっ……!
「!?」
そのとき、背後から猛烈な勢いで何かがぶつかってきた。
振り向かずとも、鎧越しでも、その柔らかくて温かいものが何なのか、僕にはすぐにわかった。
この絶体絶命のタイミングで僕を助けてくれる相手なんて一人しかいない。
パスティス!
彼女の体当たりによって、重力の緩衝地点をさまよっていた僕の体はほんの少し上に押し戻される。
僕は右手を伸ばして枝の樹皮に指を突き立てると、すぐに左腕を後ろに差し出した。
運動エネルギーを僕に渡した彼女は、反動で後ろに落ちるしかなくなる。
間に合え!
「掴まれ!」
彼女の尻尾が手首に巻きつく感触。僕は右腕で自分を引き上げると同時に、パスティスを持ち上げて肩に担いだ。
お礼を言う間も惜しい。
すぐさま枝を蹴って雪豹に迫る。
「もう少し……!」
あと十メートル。
小枝を払い飛ばしながら、枝から枝へと飛び移る。
五メートル。
足場の悪いところへ逃げ込むのを執拗に追う。
あと三メートル……ッ!
視界が開けた。枝葉が消え去り、大きな枝の上に出る。
アンサラーで狙える!
「アンサラー!」
右手一本で保持したまま引き金を引く。
それを察知した雪豹は、跳躍して魔法弾をかわした。
そこに――
僕の肩を蹴ったパスティスが躍りかかる!
流星のように飛んだ彼女は空中にいる雪豹に組みつくと、旋回させた尻尾で、獣毛に覆われたのど笛を掻き切った。
くぐもった悲鳴が上がり、パスティスに突き飛ばされた雪豹が暴れるように落下してくる。
「んんんぬううおおおおおお!」
その落下地点に走り込みつつ、僕は右の逆手に構えたカルバリアスを思い切り振り上げた。
肉と骨、内部機構と、霧を吹き出す器官を順繰りに貫くそれぞれの手応えが、聖剣を駆け抜けていく。
最後の抵抗を突き抜けて、手元が急に軽くなったとき、雪豹は真っ二つになって下の世界へと落ちていった。
がくんと力が抜ける。
第二のルーンバーストは時間切れ。ぎりぎりだった。
唐突に重くなった体をふらつかせつつ、僕は剣を手放して両手を広げる。
そこにすっぽりと収まるように、パスティスが落ちてきた。
足がもつれて、一緒にひっくり返ってしまったのが情けない。
僕たちは思わず吹き出した。
嘘みたいな勢いで霧が後退していく。
“何か”はもう現れなかった。
嫁




