隠しエンディング 騎士の家路
あの日から、いくつの世界を渡っただろう。
一つ、また一つと遡るたびに、その世界の鮮やかな原色に驚かされる。
脇目も振らずに進んでいた時には気づかなかった、鮮明な命。俺がこれまで成功しなかった理由はまさにそれだと、あの男に笑われる気分だった。
俺は、かつて通ってきた世界を時間をかけて見て回った。
ただ通り抜けることは、どうしてもできなかった。
あの世界はどうなっだろう。
あの人々はその後どうなっただろう。
今になって、そんなことが気になって。
不思議なことに、どの世界からもオゾマは消えていた。
ある日、劇的な空の変化が訪れ、そしていなくなったという。
オゾマは俺たちとは単位の異なる存在だった。それぞれの世界に居座ったあいつは、必ず現れるという不可思議な法則と同様に、消え去ることにも、俺たちが理解しえない同一性を持っていたのかもしれない。
オゾマの消滅と共に天界からは偽神も消え去った。
俺が様子を見に行くと、そこでは大抵、オメガが一人でつまらなさそうに掃除をしていた。
神の消滅と共に、天使たちは散り散りになってしまったようだった。同様に悪魔たちも姿を消したらしく、世界には大きな空白ができていた。
天界の言いなりに動いていた俺は、オメガとは知った顔だ。話しかけるのは普通のことだった。
すると彼女は俺を見て、
「スケアクロウ。おまえが神になってくれませんか」
と半ば本気の声でそう言ったものだった。
さすがにその頼みを聞くわけにはいかず、丁重に断ったが。
「むしろこちらから頼みたいことがあるのだが――」と俺はオメガにいつも言う。
「アンシェルを探して、一緒にいてやってくれないか」
オメガは役目を得たりとばかりにうなずくと、箒を投げ捨てて地上に飛んで行った。
リーンフィリア亡き後、アンシェルも寂しがっている。彼女には通じる者が必要だ。オメガなら、寄り添ってくれると思った。
地上にも降りた。
〈ヴァン平原〉にはいつも、いくつもの城ができている。
栄えてはいるが、何とも統一感のない町だ。
ただ奇妙なことに、どの世界の〈ヴァン平原〉にも、一つの困りごとが起こっていた。
畑泥棒だ。
俺はその犯人捜しを手伝い、一人の少女と出会った。
キメラの少女だった。
パスティスでは、ない。無論。
だが、どうしてか、なぜか、似ていた。
彼女と血のつながりがあるのか、それとも俺のただの思い込みなのか、それはわからない。だが、無意味ではないと思った。
俺は彼女と慎重に接触し、保護した。
まるでこの少女が、あの世界の“パスティス”になりたがっているように思えたからだ。そうなれるまで、この寄る辺ないキメラの少女は時を超えて何度でもここに現れる。そんな気がしたからだ。もちろん、俺の錯覚だろうが。
ディノソフィアの言葉を借りれば、巡り会い。
世界があれば、誰かがその立場に落とし込まれる。
俺には、彼女を助ける義務があった。これまで、何一つしてやれなかった償いをする責任があった。
何より、助けたい、と自然と思った。
俺は、彼女が〈ヴァン平原〉に受け入れてもらえるよう努力をした。
最初は手こずった。何しろやり方がさっぱりわからなかった。
情けない話だ。あの男は、すさまじい情熱と弁舌であっという間に受け入れさせたそうなのに。
だが、決してあきらめなかった。
彼女と共に行動し、最後には人間たちから信頼を勝ち取った。
最初に歩み寄ってくれたのは子供たちだった。
アンサラーの第三形態、魔法剣を「カッコイイ」と言って、近づいてきたのだ。
ある者には無駄としか思えないものが、ある者には愛おしく思える。これもきっと、そういうものだった。あの男に、永遠に追いつけない気がした。
子供に比べると、大人たちは慎重だった。
あの男の真似をして、演説をぶったこともあるが……まあ、俺には向かん。住人には苦笑いと愛想笑いを返されるのが関の山だった。彼女は、喜んでくれたようだが。
しかし、それをきっかけに少しずつ関係は改善されていったようだった。
俺が去ろうとした時、彼女はひどく悲しんだ。すがりつき、共に行きたいと言い張った。
しかし、俺はこの世界ではまろうどだ。旅立つ先は、他の土地どころではない。共に行くすべも知らない。
事情を話し、彼女が納得してくれるのを待った。
毎日、何度でも、話した。彼女が受け入れず、何度首を横に振ろうとも伝え続けた。
決して、何も言わずに立ち去ったりはしなかった。
大切な人が突然消えてしまうことの苦しさと悲しさを、俺はもう十分に知っていたから。
最後には、彼女は理解してくれた。そして、必ず懸命に生きると約束してくれた。
エルフの里や、ドワーフの土地も訪ねた。
エルフの里には、マルネリアに似たはぐれ者が。ドワーフの土地には、アルルカのような変わり者が、やはりいた。
二人とも別人であることは間違いないのだが、俺にはよく似て見えた。
そこに引っ掛けられた運命を、誰かに解き放ってほしがっているようだった。
俺たちは――大抵、キメラの少女も一緒だった――、彼女たちに協力した。
俺は二人が目指すものへのある程度の答えを知っていたが、技術的な助言をする必要はなかった。
彼女たちに必要なのは、隣にいる誰かだった。
もし立ちすくんだ時、もし迷った時、次に踏み出す一歩を同じくしてくれる誰か。その決断を、ただ傍らで待ってくれる誰か。求められているのは、そういう存在だった。いるだけで、十分だった。
彼女たちが踏み出す瞬間、それは俺にとっても、心に何かが注ぎ込む瞬間だった。
あの男が俺を見るたびに斬りかかってきた理由が、今では痛いほどよくわかる。
別れを知ると、彼女たちも涙ながらに拒んだが、やはり最後にはわかってくれた。
少女たち三人は、強い絆で結ばれた親友となった。彼女たちにも巡り会いがあったのだと思う。俺の罪は、少しは贖えたのだろうか?
そうやって世界を巡りながら、俺は一つのことを決めていた。
それは、すべてを終えて世界を去る時に、いちごジャムを食べるということだった。
思い切りパンに塗りたくって食べる。
至福の時間だ。
これを用意してくれた彼女と、そして世界の優しさの味がする。
時には、共にいる少女たちと一緒に味わった。
出し惜しむ気持ちはない。これは、食べきってこそ意味のあるものだった。
ただし、一度に食べていいのは一人一枚までだ。それだけは終始守った。そうでなければ、あまりにも短い期間で俺が食べ尽くしてしまうだろうから。
どうせなら、この決まりは長く続けたかった。
そうして――
いくつの世界を渡っただろう。
百か。二百か。
初めて遡った日から、どれくらいの時間がすぎただろう。
百年か。千年か。もっとか。
俺は本当に元の世界に戻れるのだろうか。
ひょっとして、どこかで道を間違えて、まったく見当違いのところへ向かっているのではないだろうか。
――だが焦りはない。
絶望は、すべてあの世界に置いてきたから。
一つ前の世界で、とうとう最後のジャム瓶が空になった。
最後は一口だけの量を、みなで分け合って塗って、食べた。
次からは、どうするか。
悲観することはない。約束が一つ、果たされただけのことだ。
俺は俺のまま、今を続けていこう……。
――クロウ。
不意に。
世界と世界の狭間にいる俺に、“声”が届いた。
――クロウ、クロウ。
その声は俺を呼んでいた。間違いなく呼んでいた。
懐かしい響きが、体中に染み込んでいく。それは、ほんの少し前に口にしたジャムの滋味にそっくりだった。
胸が詰まり、言葉を奪っていく。
怒りの兜の内側で、熱い何かが頬を伝っていく。
この声。この声は間違いなく……。
――クロウ。
そうか。そうだったのか。ずっと、そうだったのか……。
ああ、ここにいるよ。
俺はここにいる。
おまえ……君にずっと気づかなかったなんて、俺は……僕はなんて馬鹿だったんだ。
本当にどうしようもないヤツだな。名実ともに“かかし”だったわけだ。
――クロウ。そこにいるのですか?
ああ。いる。ここにいる。今、向かっている。もうすぐ帰る。
ずっと一人にして、寂しい思いをさせて、本当にごめん。
もうどこにも行かない。ずっとそばにいる。
――クロウ。おかえりなさい。
ああ、ただいま……ただいま……!
遅くなった。本当に帰るのが遅くなった。
お詫びと言ってはなんだが、たくさん話をするよ。
語り切れないほど、たくさんの話があるんだ。
君に、ぜひ聞いてほしい。
本当にいい話だから。
まずは、そうだな……。
この世界から一番離れた、とても素敵な世界の話から、始めようか……。
次回、「コレジャナイ!『Ⅱ』の世界へようこそ!」最後の回。




