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第二百六十一話 愚かな天使たち

 翌日。グレッサリア、夜明け前。

〈コキュートス〉を覆う内壁の上辺で、無数のカンテラの光が星空のようにまたたいていた。


 ――天界襲撃。


 最終決戦への重要な布石となるこの攻撃は、オゾマが作り出した偽の神々を滅ぼし、天界を最後の基地とする意図をもって実行される。


 参加するのは、悪魔を中心とした各種族戦闘特化のメンバーのみ。

 もちろん、僕が筆頭だ。


「ツジクロー様」


 カンテラを腰に提げ、静かな足取りで歩み寄ってきた女神様を、鎧の内側から見やる。


「いよいよですね」

「はい。まず、ここからです」


 夜のように静かに鳴る心音を感じながら、僕は答えた。

 ここでつまずくことも、消耗することも許されない。これはまだ前哨戦で、決戦とは比べものにならないほどちっぽけな障壁。しかし、僕らは必死だ。


「ここまで来たら、わたしに言えることは、どうか頑張ってくださいということだけです」

「とても嬉しい言葉です。必ずやり遂げてみせます。そこから始まる、みんなの戦いのためにも」

「わたしと地平線の加護が、あなたにありますように」

「タイラニー」

「タイラニー」


 ここに来るまで、あなたの加護を疑ったことなど一度もありませんでしたけどね。

 わかりきった蛇足の言葉を飲み込んで、僕は共に攻め上がる仲間たちに向き直る。


 パスティス、アルルカinカイヤ、各種族代表チャンピオン、悪魔、サベージブラックほか大勢の竜、そしてディノソフィアとスケアクロウ――この世界で武闘派の上層をなす頼もしい戦士たちが、僕の合図を待っていた。


 目で彼らに今一時待つように伝え、僕は、神話の時代からここに空く大穴へと意識を向けた。


「白亜王。待たせたな。約束を果たすよ」


 地の底から風が吹いた。


 この一年、白亜王は待ち続けた。決して暴れることなく、まるで外で奮闘する僕らを信じ抜くかのように、うなり一つ上げずに、力を失う失意と恐怖に耐え続けた。

 今、それに報いる時だ。


〈ダークグラウンド〉の曇天の表面に、払暁の幽光がにじみ出た。

 夜明け。


 グウルルルル……。


 真っ白い片角の竜が僕のところにやってきて、背中を差し出した。

 カンテラを外し、アディンの背に乗って、軽く二度叩く。

 軽やかな跳躍と翼膜の羽ばたきが、僕たちの体を数メートル浮き上がらせた。


「リーンフィリア様、行ってきます」

「決戦の準備をして待っています。必ず無事に戻ってきてください」


 ありふれた言葉だったけど、それが、感情の何もかもを凝縮した第一の言葉なんだということを、僕はこの時に知った。


「行くぞ。みんな」


 語りかけるような僕の声に応じ、背中に施術した〈メルクリウスの骨翼〉が他の仲間たちを釣り上げる。これも、決戦用に改良された魔法のうちの一つ。扱いやすさは格段に向上していた。


「ツジクロー。“みんな”のこと、よろしくね」


 アンシェルの声は、リーンフィリア様の隣と、兜の羽飾りから同時に聞こえた。


「ああ、わかった」


 リーンフィリア様とアンシェルにうなずくと、僕とアディンは一気に浮上を開始した。


 他の仲間たちもそれについてくる。

 のぞき穴のない面当てが風を割るのを感じながら、僕は冷たい心音を聞いた。


 始まった。

 もう後戻りはできないし、したくもない。

 ここから先は、すべてが上手くいくように――断固として行動するだけだ。


 ふと振り返った背後、僕に続く仲間たちのさらに奥に、青白く燃えるようなグレッサリアの街が見えた。どれもカンテラの光だ。〈コキュートス〉周辺だけでなく、町全体に広がる微光。みんなが僕たちを見守ってくれている気がした。


「ツジクローよ。おまえには感謝しておる」


 不意に、僕の横に、改良型〈オルトロス〉で武装したディノソフィアが並ぶ。


「正直、おまえがここまで大それたことをするとは考えておらなんだ。何だか、夢の中にいるような気がする。今、目が覚めてベッドの中におったら、さすがのわしもヘコむよ」

「実感が追いつかないのは僕も同じだ。でも、思い出せる。世界中を回って、この計画に参加してくれるみんなと会ったことを。だから大丈夫だ。この夢は、覚めないよ」

「おまえが見せる夢だものな」


 ディノソフィアがうっとりと微笑み、僕の兜の内側から満ち足りた笑みを返した。その時。


「んのじゃぁ!?」


 突然、彼女を、後ろから追い抜いた白黒の影が押しのける。

 ディバと、パスティスだった。


「ツジクロー様。必ず、勝とう、ね。ツジクロー様と一緒なら、わたしは、少しも、不安じゃない、よ。いつだって、そうだった。だから今も、平気」

「僕も、君と一緒なら負ける気がしないよ」


 パスティスは頬を赤らめ、少し目線をはずした。


「この戦いが終わったら、わたし、あなたのこと、名前だけで、呼ぶ、ね。様づけ、しない……。あなたの名前だけを、呼ぶ。必ず……。いい、よね?」

「うん。楽しみに待ってるよ」


 すると今度は逆側から、ごつごつとしたシルエットが追いついてくる。


「爆心友、今わたしは困っている」


 アルルカは飛行機能を持った重装超兵器の内側から微苦笑を浮かべ、だしぬけにそんなことを言ってきた。

 僕は微笑み、芝居がかった口調で、


「友よ、何でも言ってくれ」

「今まさにすべてを賭けた決戦だというのに、帰ったらやりたいことが山ほど見つかるんだ。新しい発明のアイデアがどんどん浮かんでくる。困っているのは、それがどれも、戦いのためのものではないことだ」

「へえ。それは新境地だね」


 アルルカは笑みを深くして、前を向いた。

 目指す北の空には、曙光にかすまぬ輝きを持って、彼女の名を示す星がまだ光る。


「たくさんのことを学んで、世界がまた一つ広がった。最初は砂漠の一角で超兵器を転がすので精一杯だったのに、ずいぶん大きな夢を見るようになってしまった」

「責任を取ろう」

「それを聞いて安心した。これからもよろしく頼む」


 最後は、アディンの腹の奥側から。

 トリアに乗ったスケアクロウが近づいてきた。


「ツジクロー、おまえと会えてよかった」


 彼にしては素直な物言いだった。


「僕も、おまえがいなきゃ、この世界にいなかった。その点については感謝してる」


 スケアクロウは少し間を置いた。兜の内側で、ぎこちなく微笑むような気配があった。


「俺は見たい。リーンフィリアの命に続きがあるところを。そういう世界がちゃんとあることを。それを、俺に見せてくれるか?」

「そのためにはおまえの力が必要だ。ひとの世界だと思ってサボるなよ?」

「わかっている」


 生真面目な返事に、笑みが含まれていた。

 みんなとの言葉のやり取りが、僕の体に熱を呼び込むようだった。

 行ける。これ以上ないほど万全な状態で、天界に乗り込める。


「なんで戦いの前にそういう話しちゃうのかなあー」


 羽飾りからアンシェルでない声の割り込み。魔法補助担当のエルフたちと地上で待機するマルネリアだ。


「ボクだって言いたいことあるよー? でも、緊張感なくしちゃったらって思って我慢してたのにさー」

「マルネリアも我慢することあるんだね」

「あっ、へーえ、そういうこと言っちゃうんだツジクロー殿? んーんー、よし、火種投下する。“ツジクロー”、勝てそうになかったら一人でも帰ってきていいよ。世界の終わりまで、愛しあお? “この前みたいに”」


 …………。…………ん?


「え? マルネリア? この前って?」


 ほどよく冷えた緊張感にあった僕の心が、いやな熱を発し始める。


「この前はこの前だよ。覚えてないの? ひどいなー、ツ、ジ、ク、ロー! あんなに積極的にボクを求めてきたのにいー! もう足腰立たなくなるまでさあ……」


<〇><●><◎><◎><〇><〇> ズラッ!


「ヒッ、何かを感じる! おいやめろマルネリア! 言っとくけど僕この一年のこと全部克明に覚えてるからな!? 一睡もしてないからな!? これって間接的とはいえセクハラ罪と同様だぞ!」

「にゃはは~。緊張ほぐれた?」

「はらわたまで食らい尽くされたよ!」


 クソッ、さっきまでシリアスな決戦の空気が確かにあったというのに!

 最後までコレジャナイか僕は!


「でも、ありがとうね」


 僕は羽飾りに呼びかけた。


「ん……」

「この一年、みんなすごく頑張ったけど、一番の功労者はマルネリアだと思う。魔法研究から、ルーン文字から、ドワーフと悪魔の魔導工学技術まで、君は全部に関わってた。この戦いになくてはならないものを、全部仕上げてくれた」

「うん……。見ててくれた?」

「全部じゃないけどね。驚いたよ。成果物を見せてもらうと、どこかにマルネリアの面影が必ずちらつくんだ」

「ちゃんと、ボクを感じてくれてるんだね。それだけでも嬉しいよ」

「僕は君からもらった力を、普段からぶっぱなしまくってきたからね。感じ取れないわけないだろ?」


 マルネリアは小さく笑い「うん」とまた言った。


「ねえ、ツジクロー」

「なに?」

「ちゃんと帰ってきてね」

「勝って、ね」

「うん……」


 それきりマルネリアの声は聞こえなくなった。


 何か感情が溢れだしそうな終わり方だったけれど、あの修羅場強者のすることだから、どうかな。今頃、地上で待つエルフたちと一緒に「あいつ落ちたでしょ、これ落ちたって!」とウェーイしている可能性もある。いや、そうだとは言わないけどね。純情な僕は。ワンチャンに賭けて。


「ツジクロー、そろそろよ」


 冷静なアンシェルの声が入る。

 襲撃隊は〈ダークグラウンド〉の暗雲の範囲から抜けつつあった。ここまで雲の下を飛んできたのは、天界――ひいては天使たちから姿を隠すためだ。


 DLC天使および突撃隊予備隊は、すでに天界に帰っている。地上に異変ありと聞きつければ、即応部隊の彼女たちがすっ飛んでくる可能性は高い。

 さて、賽の目はどう出るか……!


 雲を抜ける。暁の空一面にオゾマの眼!


「総員、加速するぞ。隊列を崩すな!」


 約四十五度の仰角で急浮上。そのままぐんぐん高度を上げていく。


「天界の座標は?」


 僕はアンシェルに問う。


「変わらないわ。そのまま真っ直ぐ! 来るわよ!」


 この通信は同隊の仲間たちすべてが聞いている。

 みんなの強張る空気が、アディンの翼の速さを追い抜いて伝わってきた。


 前方に白い燐光! 数、多数!


「察知されたぞ、天使だ!」


 誰かの叫びの後、僕の隣に黒い影が飛び込んできた。獅子面の悪魔、サブナクだった。


「おい、ツジクロー、本気でやるのか!?」

「今さら何言ってんだ、本気に決まってるだろ! 他のプランなんかない! 一つの失敗も許されないんだ!」

「ドワーフもゲロ吐く無謀な作戦だぞこれは!」

「やかましい、ビビるな! 総員、再確認するぞ!“何もするな!”いいか、何もだ! 一切攻撃せずこのまま正面から突入する!」


 天界から出撃した天使たちとの距離はみるみる縮まっていく。


「アンサラーの射程距離に入るぞ。いい的だぜ……!」


 悪魔がなおもうめく。仲間たちが息を止め、身構える様子が手に取るようにわかった。これを聞いているアンシェルも同様だろう。


“みんな”のこと、よろしくね――彼女の言葉が今一度頭をよぎった直後、天使たちの姿がはっきりと目に映った。


 全員がアンサラーを肩付けし、構えている。トリガーにかけられた指さえ見えた。完全な邀撃態勢。

 しかし、僕たちはこのまま直進!


 豪雨のようなアンサラーの一斉射撃は――


 来ない!!

 天使はアンサラーを撃たない!


「きょうだーい!!」

「ばかー!」


 天使の一群と襲撃隊が正面衝突しそうになった瞬間、僕の体に二人の天使が巻きつくように飛びかかってきた。

 ディーとエル。強欲の天使たち!


「やったぜきょうだい。おまえの言う通り、あたしらまた出世だ!」

「それで、どうなった!? 立場は!?」


 呆然とする悪魔のマヌケ面を背後に感じつつ、僕は天使たちに問う。


「えへへー。聞いておどろけばかー? アンサラー保管庫の管理とー……」

「女神の騎士が昔使ってた武具保管庫の管理を任されたぜー! こっちから打診したかいがあった! やっぱあたしらは持ってる! んで!!」


 ディーが後ろにいる突撃予備隊に振り返ると、彼女たちは一斉に、背中に回していた武器を掲げてみせた。

 僕は思わずガッツポーズを取る。


『Ⅰ』においてフル強化されたレベルマックスの僕の武器!! いや先代のだけど!

 最大HPの補正+300%、攻撃速度1・5倍、被ダメージ半減、攻撃のたびにHP回復などなどなどなど……有能なスキルを秘めた武具ばかり!

 よしよしよしッ! 十全によしッ!


「みんな、あの武器を受け取れ! どれも持ってるだけで特殊な力を与えてくれる!」


 言うが早いか、天使たちが僕らの隊に混ざり込んで武器を手渡していく。


「どういう仕込みだよ、ツジクロー……」


 防御力と最大HPがアホほど上がるナイフを受け取ったサブナクが、頬肉を痙攣させるようにひくつかせながら言った。


「天使たちはさ、結構融通がきくんだよ。命令されればそう動くし、されなければ動かない。リーンフィリア様が、彼女たちにこっそり命令したんだ。手に入る装備をありったけ持って、こちらに合流しろって。秘密裏に動いたから、偽の神々は全然気づいてないのさ」

「天界の武器庫をかっさらわせたってのか……!」


 サブナクがうめくと、ディーとエルは僕にくっついたままヘラヘラと笑い、


「いや、あたしたちその権限あるしー?」

「ちょっと保管庫から取り出して見てただけだよー。整備? そしたら急に出撃かかってさー。いやーしかたない。えへー」

「だからって、こっちを攻撃しなかったのは……」

「んー、だってー、もう別の命令受けてるからー」

「なに?」


 エルははるか空の下を指さす。


「フグ毒神がー、“天界へ近づいてくる女神の騎士率いる一団は味方であり、万が一攻撃命令が出たらそれは通達ミスだから、従わなくてよし”って」

「命令を前もって先に潰しておいたのか? そ、そんなんなことで――」

「あとー、今の天界の神ー、超キモいし、バカだからー、いらなーい」

「えっ」


 天使の無作法な物言いに、サブナクの赤い目が点になる。

 これを皮切りにDLCコンビは好き勝手言い始めた。


「言ってることが違うんだよあいつら、朝と昼ですでによー! なのに何で命令に従ったあたしらが怒られるんだ? でかい頭してくるくせに毎秒記憶喪失かよぼけがー!」

「バカだから騙しやすかったけどー、もうこっちもずいぶん偉くなったから、いらなーい。これからは足引っ張られるだけだし切り捨てー、えっへえ、えっへへへえええ~」

「システムだからって、いつまでも大人しくしてると思った? 残念、ゆえあれば裏切るんだなこれが!」


 ニタニタと笑う天使たちは、明らかに従順な従者の域を越えている。


「雑に扱わなくてよかったな大地神殿? これが天使たちなんだよ」


 僕がサブナクの肩を叩くと、彼は絶句したままこくこくとうなずいた。

 余裕ぶっこいて解説しているけど、これは全部結果論にすぎない。こうならない可能性だってもちろんあった。


 けれど僕は、オゾマに勝つための条件に無理やり作戦を合わせた……いわば、戦場にルールを合わせるのではなく、ルールに戦場を合わせる大愚策を張ったのだ。


 そうするしかなかった。そうでなきゃ負ける道しかない。細い糸を手繰り寄せる賭けが必要だった。


 ただ、僕はすべてを希望的観測に任せたわけじゃない。

 可能性と、そして願望があった。


 天使たちは、アンシェルが言うようにガチでシステマチックに行動する補佐役じゃない。もし、二つの命令の間で迷ったとき、彼女たちは感情的なものを――心を判断材料にすると、そう信じたのだ。


 なぜなら。

 心もなく命令を遂行するだけなら、それはオゾマの内側にある世界と同様だからだ。


 大地神はオゾマから愚かの烙印を押された。ならば、大地神が作った天使たちも、また愚かである可能性は高い。愚かにも、個々に心を持つ素敵な存在である可能性が。


 何より僕が、心がないような相手アンシェルとリーンフィリア様の取り合いをするはずないじゃないか。


 そしてそうでなければ、僕たちは負ける。天使たちが心を持っていることは、二つの意味で重要になる。一つは、たった今証明され、もう一つは最後の戦いでわかる。


「よし、武器は渡ったな。このまま天使たちと天界を落とすぞ!」


 新たな仲間と武器を得て、僕たちはいよいよ天界へと殴り込みをかける。


DLC天使はクズではなく星屑だったというか鬼なる

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