第二十九話 狩り場
被害必至の防衛戦を無傷で乗り切った僕たちは、さらに順調に町を拡大していった。
南半分はほぼ手中に収め、いよいよエリア一〈ヴァン平原〉も終盤戦に入る。
女神の騎士に次ぐ従者の存在は、天界でもレアすぎて、規制されてはいなかったおかげで、リーンフィリア様は塵神からのさらなる降格は免れた。
以降のバトルフィールドは二人でやれるし、地上由来の食料の供給路も万全。天地戦線異状なし、といったところだ。
そしてその平和な日、僕は天界神殿の広場で〈オルター・ボード〉を何とはなしに眺めていた。
アンシェルは他の神様の神殿に雑用で出かけており、リーンフィリア様とパスティスは、
「あの、女神、様……」
「はっ、はいい!? 何でしょう!?」
「あっ、ごっ、ごめん、なさい……。邪魔、しちゃっ、て」
「ち、違います。柱の模様の溝を数えるふりをしてるだけで、ホントは何もしてなかったんです。ごめんなさい」
「えっ、あっ、ごめんなさい……」
「こ、こっちこそごめんなさい……」
「…………」
「…………」
「それで、あの、アンシェルが貸してくれた本で、わからないところが、あって……。教えて、もらえま、せんか……?」
「えっ!? わ、わたしでよければ喜んで!」
こんな感じで、対人弱キャラ同士の無駄に緊張感あるやり取りをしている。
アンシェルが女神様専属の天使で本当によかった。毎回こんなやり取りしてたら、二人とも心労でいつか倒れるぞ。
「……ん」
〈オルター・ボード〉に映し出された町の俯瞰図が、見慣れないアイコンへと到達していることに気づく。
植物の芽を思わせるアイコンだけど、これは……?
地上に降りて確認した方が早いな。
「リーンフィリア様。僕、ちょっと地上に行ってきま――」
そう言って、振り向いたとき。
すでにスコップを片手にいい笑顔になっている女神様と、その横に並ぶパスティスの姿があった。
ちょっと調べてすぐに戻るという案は、冒頭で消滅した。
※
タイラニー。タイラニー。
ゆっくりと近づいてくる地表からは、異様な宗教の祝詞が聞こえてきている。
最悪のタイミングで降下したことを、僕は諦めの境地の中で悟った。
「おお……女神様が降臨されたぞ!」
「タイラニー。ああ、タイラニー!」
「我らの祈りの声が伝わった! やはりタイラニー・ウォールへの感謝を忘れてはいかん! これからは毎月、この壁に生け贄の羊を捧げるのじゃ……!」
どよめきが飛び交う中、よりにもよって観衆が集まったタイラニー・ウォールの真上に着地する僕ら。
どうやら月一の壁感謝祭の真っ最中だったらしく、人々のテンションが異様な高まりを見せているのがわかる。
「い、生け贄はやめましょう。可哀想ですので」
リーンフィリア様はとりあえず釘を刺した。
別にリーンフィリア様が菜食主義者というわけではなく、地上からお肉を分けてもらうこともある。ただ、地上の一月は天界時間の一日未満なので、そんなにしょっちゅう羊をぬっ殺されても食べきれるわけがないのだ。
「何と慈悲深いお言葉。わしが間違っておりました……」
「家畜にさえ優しさをかけてくださる。しかし、それでは我らにできることは……」
「感謝の言葉を述べ続けるのだ! タイラニー、タイラニー!」
タイラニー! タイラニー!
「たいらにー。たいらにー」
タイラニー! タイラニー!
リーンフィリア様の声に応える民衆。
なんかライヴ会場みたいになってきたので、僕はパスティスとこっそり壁を降りて、町の様子を調べることにした。
実は、これまでゆっくり町を散策するということをやってこなかった。
大抵が、開拓の最前線か、問題の起こった現場での行動だったからね。
だから、自分で作った町を、一人の人間の視点で歩くというのは、何だか不思議な気持ちだ。
これはゲームの体裁にかかわらず、経営シミュレーションプレイヤーの最大の楽しみの一つだろう。
いずれVR機能を使って、自分の町を自由に歩けるゲームが出てくるかもしれない。
僕はそれを一足早く体験させてもらっている。しかも疑似じゃない。三百六十度の実体験で。
《憂いのないまっさらな笑顔。悲しみの滲まぬ輝く声。何より求めていたものに満たされながら、私はしばしその場に立ち尽くし、身をゆだねる》
大変詩的で素晴らしいと思うが主人公、すまない。僕はパスティスに引っ張られてどんどん先に進んでる。
「騎士様。いっぱい、人、いるよ。楽しいね」
心から嬉しそうに彼女は言う。ずっと孤独だった彼女は、賑やかな場所が好きなのだろう。僕も嬉しくなる。
タイラニー・ウォールの前には大勢が集まっていたけれど、町の全住人というわけではなさそうだ。
真っ平らに舗装された道には、重そうな買い物篭を抱えた女性や、お菓子片手に追いかけっこをする子供たちの姿がある。
通りかかった市場のやりとりから察するに、壁祭の最中は普段の半額で取引がされているようだ。壁の前に集まらずとも、町全体で感謝を捧げているのがわかる。
「色んなもの、売ってる、ね」
パスティスが物珍しそうに言う。
ちなみに、僕と彼女は手を繋いでいるわけではなく、彼女の尻尾ががっちり僕の手首に巻きついているだけだ。ええとつまり、何だ? これはデートしていると言えるのか? 何か、ペットに引っ張られてる飼い主みたいな絵面なんだが。
「野菜の種類もだいぶ増えたね。お、香辛料なんかもあるのか……」
町の食文化も豊かになっているようだ。
まあ、兜を脱げない僕には関係ないけどね……。
〈オルター・ボード〉を確認しながら賑やかな通りを抜け、町はずれまで来る。
作りかけの土製トーフハウスの前で、労働者たちが料理と酒瓶片手に歓談していた。今日は彼らもお休みだろう。
この先に、あの芽のアイコンのエリアがある。話を聞いてみよう。
「うおっ!? 騎士様!? それに脱ぎかけニーソ様!?」
「バカヤロウ、背中様だろ!?」
「この異教徒どもが! 肩腋教にたてつくつもりかよ!」
「貴様らにかぎ爪の素晴らしさを叩き込んでくれるわ!」
「ぼかあ、色違いの目が好きだぁ……」
ああ、なんか勝手に争い始めた……。
彼らはきっとあのキメラ祭に参加してたな。これは永い戦いになる。
僕は彼らの宗教戦争に、咳払いで割って入った。
「あの、この先に、何かありましたか?」
指さした先には、のどかな平原が広がるばかりだ。
「ええ、騎士様。この先に天使様がいます」
「え、アンシェルが?」
今回、彼女はお使いに出たまま。僕たちとは別行動になっている。
「いえ、アンシェル様とは別の天使様で……。これ以上先に進んじゃいけないっていうんですよ。何でも神聖な場所だとかで。だから、こっちへの建設はここで終わりですね」
「ふうん……?」
何かイベントのかおりがするな。見に行ってみるか。
僕とパスティスがその場を離れた後も、彼らの論争はとどまるところを知らなかったけど、気にせず何もない原野へと進出する。
町の喧噪が、野鳥のさえずりや風の音と同じ環境音に落ち着いた頃――。
前方に、光をわずかに跳ね返す、壁のようなものがうっすら見えた気がした。
「何だあれ? 何かあるみたいだ」
「大丈、夫?」
天使がいるなら危険はないだろう。僕は壁に近づいてみた。
そっと手を伸ばすと、虚空に生まれた硬い感触が、それ以上の前進を拒む。
と同時に、さわった部分から波紋のようなものが広がり、壁の全景を鮮明化させていった。
それは、わかりやすく言えば、密集した半透明の盾を隙間なく敷き詰めた障壁だった。
わかりやすい通行止めのサイン。
「そこのおまえ! ここは立ち入り禁止だぞ!」
快活な声が飛んで、僕の顔をそちらに引き向かせる。
白いワンピースに、ちんまりした羽と輪っか。身長百三十センチ程度の体格までアンシェルそっくりな天使少女が二人、障壁の向こう側に立っていた。
片方は活動的なショートヘア。もう一人は、おっとりしたロングヘアの違いがあり、愛らしい顔立ちも、その性格を反映した雰囲気を持っている。
「立ち入り禁止?」
「そうだよー。わからないのー? ばかだねー」
おっとりした天使が、おっとりした笑みと声で毒を吐いてきた。
「あっ、どこかで見たと思ったら、おまえ塵神んとこの騎士じゃないか」
快活天使が、壁の奥で可愛い顔をにやにや歪ませながら言ってくる。
「そうだよ。君らは天使?」
「そうに決まってるよー。見てわからないのー? えへへ。ばかー」
いちいち、ばかと煽ってくる。ゆるゆるな笑顔と声のせいで、この子の方がアホっぽく見える。アンシェルのガチ百合といい、天使って、変なヤツ多いのかな……。
「この先に何があるの?」
「へへっ。知りたいのかー? おまえはどーなんだー?」
僕でなく、僕の後ろで隠れ気味になっているパスティスに聞いてくる快活天使。
「う、うん。知りたい、な……」
「じゃあ教えてやるよ。この先は、〈祝福の残り香〉の群生地帯になってるんだ。変なヤツらが近づかないよう、あたしらが守ってるのさ」
「なにっ!?」
「あー。驚いてるー。ばかばかー。えへへ」
とうとう指まで差してきやがった。でも、今のは重要な情報だ。なるほど。あのアイコンは、〈祝福の残り香〉のものだったのか。
『Ⅱ』では探索パートが削減されている。プレイヤー強化はクリエイトパートが一括して担うということか。へえ……。探索を廃したのは許されないけど、こうして一気にパワーアップできるなら、バランスとしては悪くなさそうだ。
町を広げるモチベーションにもなる。
これは、コレ! ボタンの用意が必要か?
「僕は〈祝福の残り香〉を必要としてるんだ。ここを通してくれないかな。天界には別に用のないものだろ?」
言ってしまえばあの芽は、かつてリーンフィリア様が地上に与えた加護の名残だ。同質の力を持つ神々には何の意味もない。
「んー。いいけどさあ」
「いいけどねえー」
「え、本当?」
この天使たち、意外と話がわかるかも?
「あたしたちもここを守れて言われるしさあ」
「だよねえー」
「ただで通すわけにはいかないよなあ」
「誠意とか見せてもらわなきゃだよねえー」
系統は違えど、愛嬌のある天使の顔が、ニマァときったなく歪んだ。
こ、こいつら……! 天使のくせに見返りを要求してきたぞ!?
ま、まあ、確かに、ここにたどり着いたというだけで、大量の〈祝福の残り香〉をゲットできるというのは、少し甘えがあったかもしれない。RPGというのは(もう違うけど)、ギブアンドテイク、お使いで成り立っているのだ。
「わかったよ。僕は何をすればいい?」
何かクエストがあるのだろう。そう思って聞いてみた僕は、驚いた顔の天使たちに驚きの声を浴びせられることになった。
「ええっ。ここまで言って気づかないのかよ!」
「誠意って言ったらお金に決まってるよー。ばかー、ホントばかー!?」
「なっ……!?」
かっ、金!? 本気で袖の下だと!?
「塵神様からお金もらってるんだろー? 出せるだけ出せようー」
「りんじしゅうにゅうー。役得役得。ほらー、ジャンプしろー。ばかー」
ニタニタと汚い大人の笑みをことさら見せつけてくる天使二人に、僕は唖然とし、そしてここが何なのか、ある答えにたどり着いていた。
有料DLCの稼ぎ場……ッッツ!!
よくある話。
経験値効率のいい狩り場。金策に適したマップ。レアアイテムが掘りやすいステージ……! それらは用意する。しかし! 無料で提供するとは言っていない……!
我々はゲーム内通貨ではなく、リアルマネーを欲している!
なあに、たかだが数百円だ。おやつを数日間ベビースターに替えればいいし、居酒屋で一品我慢すれば一発よ。貴重な数時間及び快適なプレイと引き換えにすることに、何か悩む必要があるのかね諸君……?
と、言ってやがるッ……!
うぉぉお堕ちたかスタッフッ……!!
確かにゲームとは刹那的快楽ではある……。
短時間でスッと味わえる。それはそれで一つの魅力となるだろう。
しかし一方で、費やした時間に応じて増えていくものもある。
思い出だ……!
レベリングを……レアアイテム堀りを……そして悩み、立ち止まっている時間を……無駄だと思うな! そこには確かに……自力で課題に取り組む己がいる!
車の後部座席に座っていつの間にか着いていた海より、自転車を数時間漕いでようやく見えた海の方が強く輝くのはなぜだ?
自作したプラモが、他人からもらった完成品より愛おしいのはなぜだ?
思い出があるからだッ……!
人は決して、時間を無駄には費やさない……!
時間を思い出に還元して……僕らの記憶により強く輝き、残り続ける……!
そのことをどうか忘れないでほしい。それに!
「アンサラー!」
僕と天使たちの間で、弾丸の魔力光がスパークした。
「うわっ! あはははっ! こいつアンサラーを撃ってきたぞ!? ホントに狂犬だな!」
「そんなのでこの壁が壊れるわけないのにねー。ばかー! おおばかー!」
「ぬおおおおおおお!」
それに、頑張って町を拡張したご褒美が、有料の狩り場ってどういうことだコラアアアアアッ! そういうもんは、初期位置からすぐ近くにあるもんだろうがあああああ!
ゲーム内の報酬ってのはモチベーション維持にすごく大事なんだ! クエストでもらえるスキルポイントや、敵を倒すごとにドバドバ出る、ランダム能力のついた装備がいい例だ! 課題と報酬のバランスが噛み合ったとき、プレイヤーはすさまじい中毒性に酔う! それををををををあああああああああああ!
「ぐがあああああああ!」
逆手に持ったカルバリアスを障壁に叩き込む。
バリバリと魔力の火花がスパークし、聖剣は僕の体ごと弾かれた。
「あっはははは、無駄無駄。あー、おっかし。いくらやってもこの壁は壊れないよ」
「お金ないならむこういけー。しごとふやすなー。ばかー」
「そーだそーだ。あたしたちは、あっちで蝶を捕まえるのに忙しいんだ」
「もんしろちょー。あげはちょー。きれいー。かわいいー。そしておまえはばかー」
「ふがががが……!」
天使は二人してあっかんべーをすると、手を繋いでむこうに駆けていってしまった。
「き、騎士、様。帰ろ……? ここにいても、楽しく、ないよ……」
「ぬぐぐぐうう…………!! 覚えてろよ天使。この借りは必ず返す……! こんなのは認めない! コレジャナアアアアイ!」
僕は胴体に巻きついたパスティスの尻尾に引きずられながら、復讐を心に誓った。
【金を払ってでも楽をしたいプレイヤーがいるのが悪いとでも言うのかよ!?:1コレジャナイ】(累計ポイント-45000)
ちなみに。
帰り道、女神様と揃って天界に昇っている最中、
「この見境なしの狂犬がああああああああああああああああ!」
「ぐおおおおおおおおお!?」
天から降ってきたアンシェルのフットスタンプが僕を強襲。
地面方向に押し戻され、帰還の力ですぐに再上昇したところを、またアンシェルに蹴り戻されるという世紀末バスケさながらの光景が繰り広げられたことを、おまけとして伝えておく。
それと、水玉だったことも。
ジョインジョイン アンシェルゥ




