第三話 腋と女神様のコレジャナイ
『リジェネシス』はアクションRPGだ。
滅んでしまった世界を復活させる、再生と創世記をかけた造語で、再世記といった意味がある。
名作シリーズの発売時期と重なったせいで、売り上げはイマイチだったそうだけど、新規タイトルとしてはなかなかのデキで、知る人ぞ知る良作と巷では言われているらしい。
アンチの存在がそれを証明している。不思議なもので、不出来なゲームにはアンチがつかない。熱狂的なファンがいて、初めてアンチが出現するのだ。
『リジェネシス』は重厚なイラストと、造形美の光るCG、多彩なシステムが魅力。
シナリオは、滅亡後の世界ということでちょっと暗め。だけど、その中で力強く光る命と希望が、世界を復活させていくテーマとよくマッチしている。
登場するキャラクターも、落ち着きがあって、多様な感情を持ち合わせた、とても趣ある造形になっている。軽いノリを求める人には硬すぎるだろうけど、世界観との相性は抜群だった。
ついでに『Ⅰ』のストーリーもざっと説明しておこう。
世界に対して帝国が侵略戦争をふっかけた。
帝国は異様なほど強く、国は次々に滅ぼされてしまう。
しかしなぜか帝国は、すべての国を滅ぼしても戦いをやめなかった。
そうして、地上は荒廃してしまった。
この惨状を嘆いた女神は、女神の騎士を地上に遣わし、平和を取り戻そうとする。
ここが『Ⅰ』のスタート地点になる。
すぐ気づいた人もいるだろうけど、どうして地上が荒廃したのか、謎だろう。だって帝国は戦争に勝ったのだから、領土を拡大して地上最大の国家が誕生したはずだ。
でもしなかった。
ここが再世記というタイトルのゆえん。
実は、主人公が戦う帝国は、世界の覇者なんかじゃなかったのだ。
帝国軍が強かったのにはワケがあって、〈契約の悪魔〉(デモンオブギアス)と「国民の命一つにつき悪魔の兵器一つを交換する」という取引をしていたからだった。
帝国は戦いに勝つために、最終的にすべての人命を兵器に変えてしまっていた。
つまり、戦争の途中で、帝国はとっくに滅んでいたのだ。後は、帝国の人々の命と引き換えに現れた悪魔の兵器のみが、延々と人を殺し続けていたのである。
こうして、人類は本格的に絶滅寸前まで追い込まれた。
けれど、女神様と主人公は、荒廃した地上を整え、人間文明を復活させ、まとめあげ、みんなの信仰を力に変えて、この悪魔の兵器群を打ち倒す。
こうして『Ⅰ』はハッピーエンドを迎えるのだ。
※
天界についた。
そこは紛れもなく『リジェネシス』で見た神殿だった。
ギリシャ建築のような、巨大な石柱と、彫刻の施された白亜の屋根からなる荘厳な神殿は、巨大で扁平な雲の上に載っており、他の建物はない。翼がない生物は生きていけない環境だ。
「お、この景色は……」
柱に囲まれた風通しのいい広間から見える光景は、ゲームにおけるホーム画面そのものだった。
ここから各モードへと移行できるんだけど、生憎、コマンド表は見えない。
まあゲームじゃないんだ。バカな考えはよそう。
さて、天界に帰ってきたのはいいけれど、これからどうすれば……。
ここでふと、ある重大なことに気づいてしまった。
この神殿には、とある女性がいる。
女神リーンフィリア様だ。
恥ずかしい話だけれど、リーンフィリアというキャラクターは、二次元における僕の初恋の人だった。
緑のストレートロングヘアに、楚々とした物腰。大らかで奥ゆかしく、心優しい神秘的な女性。もちろん、可憐で愛らしい。
そして腋。
何より腋。
神。
そうだった。思い出した。僕の価値観は、そうだった。
僕の異性を見る目は、すべてここを出発点としている。
もしゲームを買う場合、緑髪、ロングストレート、おしとやか、腋、これらの属性が最重要視される。
小学生が腋を重視するあたり、かなり業が深いと言わざるを得ないが、しかし! それほど魅力的なキャラクターだったことを僕は、価値観のすべてを懸けて宣言しなければならない。
女神リーンフィリア様は、神!
これからその女神様と会うんだ。そう思うと緊張してきた。
「…………。……。………………!」
「…………。…………」
神殿奥にある扉から声が聞こえてくる。
会話は二人分。うち、どちらか一方は間違いなくリーンフィリア様だろう。
もう一方は……まあ誰でもいいや。
扉が開く。
少女が二人、出てきた。
「ホントに大丈夫ですか? 騎士様が眠りについて五年。久しぶりに会うのに、普通に話しかけて応えてもらえますか?」
「大丈夫ですって。寝てる間に何かあったのか、あいつ、今まで〝はい〟か〝いいえ〟くらいしか返さなかったくせに、さっきは猛烈な早さでしゃべってましたから。それに、リーンフィリア様も素敵になったんですから、むしろむこうから話しかけてきますよっ」
一人は小柄な少女だった。
百三十センチくらいしかない。
動物の毛皮を思わせるライトブラウンのくせ毛は、背中にふれるほどの長さ。
瞳はうす茶色で、ツリ目がち。だけど、目が大きいのでキツい感じはあまりない。むしろ猫みたいな愛らしさがある。
レースのついた白いワンピース姿で、背中には小さな白い羽が生えていた。頭の上に輪っかがあり、これはもう天使以外の何者でもない。
話す声には聞き覚えがあり、あの戦場で聞こえていたそれとまったく同じだ。彼女が僕と話していたということなのだろう。
なるほど。ここは天界。天使がいるのはごく普通なことだ。
しかし。
もう一人に問題が。
「あっ、騎士様。お、お久しぶりです。め、め、女神リーンフィリアです」
「………………………………!!!!!!」
うそ……だろ。
僕は言葉を失った。
ケバかった。
女神様がケバくなってた!!
一筋の歪みもなかった緑のストレートヘアは何だかむしゃむしゃしており、目にはアイシャドー。唇にも紅が引いてある。
服装も服装で、以前は、そう、腋しか露出のない清楚なスタイルだったというのに、今はやたら胸元を強調した、服というより変な帯を巻いただけのような上半身。ヘソも丸出しで、ミニスカートからは太股が露わになっている。
「……………………!!」
コツ……。
凍りつく僕の心の前に、二つのボタンが置かれる。
一方には「コレ!」と書かれ、もう一方には「コレジャナイ!」と表記されている。
価値観ボタンとでも名づけようか。
スッ……。
僕は無言で手を振り上げ、力任せに一方へと拳を叩きつけた。
コレジャナイ!
さらに連打!
コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ!
合計十六コレジャナイ!(累計ポイント-16000)
続編ゲームにおいてキャラクターが続投する場合、時間経過などの都合でキャラの見た目が変わることはままある。
少し大人っぽくなっていたり、服装が豪華になっていたり、環境の違いもあって変化は十人十色だ。
しかしそんな中で、僕には許しがたい変化が一つあった。
清楚なキャラの粉砕だ。
悪党がいいヤツになっている。許す。
サブキャラが結婚している。許す。
生意気だったあの子がデレている。許す。
清楚だったキャラが、なんか露出が増えてやたらケバくなっている。……絶対に許さない。
鎧の中に異様な熱気が吹き上がり、装甲の隙間から吹き出される。
「違うッ! 僕の知ってるリーンフィリア様はコレジャナイ!」
「ひ、ひいっ!?」
猛然と指を突きつけた僕に対し、怯えた声を上げて縮こまる女神様。
「ちょっと! いきなり何失礼なこと言ってんのよ騎士!」
すると、女神様をかばうように、天使の少女が割り込んできた。
「何がコレジャナイよ! リーンフィリア様可愛いでしょ!?」
「いいや、可愛くないね! ケバい、ケバすぎる! 誰だこいつ!? ってレベルだよ!」
僕は腕を組むと、傲然と彼女を見下ろした。
「ダレ……ダレ、コイツ……ダレ……」
「女神様落ち着いてください! うつろな目で震えないで! 絶対可愛いですから! 言葉を慎みなさいよバカ騎士、あんたの主人よ!」
「主人だろうが主神だろうが僕は噛むよ。狂犬だからね! そもそも、以前のリーンフィリア様はこんな容姿じゃなかった。汚く劣化させたのは君か!?」
「キタナイ……キタ……ナイ」
「ああああ汚くないですよお綺麗ですよ女神様! 言わせておけば兵隊風情がッ……。そうよわたしのコーデよ! 一体どこにもんくがあるっていうのよこの狂犬!」
ガルルとうなる天使少女もなかなかの犬ぶりだが、対決姿勢を露わにされても一歩も引くつもりはない。今回の僕はいついかなるときも、闘犬のように果敢に戦うのだ。
ビシイと再度指を突きつける。
「まずそのむしゃむしゃした髪! リーンフィリア様の流れ星のように綺麗なストレートヘアを曲がった根性みたいに波打たせるなんて何を考えてるんだ? 理由を述べろ!」
「えっ、わたしの髪、そんなに綺麗でしたか?」
「そ、それは、いつも同じヘアスタイルだから、思い切って変えてみたらどうかなーって」
「そんな軽い気持ちで女神様のおぐしをいじるな!」
何か後方で女神様が復活の兆しを見せてるけど、とりあえず天使少女優先だ。
「次にその化粧! すっぴんで神的に可愛いのに何余計なもの塗りつけてるわけ? 最近の天使の間では神様の顔に落書きするのが流行ってるのか?」
「わ、わたしが可愛い……?」
「何が落書きよ! 化粧は綺麗になるためにするものなんだから、して悪いものじゃないでしょ!」
「いいや悪いね。清楚で奥ゆかしいのがリーンフィリア様の魅力なのに、ケバくなってそこらに転がってる厚化粧の女子になってる。それに関しては服装もだ!」
「あんた服装にまでケチつける気!? これは譲れないわよ!?」
カッと八重歯を見せる天使に、僕も同じく敵意を閃かせる。
「リーンフィリア様と言えば腋! 素肌を見せない厳重な長衣に身を包みながら、そこだけは無防備というアンバランスさ! 絶対にいい匂いがするあのむっちりした腋こそがリーンフィリア様の魅力なのに、君はそれがわからないのか!?」
「に、匂いだなんて、そんなこと……恥ずかしいです……」
「わからないわけないじゃない! 女神様が寝てたらそっと近づいてゼロ距離でクンカするのがわたしの日課なくらいよ狂犬!」
「えっ、えっ……?」
「だったらなぜへそと太股を出す!? 見ろ、肌色が分散してしまっている! 視点移動が散漫になるだろうが! いいか、魅力というのは一点に集中するからこそ、より高められるものなんだ。腋なら腋、へそならへそ、太股なら太股! 一点突破でなければ、それはもう単に肌が見えているだけの現象にすぎなくなるぞ!」
「ぐがっ……! そ、そう……確かに、腋単体の魅力が落ちてしまったことは認めるわ……! けど! 総火力では今の方が上よ! おへそと太股のツインバーストについてこれる!?」
天使は懸命に牙を剥き続ける。だが甘い。狂犬の牙はもっと深く相手に刺さる!
「全方位無差別敵味方無区別に弾をばらまくのを総火力とは言えないね! 女神様の可愛さは研ぎ澄まされた一点集中で十分……。他は蛇足だッ」
「なっ……! ならあんたは選べると言うの!? この三つの中から一つを! 腋、へそ、太股から一つをッ!」
「ふんっ……! 当たり前だ。リーンフィリア様の魅力については語らせたら一夜では到底たりない僕だ。迷うことすらない。へそは論外。太も……も……いら……な……? カッ、カハッ……!?」
突然、僕の声が乱れた。
のどの奥が猛烈に痛み出し、言葉を吐き出すことを拒む。
なっ、何だこれは!?
「太股はいらない」と言おうとすると激しいせきが出てくる!
まさか、僕の心が、リーンフィリア様の太股を失いたくないと言っているのか!?
この『Ⅱ』のデザインに屈しろと言うのか!?
クッ……戦え! 僕よ戦ってくれっ……! コレジャ……ナイんだ!
思わず片膝を突いた僕の頭上から、天使の哄笑が降ってきた。
「はっ……ははははっ! 見なさいよ、なんてザマ! おへそはそうね、確かに欲張りすぎたわ。でもねっ……! 太股はっ……今さら封じられるわけないじゃない! 一度見てしまった以上はね! あのむっちりした肉感とライン、ニーソの上に少し乗る感じがたまらないでしょう? 御腋に匹敵するアピールポイントだったのよ、あそこはッ!! 今まで誰も知らずにいたけどね……。それを昔のように長衣で隠すなんて! できっこない!」
「グハッ……グググ……」
「あはははは、勝った! わたしの勝ちよ狂犬! そのまま這いつくばってリーンフィリア様を讃えなさいよ! 可愛いです綺麗ですってあがめ奉りなさいよ!」
「ググ……。ククッ……ククク……。甘いな」
ゆらりと立ち上がった僕に、天使は怯む目を向けた。
「なにっ!? まだ動けると言うの!?」
「腋一点突破の方針は変わらない……。なるほど確かに、太股の威力……認めよう! 一度見てしまったら忘れられない。『Ⅰ』にはなかった魅力だ! しかしッ、隠せないというのなら、見えるまま見えなくするだけさ……!」
「見えるまま見えなく……!? 何をわけのわからないことをッ……! さては負け惜しみね? そうなんでしょ!? きっと論破されて立っているのもやっとなんだわ!」
「すぐにわかる」
僕ははやしたてる天使の横を素通りすると、座り込んだままの女神様の横に、そっとかしずいた。
「女神様。これを身につけてきてください」
スッ……。
僕が差し出したものを見て、天使が横から首を傾げた。
「何よその白い布は……」
「え、えと、これを?」
「お願いします」
うなずいた僕に、力強くうなずき返してくる女神。
「女神様、そんな得体の知れないものをほいほいと……」
「大丈夫です。ちょっと着替えてきますから、待っていてください」
手渡されたものを大事そうに胸に抱くと、リーンフィリア様は奥の部屋へと駆け戻っていった。
残されたのは、いがみ合う最中の犬二匹。
「一体何をお渡ししたのよ。ていうか、いつから持ってたの?」
「知らない。気づいたら手の中にあった」
「だいたい何よ。見えるまま見えなくするって。謎かけみたいなこと言って。まあ、どうせ意味なんかないんでしょうけど」
「あるさ」
「おかしなものだったら承知しないわよ。リーンフィリア様は素直で人を疑うことを知らないんだから。もしあの方の尊厳を汚すようなら、この天界から無言で突き落とす……!」
「慌てるな。一目でわかるよ。ほら、戻ってきた」
僕を不信の眼差しで見つめる天使は、現れた女神様へと視線を移した瞬間、
「ああアあっ……! ああああっぁあああぁぁああぁっ……!」
全身をビクンビクンと痙攣させながら、その場にくずおれた。
「見えているのに……見えていない……そんなっ……そんなバカなっ……!」
「アンシェル、どうしたのですか!?」
天使少女の異様な反応を目の当たりにし、リーンフィリア様が慌てて駆け寄ってくる。
彼女の短いスカートから伸びるそれを間近で見た天使は、一層体を激しく震わせた。
「あああああっ、タイツ、あああタイツ! しかも白だなんてえッ……!!」
そう。僕が渡したのは白タイツだった。
……ホントどこで拾ったの僕?
「太股は封じられてはいない。その麗しいラインは完璧に見えている……しかし、肌は見えていない。間違っていないな?」
「くっ、くううっ」
「これで露出を腋に絞り、一点突破を実現できる。それにだ……ククク。肌を隠したというのに、以前より別ベクトルで気になるポイントになったとは思わないか?」
「……ど、どうして……!」
苦しみ悶えながら首を縦に振る天使――どうやらアンシェルという名前らしい――に、僕は鷹揚に語りかける。
「有名な文学作品に、こういう言葉がある。〝大切なものは目では見えない〟」
「そ、そのとおりだと思うわ。いい言葉ね……」
「逆に言うと、人は目に見えないよう隠されたものを、大切だと思ってしまうのさ!」
「そうなの!?」
「そうさ。タイツで隠したことにより、太股の真の姿は失われた。しかし、同時に、見えないことで強い憧れが生じた! 色、ツヤ、プニ感、すべてに想像力が加算されて、実物はどうなのだろうか、本物はどんな感じなんだろうかと期待がふくらみ、生足に勝る魅力を発揮するようになる! どうだい、気に入ったかなアンシェルッ!」
「フォオオオオオオオ!!」
アンシェルは拳を振り上げて雄叫びを上げた。それは、打ち負かされた者の叫びではない。ただただ、激しい獣――。
ぱたり、と手が落ちる。
疲弊しきった顔にも関わらず、アンシェルは満足げに笑っていた。
「見事だわ……。それでこそ女神の騎士を名乗るに相応しい。わたしの負けね」
「そちらこそ、僕の価値観を叩きつけ甲斐のある好敵手だった」
「次は負けないわよ」
「闘犬は決して逃げない」
ふっ、と口元を弛め、僕らは指先だけの慎ましい握手をした。
馴れ合いは不要。けれど、今このときだけは、互いを讃えたい。
そんな気持ちになった。
「……二人とも、怖いです……」
一方、リーンフィリア様は、柱の陰で小さくなって震えていた。
この物語はフィクションで、主人公が世界の常識みたいに断言していることも個人の感想です
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