第六十八話 “何か”が来る!
〈ヴァン平原〉での戦いを踏まえずとも、『リジェネシス』のバトルフィールは、常に今までとは違う要素を持っていることがわかる。
それが新しいステージギミックなのか、ルールなのか、新しい敵なのかはわからないけど。
だから、このフィールドにも未知の要素が隠されていることを肝に銘じておかないといけない。
そんな不安定な戦場でルーン文字のテストをするなんておかしいと思うかもしれないけど、マルネリアは、
「まったく危険のない訓練なんて、危険のない戦場と同じだよ」
と断言して譲らなかった。
危険のない戦場なんてありえない。つまり、危険のない訓練もありえない。畳の上で泳ぎの練習をしても意味がないのと同じことなんだろう。
未知への対処も、このテストの内というわけ。
「敵、いなくなった……」
パスティスが二色の瞳で周囲を見回しながら言った。
確かに、さっきアンサラーで盛大に迎撃してから、ニクギリたちは姿を消していた。
このフィールドにいるのは、あれで全部だったのか……?
《あれは何だ?》
主人公の声が僕の頭に響いたのは、静かな前進を続けて、しばらくたってからのことだった。
毎度のことなのでいちいち説明するのもあれだけど、今回も僕は天界から付与された〈ヘルメスの翼〉の魔力を尽きさせることから始めていた。
本来の主人公はそんなことせず、バトルフィールドを盛大にかっ飛んでいるので、未知の敵と遭遇するのはいつも彼が先だ。まったく便利な偵察隊である。
その彼が何かを見つけたらしい。
《霧の奥から獰猛な何かが迫ってくる。今まで出会った何とも異なる気配だ。これは……?》
……!
突然、ゾクッときた。
ニクギリたちが放つ、食欲混じりの敵意じゃない。
もっと純粋で深い意志が、突然僕らの周囲を取り巻いている。
「騎士、様……!」
「わかってる……。パスティスは背後を警戒して。何か見つけたら攻撃していい」
僕はアンサラーの銃口を左右に振り向ける。
何もいない。物音一つ、気配すらない。
でも意志を感じる。間違いなく攻撃的な。しかし、これまでのどんな意識とも感じが異なっていた。
何だ? 何に囲まれたんだ……?
「わからないときは適当にぶち込む!」
火炎弾〈アグニ〉をアンサラーに装填し、引き金を引く。
火の渦を伴う弾道が、たちこめる霧に大きな穴を穿った。
その中に、ちらりと何かを見る。
それはちぎれた狭霧の一部が表した、ごく微細な動きだった。
火炎弾に巻き取られ、ゆるやかな渦を巻く霧の粒子の中、そこだけが奇妙に揺らめく。
唐突に毛羽立った。
霧を押し分けるようにして迫ってくる圧力を肌に感じ、咄嗟に「伏せろ!」と叫ぶ。
直後、向かって右手にあった霧の壁が上下に分断され、そこから膨大な質量と体積が飛び出てきた。頭上を通過する野太い風切り音が無条件に背筋を冷やす。
何だ? 何かの太刀筋か……!?
違う。もっと分厚くて、生物的な何かを感じた。
タコの触手や、植物の蔓のような……!
「騎士、どうしたの!?」
アンシェルの切羽詰まった声が兜の内部に響く。
「何かと遭遇した! でも霧に隠れてて正体がわからない!」
怒鳴り返して、はっとなる。
“何か”?
霧に紛れて現れた“何か”だって?
自分の声とマギアの言葉がリンクする。
――霧に紛れて現れた“何か”だった。我らはそれに急襲され、あっという間に住処を失ったのだ。
まさか、そいつが、ここにいるのか……!?
「野郎!」
僕は伏せた状態から下半身を滑らせ、座った状態での射撃体勢に移行した。
〈アグニ〉の弾丸を、圧力が突き抜けていった方向へばらまく。
樹に命中した火炎弾が炎の渦を巻き起こし、霧を打ち払うも、そこに敵らしきものはない。
僕は羽根飾りに向かって呼びかけた。
「アンシェル、マルネリア! ここにエルフの里を滅ぼしたヤツがいるかもしれない!」
「なんですって!? ど、どうするつもり!?」
焦る天使の声に、僕はニヤリと笑った。
「好都合さ。ここでやる!」
「なっ……。大丈夫なの!?」
「ルーン文字の状態は悪くない。僕もパスティスも元気だ。おおむねよしなら、十分戦える!」
「よーし、やっちぁえ騎士殿!」
「ちょ、マルネリア! あ、あんたたちはホント無鉄砲……もう、慎重にやるのよ!?」
「オーケー! やるぞパスティス!」
「う、んっ……!」
まず敵の姿を捉えないとどうしようもない。
僕は〈アグニ〉で霧の層を撃ち抜き、撹拌させていく。
どこにもいない……。さっきの攻撃から察するに、かなり巨大な相手のはずなのに、何で見つからない?
それなら、ルーン文字のパワーアップに頼らせてもらうか……!
僕はアンサラーを周囲に乱射した。
「来いよ! 僕はここだ! どうした、かかって来い!」
ボッ!
霧を一文字に裂いて、再び“何か”の攻撃が迫ってきた。
十分予期できたタイミング。回避するのは難しくない。
けど、あえてこいつを受ける!
腹部に重い衝撃!
「騎士様!」
パスティスの悲鳴を、“何か”の腕らしきものに引っかけられた状態で聞く。
「大丈夫だ!」
枝の上からかっさらわれ、猛烈な速度で濃霧の中に引き込まれながら、僕は叫び返した。
少し息が詰まったけど、ルーン文字による強化のおかげで大したダメージはない。
それより、これで“何か”の攻撃の正体が見え――。
「え!?」
僕は言葉を失う。
見えなかったのだ。
僕を引っかけたまま、霧の中をすさまじい速さで移動する、“何か”が。
感触は確かにあるのに、何も見えない。
いや……よく見ると、うっすらと輪郭のようなものがあった。
細長い、鞭のような何か。
僕は腹に張りついたそれにふれようとした。
指先がかすかな輪郭をあっさりと通過した。
「何だ、これ……!?」
むこうからはさわれるのに、こっちからはさわれない……!?
「こいつっ!」
どうにかアンサラーを構え、射撃。
しかし弾丸は鞭の薄い輪郭を透過し、霧の中へと消えていく。
こ、攻撃も効かないぞコイツ……!?
冗談じゃない。こっちからはさわれもせず、一方的に攻撃だけはされるなんてあまりにもヒキョウすぎる!
唐突に霧を抜け、背後にパスティスがいる枝の道が見えた。一周して戻ってきたらしい。
「ぐへっ!」
僕をその枝に叩きつけると、“何か”は再び霧の中へと姿を消した。
「騎士様! よ、よかった……」
涙目になったパスティスが僕に抱きついてくる。彼女からすれば、僕が霧の中につれさられたようにしか見えなかっただろう。
「だ、大丈夫だから」
こみ上げてくるせきに混じりながら、どうにか彼女を落ち着かせる。
それより、あの“何か”だ。
一方的に攻撃されるこの状況は、明らかにこちらの不利。攻撃そのものは単調だけど、打撃されて、何もないところに放り出されたら一巻の終わり。
撤退も視野に入れたい場面だ。
でも、まだ試していない手がある――。
「パスティス。僕から離れてて」
「ど、どうするの?」
不安げな彼女に僕は言う。
「必殺技を使う」
本当に一回で終わった無双回。
楽にパワーアップしたヤツに安易な活躍は許されないのだ。




