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第二百四十四話 鉄のゆらぎ

「始まる、だって? 何がさ」


 聞きとがめるような僕の声は思いのほか大きく、地鳴りに戸惑う仲間たちの視線を一点に集めるのに十分だった。


 僕、そして、僕が見つめるスケアクロウへと移ったみんなの目を気にした素振りもなく、無鼓動と無感情を鎧の内側に押し込めたような重騎士は、錆びの落ちた明瞭な声で言う。


「今、白亜飢貌ノ王が、許容できる範囲を超えて己の力が弱まっていることに気づいた。地鳴りは、そのうめきだ」

「何じゃと?」


 狼狽えた声を向けたのは、アンネとラスコーリ。白亜飢貌ノ王を守護するグレッサの二人だった。


「〈雪原の王〉はここで倒された。その命はすぐに白亜王のところに還元されるはずじゃ」

「まさか、オーディナルサーキットに不具合が起きたのか?」

「コキュータルはここだけで生み落とされているわけではない。小型のものは別のところからも這い出ている」


 スケアクロウの即答に、僕は思い当たるものがあった。


「『Ⅰ』の戦いの〈蒼い荒野〉か……!」


 僕が初めてコキュータルを見たのは、そもそもそこだ。それまでと世界観の異なる異形の怪物たち。あそこが今どうなっているかはわからないけど、〈コキュートス〉が地下を通じて別の場所まで繋がっているとすれば、それは〈蒼い荒野〉一つとも限らない。


 人知れず、コキュータルは世界のあちこちで湧き出しているかもしれない。


「近いうち――数か月の後には、王に具してすべての悪魔たちが最後の反攻戦に向かうだろう。今日まで蓄えた兵器を伴ってな」


 続くスケアクロウの発言に、僕は思わずディノソフィアへ目を向けていた。

 白髪の悪魔は、ふんと鼻を鳴らし、


「そうなるじゃろうな。王の状態を考えれば最後のチャンスになろう。しかし、奇襲されたことを加味しても以前のオゾマは圧倒的じゃった。悪魔に勝ち目はない。今度こそ、みな、死ぬな」


 薄く笑う彼女は、そんな無謀に打って出る悪魔たちをせせら笑っているようだ。そういえば、こいつは悪魔同士でも変わり種の扱いだったっけ。


「わしはどうするかな……。今さら同胞たちと仲良く特攻してやる義理もないが、神と悪魔の総決戦などそうそう見られるものではない。それを最前線の特等席で眺めるのも、悪くはないかもしれんな」


 それを聞いて胸がざわついた。ディノソフィアは参戦をほのめかしている。みな死ぬと言い終えたばかりの口で。


「ディノソフィア……死ぬ気か」

「何じゃ。寂しいのか?」

「一緒にいれば、クマの置物にだって情は移る」

「はっ、正直者はつまらん」


 言いつつ、ディノソフィアは照れ隠しのように笑い、頭の後ろで手を組んだ。


「死ぬのは悪魔だけではない」


 そんな僕らのやり取りを、スケアクロウの無味乾燥した声が切る。


「白亜飢貌ノ王は極めて異常な変質をしている。あれの体内は、この世界のあらゆる物体と正反対の性質を持ち、もし両者が結びつけば即座に対消滅を起こして大爆発を誘引する。地表にあるものは根こそぎ消し飛ばされチリも残らない」

「な、何だと……!?」


 お、おいおい、何か、聞いたことあるんですけどそれ。


 反物質だ!

 反物質の塊でできた神! 物騒すぎてまず聞かねえよ、こんな単語!


「それを阻止する方法は一つしかない。〈コキュートス〉に結界で蓋をし、白亜飢貌ノ王を封じ込める。それができるのは、悪魔と真逆の性質を持つ大地神のみ。つまりリーンフィリアだけだ。しかしそれと引き換えに、彼女は消滅する。――死ぬということだ」


 ……!!??


 一気に流し込まれた情報が頭の中で渦になり、僕の思考を飲み込んでいった。これまでろくに話をしなかった男が、何かの線を踏み越えたように語り出したかと思えば、飛び出てきたのは到底甘受し得ない結論。……何だって? こいつ今、最後に何だと言った?


「ふざけたこと言ってんじゃないわよ!」


 激昂したアンシェルがスケアクロウに詰め寄ることで、僕はようやく今聞いたものが現実だと認識する。

 リーンフィリア様が、死ぬ?


「黙って聞いてれば、冗談でも許されないようなことを言ったわね! だいたい、あんた何だっていうの? 悪魔でもなさそうだし、リーンフィリア様を呼び捨てにするなんて不敬よ不敬! 様をつけなさいよ鉄仮面野郎!」


 腰ほどの高さまでしかないアンシェルに、まるで目をそらすみたいに怒り面を向けようとしないのが奇妙だったが、それ以上に、僕はヤツのどこか投げやりな態度が気になった。


 今までのスケアクロウから感じていたのは、まるでこの世の何からも影響を受け付けないような堅牢さと、そこから匂い立つある種の決意だった。

 こいつは何かを持っている。そう思わせるからこそ、以前話した時に、こいつはリーンフィリア様を助けようとしているのでは、という考えに至ったのだ。


 その鉄塊じみた男が今、ひどく揺らいで見えた。


 実際は微妙な差異だったかもしれない。せいぜい口数が増えた程度。だけど僕はこいつから、あるラインを超えて諦めが一気に押し寄せた人間の、ひどく疲れきったため息を聞いた気がした。


 こいつの中で何が起きた?

 今の白亜飢貌ノ王の声が、何か致命的なラインだったとでも?


 しかしその疑問は、スケアクロウがアンシェルに返した一言によって、簡単に塗り潰される。


「家族に敬称などつける必要はない」

「か、家族ですって……?」


 アンシェルが素っ頓狂な声を上げる。僕も彼女と同じ顔しかできない。


 リーンフィリア様の家族ということは、こいつも……神……大地神、なのか?

 でもディノソフィアは、リーンフィリア様が最後の一人だと言ったし、アンシェルはスケアクロウを悪魔とは見なしていないようだった。


 じゃあ、一体?


 さまよう思考がリーンフィリア様に目を向けさせたけど、彼女は目を丸くして、慌てた様子で首を横に振るだけだった。


 これまで僕が知りえた限りでは、スケアクロウは悪魔と契約した騎士ではあっても悪魔ではない。

 だけど、こいつの正体はまだわかってないんだ。


 聖銃アンサラーの所有者の一人にして、帝国創始の立役者。

 帝国はグレッサリアと同じ大魔法陣を描く都市で、そのグレッサリアの役目が悪魔の王を保護するものだったことを鑑みれば、スケアクロウが単なる長生きの騎士という線は妄想以下の妄言として消える。


 天界とも悪魔とも繋がりを示していながら、一番重大な過去には一度も登場せず、当事者たちからの補足もない。それでいてリーンフィリア様の家族だという。


 どう繋がるんだ、これは?


 あまりにもぐちゃぐちゃに並べられた情報に、こちらの頭がすっかり混濁しきった時、ヤツは、その爆弾を僕らの足元に投下した。


「リーンフィリアは、俺の妻だ」


 …………。

 ……………………。

 は……。


『はああああああああああああああああああああ!!!!!!????????』


 僕とアンシェルの大音声は、限界を競い合うように鈍色の空に響き渡った。



ツジクローとアンシェルのストレスマッハ自然死を避けるため、次回投稿は明日です。

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