第五十三話 一方その頃、果実の里
食料に続き、安全に利用できる水場を確保したつぼみの里は歓喜に湧いた。
湖の底に穴は開けたけど、全体からすれば小さな規模。
元々、皿の縁から水がどばどばこぼれている状態だったので、排水口が一つ増えたくらいで水量が目に見えて減るなんてことはなかった。
ナイアガラの滝とか、いくら水が流れても涸れないのと似たようなものか。
遊び場としても歓迎されたらしく、家でスク水に着替えた微乳エルフたちがキャッキャウフフ笑いあいながら出かけていく様子まで見られ、これはもうただの私立エルフ学園のプールの時間である。
まあ、その……いい光景だけどね。
腋も見えるし。華やかなエルフと、それを押さえつけるかのような地味なスク水のアンバランスさが、奇妙な調和を生んでいる。水着の暗色と対比になる、白くすらりとした手足が本当にまぶしい。それに、腋も見えるしね。あと腋も。そして……そう腋とかさ。
さて、水場ゲットによる勢力の変化はこんな感じ。
里長:ミリオ
人口 ☆
武力 ☆
文化 ☆☆
資源 ☆☆☆
見てのとおり資源に☆+1された。
戦国エルフ的には何の意味があるのかはまだわからないけど、ステータスアップはそれだけで気持ちがいいものだ。
食住が揃い、つぼみの里の基盤もしっかりしてきた。
そろそろ、別の里の様子を見に行ってみる頃合いかもしれない。
と言うわけで、僕らはミリオに断りを入れ、果実の里へと飛んだ。
※
果実の里に入るのは初日以来だ。
つぼみの里に比べて道幅は広く、頭上の枝葉からこぼれる太陽の光も十分。リーンフィリア様が整地する前のつぼみの里がどれほど陰鬱で過酷な土地だったかがよくわかる。
僕は感嘆ついでに〈オルター・ボード〉を確認した。
里長:メディーナ
人口 ☆☆
武力 ☆☆
文化 ☆☆☆☆
資源 ☆☆☆☆
強すぎなんだけどマジで!
あらゆる面でつぼみの里を凌駕している。苦労して☆三つにした資源すらあっさり追い抜かれているあたり、つぼみの里を自勢力に選んだ場合のハードモード感がハンパない。
「でも、家がないな……」
僕は周囲を見回す。
こもったような明かりがぽつぽつと、霧の中に浮いていた。しかし、つぼみの里で見たような小屋は一つも見えない。ついでに巨乳エルフたちの姿もなかった。
人口は☆二つ。少ないはずがないのだが……。
そのとき、霧の奥から、小さな明かりが近づいてきた。
「ようこそいらっしゃいました女神様」
見覚えのある声、そして顔。
里長のメディーナだった。
草色の上品なワンピースに包まれた豊かな肢体。
膝裏まで届こうかという美しい金髪を、大きな三つ編みに束ねている。
てっきりカンテラでも持っているのかと思ったが、光っているのは彼女の右手に持った木の杖の頭の部分だった。
そう言えばミリオが、巨乳エルフたちは魔法が得意だという話をしていたっけ。
「たい――こ、こんにちは」
女神様、よく自制された。ここでタイラニーとか言ったら、また傷つくことになる。
つぼみの里では日に千は繰り返されている祈りの言葉を飲み込み、リーンフィリア様は果実の里の長に冷静に話しかけた。
「メディーナ。その後、変わりはありませんか」
「はい。女神様のご加護のおかげで、散り散りになっていた里の者たちも少しずつ戻ってきています」
「そのわりには、姿が見えないみたいだけど」
僕が口を挟むと、
「ちょうど今、お茶の時間なのです。そうだ、よかったら女神様たちもご一緒にどうですか? 里の者が、腕によりをかけて作ったお菓子とお茶がありますよ」
「えっ、お菓子ですか? いただきます!」
ぱっと顔を輝かせるリーンフィリア様。
実は、ミリオたちが作ってくれたパイがめちゃくちゃ美味しかったらしく、エルフのお菓子にすっかり目がなくなってしまったのだ。
「ではどうぞこちらへ」と屈託のない笑みを浮かべたメディーナに導かれ、僕らは霧の道を歩き出す。
つぼみの里の家並みに比べると、少し物寂しい気がしていたのは、最初の数分間だけだった。
枝の道に隣接する巨木の内側から、メディーナの杖が発するのと同じぬくさの光がもれている。
よく見ると、その光は木の上や下の方からも発されており、どうやら果実の里では、木の虚を利用して、アパートメントを造るのが主流となっているようだった。
やがて、これまで以上に大きく立派な木の幹が姿を現す。
どうやらここが、里長の〝お屋敷〟のようだった。
「どうぞ、お入り下さい」
備え付けられた扉を開けると、広々としたリビングになっていた。
妖精の家具屋がこしらえたような、可愛らしい椅子とテーブル。青々とした葉で作られた絨毯とカーテン。
木肌のぬくもりと深緑の清涼感が遺憾なく詰め込まれた室内を、魔法の光がふんわりと照らしている。
男の僕でも「可愛い」を十六連射するしかない、童話に出てくるような光景だった。
「わっ、女神様!」
「ようこそおいでくださいました!」
「さあどうぞ、こちらへ!」
リビングでティーパーティーを楽しんでいたエルフたちが、一斉に女神様を取り囲み、主賓席へと連れ去った。
「騎士様も、他の方々も、さあ」
一歩遅れた僕らも、メディーナに案内されテーブルにつく。
「女神様、どうぞお召し上がりください。今朝取れたばかりのバベルの実から作ったパイです」
「クッキーもどうぞ」
「先日、とても良い茶葉が取れる木が見つかったんです。香りをお楽しみください」
「わあ、ありがとうございます」
女神様がすっげーちやほやされてる。まあ、当たり前だけど。
タイラニーとさえ言わなければ、普通サイズの胸のリーンフィリア様は、果実の里では同胞そのものなのだ。
今の光景を見ていると、しょっぱなさえ間違えなければ、彼女はあんなに傷つくことはなかったかもしれないと思わされる。
そのかわり、〈偉大なるタイラニー〉という新たな力を手にすることもなかったわけで、人生、どうするのがよかったかの判断は非常に難しい。
「女神様の御髪はとても綺麗ですね」
「こんな愛らしい女神様に守ってもらえて、わたしたちはなんて幸せなんでしょう」
「女神様、もっと近くに座ってもよろしいですか?」
頬を赤らめた巨乳エルフたちが、リーンフィリア様との椅子の距離をじりじり詰めだした。何か、妙に百合百合しい光景だ。女子校かな?
ただ、こうなると、放っておけない人物がうちにはいる。
「ちょっとあなたたち近すぎるわ! 不敬でしょ! 親しむにしても節度は守ってもらわないと!」
女神様スキー第一号のうちの天使だ。両者の間にガーッと突っ込んでいって、威嚇する犬歯を剥く。
「キャーッ、貧乳の天使様が襲ってきた!」
「ひいい、つるぺたよ! ごめんなさい、ごめんなさい!」
彼女らが恐れる貧乳の眷属だけあって効果は絶大だ。その後、ボディガードの名目で女神様の近くに居座るのが実に抜け目ない。
まあしかし……見てる分には平和だ。あのへん、無駄にいい匂いしそう。
「エルフの里に男性が訪れることはほとんどないのです。粗相がありましたらお許し下さいね」
落ち着きあるメディーナが、僕とパスティスにお茶を入れてくれた。
「あ、すみません。僕、飲食ができないので……」
「まあ、そうだったのですか。女神の騎士というのは、名誉ある役目とはいえ、大変なのですね」
メディーナは労るように微笑むと、パスティスに柔らかい目線を向ける。
「あなた様は、女神の従者、ですね」
「うん。そう……」
パスティスはこくりとうなずいた。
「不思議なお姿のお方です。けれど、女神の従者になられるほどの方なら、何か由来があるのでしょうね。どうぞくつろいでいってください」
「天界について詳しいんですね」
僕は確認するようにたずねる。
アンシェルの話では、神族が自前の騎士を抱えるというのは珍しく、従者となるともっと希有な存在だという。それを知っていることは、メディーナがいかに博識であるかを物語っている。
彼女は目を細め、慎ましく微笑んだ。
「エルフには、魔法による知識の伝承技術があるのです。個々の魔力ではなく、〈バベルの樹〉の力と結ばれたものですので、この森が失われない限り、知識もまた失われることがありません」
「へえ、それはすごい……。じゃあ、ずっと昔の資料とかも残っているわけですね」
歴史学者が聞いたら羨ましがるだろう。
「ええ、あるにはあるのですが……」
ここでメディーナは、少し恥ずかしそうに顔を伏せた。
「わたくしたちは、その、伝統的にというか、傾向的に、ちょっと、いえ、かなり、大らかというか、いえ美化してはいけませんね、ちゃんと言わないと。つまり、その、ずぼらでテキトーなところがありまして……」
「えっ、そうなんですか」
意外だ。身なりはきっちりしているし、態度も淑女そのもの。この部屋だって、上流階級のお茶会のようなのに。
「ええ。思わぬところでヌケているというか、お互いに、そこでそうくるのか……と思うことが多々あるほどでして……。それで、過去からの知恵が保管されている場所を忘れてしまったり、移し替えようとしてどこかにやってしまったりというのがよくあって、資料の散逸がしょっちゅう起こるのです」
メディーナは顔を赤くしてますますうつむいてしまった。
「それは……何か大変ですね……」
労いを含ませつつも、僕は彼女たちに親近感を抱いた。
荒っぽい分ざっくばらんな貧乳エルフのマギアや、今となってはまごうことなき問題児であるミリオと違い、メディーナは隙がなく超然としている印象があったので、会うときに少し気を張らなければいけないイメージだったのだ。
が、今のこれで天然お姉さん属性もありえる! いつか「あらあらウフフ」とか言ってくれるかもしれない。期待できますよ!
「騎士、様」
一人新たな可能性に震えていると、パスティスが僕の鎧をちょんちょんとつついてきた。
「あの天井の、模様……」
彼女が目線で示した先を追うと、天井の一部にうっすらと何かの跡があった。だいぶ薄れてはいるが、木目ではなく、確かに模様と読み取るに相応しい形状だ。
それを見るのは、〈ヴァン平原〉の遺跡群、〈ディープミストの森〉の1stバトルフィールドに続き、これで三度目だった。
「メディーナさん、あれは?」
「ああ、あれは、〝魔女〟が〈古の模様〉と呼んでいるものです」
「〈古の模様〉?」
僕は少し前のめりになる。ようやくあれの正体がわかるのか。
「ええ。いつ頃のものかはわかっていないのですが、とても古くに作られたものだと、魔女は言っていました」
「その魔女というのは?」
「里に住まず、この森の中を好き勝手に旅する変わり者のエルフです。この模様の謎をお知りになりたければ、彼女に聞いてみるのがいいでしょう。ただ、今どこにいるのか、生きているのかさえ、わかりませんが……」
メディーナは心配そうに眉根を寄せる。
「そうですか……」
惜しいな。でも、答えは案外近そうだ。
魔女、か……。
どうにかして会えないかな。
「あの、騎士様」
不意に、メディーナが声のトーンを落とした。賑やかな女神様たちの方へ、気を遣うように一瞥したところを見ると、明るい話題ではなさそうだ。
「貧乳の里にはもう行かれたと思いますが、実は、この森にはもう一つ里……いえ、エルフが住む場所があるのをご存じでしょうか?」
「ミリオたちのことですね」
「……! はい。ご存じでしたか……」
僕の即答に、メディーナはわずかに安堵したような態度を見せた。
それだけで、僕は彼女が言いたいことがある程度わかった。
「彼女たちは無事です。リーンフィリア様が里を作ったおかげで、ちゃんとした生活もできるようになりました」
「それは……ありがたいことです」
豊満な胸元に、柔らかく握った拳を押し当てるようにして、メディーナは声を詰まらせた。
「掟とはいえ、彼女たちにはひどいことをしました……」
その一言でだいたいの事情が察せられた。
メディーナたちも、喜んで同胞を追放したわけではないのだ。
人を束ねるのは大変だ。ルールは弛めれば弛めるだけ、無意味なものになっていく。甘さは優しさと混同され、いずれ大きな悪意に対して隙を生む。
見方を変えれば、微乳エルフたちの追放は、彼女たちが、里の者から直接的な迫害を受けないための避難措置だったとも受け取れるのだ。
だから今、一番してはいけないのは、感情的な綺麗事で彼女を糾弾すること。
僕がただ黙って見つめていると、それを受けたメディーナは不意に、菓子を頬張って幸せそうなリーンフィリア様へと目を移した。
「女神様も、お供の方々も、お口にあったようで幸いです。よろしければ、これをわたくしたちからの捧げものとしてお受け取りください」
自然な口調でそう言うと、僕にどこかで見たことのある枝を渡してくる。
「〈バベルの樹〉の枝です。これを地面に挿せばたちまち実のなる樹となりますので、どうぞお好きな場所に植えてください」
枝を僕の手に乗せると、柔らかい指が、ぎゅっと手甲を握った。
なにがしかの意図を含めた目線。僕がピンときたのと同時に、頭の中にヤツの声が響いた。
《これで追い立てられた者たちを飢えから救ってほしいということだろう。やはり、胸の大きなエルフたちは心も広く、優しく、柔らかい。小さい者たちではこうはいかない。早くミリオに届けてやろう》
おい何で貧乳をディスった。
いや、そうじゃなくて、何を言ってる主人公?
ミリオたちは、すでに〈バベルの枝〉を持ってるだろ。リンゴみたいな木の実だってモリモリ食べてる。
なのに何で今さらそんな説明口調でこの捧げものの解説を……。
…………。待て。
もしかして、これが正規の攻略なのか?
つぼみの里は、果実の里から……いや、あるいは、まな板の里も含めた、他の里からの援助を受けて広げていくものだったのか?
そうやって交流を深めて、どっちかにつくとかつかないとかしながら、ゴールに向かっていくのがセオリー……?
だとすると、僕、攻略の順番、間違ってる……?
ではしれっと再開していきましょう。
エルフ学園のプールの水になりたいなあ




