第二百六十八話 すてきなおんがく
――「オゾマはボクたちと同じ“魔法”を使ってくる可能性がある」
魔女マルネリアが僕にそう告げたのは、例のオゾマの知恵から、制御可能なごく一部分を切り取ることに成功した次の日のことだった。
――どういうこと?
――「オゾマの知恵から、ボクたちが魔法式として使っている文法に類似するものが見つかった。悪魔たちに確認したら、案の定だった」
――何が?
――「ボクらの世界と、オゾマは、同じ“魔法”を使ってる」
――どうして?
――「それが笑っちゃうんだけどさ。白亜王は、この世界に初めて魔法ってものを作る時、別のことに熱中しててすごく手抜きをしたらしいんだ。食材をそのまま皿にのっけたような感じ。つまり、この世界の原初の姿――混沌とほぼ同質のまま、魔法を作ったんだ」
――混沌? それってまさか。
――「そう。分化する前の世界、つまりオゾマと同じ。オゾマにはこれが“魔法”だなんて区別はなくて、全部自分の力の一端として行使しているだろうけど」
――改良されてまったく別のものになってたりは?
――「可能性はある。でも、低い。なぜなら、オゾマが自我に目覚めた時には、もう彼の中にこの“魔法”は力として成立してただろうから」
――なるほど。
――「悪魔たちによると、この世界の魔法は、普通の生き物が使うには消費が大きすぎるらしい。だから、消費と一緒に効果も縮小する形で変遷してきたのは知っての通り。でも、オゾマはそれを気にしない。最初から馴染んでいるものだし、使いこなせるだけの力と、総容量がある。だから、こういう予測も立つ」
彼女は力を込めて断言した。
――「オゾマがボクたちを消そうとする方法、その第一候補は……原初破壊魔法だと考えてほぼ間違いない……!」
※
「来たぞマルネリア。君のにらんだ通り“あれ”だ! 原初破壊魔法だッ!」
僕はタイラニック・ジオに向けて発信する。
原初破壊魔法。ありとあらゆるものを防御不能で破壊する、この世界の攻撃魔法の最上最極致!
マルネリアが追いかけ続けてきた世界で二番目に位置する上位魔法の現物と、まさかオゾマとの戦いで対面することになろうとは。
まさに、すべてが集約された最終決戦にふさわしい!
「こちら魔力観測班のメディーナです! 原初破壊魔法の記述を感知。すでにパスティス様に連絡済みです!」
「こちらパスティス。サベージブラック班、対処開始中……! みんな、頑張って……!」
矢継ぎ早に通信が切り替わって僕に状況を知らせていく。
アディンたちが率いる全サベージブラック。彼らがこの作戦の要だ。頼むぞ!
【……無駄なことを】
オゾマが別の口から声を吐き捨てる。ヤツもこちらの行動を察知したようだ。
「サベージブラック班、“原初回復魔法”の詠唱完了まで、残り五七パーセント! オゾマの効果構築と同等です!」
よ、よし! よしよしよしッ! 負けてない。負けてないぞサベージブラックたち!
僕は声高らかに唱和する黒竜たちを思い、勝利へのわずかな細道を見続ける。
オゾマの魔法攻撃への、こちらの対処。
原初回復魔法。
原初破壊魔法と対を為す、あらゆるダメージを修復する回復魔法の原点にして頂点!
悪魔との研究交流をへて、マルネリアはついにその魔法式にたどり着いていた。彼女のライフワークは、この一年で正真正銘の完成を見たのだ。
詠唱が恐ろしく長いこの極限魔法も、〈トリニティエコー〉をラーニングしたサベージブラックが総出でかかれば、現実的な所要時間で発動可能になる。
【破壊と同時に、すべてを再生/修復/させる……つもりか……。愚か……。その生き物たちに、行使に耐え抜く力はない……。力の成立直後に力尽きて……全滅するのみ。それでもいいのか……。やはり、おまえたちは……】
「原初破壊魔法、効果発現まで残り十八パーセント! 原初回復魔法、効果発現まで残り十八パーセント! 依然同等です! 残り十二パーセント、八パーセント……!」
カウントダウンを聞きながら強く祈る。
頼む。上手くいってくれ!
「三……二……一……発現!」
――――……!
……………………。
………………。
……。
【何?】
オゾマが訝るような声を上げる。
発現から今の瞬間まで、そこでは何も起こっていないように見えた。
破壊も。修復も。
だが、僕らは。
「メディーナ、状況は!?」
「全魔力計測器ブラックアウト!! 拡散魔力量計測不能! 成功ですッ!“原初大魔法”発動しましたッ!!」
うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!
メディーナの背後でエルフたちの歓声が上がる。
「よおおおし!! よくやったアディンンンン!! サベージ一族うううう!!!」
僕も拳を握って喜びを爆発させる。
【………………】
オゾマは黙っている。驚いているというより、何かを注意深く探っている気配があった。
ヤツはすぐに気づくだろう。僕たちの狙い。サベージブラックたちが本当にやろうとしていたことは何か。
サベージブラックたちは自分たちの命すべてと引き換えに、オゾマの原初破壊魔法のダメージを、原初回復魔法で癒そうとしていたのではない。
僕たちの狙いは、原初破壊魔法の魔法式に、原初回復魔法の魔法式を混ぜ込むこと。
この二つの魔法式を合わせた時、世界最初にして最上位の魔法が発言する。
原初大魔法。
その効果は万能にして無能。万物無辺の破壊と回復が意味を打ち消し合い、莫大な魔力のみが消費される。
僕たちにとってこの原初大魔法とは、分割するごとに役割と消費を分散させていく構造上存在する、ただの欠陥魔法にすぎなかった。
何も起きないくせに、魔法力だけは消費するのだ。そりゃそうだろう。
しかしそれは、オゾマが初撃で、原初破壊魔法を使ってくると予測される瞬間までの話。
この万物必殺の魔法攻撃を防ぐために、僕らは必死に知恵を絞った。これを阻止できなければ、どんな状況からも僕らは一瞬で敗北する。対応は絶対必要条件だった。
オゾマの魔法詠唱にサベージブラックの詠唱を紛れ込ませるのは、ほとんど絵空事から始まった計画だ。
オゾマがいかなる方法で魔法を唱えるかもわからず、そもそも原初破壊魔法の式にも、別の魔法と接続するための端子記述がないだろうことは確実だった。
それを可能にしたのが、サベージブラックたちの特殊詠唱〈トリニティエコー〉の特性だ。音の共鳴によって魔力を非正規に増幅させるという、いわば“混ぜ合わせ”に特化した術式体系が、この生存戦略を死に絶えさせなかった。
それでも……すべては可能性。ぶっつけ本番、出たとこ勝負。今ので全滅は十分有り得た。
しかし、僕らはそれを乗り越えたんだ!!
沈思するオゾマを見やる。
ヤツは今、この戦いでもっとも消耗した状態にある。
何しろ、さっきの原初大魔法の消費は、サベージブラックの詠唱技術の妙によって、すべてオゾマに押し付けられたからだ。
この原初大魔法、何と、白亜王にも使えないという事実が判明している。
使う必要もないのだが、それほど莫大な魔力を必要とするのだ。この、原初の混沌から直接取り出されたままの魔法は。そういう意味でも、理論上存在するだけの大魔法だった。
それをオゾマは“使わされ”、その分の力を失った。
これで、ヤツを取り巻く防御シールドも……!
【なるほど。理解した】
しかしオゾマの声は、むしろ今までよりも明瞭に響いた。ようやく話のわかる相手を見つけた、とでも言いたげに。
【次はより早く効果を発現させておまえたちを消し去ろう】
えっ……?
次……?
オゾマの不定形の体に、複雑な光の模様が走る。
「な……!?」
何……だ!? 二発目!?
もう二発目が撃てるのか!? もう……!?
「こ、こちらメディーナ、げ、原初破壊魔法、起動式感知!」
しかもまた原初破壊魔法! これだって決して軽い消費量じゃない。白亜王が数年がかりで魔力を蓄えてようやく使える規模だぞ!?
メディーナの声も割れるようだった。
「オゾマの詠唱速度……い、異常な早さです! さっきとは比較になりません!」
オゾマの体表で無数の光が点滅を繰り返す。
こ、これが、詠唱だ。この光のオンオフのみで、ヤツは魔力を構築しているんだ。
野郎、まだこんな手を残して……いや、今の短時間で新たに編み出した!?
「サ、サベージブラック班は!?」
「すでに対応を始めています! でもっ……!」
追いつかないのか!? こ、ここまでなのか僕たちは!?
全身から力が抜けそうになった時。
「ツジクロー様、アディン、たち、が………」
パスティスの途方に暮れたような声が耳朶を打つ。
何だ………これ以上、何か悪いことでも起こったっていうのか。
「アディンたちが……歌ってる……」
「え……?」
「聴いて」
通信装置が向けられたのか、その音が僕の耳に入ってきた。
A・Ah――Ah――Ra――RARARA・Ah――……。
歌、だ……。本当にサベージブラックたちが歌っている。歌姫のような澄み切った声で。
これは、何だ? 何なんだ?
「最初に、アディン、たちが、歌い出したの。そしたら、他の竜たちも……」
パスティスが懸命に説明しようとする。
「騎士様、何が起きているんですか!?」
メディーナの悲鳴じみた声が割り込み、僕を我に返らせた。しかし続く彼女の言葉で、さらに頭を掻き回されることになる。
「サベージブラック班の原初回復魔法……オゾマの詠唱を猛追しています! 構成率すでに六〇パーセント超……! まさか、こんな……。サベージブラックの詠唱速度、オゾマを完全に上回っています! あのオゾマを上回っているんですッ!!」
「な……にいいいッ!?」
オゾマを上回る!? 互角なだけでも驚異的なのに、上回れるのか。僕らの世界の一つの生き物が!?
「原初大魔法、二度目の発動来ます!!」
確かな質量を伴った静寂が、僕の体を突き抜けていく。
く、くぐり抜けた……ッ! 二発目の原初破壊魔法も……!!
こんなことがありうるのか。
確かにサベージブラック――アディンたちは、これまで強敵と巡り合った時、戦いの中で成長してそれを凌駕することがたびたびあった。
だが、これは異常だ。相手は、異世界の――というより、世界丸ごとなのだ。どうしてそこまで強くなろうとする? どうしてそんな伸びしろを持っている!?
って、何をバカなことを言ってるんだ、僕は!
ここまできたら考えられる理由は一つしかないだろ!
サベージブラック――ケルビムたちは、最初から狙っていたんだ。
オゾマへの逆襲を!
大地神だけじゃない。ケルビムたちも、ヤツへの反攻の機をうかがっていたんだ!
そうでなければ、ただ生存のためにここまで自分を強くする必要なんてない。
サベージブラックに変貌してからも、ケルビムたちは命のリレーの中で受け渡し続けたんだ。戦いの経験値ともいうべきものを、種族のポテンシャルとも呼ぶべきものを。
そして今、それらを一気に燃焼させて、たどり着いた。
オゾマを上回る魔法の構築速度! この一点において、ヤツに勝ったんだ!
なんて種族! なんて生命なんだ彼らはッ!
「騎士様、サベージブラックたちが……」
メディーナの震える声が届く。
「どうした? 反動で何かあったか!? まさか力尽きて……」
「いえ……。サベージブラック班、すでに三度目に備えて原初回復魔法の詠唱を完了。今は……ただ歌っています。楽しそうに……。歌を覚えたばかりの小鳥のように……。ああ、なんて、素敵な音楽……!」
胸に火がついたように熱くなった。
誰がこれを、合理的に、秩序立てて説明できる。
怒りと、復讐心と、闘争本能の蓄積の果てに現れたのが、こんなに美しい歌だなんて。
子守歌のようでもあり、鎮魂歌のようでもあり、優しく、穏やかに、慰撫するように響き合う音楽であるなんて!
はじめに歌い出したのはアディンたちだったとパスティスは言った。
これが、彼女たちの旅の結論なのか。その中で見つけたすべてが詰まっているのだと思うと、自然と涙がこぼれた。
そして……そしてッ……!
「こちら総合魔力発令班、マルネリア!」
魔女の声が終幕の鐘を打ち鳴らす。
「オゾマの防御能力低下! オゾマの防御能力低下を確認! 今なら通る! ツジクロー! スケアクロウ! 今ならヤツへの直接攻撃が通るよ!!」
時はきたれり!
ついに、ついに!
これが唯一にして最後のチャンスだ!!
原初大魔法について忘れた人(全員)は第64話をチェック!
※すてきなおんがく:
SFC『アクトレイザー』で2つのエリアに渡って流れる素敵なBGM。




