第三十二話 巣作りブラックドラゴン
結論から言うと、迷子の子供たちは、サベージブラックの住処へは向かったものの、途中で引き返し、天使たちが守るあの有料採取場を見に行ったらしい。
帰る途中で一人がケガをし、動けなくなっていたところを、たまたま通りかかったあの天使たちに全財産(その場でジャンプさせられ、確認された)と引き換えに、助けてもらったそうだ。
僕らが町に戻ったとき、彼らはすでに帰還を果たし、大人たちからこっぴどく叱られている最中だった。
連絡係のアンシェルが泡を吹いて倒れていたため、その情報は僕らに届かなかったようだ。
彼らの好奇心は猫も殺すものだけど、まずは、みんな無事だったことを喜びたい。それに、今回の一件がまったく無駄骨だったとは思わない。
竜の卵が手に入った。
それに、これは僕の勘だけど、本来主人公は、あのサベージブラックと戦う予定だったんじゃないだろうか。そして、あの弱っていた竜を倒し、卵を破壊か、放置していた――何となくだけど、そんな気がする。
卵を大事そうに抱えたパスティスを見て、僕は、そうならなくてよかったと心から思った。
※
天界。塵神の神殿。広場にて。
「クコッ……ピ……パオパオ……」
「ねえ、アンシェル。最近君から、変な音が聞こえるんだけど」
「言葉にならない不安におののいてるのよこのアホ騎士!」
僕の目の前を熊のように行ったり来たりしていたアンシェルが、八重歯を剥いて僕にがなりつけてきた。
かと思えば、頭を抱えてしゃがみ込む。
「ああっ。サベージブラックの卵を育ててるなんて神々に知られたら、一体どんなお叱りを受けるか……」
「しらばっくれれば? もしここで育てるのがダメだっていうなら、地上に降りてそうするけど」
「そういう問題じゃないわよ。女神の騎士と従者が、そういうことをしてるってのがダメなの! 危険な竜なのよ、あれは!」
カッと目を見開くアンシェルを、リーンフィリア様がなだめる。
「ま、まあまあアンシェル。危険な竜とはいえ命は命。天界から多少のお咎めがあったとしても、わたしなら我慢できますから……」
「…………。じゃあ、一ヶ月間スコップにふれるの禁止とかにされても大丈夫ですか?」
ぱたっ。
「ああ! 何てことを言うんだアンシェル! リーンフィリア様が気絶したぞ!」
「ごっ、ごめんなさい、つい意地悪を……! 大丈夫です、リーンフィリア様! 大丈夫ですから!」
コーン…………。
澄んだ高音が、神殿の広場に鳴り響いた。
「ああっ、こんなときにごはんの時間だわ。パスティスに持っていってあげないと……」
「アンシェルはそっちを頼む。ここは僕に任せて。ほーら女神様ー。使い慣れたスコップですよー」
カッ。
早い! もう復活したのか!
その後、アンシェルの作った食事を持って、僕らは神殿の一室へと向かうことに。
「パスティス、入るわよー」
アンシェルが呼びかけ、両手のふさがっている彼女の代わりに僕が扉を開ける。
部屋はパスティスと卵のための巣になっていた。
と言っても、石造りの部屋の一角に毛布をこんもり敷き詰めているだけだけど。
「あ、騎士様、女神様も……」
パスティスが起きあがろうとしたので、僕とリーンフィリア様は揃って「そのままで」と、手のひらを向けた。
彼女は竜がうずくまるみたいに、体を丸めて横になっている。
卵はその真ん前にあり、鱗を開いた尻尾によって優しく巻かれていた。
「パスティス、ご飯よ。それに退屈でしょ。後で新しい本持ってきてあげるわ」
「あり、がとう。でも、退屈じゃ、ないよ。卵、見てるから……」
「それが退屈だっていうのよ……」
「ううん。見て、たいの。楽しいから……」
そう言って、わずかに顔を赤らめて微笑むパスティスは……。
な、なんつうんだろうね……。
しっとり感があるというか。変な色気があるというか……。
この年頃の少女は、本来なら持っていないような。
何でしょうか、これは……。
「ア、アンシェル。この卵、どれくらいで孵るの?」
僕はよくわからない感情を断ち切って質問する。天界に戻ってきてまだ二日だけど、卵というのは見た目が全然変化しないので、孵化の時期がさっぱりわからない。
「どうかしら。竜の卵は二ヶ月くらいで孵るはずだけど」
「いつ生まれた卵かわかりませんからね……」
リーンフィリア様も思案顔だ。
「あのさアンシェル。僕思うんだけど」
「な、何よ」
「確か、僕が地上のバトルフィールドにいるとき、アンシェルは自分の時間の流れを地上に合わせてくれてるよね?」
「…………そ、そうね……」
アンシェルの目線が泳ぎ始め、部屋から流れ出て行く。
「そのやり方でやったら、この卵すぐに孵るんじゃない?」
「クペッ……」
天使の少女は変な音を発し、部屋から逃げ出そうとした。僕は天使の羽をわっしと捕まえ、
「おっとお!? 逃げるということはそういうことだよねアンシェル! それやろうか、すぐやろうか!」
「は、離しなさいよ! 焦る必要ないじゃない! ゆっくり孵るのを見守ればいいんだわ!」
「パスティスだってずっと部屋に閉じこもってたら大変だよ? 町の人とも会えないし! あー、寂しいだろうなあ、つらいだろうなあ! そうだ、卵を孵すいい方法があるぞー!?」
「このアホ騎士! サベージブラックの子供なのよ!? 孵化したら一体どうなるかわかったもんじゃ……」
「…………」
叫んだアンシェルは、パスティスがじっと見ていることに気づき、慌てて、
「ち、違うわ。そうじゃないの。別に、その卵が孵らない方がいいって言ってるわけじゃないわ。だから、そのっ……あ、あああ、もうわかったわよ。やるわよ!」
こうして、僕の意見が採用され、卵の時間だけを早めることになった。
パスティスはもっと卵を抱いていたそうだったけど、正直、彼女と卵のことが気がかりで、このままじゃ町作りの方が手に着かないのだ。許されたし。
「じゃ、卵の時間だけ地上に合わせるわよ」
「タイム風呂敷みたいな魔法だね」
「何よそれ。言っておくけど、これはデリケートな魔法だから、ちょっとしたことですぐ切れるからね。パスティスもあんまり動かないでね」
アンシェルが手をかざすと、卵の上に光の輪が生まれた。
その中心から伸びた二本の棒が、時計の長針と短針にそっくりだ。一目で時間にまつわる魔法だとわかる。
針がものすごい速さで回り始めた。
地上の時間を表しているのだろうか?
「とりあえず、これで孵化は早まるわ。とは言え、一分とか一時間とかでどうこうってわけじゃないから、のんびり待ってなさい」
アンシェルはそう言って、リーンフィリア様とパスティスに、持ってきた食事を勧めた。
僕の分はない。食べないからいらない。
僕は、女神様たちのおしゃべりを聞きながら、黒い尻尾が守る卵をじっと見つめていた。
一見、何も変化がないように思える卵。でもその中では、もの凄い速度で命が形を作っているはずだ。
早く孵らないかな……。
※
それは夜のことだった。
僕らは、パスティスの部屋に泊まり込んでいた。
気分は、お産が近い馬小屋で寝泊まりする牧場の人。
パスティスの尻尾に巻かれた三つの卵が、そろって身じろぎするのを、僕は見た。
「騎士、様……!」
「うん。アンシェル、起きて! 魔法を解除して!」
僕は、ヤラしい顔でリーンフィリア様の抱き枕になっていた天使を揺り起こし、時間の魔法を解除させる。
「た、卵が動いてますよっ。生まれるんですねっ」
高揚したリーンフィリア様の声。
僕の胸も高まる。
不思議だ。こんな硬い楕円形の中から、どうして命が現れるんだろう。しかし、ともかく素敵だ! 何でか知らないけど嬉しくなる!
「確か、卵から孵って最初に見たものを親と思い込むんだっけ? だとしたら、僕らが近くで見てるのはまずいかな。パスティスの後ろに……」
「…………」
当のパスティスは、目を見開いて卵を見つめている。
息を呑んで見守る中、しいんとした室内に、カリ、という小さな亀裂音が生まれた。
内側から雛竜が卵を叩く音だ。
頑張れ。僕はいつしか拳を握っていた。
リーンフィリア様も指を組んで祈り、あんなにイヤそうだったアンシェルも両手をグーにして卵を見守っている。
カリカリと、卵の内側を引っ掻くような音が続く。
不意に、それが途絶えた。
疲れてしまったのだろうか? 不安がよぎる。
死ごもり、という言葉があるらしい。
雛が孵化の直前で卵を割れず、その中で死んでしまうことだ。
卵の殻を割るのは、その子供にとって最初の試練。それができないということは、外の世界で生きる力を持っていないという証明でもある。
手助けしたい。でも、してはいけない。彼らは自力で、生を獲得しなければいけない。
無音の時間だけがつもっていく。
頼む……!
「大丈夫、だよ。世界は、怖いところじゃない。優しい人が、いっぱいいるところだから」
パスティスが優しく語りかけた。
「だから出て、きて。あなたちは、強い、竜……」
応えた。
パリッと乾いた音がして、卵の殻に穴が空いた。
卵、三つとも。
ちらちら見える黒い何かが、穴の縁をどんどん広げて、外の世界と繋げていく。
もう少し。
あと少し。
「ニー」
生唾を呑む音にさえ消されてしまいそうな小さな声が、卵の奥からした。
そして、命が出てきた。
黒い、まだ小さな竜。
頭部には角もなくつるつるで、鱗も、皮膜の翼もなく、手足も小さい。
でも、すでに長い尻尾があり、その姿はまぎれもなくサベージブラック。
生まれた!!
生まれたああああ!!
――――――――――くうううううおおおおおおお!!
僕はすべての力を込めてガッツポーズしていた。
女神様とアンシェルも手を取り合って喜んでいる。
「おめでとう。よく、来たね。ここが、あなたたちの世界。これから、一緒に、生きて、いこうね……」
パスティスが両手を差し出すと、三匹の雛竜は、その指に這い上がって、尻尾で楽しそうにぴたぴたと叩く。
「見てる、お母さん、竜? みんな、ちゃんと、生まれたよ……」
キメラ少女の瞳から、一粒の涙が落ちた。
かみ1「あの女神はスコップを取り上げられるのが怖いらしい」
かみ2「そんな神いるわけないだろ」
かみ3「我らに無意味な罰を与えさせるのが狙いだろう」
かみ4「偽情報を流すとはこしゃくな・・・」




