第五十九話 救難信号
「えっ? 彼女たちが?」
隙あらばカニばさみやタックルでマウントを取ろうとするまな板勢から逃れた翌日、僕は果実の里を訪ね、メディーナに樹鉱石を渡した。
「もし困っているようならあげてほしいと預かりました」
「まっ、まあ……あの子ったら、まあ、まあ……」
〈エデンの枝〉を譲渡したことにはふれず、ただマギアの善意として差し出されたそれを、メディーナは何の疑いもなく受け取った。
「わ、わかっていたんです。彼女は悪い子ではないと。ちょっとツンツンしているだけで、根は素直ないい子なんです。ちょっと負けん気が強いだけで、好戦的なわけじゃないんです。里長だからあんなふうに振る舞っていますけど、本当はもっとお淑やかで優しい女の子なんですよ」
何で顔を赤くしてニヤニヤ笑ってるんですかねえ、この人……。
さんざん極められた関節に染みついた痛みが、マギアはお淑やかとかいう不適切な表現に反論したくなるけれど、このメディーナのチョロさもツッコミどころ満載だった。
もしかして、エルフは種族的にチョロいのか?
プレゼント攻撃されただけで、個別エンディングの条件満たしちゃう一族なのか?
この調子だと和解も簡単そうなのだけど……。
「どうですか。あちらはこの里のことを心配しています。仲良くできませんか」
僕が言うと、樹鉱石の澄んだハチミツ色に映っていたメディーナのニヤけた顔が、寂しげな微笑に変わった。
「できないでしょう」
「どうしてですか? この里は、マギアたちほど過激じゃないはずです。向こうの里が友好を願っているなら、こっちだって……」
「この石は、マギアの個人的な贈り物ですね。里の総意ではないでしょう」
柔らかい声に含まれた断定の語調に、僕は否定をためらった。お淑やかさは認められないけど、メディーナは僕よりマギアを知っている。ここで違うと言い張っても、恐らく嘘がバレるだけだ。
「わたくしも彼女も、先祖からの戦いを引き継いでいるにすぎません。わたくしとマギアは仲良くできるかもしれない。でも、そうしたら、どちらの里も主戦派と講和派に分裂し、そこでまた新しい抗争が生まれるでしょう。二つの里をまとめるはずが、今度は四つに分かれるのです」
「けれど、森が霧に完全に沈む前、エルフたちを襲った謎の敵がいると聞きました。仮にこのまま里が大きくなっていったとしても、襲われる前の規模に戻るだけ。二つの里が力を合わせなければ、そいつには勝てない」
メディーナは柔らかい目元を硬化させると、僕を静かに見据える。
「わたくしたちと彼女たちが共闘したとして、何を考えるかわかりますか」
「それは……」
マギアからもらっていた答えを口に出しそうになり、慌てて飲み込む。ここで僕が正解を述べたところで、メディーナの前で小賢しい振りができるだけ。説得に来ている者が否定の答えを渡してどうするのか。
「今、騎士様が考えていたことが起こりますわ」
揶揄するふうでもなく、本当に寂しそうに彼女は言った。
マギアが告げたことは真実だったことが、僕に歯噛みさせた。
メディーナも、マギアと同じことを考えている。
穏健に見える巨乳エルフたちならばと、一縷の望みを持っていたけれど、結局彼女たちはお互いをよく理解していて、僕は楽観主義的なアホだったということ。
メディーナもマギアも、この戦いを終わらせる方法を知らない。
確執はあまりにも根深い。
もし過去にそれが可能な瞬間があったとしたら、それは二つの里が壊滅したあの時だったのだろう。
独力では対抗しきれない敵が現れた、あの時。
でも、彼女たちは共闘を選べなかった。
もちろん、わけがわからないまま土地を追われ、そういった提案をするためのコンタクトを取れなかったってこともある。
それでも、里が解放されたとき、彼女たちが最初に思い浮かべた敵は同族だった。
僕のつたない交渉でどうにかなるような問題じゃない。
二つの里の争いは、もはや歴史なのだ。
くそっ。やっぱりこの第二エリアは、大人しく戦略シミュレーションをやるしかないのか?
それからメディーナは、こんな大きな樹鉱石に見合う返礼はすぐにはできないからと、手紙だけを僕に持たせた。
大きな期待を持てないままそれをマギアに届けてみると、
「なっ……。ば、ばかじゃないのかあのおっぱい! そっちから先に助けてくれたんだろうがっ。なのに、後で必ずお礼をするって、それじゃいつまでたっても終わらないだろうが! しょ、しょうがないヤツだなホントに! し、仕方ないから返事を書いてやる。騎士殿、ちょっと待っててくれ!」
と、長い耳の先端まで真っ赤にしながらデレてる様子に関しては、期待以上のものがあった。
里の全体で文通始めたら、案外あっさり和解するんじゃないか? とも思ったけど、やっぱり里の中には強い憎しみを持っている者もいるだろう。
里が分裂する――メディーナの言葉は重かった。
※
さて、今さらの話だけれど、〈ディープミストの森〉での三つの里の位置関係は大雑把に言ってこんな感じになっている。
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■■■■■■
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■■■■■貧
巨■■■■■
■■■微■■
マップの上の方に大きな余白があり、恐らくはそちらにボスがいると思われる。エルフの里を統合し、戦力を拡充させてから乗り込むボスが。
あまり関係ないけど、微乳の里は初動にもたつくと、一瞬で進路を塞がれる初期位置にある。やはりマゾプレイヤーにはうってつけの勢力だろう。
それで、僕のチンケな外交による成果はこれ。
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■■■■■■
■■■■■↑
↑■■■■貧
巨■■■■■
■■■微■■
簡単に言うと、巨乳の里と貧乳の里が、お互いを避けるような発展進路を取り始めた。
メディーナとマギアが、里の者から反発を受けないよう、上手い具合に指揮を執ってくれていると思われる。
主敵が確定している状態での陣取り合戦なら、空白地帯を作っておく必要などない。相手が引くならこちらは取る。少しでも土地を広げ、国境線を確定する。それが当たり前だ。
だから、決戦までのただの時間稼ぎという中途半端な現状に対し、二人の里長がやってくれていることは、とても難しいことなのかもしれなかった。
その恩恵というか、結果論だけど、ミリオたちが進出していく余白も残された。もしこの世界を通常のゲームとして楽しむのなら、一番恐ろしい、強勢力からの封じ込めは回避されたことになる。
今、森は小康状態に入ったように思える。
争いは極力控えられ、里の開拓の方に力が注がれている。
戦うしか能がない僕には、悔しいけれど、この程度が限界だったのだろう。
しかし、諦めるつもりはない。情勢をうかがい、猟犬の鼻を利かせて機会を待つ。
戦争に正しいものなどなく、その中でももっとも愚かなのが内戦だという。同族同士で消耗し合い、さらに外側に存在する勢力に大きな隙を見せる。百害あって一利なしだ。
それからしばらくは、静かな日々が続いた。
二つの強里がマップ奥へと広がっていくその後ろで、ニクギリを倒せるようになったミリオたちも少しずつ里を伸ばしていった。
事態が動いたのは、何となく途切れず続いているメディーナとマギアの文通の中で、僕が伝書鳩となった自分に大した疑問も抱かなくなった、ある日のことだった。
「リーンフィリア様、みんなで湖に遊びに行くんです。リーンフィリア様もご一緒にどうですか?」
その日、つぼみの里のエルフたちは、もはや恒例行事となった樹上湖での集団水遊びに向かおうとしていた。
「ええと、わたしは新しく拓いた土地を整地する作業があるので……」
スク水のエルフたちに誘われた女神様は、生真面目に断ろうとしたものの、
「いえ、行きましょう。女神様」
「えっ、アンシェル?」
「天界の〝しょっぷ〟で水着を買ってきました。女神様の封印された胸と足を解放するときがきたのです」
「アンシェル!?」
堂々たる佇まいのアンシェルに、引っ張られていこうとしていた。
そんなやり取りをしている彼女たちのど真ん中に、一つの光が舞い降りる。
「これは……光る、蝶……?」
エルフの一人がつぶやく。近くで〈オルター・ボード〉をいじっていた僕にもそう見えた。
蝶は通り道に光の粒を残しながら、リーンフィリア様の手のひらにとまった。
何だかわからないが幻想的な光景。また意味もなくタイラニー伝説が一つ増えそうに思われた直後――。
「ギャーッ! タスケテーッ!」
いきなり光る蝶が甲高い声でわめきだし、その場にいた者たちの鼓膜を強打した。
全員が殴られたように頭をよろめかせる中、叫びは続く。
「コチラ魔女! コチラ魔女! ナンカ追ワレテル! タスケテー!」
魔女だと?
僕は耳をおさえるエルフたちの輪に割って入り、蝶を見つめた。
「これ、蝶じゃない。葉っぱだ」
木の葉を茎同士で結び合わせて作られたイミテーション。光っているのは……ルーン文字か!
「タスケテー! タスケローッ!」
蝶は散々わめいた後、唐突に光を失い、ただの木の葉に戻った。
「魔女が追われてる……? 僕らに助けを求めに来たんだ」
急いで〈オルター・ボード〉を見る。
新しく霧が晴れた地点に「!」マークが表示されていた。この、イベント発生後にボードにアイコンが出てくるタイムラグがいつも心臓に悪い。
「女神様、ちょっと行ってきます! 誰か、ミリオにこのことを報告して! 水遊びは中止、念のために警戒態勢!」
『はいっ!』
僕の指示に、驚くほど俊敏に反応するスク水エルフ集団。
「騎士様。何か、あった、の……?」
まるでどこかで様子をうかがっていたようなタイミングでパスティスが現れる。
「魔女が誰かに追われてるみたいなんだ。助けに行く。パスティスも手伝ってくれ」
「う、うん!」
目指すは、ついさっきリーンフィリア様が整地すると言っていた地点の少し先。
ここからだと結構距離がある。走って間に合うか?
「騎士、天界から応答あったわ!〈ヘルメスの翼〉の使用を許可! 準備するから待って!」
そう言って、アンシェルが僕の踵に飛びついた。
「アンシェル仕事早いね!」
「あんたがいつメチャクチャやらかすかわからないから、常に色々準備してんのよ」
答えながら、踵に向かって手をかざすアンシェル。
「パスティスの分は?」
「そっちの許可は下りなかったわ。従者って立ち位置が微妙なのよ。――よし、施術終わり! これは戦闘用よ。向こうに着いたら、両足の踵を打ち合わせて起動、いいわね!?」
「いいや、今使わせてもらうよ! パスティス、こっち来て!」
アンシェルがぽかんとしているうちに、僕はパスティスの腕を引っ張り、「ごめんね」と一言断って、強引に抱き上げる。
「わ――き、騎士、様……」
キャーッ、というエルフたちの黄色い声援。
キャーッじゃない! 早く警戒態勢とって! やくめでしょ!
「じゃあ行ってくる! ありがとうアンシェル!」
言われたとおり踵を打ち合わせると、鉄靴から光の翼が広がった。
「……はっ!? ありがとうじゃないわよアホー! ごめんなさいでしょおおおお!?」
アンシェルの怒号に追い回されるのを恐れるように、純白の輝きが、僕らの体を魔女の待つ場所へと一気に撃ち放った。
チョロインは可愛いので決して滅びることはない




