第四十六話 グランド・ホライゾン
薄暗いこの土地にあって、その少女はさらに黒いベールをかぶっているかのように、かすれて見えた。
髪はミディアムボブ。幸薄い眼差しは、くすんだスカイブルーの色をしている。
年齢は、僕やパスティスとほぼ同じくらいだろう。あくまで外見の話だけど。
服装は、肩ひものないトップスとスカート。いわゆるビスチェドレスというヤツだけど、他の二つの里の服装の、ちょうど中間とも言える。
布製の手甲と脚絆で守られた手足は細く、ふくよかで柔らかそうだったメディーナたちや、ほっそりとしてしなやかなマギアたちと比較すると、ひたすら儚さが先立つ。
そしてその印象は、彼女たちの胸元にもあった。
本人曰く、微乳。
うちでいうとパスティスがそれにあたるだろうか。
ちゃんとある、と胸を張ることもできず、ないのはステータスだ! と開き直ることもできない、そんなあやふやな状態が、彼女たちの存在自体を、不安定なものにしている。
他の里が再起に向けて活気づいていたのに対し、周囲の荒れ果てた様子と、薄幸そうな面差しが、この場のうらさびしさをより助長していた。
「申し遅れました女神様。わたし、ミリオといいます……。この里、いえ、この場所で、長のようなことをしております……」
《ミリオを言い表すなら、薄暮。この森を白くかすませる狭霧こそが、彼女だった。風に揺らめき、音に震え、気がつけば消えているような淡い幻。なんか胸もあるのかないのかわからないし、これではどの里にもいられないというのも無理はないんじゃない?》
最後までちゃんと言ってくれよ主人公。
だけど、まあ、霧のような女の子だというのは概ね同意。
うちのリーンフィリア様とパスティスも、幸薄そうな属性の持ち主ではあるけれど、ミリオはそれに輪をかけて悲愴な空気を纏っていた。
「あの、捨てられたというのは……?」
僕が慎重にたずねると、ミリオは周囲に目配せをした。
鳥の巣のように入り組んだ枝の隙間から、次々にエルフたちが姿を現す。みな一様に、表情に翳りのある少女たちばかり。
僕はそこに、果実の里のように手足の長い高身長な者から、まな板の里のように小柄な者まで、胸の大きさをのぞいて様々な外見の人々が揃っていることに気づいた。
二つの里は、どちらも似たような体格のエルフばっかりだったのに、どうしてここだけそれが混ざっているんだ?
「ここは里ではありません。二つの里から微乳の者が出た場合、捨てられる場所なのです。ここには、巨乳の里の生まれもいれば、貧乳の里の生まれもいます。十分に膨らまなかった者、少しでも膨らんでしまった者……。みな、それを理由に里を追放され、ここでひっそり暮らしています」
あ、あ、アホかあああああああああああああああ!!
そんな理由で同胞を捨てるんじゃねええええええええええ!
「仕方のないことなんです……。胸の大きさは、エルフたちにとってはるか昔から続く、根深い問題ですから……」
頼む! こんな話でマジに落ち込まないでくれ!
自分が何のために世界を回っているのかわからなくなる!
「女神様」
ミリオが呼びかけ、儚く微笑む。
「はっ、はいい……」
すでにハートがバラバラに引き裂かれているリーンフィリア様は、怯えるように応じた。もはや例の奇声を上げる力も残ってはいない。
しかしそれを訝ることもなく、ミリオは恭しく頭を下げた。
「こんな場所まで見に来てくださって、ありがとうございました。ここは、あなた様の役に立つようなものもなく、力になれる者もいない、見捨てられた土地です。わたしたちには何の価値もありません。どうか、他の二つの里へとお向かいください。わたしたちのことは、忘れてください……」
「…………!!」
そう言うと、ミリオたちはうつむき加減のまま、絡み合った細枝の中へと消えていった。
呼び止めることもできなかった寂しげな背中が、いつまでも目の内側に残っていた。
「一旦、天界に戻ろう。これからどうするかは、そこで考える」
僕の呼びかけに反対する声はなく、全員揃ってこの侘びしい土地を後にする。
けれどこのときすでに……運命は決していたんだ。
それが、僕らの目にもはっきりと見えるようになったのは、天界での、翌朝のこと。
「きっ、騎士! 騎士いいいい!」
広場の石柱に背中を預け、あぐらを掻いていた僕のところに、アンシェルが血相を変えて駆け込んできた。
「リーンフィリア様が! リーンフィリア様がいないの!」
「何だって!?」
「今朝、起こす前に一時間くらい寝顔を見ておこうと思って部屋に入ったら、もぬけの殻で……」
色々言いたいことはあるけど、考えてみれば通常運転なのでそれはスルー。
リーンフィリア様がいないなんて初めての事態だ。
思えば、昨日、天界に戻るときも、思い詰めた顔をしていた。一日中アレだったからそっとしておいたけど、あのとき何かの限界を超えていたのか?
――その後、彼女の姿を見た者はいない――
あのクソふざけた主人公の台詞が、悪寒と共に蘇った。
まさか、嘘だろ。
そのとき、アディンたちをつれて、パスティスが神殿母屋から出てくる。彼女は僕らのただならぬ雰囲気をすぐに察知し、
「二人とも、どう、したの……?」
「リーンフィリア様がいないらしい。どこかで見かけなかった?」
パスティスは首を横に振った。
「みんな、は、何か知らない?」
彼女がアディンたちに聞く。すると、末子のトリアが何やらのどを鳴らし出した。尻尾を介してそれを読み取ったパスティスが、慌てて僕たちに伝える。
「昨日の、夜……。地上に、降りたって……」
「そんな!? お一人で!?」
アンシェルが悲鳴を上げた。
リーンフィリア様がこっそり地上に降りるのは、今回が初めてじゃない。〈ヴァン平原〉でもやっていた。でもそれは、地上での一夜分。
今回は朝になっても戻ってきていない。天界での一夜は、地上の十数日に相当する。とても長い時間、一人でいることになる。
「一体、どこに降りたんだ……!?」
巨乳の里か? 貧乳の里か? まさか、バトルフィールドってことはないだろうけど……!
僕はワラにもすがる思いで〈オルター・ボード〉を見た。
そこには、
「あっ、リーンフィリア様のアイコンがある! これは……!?」
ボードが示す先は、ミリオたちがいる微乳の者たちの遺棄場だった。
僕らは慌てて地上へ降下。現場へ急行した。
※
「ミリオ、ミリオ!」
僕は、霧の中に沈み込む、枝の迷路にむかって呼びかける。
しわぶき一つ聞こえてこないこの土地は、まるで森の中の墓地のような気配すら放っていた。
やがて、
「はい……? どなたでしょう。あ、騎士様……?」
眠たげな目をこすりながら、ミリオが霧の中から出てきた。
僕は事情を話して、〈オルター・ボード〉に映るリーンフィリア様の現在地を彼女に見せた。
「これは……!」
半覚醒状態だったミリオの表情が一気に曇る。
「女神様がいらっしゃるのは、〈バベルの牢獄〉と呼ばれる広大な迷宮です……! 複雑に枝が絡み合う構造な上に、とても硬いため、一度奥へと迷い込んでしまったら、エルフでも命を落としかねません……!」
「きっ、騎士騎士騎士いいいいいい!? あじゃらクピッコロケムーチョピヨピヨ……」
「壊れるな天使! とにかく、現場に行こう! ミリオ、その場所まで案内して!」
「は、はい」
僕らはミリオに先導され、入り組んだこの遺棄所よりも、さらに奥地へと進んだ。気がつけば、他の微乳エルフたちも心配してついてきてくれている。
もはや道と呼べるものなんてない、細く頼りない枝にへばりついて、虫のように移動する。こんなところに、あのリーンフィリア様が本当に来たのか疑わしくなってくる。
「もうすぐそこです。そこの大きな木を曲がったら――えっ!?」
急ぎ足だった先頭のミリオが、突然立ち止まった。
続けてそこに立った僕らは、見た。
そこは。
〈ディープミストの森〉にあって、一層薄暗いこの一帯に、空の光が何に遮られることもなく、そのまま降り注いでいた。
エルフすら取り殺す巨大な迷宮などどこにもない。
ただただ霧の奥まで伸びた、あまりにも広大な木の広場だけがある。
そこにぽつんと立つ、小さな背中。
鮮やかな緑の髪が、陽光の中で光の粒を宿し、きらきらと輝いていた。
足下には無数の小さなスコップ。いずれもぼろぼろで、朽ち果てたまま、墓標のように地面に突き刺さっている。
リーンフィリア様……? いや、何かがいつもと違う……?
僕は気づく。
彼女が右手に握っている、グラディウスのような幅広の剣。あれは何だ?
いくつもの赤いシミが浮いた布で、手と剣は結ばれている。
まるで、決して離すことがないよう、自ら戒めたみたいに……。
「い、いや、剣じゃない。あれはっ……」
スコップだ!!
柄の長いスコップではなく、小型の形状のまま、大きくなったスコップ!
霧がうっすらと動く。その先には、木目のある見慣れた立方体が、山のように積まれていた。あれは木のブロックだ。
それを見て、僕はある結論に達する。
「まさかッ……! 整地……したのか!?」
間違いない。リーンフィリア様は、ここにあった〈バベルの迷宮〉をすべて平らにしたんだ。
天界での一夜分をかけて。
けれど、リーンフィリア様は〈バベルの樹〉を掘ることができなかったはず。
だったら、あれは。あの大きなスコップは……!
「し、進化……したんだ……!」
これまでのスコップでは、〈バベルの樹〉を掘ることができなかった。女神様の足下に突き刺さった、あのスコップたちの残骸がそれを物語っている。
しかし、この整地作業の中で、女神様はスコップを進化させたんだ。
このエリアで必要な、〈バベルの樹〉すら切り裂ける、フェーズ2に!!
その名も尊き〈偉大なるタイラニー〉!
「リーンフィリア様っ!」
呆然と立ち尽くすこと数秒。最初に金縛りから解放されたのはアンシェルだった。
天使の少女が短い手足を振り回してリーンフィリア様に向かっていくと、残った僕たちも引っ張られるみたいに続く。
「アンシェル……? 騎士様、パスティスに、他の人も……」
リーンフィリア様は振り向き、今初めて僕らに気づいたように、目を丸くした。
そして、まるで美しい花が折れるように、ゆっくりと倒れた。
「リーンフィリア様ぁ!」
アンシェルが慌ててそれを抱き留める。
「みなさん、見てください」
リーンフィリア様は、ぼんやりとした眼差しのまま、スコップを握った血塗れの手を天に向けた。
「ここに平らな土地があります。降り注ぐ日の光があります。ここであなたたちは里を始められる」
「まさか、わたしたちのために……?」
ミリオが声を震わせる。
「あなたたちは捨てられてなんかいません。あなたたちに、価値がないなんてことはありません」
ああ……。と、深い溜息が微乳エルフたちから漏れた。
光に包まれ、天使に抱かれ、女神様は歌うように言う。
「生き物はみな同じ、平らな土地に立っているのです。上も下もない平等な場所に。誰もそれを覆すことはできません。あなたたちも、他のエルフたちも同じ。みな等しくこの世界で生きてゆくのです。世界は平らに。命は平らに……。わたしが、それを守ります……」
彼女の言葉が、降り注ぐ陽光のように僕らに染み込む。
穏やかな沈黙。
そして、
「たいら……に……」
不意に、エルフの誰かが、女神様の言葉をつぶやいた。
「たいらに。たいらに……!」
つぶやきは声を呼び、声と声は重なり合い、
「たいらに! たいらに!!」
大きな叫びとなって、
タイラニー。タイラニー……!!
祈りの言葉を生んだ。
エルフたちは跪き、涙を流しながら、倒れた女神様へと祈りを捧げる。
うずくまって、号泣する者もいた。声にならない声を上げるものもいた。
捨てられた者たちだった。助け合う心をくじかれ、自分の価値さえ見失った人々だった。けれどそんな彼女たちを見放さない者が、ここにいた。
タイラニー。タイラニー。
歓喜と言葉が、光となってリーンフィリア様に降り注ぐ。
クッソ、何だよこれ……!
笑えばいいのか、泣けばいいのか、ツッコめばいいのか、全然わからねえよ……!
気がつけば僕も、タイラニータイラニーと連呼していた。
言葉なんてどうでもいい。
この偉業を、この慈悲を、この慈愛を、讃えない者がどこにいるんだ。
彼女はやった。やり遂げた。
神に生まれついたから神なのではない。
人々を絶望から救い、導き、そして光という名の偶像になるのだ。
もはや、神々の世界がなんと言おうと、彼女の存在は揺らぐまい。
この日、この時、この場所で。
彼女は正しく、女神となった。
狂 信 不 可 避




