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第二百四十五話 過去にいない男

 ゲームをプレイする健全な趣向の男子に、メーカーが決してやってはならないことがある。


 一、ヒロインが突然浮気する。

 二、ヒロインが突然主人公以外の男とくっつく。

 三、ヒロインが突然――そもそも別の男と結婚していることが判明する。


 全部同じじゃないかって?

 そうだ。


 つまりやってはいけないことは一つだ。これがそうだ!


 コオオオオオオオオ……!


 ……レジャナイッ! コレジャナイ!  コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナヒ! コレヴァナイ! コォレジャナイ! クオレジャナイ! コホレジャナイ! ゴレジャナイ! レゴジャナイ! ドゥレジャナイ! グゴォレジャナイ! ホゴェジャナイ! ゴレザナイ! ゴボボジャヴァイ!ゴゲゲガヴァイ! ゴゼガヴァイ! ゴゼヴァドゥライ! ガアアアアアアアアアアア!!


【大人になるって、悲しいことなの:20コレジャナイ】(累計ポイント-29000)


『リーンフィリア様ああああああアアアアアアアアア!!!?』


 僕とアンシェルは、泥の中を跳ねるハゼのようにのたうちまわりながら、リーンフィリア様の元へ転げていった。


「ぴいっ!」

「どういうことですか、今の話は!?」

「ウソですよね!? あの騎士と結婚していたなんてウソなんですよね!? 結婚したのか……!? わたし以外のヤツと!」


「ふ、二人とも落ち着いてくださいぃ。怖いですぅぅ……」


 頭を抱えてしゃがみ込んだリーンフィリア様の上に、屋根のように二人でのしかかったところで僕らは正気に戻った。


「す、すいません。つい……」

「この世界が終わるかどうかの瀬戸際だったもので……。そ、それで、どうなんですか? あいつの言ってることは本当なんですか?」


 リーンフィリア様は顔を赤くして言った。


「そ、そんなわけないです。わたしは結婚なんかしてません。そもそも、あの騎士のことをほとんど知らないんですよ」

「許嫁とか、そういうことは?」


 僕が追及すると、


「聞いたこともないです。ねえ、アンシェル?」

「はい。天界からそんなお触れが出たこともないです」


 念のため、ディノソフィアにも目線でたずねると、彼女はニタリと笑って、


「許嫁では、ないな」


 と言ってきた。

 はああ~、と僕とアンシェルはため息をついた。


 白状しよう。これでリーンフィリア様が肯定していたら、僕は確実に魔王化していた。

 この世界を憎み、あちこちの岩に悪口とか書きまくってすべてを呪い続けただろう。これは、それほどのことだった!

 

 そりゃあ、主人公が真の悪だとか、笑い話では済まないゲスクズだとか、因果応報なら理解もしよう。

 しかし落ち度がないのならっ! 意外性だとか、じっとりした人間ドラマを描きたかったとか、ヒロインにも選ぶ権利はあるとか、そんな言い訳は一切通らない。わかってやるとしたらたった一つ!「製作者はこの“女”を、ユーザーから嫌われるためだけに創造した!」ということだけだッ! あらゆる好意的解釈が不能な禁じ手なのだ!


 フウーッ……。危なかった。本当に紙一重のところまで来ていた。


「騎士様は、あの騎士のことを知っているんですか? 前にも少し見ましたけど……」


 リーンフィリア様がこそこそと小声で聞いてくる。スケアクロウの威圧的なシルエットと佇まいは、小心者の彼女にとっては苦手なようだ。


「ええ、まあ……。何度か戦うことがあったというか、こっちからつっかかったというか。ディノソフィアが契約を結んだ悪魔の騎士です。名前はスケアクロウ。一応、帝国創始者の一人らしいです」

「て、帝国の?」


 このあたりはもう少し細かい説明があるけど、それは後でもいいだろう。

 それより今は、妄言を吐いた不届き者にそれなりの対応をしなければ。

 僕はスケアクロウに振り返り、じわりと歩み寄った。


「どうやら、僕はおまえを勘違いしていたみたいだ。それなりに筋の通ったヤツだと思ってたけど、自分をリーンフィリア様の夫だと思い込んでいる狂人だったとはね」

「危ないヤツね。なんか結界がどうとか、リーンフィリア様の命がどうとか勝手なこと言ってたし。こんなヤツを女神様の近くに置いておけないわ。騎士、ちゃっちゃと追い払いなさい」


 アンシェルも冷酷な眼差しを向けていく。

 と。


「すべて事実だ」


 吐き捨てるような冷めたスケアクロウの声が、にじり寄る僕の足をわずかに牽制した。


「何度やっても、リーンフィリアの犠牲でしか、この世界は救われなかった」

「……“なかった”?」


 何だ、その不自然な過去形は。こいつ、確か、一応自分ではこれから起こることを話しているつもりなんだよな? どうしてそんな言い方をする?


「ふん……。何であんたにそんなことが断言できるっていうのよ。運命でも読めるってわけ? その顔で占いでもするの?」

「いいや」


 アンシェルの小馬鹿にした言い草に、スケアクロウははっきりと否定を返し、そして言った。


「俺は未来から来た女神の騎士だ」


 は……。


『はあ……?』


 さっきよりもいくぶん冷静な「はあ?」。


「俺のいた時間に、リーンフィリアはすでにいない」

「…………」


 僕とアンシェルはなんとも言えない曖昧な顔を見合わせた。

 僕らの反応が鈍いのは、直前にあったリーンフィリア様の結婚がそれだけ重大関心事だったということもあるけど、それよりも、すでに植えつけられたこいつへの猜疑心の強さが、その言葉を半分も受け止めようとしなかったことが大きい。


 だから、


「え……。じゃあ、この人、騎士様、なの……?」


 パスティスに言われて、僕は初めてスケアクロウが言ったことの本当の意味を理解した。


 え?


 彼女の一言が、僕の中で何一つ繋がらなかったものを結び合わせる。

 過去にいない男。アンサラーの所有者。リーンフィリア様の家族。


「スケアクロウが、僕……?」


 女神の騎士は僕だ。

 女神の騎士になれるのは一人だけ。だからパスティスたちは騎士ではなく、従者という位置づけになった。

 そしてスケアクロウも、自分は女神の騎士だと言っている。


 僕=女神の騎士=スケアクロウ。つまり、未来から来たと言うこいつは。


 こいつが、未来の僕……?


 周囲の仲間たちに凝然と見つめられる中、僕はこれまで考えもしなかった頭でスケアクロウを見た。いや、まさか……?


「素顔を晒してみたらどうじゃな?」


 ディノソフィアが提案する。

 取り合うのが馬鹿馬鹿しくなるようなスケアクロウの自己紹介だけど、否定するならそれがもっとも手っ取り早い方法のような気がした。


 顔を出せば一発で終わり。不毛な詮索もない。

 どうせ、こいつが僕なわけない。


 なのに。


 心臓が嫌な鼓動を始める。あの怒りの兜から、見知った顔が出てきたらどうなる。どういうことになる?

 僕は、これからこいつが言った通りの未来をたどることになるのか?

 怖かった。さっき半ば聞き流した言葉が、生々しく耳に蘇る。


 ――リーンフィリアは、すでにいない。


 本当にそうなるのか。

 力を入れなければ持ち上がりもしない腕を動かし、僕は兜を脱いだ。

 自分でも引きつっているとわかる頬に、粉雪交じりの風が当たる。


「…………」


 スケアクロウは微動だにしなかったけれど、僕の動作を見て、同じく兜に手を伸ばした。

 こいつの素顔が、ついに、現れる。


「――――!!」


 厳しい顔。それがスケアクロウの素顔の第一印象だった。


 年齢は、二十歳と少しくらい。僕より半回りくらい上だ。

 若さに似合わぬ、風雨に削られた荒岩のような硬く乾いた目つき。強く引き結ばれた口は柔軟さを欠き、壁面に刻まれた単なる溝のようだった。


 読み取れるのは、風化した感情の残滓。怒り、悲しみ、後悔――ネガティブな感情がつけた爪痕だけを残してすべてを消し去り、その爪痕すらとうとう削り落とされたような貌の残骸が目の前にあるだけだった。かとって覇気を失っているわけではなく、一点に凝縮された意思の強さが、ぎりぎりのところでそれを人の顔たらしめていた。


 それを正面から見据えて、僕は。


 …………。

 ち、がう……よな?


 スケアクロウは重硬い表情をしているものの、その造作自体は精悍そのものだ。

 黒髪。黒目。髪が長くも短くもない点は何の類似にもならないとして、人並みの柔らかささえあれば凛々しいとも評せる顔立ちは、僕と違うと、明確、に、思える……のだけれど。


「…………」


 結論を任せるように、仲間たちに目で問いかける。彼女たちなら客観的に見えていると思った。


「…………」


 一様に困ったような目線が返ってきた。

 みんなそうなのか?


 僕とスケアクロウは、同じ、ではない。

 でも……。


「似て、る……」


 パスティスが戸惑うように言う。

 似てる。


 同じじゃないけど、似てる……。


 アンシェルが以前言っていた。顔は生まれつき。けれど、面構えはその後の生き方で変わる。

 スケアクロウの厳しい顔つきの向こう、ずっと昔に過ぎ去って、剥ぎ取られた時間の中に、僕と似た顔があったのだろうか?


 石のようなスケアクロウの目が動き、ヒビのような口が動いた。


「俺は、おまえではない」


 それは僕らの動揺を打ち消す決定的な一言になるはずだった。

 現に、仲間たちからどこかほっとしたような空気が流れた。


 似ている、が、やはり違う。

 それならば、スケアクロウが女神の騎士だと名乗ることにも何かカラクリがある。


 聞く価値があるかどうかはわからないけど、一旦耳を傾けてみるか――そういう流れになっても別に異論はない。


 が。


 もはやこの話題とは別に、僕はあることに気づいてしまって、唇を震わせた。

 これまで古びた鉄が擦れ合うような声でしゃべっていたこの男が、急に口を利くようになった。それを聞いた時、僕はもっと驚くべきだった。違和感を抱くべきだったんだ。


 こいつ、普通にしゃべったらこんな声だったんだって。

 でも、そうは思わなかった。新鮮味すらなかった。


 どうしてか?


 ……聞いたことがあったんだ。スケアクロウの素の声。これよりももっと人間味があり、起伏があり、感情豊かなもので。


 僕は胸元に手を当てた。手のひらの焦りがじわりと胸に染み込み、息苦しい呼気を吐き出させる。


 ――しゅじんこうだ。

 スケアクロウは、僕にしか聞こえないこの鎧と同じ声をしている……!


エルフ「既婚? ああそうなんだ。で、今夜どう?」

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