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第五十一話 湖の王

 完全に水没することへの恐怖がなかったわけじゃない。

 兜の内側に、ごぼごぼと泡を立てながら冷たい湖水が入り込んでくる感触が、押し込まれた箱ごと水に沈められる自分を連想させる。


 しかし僕はアディンを全面的に信用していたし、そもそも『Ⅰ』からして溺れるなんて描写は一切なかったので、思い切って深呼吸する。

 溺れるなら、そのときは、そのときだ。


 ――できた。


 陸上と何ら変わらない。体内が水で満たされている感じもしない。


「騎士、水中での状態はどう?」

「大丈夫だ。呼吸もできる」


 羽根飾りから聞こえてくる天使のオペレーターに手短に応じる。

 隣を見ると、水着姿のパスティスが僕に親指を立ててきた。あちらも大丈夫なようだ。僕も同じ仕草を返す。


「よし、行こうアディン」


 言って、僕はアディンの背中を撫でた。


 キリリリ……。


 水中でも変わらない声で小さく鳴いたアディンが、湖底を蹴ってゆるやかに前進する。

 鎧の縁に引っかかっていた空気が、ごぼりと音を立てて抜けていった。


 周囲を見て驚いた。

 とんでもない透明度だ。地上と大差ない。

 いや、霧がかった水面よりも、むしろ遠くまで見渡せるくらい。


〈バベルの樹〉の隙間から差し込んだ光が、水面を貫いて、湖底を照らしていた。

 湖底に積もった落ち葉は、すでに腐葉土と化しているのか、土とほとんど見分けがつかない。そこから緑の水草が生え、まるで草原のように広がっていた。


 風ではなく、水の流れで左右にゆらめく様子は、ゆったりとしていて非常に優雅だ。

 ここが戦いの場であることを忘れそう。


 スタート地点から、湖の底は急激に深くなっていった。

 とても樹上に作られた中空のプールとは思えない。水深数百メートルはあるんじゃないだろうか。


 アディンはゆっくりと潜っていく。

 普段から空を飛んでいる僕が言うのも何だけど、鳥になったような気分だ。空を飛べないエルフたちが見たら喜ぶんじゃないだろうか。


 ――グウルルルル。


 アディンのうなり声が、僕の意識を戦場へと呼び戻す。

 前方、蒼く澄んだ彼方に、何か巨大な物体の影が見えた。


《湖の王に、私とティンクルが挑む。王と称されようと所詮はでかいだけの魚。さまざまな芸を使いこなす私のティンクルにかなうはずがない》


 おまえは何を言ってるんだ?


「アンサラー」


 僕は銃を物質化させ、構える。

 水中での抵抗は、地上にいるときとは比較にならない。ちゃんと撃てるといいけど。


「追うぞアディン!」


 ――ガアアアアアア!


 アディンが身を震わせ、両腕で大きく水を掻いた。

 ぐんと押し寄せた抵抗に、体が後方へと引っ張られ、僕は慌ててアディンの背中に身を伏せる。こうしていないと銃を構えることもできそうにない。


 一気に加速!


 ディバとトリアも左右に展開して追従してくる。

 速い。やっぱりサベージブラックは、元々泳ぎの技術も持っているんだ。こいつ、弱点はないのか? 僕は嬉しくなって、兜の内側で口元を弛めた。


 体をくねらせ、小さな動作の一つ一つからも推力を生みながら前進していく竜たち。

 後ろ足をぴったりと体に添わせ、尻尾と前足で水中をゆくその姿は、巨大なバリスタの矢を思わせる。


 かなり奥まで来た。

 湖の底はさらに深くなり、水草の群れがはるか遠くに見える。


 前方に大きな黒い影がちらついた。

 やがてその影が、巨大な尾ひれの形をなす。

 追いついたか!?


 そのタイミングを待っていたかのように、巨怪魚は大きく方向転換。左へと曲がり、こちらの側面へ回り込むような挙動に出た。

 まだシルエット段階だけど、全身像がわかった。


 どこかシーラカンスを思い起こさせるフォルム。

特徴的なのは、そのヒレだった。普通の魚に比べてヒレの数が多いのはいいとして、その長さ。まるで天女の羽衣を引いているみたいに、巨体の後方にまで揺らめく部位が伸びている。


 その優雅さとは裏腹に、頭部に輝く巨大な目は、明らかに異形の醜悪さを感じさせた。半身で見えているだけで五つはある。反対側に同じだけあるとすれば、全部で十個。


 それにしても……。

 変だな。あの魚……異様に速くないか……?


 かなり距離はあるはずなのに、まるで目の前を泳ぐ小魚のように、あっという間に僕らの横へと到達する。


 そこでまた進路変更。

 真っ直ぐこっちへと突っ込んでくる。


「来るぞ!」


 僕はアンサラーを構え、待機。アディンたちも加速を抑え、近接戦に備える。

 怪魚の影が次第に大きくなる。


 大きく、大きく、どんどん大きく――ってまだ大きくなるのかよ!?


「た、退避ィィィ!」


 僕は慌てて叫んだ。

 竜たちが三方へ散る。


 そこへ、超巨大な質量が突っ込んできた。

 広げた口は、まるで牙を生やした洞窟の入り口。


「うおおおお!?」


 回避には成功したものの、怪魚が引き連れてきた水のうねりが、嵐となって僕らに襲いかかった。

 アディンから引き剥がされないようにするので精一杯。すれ違いざまにアンサラーを撃ち込むなんて絶対無理無理かたつむり。


 渦に飲み込まれた木の葉のように翻弄された竜たちが、体勢を立て直し、すぐさま追撃に入ろうとする。

 しかし、あの巨体にもかかわらず、怪魚はあっという間に蒼い世界へと溶けていった。


「速すぎる……! 何だあいつ……!?」

「大丈夫なの騎士!? 状況は!?」


 アンシェルの声が聞こえてくる。


「今、接触した。もの凄い勢いで通過してった。とても追いつけない。アディンたちもかなり速いはずなのに」

「どれだけ巨大でも魚よ! 水中でこっちに分があるとは思わないで!」


 水中の生物というのは、億年単位で陸上生物よりも早くから食い合いを繰り広げてきた。

 いかに追い、いかに逃げるか? いかに殺し、いかに生きるか? その試行錯誤の末に生まれた珠玉の生態が、今日もまた弱肉強食のレースを続けている。

 種に王が存在するとしたら、そいつはきっと海にいるに違いない。


《なんという巨大さ。いかにティンクルがキュートでも、あれに正面から立ち向かうのは不可能だ。ヤツのヒレを攻撃して、推進力を奪うしかない》


 ティンクルのキュートさは極めてどうでもいいけど、珍しく主人公がヒントをくれた。

 あの長いヒレを攻撃すればいいんだな!?


「騎士様、また、来る……よ!」


 パスティスの警告に、僕は視線を走らせる。

 怪魚が戻ってきていた。再び突っ込んでくる。


「回避して、あのヒレに食らいつけ!」


 ――グオオオオオオオ!


 了解を示すような竜たちの咆哮。

 十の目が赤い光を水中へ広げながら、怪魚の口が開く。


 来る!


 アディンたちは怪魚の進路上から際どいタイミングで退避。


 よし、絶好の間合い!


 竜たちが一斉に、後方まで伸びる魚の長ヒレに噛みつこうとする。

 が、まるで水が壁のように押し寄せて、こっちの接近を阻んだ。

 ヤツが引き連れている水流だ。


 空の上とは違う、質量を持った風に吹き散らされるように、僕らは水中できりもみ状態となる。

 ダメだ、近づくことすらできない!


 水で冷やされた僕の背中を、強い焦燥が炙りだした。

 あの愛玩竜のときよりもはるかに深刻な事態。

 水中での戦いをナメすぎていた。


 こんなとき、あのシャチ聖獣ならうまく反撃できたというのか!?

 いや、絶対ないね! 大方、波に飲まれて遊んでるだけだ! 天界がよこした聖獣なんて絶対信用しねえ! アディンたちの方が百倍強い!


 けれど、有効な対策が撃てないまま、僕らは三度目の襲撃を受ける。

 ヤツの動きが単調なおかげで回避はできるものの、反撃は不可能。体力勝負ならサベージブラックも相当なものだろうけど、僕とパスティスはいずれポロッと落ちる。


 竜のファイヤーブレスは、水中では射程距離も威力もほとんど出なかった。

 魚にしがみついて、直接浴びせかけるなら効果はあるだろうけど、あれと正面からぶつかり合えば、いくらサベージブラックでも無事では済まないだろう。

 雪豹に続いて、ハードな戦い。


 どうする。この状況。


地球の海にもバハムートいないかなあ!!


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― 新着の感想 ―
[一言] いやあ流石に水中戦1回目くらいは本来の聖獣が力を発揮する場面でしょう……
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