第四十話 ホワイトアウト
「ええ。〈ディープミストの森〉は、〈バベルの樹〉という巨大樹同士が絡み合ってできた、大陸規模の超巨大森林地帯よ。生物はみんな木の上で暮らしていて、地上に降りることはないわ。え? なぜって? 下は闇の世界だからよ。それに〈バベルの樹〉の根元はものすごく滑りやすくて、枝から落ちたら二度と登れないから、あんたたちも十分に気をつけてよね」
以上、オペレーターのアンシェルからの通信。
すごい、世界だな。なんていうか……。
どファンタジーって感じだ。しかも、メルヘンというよりは、若干ダーク系の。
そんな幻想に思いを馳せながら、僕は木の枝にしがみつき、パスティスにも手を借りて、〈ヘルメスの翼〉の効果が切れるのを待つ。
今回も天界のプランは健在。
ただ、常時随行することが想定されていないのか、パスティスの分の魔法は用意されていなかった。
《上の世界は白霧に呑まれ、下の世界は暗闇に包まれている。ここには確かなものなど何もなく、すべてが狭霧にかすむ幻のように生まれ、消えていくのだろう。私には、ただ女神の加護と、冷たく硬いアンサラーの感触だけがあった……》
僕の現状とは異なり、〈ヘルメスの翼〉で霧の中をぶっ飛ばしているであろう主人公のナレーションが聞こえてくる。
いい台詞だ。やはり美声が朗読してくれると違う。きっと、焼きそばの作り方を読み上げるだけでも、重厚な詩歌に聞こえてしまうのだろう。いいなあ、美声の持ち主は。
《私の戦いもこれまでか……》
はやい! もうやられたのか!?
主人公がショボいのか、難易度が高すぎるのか……。
《女神よ、もう一度、私に戦う力を!》
即座のコンテニュー乙。
折れない心、いいぞ。
世の中は失敗に不寛容だけど、ゲームではいくら失敗しても損はないのだ。
そのタイミングで、ちょうど〈ヘルメスの翼〉の推力が尽きた。彼の犠牲を無駄にしないためにも、用心しながら枝の道を進もう。
霧のせいで視界はせいぜい数メートル。
それに加え、幾重にも交差する枝葉のせいで、まっすぐ進むこともままならない。
おいィ? どうしろっていうんだ、これ。一部がこうならまだしも、全景これじゃ探索のしようもないぞ。これ以降の町作りだって不可能だ。
「変ね。いくらなんでも、ここまで前が見えないところじゃなかったと思うんだけど」
天界にいるアンシェルも首を傾げている様子。
「敵の仕業?」
「十分に考えられるわ。だとすると、敵はこの霧を利用して――」
アンシェルの話が結論に達する前に、かさり、と霧の奥の葉が鳴った。
「――!!」
音は二つに分かれ、次第に大きくなっていく。
クソッ、何だ、何だ!? 前から聞こえてくるようでもあり、後ろからのような気もする。音が回ってる。どう対処すればいいんだ!?
僕はアンサラーを構え、
「パスティス、気をつけ――」
仲間に注意を促そうとした。瞬間。
眼前の霧に黒いシミができたと思ったら、そこから何者かが飛び出してきた。
見えたのは赤く光る針のように細い目と、大きな牙。その顔を醜悪だと理性が判定するよりも早く、視界はそいつがめいっぱい広げた口腔で埋め尽くされていた。
ヒュッという風切り音は、決着の後に聞こえた気がした。
のどと脳幹を串刺しにされ、生命の脈動を一瞬で断たれたそいつは、まるで石像のように僕の眼前で硬直する。
死体がぐいっと引っ張られて僕の頭上を通過し、枝の道に叩きつけられた。
その口から引き抜かれ、血振りをする刀のように一度大きく払われたのは、パスティスの黒い尻尾だ。
「騎士様、大丈、夫……?」
心配そうに僕を見つめてくる健気さとは裏腹に、彼女がやってのけたのは、冷酷で完璧な一撃必殺だった。
「あ、ありがとう。よく、反応できたね……」
「うん。……赤いのが、見えたから……」
「赤? あの目のこと?――」
僕が聞こうとしたとき、パスティスの右側から別の黒い影が霧を突き破って飛びかかってきた。
警告をする間もなかった。
パスティスは僕を見つめたまま。
尻尾だけが別の生き物のように動き、黒い影の腕を絡み取ると、足下に叩きつける。
鳥が捕まえた芋虫を弱らせるように、すごい勢いで、三度。
抵抗が弱まったところで解放し、それで終わりかと思ったら、尖った尻尾の先端を容赦なく影の胴体へと突き立てる。
ギエエエエ……。
影は断末魔の痙攣を見せ、それきり動かなくなった。
パスティスはそこまでやってからようやく振り返り、影を指さして、
「生き物とか、温かいものが、赤く見えること、あるから。わかった……」
「そ、そうなんだ。すごいね……」
なんかノールックでぶっ殺してましたけど、パスティスが何も言ってこないので、僕もコメントしない方がいいんですかね……?
それにしても、生き物が赤く見えるだって?
この霧をものともせず?
まさか体温を見てる……?
「多分、右目でそう見えてるんだと、思う……。だ、だめ……かな……?」
僕がぽかんとしているせいだろう。上目遣いになって、恐る恐る聞いてくる。
「い、いや! ダメじゃないよ、全然いい! それ、すごい便利だよ! もっと誇ってほら! すごいよパスティス、君は!」
「そう、かな……? あり、がとう。騎士様……」
パスティスは赤らんだ頬をおさえて、うつむいた。
金色の右目。パスティスは、そこで相手の体温を見ているらしい。
体温をサーチする動物いえばヘビが真っ先に思いつく。
爬虫類という意味で、竜とは近い生物に思える。
サベージブラックの頭部は角と一体化してて、目にあたる部分がよくわからないから、何か別の器官を持ってるんじゃないかと思ったけど、これがそうなのかもしれない。あるいは、金色の瞳の持ち主の機能なのか。
何にせよ、パスティスがこの濃霧戦において、普段とまったく変わらず動けることがわかってしまった。
これは頼りにせざるを得ない。
さっきの襲撃で、僕はほとんど反応ができなかったのだ。
襲ってきた、あの怪物に……てか、どんなヤツが襲ってきたんだ?
僕は枝の道の上で絶命している二匹の怪物を見やる。
全身がほぼ頭部なのではないか、という不可思議な生物だった。
灰色の体毛に覆われており、口の大きさは体の半分に当たる。目は細く釣り上がって、僕の知るどんな動物とも似ていない。妖怪図鑑の中から探した方がよさそうな異形だ。
手足にある爪は小さく、攻撃の主体は巨大な牙なのだろう。
鎧を着ている僕ならまだしも、パスティスが噛みつかれたら明らかにヤバい。
こんな連中がこの森に潜んでいるのか……。
「ニクギリと呼ばれる原生種ね。本来は群れで行動しているから、襲われると極めて危険よ。この二匹が何で別行動を取っているかはわからないけど」
アンシェルが説明してくれた。
「原生種ってことは、悪魔の兵器じゃない?」
「ええ。違うわ。ここにあった文明が崩壊したから、一気に勢力図を伸ばしたみたいね」
住処を広げたということは、密集度が落ちた可能性もある。今の話から救いを見つけるとしたら、それくらいか……。
「とにかく進もうか。アンシェル、悪いんだけど、目的地までナビをお願いできるかな。今回は寄り道してる余裕がないや」
「言わんこっちゃないと言いたいところだけど、あのまま〈ヘルメスの翼〉で飛んでいったらパスティスを置き去りにしちゃうし、ニクギリによってたかってボコられてたかもしれないしね。わかったわ。慎重に進んで」
「騎士様は、わたしが……守るね……」
そう言って、パスティスが僕の背中にくっついた。
大変情けないが、それが正解のようだった。
まだステージ序盤だしツジクロー無能とか言ってはいけない(戒め)




