第二百六十四話 偽神狩り
奥行きのあるその大神殿は、一番奥まった礼拝堂のような一室をのぞいて、まるでひと気がなかった。
外では今まさに驚天動地の事件が起こっているにもかかわらず、部屋に満ちた薄闇と静謐な空気が幕となり、その喧騒を遠ざけているようでもあった。
普通なら神像が置かれているであろう台座は空位で、左右に立てられた小さな燭台が、台座の前に集う三つの人影を、傷一つない床に長く伸ばしていた。
「とんでもないことになった。まさかこの天界が襲われるとは」
ある神が言った。
「誰だ、天使たちを管理していたのは? おまえだっただろう!?」
別の神が叱責するように言うと、
「わたしが悪いんじゃない。こんなことは予測不可能だった。想定外だ。わたしに責任はない!」
最後の一人が大慌てて抗弁した。
いくつも並ぶ石柱の陰からその様子をうかがっていた僕は、聞いていた通りの神々の異形に、口の中が急速に干からびるのを感じた。
後頭部から風船のようにはみ出た巨大な脳みそ。そこから生えた目玉付きの触手。けれど何よりも気味悪かったのは人型の部分で、鼻筋が太く彫りが深い、まるでギリシア彫像の神々のように端正な顔立ちだというのに、眼球は絶え間なく眼窩の内側を転がり、口は何も言葉を発しない時でも、魚のようにぱくぱく動いて空気らしきものを取り込んでいる。
「責任がないだと? 想定外のことにも備えろと言ったはずだ!」
「想定できないものにどう備えろと言うんだ? 感情ばかりでものを言うな! おまえはただ、わたしを責めたいだけだ。知っているぞ。この地位を狙っているんだろう。わたしを蹴落とせば、自分にチャンスが回ってくると思っているのだな」
「何だと? 呆れてものも言えない。こんな無責任な者を管理役に命じた者の責任も問わねばならないな。誰だったかな?」
「よせ。今はそんな話をしている場合じゃないだろう」
「責任逃れか? おまえだろう。こいつを指名したのは」
最初に発言した神がなだめようとするが、互いをなじる流れは変わらず、終いには三人での罵り合いに発展した。
グエー……。
何やってんだあいつらと言わんばかりに唸ったアディンを、慌てて「しっ」と止めたものの、
「誰だ!」
結局僕の声も併せて聞きとがめられることになってしまった。
仕方なく柱から姿を見せる。
三対二か……。単純な数字の大小を比べつつ、僕は彼らと向き合った。
リーンフィリア様以外の神と対面するのは、安全なテレビ画面の前時代からかぞえても初めてだ。
異常事態とも呼べる顔の様子から、三人を明確に区別することは難しかったが、特に強く相手を叱責する神をA、中立的な意見を述べているのを神B、責任を追及されているのを神Cと呼称しようと思う。
口論の興奮冷めやらぬ神Aが露骨に顔をしかめた。
「何だこいつは? 何者だ? 待て、おまえ土臭い竜をつれているな。我らの住居に汚らわしい地上の生き物を入れるとは何を考えている! 出ていけ!」
は?
「落ち着け。この者はひょっとして……。そうか、あの小娘が招聘した騎士だな?」
比較的冷静な神Bがなだめに入る。
「小娘? 誰のことだ?」
「天界のはずれに、出来の悪い女神がいただろう。ろくに自分の神格も上げられないくせに、地上のことばかり気にしているあの娘だ」
「ああ、あの、降格ばかり繰り返している低俗な女神か……。そんな恥さらしもいたな。ハッ」
は?
神Aは侮蔑するような口の歪みから、さらに嘲りの声を向けてくる。
「その下僕がどうしてここにいる。責任者のあの女神はどうした? ここはおまえたちごとき下賤の者が立ち入っていい場所ではないぞ。これはまた、処罰が必要だな」
は?
「いや待て。そんなことより、この騎士に我々を守護させるべきだ。女神のしもべよ、おまえも外の様子は知っているだろう。天使と悪魔が結託し、天界を荒らしまわっている。ここにもいつ狼藉者が飛び込んで来るかわからん。この部屋の入り口を死守することを命じる」
は?
「どうして?」
僕が思わず聞き返すと、神Aが出番とばかりに眉を逆立て、
「どうしてだと? 何だその口の利き方は? 我々は、おまえの主よりもはるかに格の高い神であるぞ。本来なら、目通りすら許されぬ相手だ。それを貴様――!」
「待て待て。所詮、藁で編まれた蛮族の神のしもべだ。気品ある者など期待できるはずもない。いや……フグの毒の神だったか? まあ何にせよ、下等な神には違いない。この緊急時ゆえ、大目に見てやろうではないか。それに、この者も役目くらいは理解しているはず。恐らく、女神を守護しに戻らねばならんのだろう」
は?
神Bの何度目かになる仲裁が入ると、今度は黙っていた神Cも参入してきた。
「あんな辺境の女神などどうでもいい。我々は天界でも高い地位にある神だ。そしてここが天界の中枢だ。ここを守れ! その汚らわしい竜も今だけ特別に滞在を許してやる。さあ早く外を見張ってこい!」
は?
僕がなおも黙っていると、三人は呆れたように顔を見合わせた。
「何だこいつは。我々の言うことが聞けないとでも言うのか?」
「我らに恩返しできる好機だというのに、このように機転の利かぬ者しか使役できぬとは、所詮その程度の神か」
「本当にどこまでも役に立たない娘だな。今まで目こぼししてやっていたのが馬鹿馬鹿しくなる」
は?
聞き捨てならないセリフがあった。まあ、最初から全部なんだけど。
「恩返し? 他の神様がリーンフィリア様に何をしてくれたっていうんだ?」
僕が言うと、さっきまで責任を追われて弱り顔だった神Cが得意げに顔を捻じ曲げ、
「ふん、わからんのか。あのような卑賤の娘、神々の末席に加えてやっているだけでも、途方もなく大きな温情というものだぞ。それなのに土くさい地上の民と関わったり、不相応に強力な武具を集めたりと、勝手なことばかり……。大方何かの手柄を得たいと躍起になっているのだろうが、ハハ、見え透いている。所詮、小娘の浅知恵で――」
僕は無言で神Cの顔面に拳を叩き込んだ。
「ぎゃあっ! き、貴様、何のつもりだ!?」
「答えは、ばかめ、だ。――アンサラー!」
すかさず撃ち出したアンサラーの魔法弾丸は、神々の前に現れた分厚い光の障壁によってあっさりと砕け散った。
「何だこいつは! 突然殴りかかってきたぞ!」
「大方知性が未発達な野蛮人なのだ。我々の話もほとんど理解できていなかったと見える」
「い、いや、違う! こいつはわたしを殴った。そ、そうだ、反逆だ! あの低俗な神が、自分が認められない腹いせに、この機に乗じて反逆を起こしたんだ!」
僕はさらにアンサラーを連射。しかし、光壁は揺らぎもせずに全弾を防ぎきる。
ちい! 神三体ってのはやっぱ分が悪いか! さっきパンチじゃなくて、抜き打ちでたたっ斬っておけばまだマシだったかな!?
でも、闇討ちで終わらせたら腹の虫も収まらんよなあ!
こいつら、僕の女神様をどんだけコケにしてくれてんだ、ああ!?
「愚かな。そのような攻撃が神に通じると思うか!」
誰かが勝ち誇った声を放った直後。
――グウウウオルルルルアアアアア!!
僕の頭上を飛び越えたアディンが、全体重と跳躍力、そして何より、ストレスフルな会話を聞かされ続けた莫大な怒りを加味した前脚の一撃を、一片の逡巡なく障壁に叩き込んだ。
部屋に連立する直径二メートルはある大柱が一つ残らず激震し、天井から小さな砂を降らせる。光壁が竜の爪を受け切れたのは、ほんの半秒。それがすぎた頃には、神々を守る盾は、水たまりに張った薄氷のようにたやすく全身を打ち砕かれていた。
「く、くそっ! こうなったらおまえが戦え! わたしが援護してやる!」
「何を言う! そうやって自分だけ安全な場所にいるつもりだろう! わたしが負傷でもすれば、そのぶんおまえが格で優位に立てるからな!」
「そんな話をしている場合か! 力を合わせろ、力を!」
ここからが本番――そう意気込んだ僕の目に、異様な光景が映った。
戦いを押し付け合う三体のバケモノ。目の前に敵がいるのに、まったく噛み合わない言動。
何だ、こいつら……。
怒りとは違った苛立ちが僕の胸を炙った。
今がどんな状況かわかっていないのか? それとも、僕とアディンを突破して平然と生き残る自信があるのか?
答えはすぐに出た。
一体があっさりアディンに噛み千切られ、一体があえなくカルバリアスで叩き斬られて。
最後の一体。
確か、仲間の責任を追及していた神A。
破損個所から血ではなく、土くれのようなものをこぼれ落し、最後は全体を崩れ落とさせた神二体を見た、最後のそいつは、
「何だこれは! このようなことが起こるはずがない。許されていいはずがない。おまえたちはおかしい! これはおかしい! 間違っている! 想定外だ。誰だ、誰の責任だ。絶対に許さんぞ。絶対に許さん――」
そうわめき立てる途中で、僕の剣とアディンの爪に頭部をエックス字に切り裂かれ、土と弾けた。
「…………」
僕は、トーガ風の衣服の内側に積もった土の小山を、吐き気すら伴う苦みと共に見下ろした。
抵抗しようと思えばもっとできた。それだけの力もあった。三人で協力すれば、もっと頑強に戦えた。一人くらいは、救援を求めに脱出できたかもしれない。
それなのに。
神々は何一つ、この状況で利となる行動が取れなかった。
ただ罵り、疑い、反目し、危機を押し付け合って、自滅していった。
これが、今まで散々リーンフィリア様を苦しめ、嫌がらせを続けてきた者たちの正体。
これが。こんなものが。
「何やってんだ、おまえたちは……」
そして、こいつらは……僕たちの世界を模して、作られている。
猛烈に気持ちが悪かった。
※
神殿を出た僕とアディンを、戦火に沈む天界の風景が迎えた。
雲に浮く神殿は打ち壊され、崩れた石製の屋根には火の芽が揺らめいていた。
「殺せ! どんな哀れな醜態を見せようと、所詮オゾマから剥ぎ落ちた肉片にすぎん! 何一つ容赦はするな!」
仔馬の悪魔ガミジンが、恐ろしいほどの大声で言い放ちながら、天界を駆けまわる。
中でも特に活躍が目覚ましいのは、バッドスカイ、サベージブラックの群れ、そしてオメガの三者だった。
神殿から火の手が上がれば、その後でだいたいサベージブラックの軍勢がそこから這い出してきた。逃げ出した神々を追うのは、稲妻もかくやと思う速度で飛翔するバッドスカイ。短時間とはいえ操られた恨みを晴らすように、片っ端から焼き尽くし、食らい尽くす。
そしてオメガは、まだるっこしいことは一切しないとばかりに、神殿ごとバスターアンサラーで粉々に打ち砕いていた。落下する石材に打たれながら何とか脱出した神も、目標をセンターに入れてスイッチする冷酷さで、次々に撃ち落されていった。
天使に、悪魔に、竜に追われた神々がそこここで、相手を罵り、こうなった責任者を罵り、自分には何一つ落ち度がないことを嘆きながら、仕留められていった。
彼らは心からそう思っているに違いなかった。
誰一人、死力を尽くして抗おうとする者はいなかった。
そんな光景を尻目に、僕とアディンは庭園のような場所へと降りたつ。
そこでも一つの決着がつこうとしていた。
「なぜ我々が、下等な地上の生物に攻撃されなければならない。こんなことは許されない。我々は高貴な神だ。至高の存在だ。我々が攻撃されるなどオカシイ。アッテハナラナイ。アルハズガナイ……」
ディノソフィアを相手に、倒れ込んで尻を引きずりながら後退する神がそう抗弁している。
彼女は言った。
「命に下等も上等もない。命の価値は同等じゃ。ただ、何をするか、何を為したかが違う。おまえたちは神として何をした。地上の者と共に生きたか」
「なぜだ。なぜ汚らわしい土まみれの生き物と共に生きなければならない。ナゼワレワレガ、ナニカシナイトイケナイ。ワレワレハカミダ。コウキナルソンザイダ」
「めでたい話じゃな」
蛮刀で脳共々頭部から股間までを一直線に断ち切られ、断面から土くれを噴き散らしながら絶命した神は、やはり最後まで自分の置かれた状況を直視していなかった。
「同情したくなるほど愚かしいヤツらじゃ。なあ、ツジクロー」
もはや情勢は勝ちに揺るがないというのに、妙に弱々しく聞こえるディノソフィアの声が、僕にそう告げた。
確かに愚かだった。
目の前に敵が迫っているのに、しかも、相手を根絶やしにすることしか考えていない敵だというのに、神々は一つにまとまれず、自分の立場だとか、優位性だとか、同胞をやり込めるチャンスだとか、そっちの方ばかり気にしていた。
楽観的と言えばまだマシに聞こえもするが、結局は、真剣に事態と向き合おうとしなかっただけだ。
この先も自分たちは存続するはずだ、とか。
まさかそこまではやらないだろう、とか。
自分たちが想定する甘いルールにすがり続けた。すがらざるを得ないという覚悟も、切迫感も、その中で全力を尽くそうという執念も、持ち合わせないまま。
罵り合う神々の中に一見まともな意見があったのも、苦々しい話だ。それが採択されることは結局一度もなかった。
そう、作られた。
何があろうと賢くなることを許されず、そうあれ、と。
僕らを模して。
「この一年、何度となく、自分が神であった頃のことを思い出したよ。わしらはよく地上に赴き、生き物が住めない荒々しい土地があれば均し、荒ぶる天災があれば和らげ、少しでも実り多き豊かな土を作ろうとした」
ディノソフィアの小さな背中が言う。
それは、リーンフィリア様がしてきたことそのもの。
彼女は誰に教わることなく、大地神としての気質を持ち、務めを果たしていたのだ。
「そうしているつもりだったよ」
彼女の声は痛々しく僕の胸に食い込んだ。
「わしらは、こんなだったのか?」
ディノソフィアの横顔が鈍く笑って聞く。
「確かに、虚栄心を競う者もいた。謀をして相手を貶める者もいた。万物の規範となるにはあまりにも生臭い我らであったよ。それでも……地上を、この世界を愛していたとは思う。思いたい。しかし、違うのかな。はたから見た我らは、こうであったのかな……」
僕には何も言えない古い時代の話だった。
悪魔はすでに神の気質を失い、地上の民を脅かす存在になっている。かつての片鱗を探すことは難しい。
何て言えばいい。直に見てもいない僕が、何て言えば。
その時、ぐしゃあ、と乾いた音を重ねて響かせ、胴体で両断された神の死体が四つ――正しくは八つ――、広場の壁に横並びになって叩きつけられた。
「おまえはここまで愚かではない。そして俺たちも」
生垣の奥から無造作に現れた黒い影は、沈黙する庭園の一角に向かって言い放つ。
剣型アンサラーを手に提げたスケアクロウ。恐らくは、四体の神を一人で同時に相手取り、ただの一閃でケリをつけた。
「ツジクローがすでにそれを証明した」
僕を見る。迷わずうなずき返した。
「そうだね。僕らはこんな連中とは違う。だからこそ、こうして一緒に戦えてる。ディノソフィア、オゾマは僕たちをちゃんと見れていない。ヤツには僕らがわかっていない。大地神のことも。僕も、おまえも、この偽の神様より、もっとマシな生き物さ」
ディノソフィアは肩を揺らし、ようやく重しの取れた顔で薄く笑った。
「……そうじゃな。おまえがそう言ってくれるなら、信じる」
空を引き裂くアンサラーの閃光。静寂を追い返し続ける竜の咆哮。安息を忘れた悪魔の怒声。一時天界を覆い尽くしていたこれらの喧騒は、ある時を境に徐々に減少し、ついに、その瞬間がやってきた。
――天界奪還成功。
藁蛮神「げーこくじょうだぜー」
フグ毒神「つーぶーせー」




