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第二百五十六話 悪魔の国から

 雪虫のように雪片を舞わせる〈ダークグラウンド〉とは一線を画する空気だった。


 あたりは夜のように暗く、風のひと撫でが刃物を浅く走らせるように薄皮を裂き、混じった雪は、砕けるだけマシの石くれと大差ない硬さを持っている。


「ここは……」


 分厚いコートを着込んだセルバンテスが、重く立ち込める雪雲を見上げつぶやく。


 北海。

 島と見まごう巨大な氷山氷塊が漂う、極北の海域。


「ここが目的地だったのか。雪だるまも凍死しちまう。この季節には遠慮してえところだぜ……」


 可愛らしいモコモコ熊の防寒着の口の部分からつぶやくアーネストも神妙な面持ちだ。


 二人の態度が普段と違う理由を、僕らは知っている。

 かつてここで、一つの家族が吹雪に消えていった。

 セルバンテスの兄、アレクサンドル・ヴァッサーゴとその妻子。


「ここが、悪魔どもの隠れ家じゃよ」


 一つの氷塊に横づけされたナグルファル号から、ディノソフィアが軽やかに飛び降りた。僕らもそれに続く。


 この海域には、陸地というものがない。陸地代わりの氷塊は常に流れており、決まった位置にはとどまらないという。

 ちなみにこのロリ悪魔、普段のビキニアーマーに、マフラーを巻いただけというイカれた格好をしている。少しも寒くはないらしく、マフラーもただのポーズとのこと。


「すごいとこだな……」


 僕はさっそく兜の面当てを埋め始めた雪を払いながらつぶやく。


〈ダークグラウンド〉は冬の星空めいた静けさだったけれど、ここは違う。絶えることのない風雪がうなり、この地を踏むのにふさわしくない相手を一秒でも早く追い出そうとしている。世界の果てという言葉がよく似合った。


「大丈夫ですか、リーンフィリア様」


 寒さを気遣い、アンシェルが声をかける。女神の騎士と従者たちは、彼女の力で暑さ寒さに強い耐性を持てるけど、彼女は違った。


「…………」


 アンシェルの隣には、でかいペンギンが立っていた。


「大丈夫です」


 でかいペンギンからリーンフィリア様の声がした。

 これ、女神様です。


 アーネストが「可愛いオレ様用」に持っていた防寒着の中で最強の保温性を誇るのがこれ。完全にペンギンのきぐるみだ。顔を出すところすらなく気密性は完璧、つまり中の人は前が見えない。


 すでに衣料として大失敗だが、一度も使われていない最大の理由は、着用すると可愛いオレ様が誰からも見えなくなるかららしい。


「では行こうかの」


 僕ら一行に加え、万が一に備えてセルバンテスもついてきた。この北限に詳しい人物は、彼くらいしかいない。アーネストは船番として残った。


 雪は降りが激しいわりに、あまり積もっていない。海水をよくかぶるからだろうか。風の音に混じって、砕ける波の音が近くに聞こえた。


 ほぼ暗闇に近い視界を、ディノソフィアの小さな背中を目印に歩く。

 足元は真っ平だ。ここが陸地ではなく、氷の上だということがよくわかる。


 ふと、何もないところでディノソフィアが立ち止まった。

 足を振り上げ、しきりにそこらの地面を蹴っている。


「? 何をしてるんだ?」

「このあたりのはずなんじゃがな」


 がちがちと乾いた音を立てていた地面が突然、がん、という金属音を発した。


「お、あったぞ」

『!!』


 僕らは目を見張る。

 氷の地面に扉が取り付けられていたのだ。

 両開きらしき扉は鈍い鉛色を放っており、雪に浅く埋もれただけで氷の表面と見分けがつかなくなっている。


 何だこれ。まるでシェルターの入り口だ。

 ディノソフィアはそれを小さな足でがんがんと蹴った。


「おい、誰かおらんか! 客じゃぞ!」

「はあい」


 強風の中、場違いなほど柔らかい声が聞こえ、僕は思わず耳を疑った。


「だれー?」


 ぎぎぎ、とさび付いた音を立てて開いた扉の隙間から、大きな瞳がのぞく。


「え……?」


 小さなつぶやきが聞こえたのは、僕の背後から。が、それに振り返るよりも早く、


「こら、ヴィクトル。吹雪の時は扉の近くにいるなっつってるだろーが。ったく、やれやれ……」

「あ?」


 僕もまた、地下から聞こえた声に、驚きとは別種の反応を示してしまっていた。

 体が勝手に反応して扉の隙間に手を突っ込み、力任せに開く。と。


 少年と野獣が――黒い獅子面の――、ぽかんとした顔をこちらに向けていた。


『なにいいいいいいいッ!?』


 互いの顔に向けて絶叫を投げつけ合う。


「サ、サブナクッ!!?」

「め、女神の騎士ィ!?」


 メラニズムめいた漆黒の獅子の頭部を持つ悪魔。見間違えるはずがない。〈ディープミストの森〉でエルフたちの共倒れを狙っていたやれやれ系のサブナクだ!


「この野郎――」

「てめえ、とうとうここまで――」


 驚愕の応酬から即座に臨戦態勢に進んだ僕らを、突如、不可知のパワーが横にすっ飛ばした。


「あばら!」「ぶべらっ!」


 僕らを弾き飛ばしたのは、セルバンテスだった。

 彼は入り口のすぐ先――地下に伸びていく階段の最上段にいる幼い少年の前にひざまずき、かすれた声を絞り出す。


「ヴィクトル……? ヴィクトルなの?」

「あっ。セルバンテス叔父さん!!」


 少年の目の輝きは、その直後、船乗りオカマの屈強な肉体に、押し潰されるように包まれていた。

 雪まみれになりながら立ち上がる僕は、困惑するばかり。

 こ、これは一体? 二人は顔見知りなのか? おじさん……?


「ヴィクトル……ああ、ヴィクトル! 生きていたなんて! こんなことって。ああ、よかった。神様……! 白亜王よ……!」

「苦しいよー、叔父さーん」

「ごめんなさいね。でも我慢してね。これはしょうがないことなのよ……。誰だって、こうするしかないのよ……」


 すすり泣く大男の震える肩を見やった僕は、ふと動かした視線を、同じく距離感を完全につかみ損ねた獅子の赤眼に合わせることになった。


「どう、なってるんだよ」


 僕が聞くと、


「しらねーよ……」


 と、悪魔もふてくされたように返してくる。


「サブナク。この子供は何じゃ?」

「あ? こいつは……って、おめえ“契約の”じゃねえか!? 女神の騎士と何してんだ!? 黒騎士も一緒だなんて一体……うお!? そのでけえペンギンは何だよ!?」

「女神じゃよ」

「はあ!? まさか、オゾマがまた何か作りやがったのか!?」

「違います。わたしは女神リーンフィリアです」

「しゃ、しゃべったァ!?」


 ダメだ。誰かが会話に加わるたびに混乱がミルフィーユのように層をなしていく。

 やれやれ系でなくとも頭を抱えたくなった時だった。


「この子は、ヴィクトル・ヴァッサーゴ。兄さんの子供なの」


 助け船の船員セルバンテスがようやく落ち着きを取り戻し、鼻をずるずるとすすりながら謎の一つを解明させた。


「え、お兄さんの……!?」


 僕は思わずサブナクを見やった。悪魔は「やれやれ」と潰れた鼻にしわを寄せ、


「ずいぶん前に、すげー吹雪いた時期があってよ。氷塊の端で、ヒトの家族で立往生してるところを拾ったんだよ。ただの人間かと思ったらグレッサでよ。驚いたぜ。嵐から逃げて来たんだと」

「え!? じゃ、じゃあ、兄さんもミーシャさんも無事なの!?」


 ゴオッ! それを聞いたセルバンテスがサブナクに迫る。


「ぶ、無事だから落ち着けよでけえの! 絶対俺に抱き着くなよ!?」


 偉丈夫のサブナクがビビるほどの勢い。やはりオカマ最強。


 しかし、驚いた! まさか、死んだと思われていた一家が、悪魔に保護されていたとは……!

 いや、サブナクが生きてるのだって驚きなんだけどさ。


「ま、立ち話も何だし、入れや」


 とても戦いが始まる雰囲気ではないと察したのか、サブナクは僕らを流氷の隠れ家へと招き入れた。

 緩やかなカーブを描きながら続く下り階段は幅広く、かなりの深さがあった。


 氷山の九割は水面下にあるというのはよく聞く話。内部は予想よりもはるかに大きそうだ。ペンギンもとい、リーンフィリア様、転げ落ちていかないよな……?


「叔父さん、こっちこっち!」

「待って、ヴィクトル。走ったら危ないわ」


 階段を駆け下りては、立ち止まってこちらを振り返るヴィクトルを、セルバンテスが優しくたしなめる。しかし、彼の足も気がはやっているのは一目瞭然。気を利かせたサブナクが声を向ける。


「先に降りてろよ、グレッサ。ヴィクトルと一緒にいりゃあ、他の悪魔が因縁つけてくることもねーからよ。早く家族と会いたいだろ?」

「ありがとうサブナク様……! ヴィクトル、行きましょう!」


 半ば巨大な腕にぶら下がるように手を繋いだヴィクトルは、きゃあきゃあはしゃぎながら、セルバンテスと先行していった。


「……生きてたとはな。ルーンバーストで確実にやったと思ってたんだけど」


 僕はいくらか気持ちを落ち着かせて声を出す。かつて本気の命の取り合いをしたとはいえ、直前のあの光景を見た後では、とてもいがみ合うことは不可能だった。


 少年にかわり先頭を引き継いだサブナクは、鬣に覆われた顔をこちらに向けることもなく、


「勝敗は兵法の常。負けは負けとして認めるぜ。だが、あれくらいで悪魔が完全消滅するとは思わないこったな」

「……伊達に元神様じゃないってことか」

「そこまでご存知かよ」


 その口ぶりに、僕らが今まで戦ってきたのは、本当に古い神々だったことを実感させられる。かと言って、罰当たりなことをしたという気はしない。かつての大地神たちは、間違いなく、地上の現行種族に対して攻撃を仕掛けてきたのだ。抵抗はどんな者にも許されている。


 ディノソフィアも参加する。


「わしが話した。その女神の騎士――ツジクローは、グレッサリアを立て直し、最近は怒り狂った白亜飢貌ノ王が〈コキュートス〉から出てこようとするのも止めておる。並外れた男じゃよ」

「おいおい……。厄介なヤツだとは思っていたが、そこまでなったか……」

「今やこのわしやスケアクロウですら、こいつと一緒に転がる石じゃよ」

「おまえの飼ってるあのバケモノみてえな黒騎士もか? そんなのと一緒に転がるって、どんな形してやがるんだ、こいつの石は……」

「面白い形じゃよ」


 ディノソフィアはククッと嬉しそうに笑った。


 と。

 急に階下が騒がしくなる。


「なっ! 何ですかなヴィクトル、一緒にいるその大男は! 突然入ってくるなんてありえない! んん、礼儀正しい訪問に導くしかない!」

「誰デスかワタチのコレクション鑑賞タイムをうるさい足音で邪魔するのは! ギャーッ! 謎の大男が! な、泣いてる……!?」


 おいィ……?


「まさか、サブナク……」


 僕が怨嗟の声を発すると、悪魔は声に苦笑いを含めて、


「そりゃ、いるだろうよ。隠れ家は他にもいくつかあるが、同時期に地上に出たよしみもあって、今は一緒に住んでる」


 階段を降り切った先に、内側からの光をこぼす半開きの扉が見えた。

 中へと踏み込んだ僕は、その意外な内装に息を呑むことになる。


 悪魔の兵器群を髣髴とさせる金属製の家具は、その黒光りを重たい色彩として室内に放っていた。しかし、醜悪さとは無縁のシンプルで機能美的なデザインは、くりぬかれた氷の内壁の荒々しさと裏腹に、ある種の近未来的な雰囲気を作り出していた。


 氷に覆われたSF世界、そこで戦うレジスタンスの隠れ家というイメージが、一瞬浮かんだ。


「兄さん! ああ、兄さん!」

「セルバンテス。すまなかったわね、今まで知らせてやれずに……。天使様に見つかるといけないから、外に出ることもできなかったのよ……! でも、また会えるなんて!」


 セルバンテスともう一人の――え、完全に綺麗な女性に見える人物が、通路の先で抱き合っているのが見える。


 あれが、アレクサンドルなのか? 声は確かに男らしいし、傍らで両手で口元を覆って涙をこぼしているのは確実に女の人だから――多分奥さんのミーシャさん――、そうなのだろうけど。


 何はともあれ、良かったなあ、セルバンテス……。


 固く抱き合う兄弟を、僕の胸も熱くなった。悲しみを乗り越えられてはいただろうけど、その悲しみ自体がなかったことになるなら、それに勝るものはない。

 アーネストにも教えてやったら喜ぶだろう。あれで、地味に律儀な男だから。


 けれど、その感動もすぐに冷たい感触に押し包まれた。

 セルバンテスたちの元へと通じる通路に、黒々とした異形がひしめいている。


 悪魔――


 見えるだけでも数体、通路脇に並ぶ部屋から半身を乗り出し、それだけで道を圧迫している。

 ヴァッサーゴ兄弟の号泣を何事かと見つめる彼らの中に、見覚えのあるのが二匹。


 鳥の頭部を持つシャックス。イナゴの頭部を持つアバドーン。やはりいた。


 割り切りの早そうなサブナクとは険悪にならずに済んだけど、ヤツらとはどうなる。他の悪魔たちとは? 知らずに握りしめていた拳に緊張を自覚した僕は、その一秒後に背後でアンシェルの悲鳴を受けることになった。


「め、女神様!」

「わあ……」

「!?」


 どん、と押され、何かの下敷きになる。


 鎧越しにもモフモフとした感触が伝わり、僕はそれが、階段を転げ落ちてきたリーンフィリア様だとすぐに察した。

 だけど問題はそこじゃない。


「女神だと?」


 アンシェルの叫び声を聞き、悪魔たちが一斉にこちらを振り向いたのだ。

 その赤い目は一様に険しく光り、お話の前に一波乱ありそうな空気を一瞬にして部屋中に充満させた。


本年もよろしくお願いします。再開していきましょう。


それにしても登場人物が死なない作品ですね……。

シリアスさん「お?」

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