第三十八話 さよならタイラニー教徒
タイラニー。ああ、タイラニー。タイラニーィー。タイラニー。イーイー。イーアー。
知らないうちにできていた賛美歌が響く中、町ではお祭りが開かれていた。
色々言い回しはあるだろうけど、ストレートに言うならば、祝!〈ヴァン平原〉完全制覇! のお祭りだ。
タイラニー・ウォールの前に備えられた祭壇に、僕たちの席が用意され、並べられたテーブルには所狭しと料理が置かれている。
日は没したというのに、人々のテンションは青天井に上がるばかり。
でも、その気持ちはわかる。
あの大蜘蛛および、ヤツが吐き出していた怪物を処理することで、〈ヴァン平原〉は完全に人間たちの手に取り戻された。
これからも苦難の日々は続くだろうが、それは自然や日々の営みの中で起こるできごとであり、異形のバケモノに襲われることはもうないのだ。……多分だけど。
《人々は踊り、歌い、大いなる歓喜を全身で表現しようとしている。ようやくこの地に安息が訪れた。私も女神も、今宵は戦いを忘れ、ただ静かに、彼らのリズムに身を任せることにする……》
「みなさん、たいらにー」
『タイラニー!』
「たいらにー」
『タイラニー!』
少なくとも女神様は静かにしてないよ主人公。
リーンフィリア様が酔っ払った町人たちとライヴを始める中、飲食のできない僕は、ただ祭壇の椅子に座って、祭の様子を眺めていた。
ハブられているわけじゃない。
さっきまで、町の子供たちに、〈ヴァン平原〉での戦いの日々について長々と語っていたところだ。ええと、多分、二十回くらい。
さっき初めてお酒を飲んだパスティスは、あっという間に酔っ払って、僕の肩に体を預けて寝てしまっている。
「竜たちが使った魔法がわかったわ」
祭開始時からひたすら酒をあおりまくっていたアンシェルが、あきれ果てた様子で僕に言ってきた。
「何だったの?」
「〈ライトアロー〉という魔法」
「強力なヤツ?」
アンシェルは肩をすくめた。
「初歩の初歩よ。威力はせいぜいアンサラーの弾と同じくらい」
「初歩? あの威力で?」
大蜘蛛ゴーレムの胴体を撃ち抜き、平原に巨大な穴を穿ったあの閃光。
正直、衛星レーザーか何かかと思ったゾ……。
アンシェルは町人からお酒をたしてもらうと、椅子の手すりに腰掛け、ヤケクソ気味にぐいっと杯を干した。
「推測だけど……魔法の詠唱を混ぜ合わせたのね。天使や人間のやり方じゃない。竜の発想よ。息のあった兄弟だからできる、最悪のコンビネーション。三位一体とでも言うの? 天使の魔法があそこまで凶暴化するなんて、誰も知らなかったわよ……」
確かに、あのときアディンたちの鳴き声が一つになってたみたいだけど……。おいおい、そんなすごいことまでできるのか。
それに三位一体だと? これはカッコイイ技名をつけてやらねばなるまい!
三位一体だから、トリニティ……。
えーと、トリニティー、
《ふかしイモ》
てめえは黙ってろ! いいところで割り込むんじゃないよ! イモが食いたければそこのテーブルから勝手に探せよ食えるもんならな!
ああくそ、ここで考えてても主人公に邪魔される。
とりあえず、トリニティエコーにしとこう! うん、決まり!
「あの魔法のおかげで町を救えたんだよね」
僕はタイラニー・ウォールの横で丸くなっているアディンたちを見る。
その周囲には、町人たちから振る舞われた大量の料理の皿が置かれていて、すべてが空にされていた。
その姿に最初こそ驚いていた町民だけど、町を救った一番の功労者だと知ると、たちまちタイラニータイラニー言われ始め、勝手にタイラニードラゴンとかいう種族名までつけられて崇拝されていた。
「正直、天界があれをどう判断するかは未知数よ。アディンたちに対してもまだ反応がないし……」
「何が来ても戦うさ。闘犬は逃げない」
たいらにー。たいらにー。たいらにー……。
遠い祭囃子のように聞こえる、冷静に考えればひどく変なかけ声を耳に染み込ませながら、僕は夜空を見上げる。何かをやり遂げ、満足したような、寂しいような、そんな気持ちになる。
アンシェルが決まりが悪そうに言った。
「決戦が終わったばっかで悪いけど、天界は早々に次の土地を目指すよう言ってきたわ」
「わかった。そうするよ」
「へ……? 今、あんた何て言った? 知るかこのヤロウ俺様は無敵だって言ったの?」
「言わないよ誰だよそいつ!? 次の土地に向かうって言ったんだよ」
彼女はぽかんとして、
「あんたが天界の言うことを素直に聞くなんて……。け、結構あっさりしてんのね。もっと愛着あるかと思ったわ」
「あるよ。城作る変人とか、壁を崇拝する変人とか、キメラ娘に熱狂する変人とか、とにかく濃い人たちが多かったからね。一生忘れられない。でも行かないと。天界に言われたからじゃない。最後の戦いでわかったんだ」
「何が?」
「蜘蛛の中に、あの帝国騎士がいた。ちょっとだけ戦って……わからされた。僕は今のままだとあいつに勝てない。というか戦いにすらならない。筋力や、技術や、経験じゃない。もっと根本的な戦力差があいつとある。その差は〈祝福の残り香〉だけじゃ埋まらない気がするんだ」
僕は、ヤツの攻撃をカルバリアスで受けた右腕を掴む。
あの重さ。忘れようにも忘れられない。叩きつけるような、何か。
あれは、今の僕にはない。
「力がいる。それを探すためにも、新しい土地へ行きたいんだ。この町は確かにいいところだけど、ゴールじゃない。最初の一歩だ。先へ進むには、まず足を持ち上げないとね。だから、〈ヴァン平原〉とはお別れだ」
「へえ……。あんたはそういう割り切り方ができるんだ」
どこかしんみり言った天使に、僕は一言。
「もしかして寂しいの?」
「ば、ばか言わないでよ。地上のことなんて大して興味ないわ。わたしにとってはリーンフィリア様がすべてよ」
空々しいとぼけ方だったけど、僕はツッコミを入れるよりも、彼女の告げた名前の方が気になってしまった。
「……リーンフィリア様か……」
思わずため息をもらす。僕らには共通の問題が一つ、あった。
「ねえ、アンシェル。どうやってリーンフィリア様をこの町から引き離そうか?」
アンシェルも吐息をもらし、
「夜のうちにたっぷり飲ませて、泥酔しているうちに天界に引き上げましょう。じゃなきゃ、この世の終わりみたいに泣き叫んで、とてもじゃないけどわたし、耐えられる自信ないわ……」
「うん、僕もだ……」
「でも憔悴しきったあの方を優しく慰め、甘やかし尽くす誘惑もこらえがたいの!」
「そういえば君はそういうヤツだったね」
たいらにー。たいらにー。たいらにー……。
楽しそうにはしゃぐ女神様の背中が、何だかひどく儚い幻のように見えた。
※
夜明け。
「スコピー」
と、夜通し騒いだリーンフィリア様が盛大に寝てくれている間に、僕らは天界に戻ることにした。
「えっ、この土地を離れられるのですか? ずっとここを守ってくれるとばかり……」
徹夜に耐えられた選ばれし町人たちが、僕らの前に集まっている。
「世界は以前のここと同じく荒廃しています。それらをすべて元通りにしなきゃいけません」
「もう怪物は現れないから、あとは自分たちの力でしっかりやるのよ」
僕とアンシェルが言うと、町人たちは引き締まった顔でうなずいた。
「みんな、ありが、とう。わたしも頑張るから、みんなも頑張って、ね……」
「パスティス様も、いつでもこの町に帰ってきてくださいね」
「俺たちはいつでも待ってますぜ」
町の大人たちと別れの言葉を交わすパスティス。すると、むこうから小さな影が駆けてくるのが見えた。
十歳くらいの少年だ。
子供たちはまだ眠っていたはずだけど。
彼は息を切らしながらパスティスに駆け寄ると、怒ったような、泣き出しそうな顔で、
「パスティス、どっか行っちゃうって本当かよ!」
「うん。女神様たちと、違う土地に行くの。そこでも、ここと同じくらい、困っている人がいる、から」
パスティスは理由を告げる。
引き留めようがない、まっとうな理由だった。
でも彼はまだ子供だ。ワガママを言ってもよかった。なのに。
「わかったよ。誰かが助けてやらないとダメだもんな」
目に涙をめいっぱいためて、それでも気丈にそう言った。きっと、引き留めたら、パスティスが困ってしまうのがわかっているから。
「みんなには俺が説明しとくから、早く行けよ。それで、早く帰ってきてくれよ」
「うん。……ありがとうね」
パスティスが少年の頭を撫でる。
その拍子に、たまりにたまった涙がこぼれる。朝日を浴びて、それらは輝きながら彼のあごへと落ちていく。
少年はうつむかなかった。
目を真っ赤にしながら、嗚咽がこぼれそうになる口を、一生懸命笑みの形にして、パスティスに向けていた。
彼はきっと、将来、とても立派な男になるだろう。
そして僕はきっと、そうなった彼に敬意を払うだろう。
「ありがとう女神様、さようならあ」
「今度会うときには、立派なお城を造っておきますからあ」
「もしキメラの娘さんを見つけたらうちで保護しますよう」
タイラニー。タイラニー。タイラニー……。
曙光を浴び、ゆっくりと天界に昇っていく僕らの下方で、彼らはいつまでも手を振り続けた。
「スコピー」
女神様は幸せそうに寝ている。
きっと、いい夢を見ていることだろう。
《さらばだ。〈ヴァン平原〉の人々よ》
また会おうね。
主人公《この先の戦いは製品版で確かめてくれ!》
ツジクロー「普通に続くからやめろや!」




