第二百四十三話 オゾマシキ瞳
「確たることは言えん」
返ってきた一言に、僕は呆れた声を上げる。
「もう謎との追いかけっこはたくさんだよ。ディノソフィア」
「ククッ、そうじゃな。知っていることはすべて話すつもりじゃ。ただ、どこから始めるべきかな……」
おどけたように思案顔を作ってみせる白髪幼女に、聞きたがりのこちらから水を向ける。
「まずさ、今、天界で神をやってるのがオゾマなんだろ?」
「ううむ。そうとも言えるし、違うとも言える」
「おいィ? そういう思わせぶりなことを言うヤツは心が醜い」
「待て待て、はぐらかすつもりはないのじゃ。これ、尻尾を引っ張るでない。今、神の座についているのはオゾマが切り落とした己の一部じゃ。オゾマとは繋がってはおらんゆえ、オゾマとは呼べぬ」
切り落とした? どういう状況かよくわからない。
「リーンフィリア様?」
「はっ、はい。何でしょう」
ほぼ聞き専に徹していたからか、突然の招聘に驚いた顔を返してくる女神様。
「リーンフィリア様は、他の神様には会ったことあるんですよね」
「そ、それはもちろん……」
「どんなでしたか?」
「どんなと言われても……普通です。わたしたちと同じ、人の形をしていて」
ふむ……。切り落とした部分が人の形になったとか、そういうことなんだろうか。神話級の相手ならば、そういうことも珍しくはない。
「あと、後頭部から大きな脳が飛び出していて……」
「ヘアッ!?」
「そこから触手が生えていて、その先に大きな目がついていて……」
「フオオッ!?」
「いつもぼそぼそしゃべっていて、時折意味がわからない音を立てたりはしていました」
「リーンフィリア様あ!?」
「ぴいっ!?」
たまらず叫んだ僕に、リーンフィリア様は小鳥のような鳴き声を上げた。
「それあまりにもおかしすぐるでしょう!? 全然違う生き物じゃないですか!?」
「頭がよくなると、脳がはみ出てくるものだとばかり……」
「目も生えてるんですよ!?」
「よく見えそうだなあって……」
「ポッッジティヴ!!」
僕はよろめいた。
もうダメだあ……。言い訳もできない。天界は完全にバケモノに乗っ取られてる。もし僕が神殿で一目でも神を見ていれば、この事実にはとっくに気づけたのに!
頭を抱える僕に、ディノソフィアの声が降りかかる。
「ふむ、騎士よ。おまえ、神々をアホだと思ったことがあるじゃろ?」
「hai!!」
「少しは遠慮しなさいよ……」
アンシェルのツッコミをスルーして話は進む。
「その判断は、ある意味では正しい。今の神々は、オゾマによって造られた“愚か者”たちの群れだからじゃ」
何だそれ。
「それって、捕まった大地神の一族が脳を支配されてる、とか?」
リーンフィリア様の証言からすると、脳に何かが寄生した人――神のようにも思えた、のだけれど。
「いいや……。そのまま、オゾマが、あえて愚かという特性を持たせて作った生命体という意味じゃ。オゾマは、我々――いや、この世界の“愚かさ”に興味があるようなのじゃ」
「愚かさ? え……? どういうこと? ますますわけがわからないよ」
「うむ。わしらもあれの意思を完全に理解できているわけではないのじゃが……」
ディノソフィアは腕を組んでうなった。急に歯切れが悪くなったのは、理解不能な相手に対し、多くの憶測が含まれていることを暗示しているからか。
「オゾマは、わしらとは比べものにならんほど極めて高度な知性体じゃ。ヤツが発する言語らしきものを解読しようと試みた神がいたが、一音一句に十七以上の形而概念を含むことを突き止めたところで気がふれてしもうた。到底我らの知能で扱える言語体系ではない。オゾマは恐らく、この世界のすべてが愚かしく見えておる。と同時に、それが理解できずにいるようなのじゃ」
どんなに卓越した軍略家でも、真に愚かな将軍が立てた策は決して読めない、という話をドワーフの戦士長から聞いたことがある。それと似たようなものか。
「ヤツは愚かさを理解するために、我らの愚かさを真似た分身を生み落とした。今の神々がアホに見えるということは、オゾマからは我らがあれと同じように見えているということじゃ」
「うぐ……」
思わず声に詰まった。
天界は思慮に欠け、視野が狭く、利己的で、傲慢で、どうしようもないタコの集まりだ。リーンフィリア様や僕らに嫌がらせめいたことばかりしてきた。でもその行動は、ひどくヒトに似てもいる。
一生懸命な者をあざ笑い、わが身可愛さで悪い判断を下し、それでいてなぜか自分が他者より上に存在していると思い込んでいる。そういう人物は少なからずいる。そして、自分はそれらとは違う、と信じている実は大差ない人々も大勢……。僕だってどんなもんかわからない。
……よくできたモノマネじゃないか。超天才生命体にしちゃ。
僕は自嘲半分、呆れ半分でかぶりをふった。
「一体どんなヤツなんだ、オゾマって……」
「おまえたちは、少なくとも見たことはあるぞ」
『えっ!?』
ディノソフィアの指摘に僕らは目を丸くする。オゾマを見たことが、ある? 会ったことがあるっていうのか? 今までに? いつ? 一体、誰だ?
問い詰める眼差しを向けられた悪魔は、ただ一つ、天を指さすという仕草で、僕たちに応えた。
「天界……?」
誰かがつぶやく。オゾマがそこにいるのは、至極当然のように思えた。が、悪魔の答えは違った。
「空じゃ」
「へ……?」
「おまえたちが空だと思っているのが、オゾマじゃ」
「な……!?」
あごを弾かれるように空を見つめ直す。粉雪を羽虫のように舞わせる曇天に、何かの兆しを探そうとした僕を、ディノソフィアの声が諫めた。
「見えていても認識はできん。騎士、おまえと同じく、オゾマもまたその名を知られなければ存在が確定しない。じゃがもう、おまえたちは知った。見るがいい」
悪魔が目を見開き、拳を握り込んだ。
すると、分厚い曇天の一部が揺れ動き、そこから長らく見ることのなかった空の風景がのぞいたではないか。
でも……。
「う、あ……!」
僕は思わずうめき声をあげていた。
雲の隙間から――巨大な目が、こちらを見下ろしていた。
生物の眼球ではなく、象形文字に書き表されるような記号めいた目だ。
背後をうっすらと映す半透明なそれが、一つではなく……。空中にびっしりと張り付いて、不規則に瞬きを繰り返している。
何て……光景……!
「こ、これが、オゾマ……」
僕は膝から力が抜けるのを必死にこらえながらつぶやいた。
「オゾマはこの世界に匹敵する巨大さを持っている。空全体をヤツが覆っているのじゃ」
「これが、この目が、世界中の空にあるってのか?」
僕は逃げるように視線を悪魔へ移し、歪みそうな声を無理やり正して聞いた。
吐き気がしてきそうな風景だった。
目覚めと共に見上げる美しい朝日も、仲睦まじい人々が寄り添って眺める夜空も、とある少女と同じ名前をした星が輝く北の空も、全部。
全部、本当は、オゾマの目に埋め尽くされていたんだ。
これが、この世界の本当の姿。〈ダークグラウンド〉はまだ曇り空だからいいけど、それ以外の土地ではもう、澄んだ青空を見ることはできないのだろうか? オゾマという存在を知ってしまった僕らは?
そして悪魔――大地神たちは、ずっとこんな光景を見続けてきたのか?
「ヤツはこうして世界を観察し続けておる。雲や家の屋根などでヤツの目から逃れることはできん」
「……それじゃあ、地上に逃げ延びた大地神たちは」
「今日まで見逃されているにすぎんな。ヤツからすれば、追い落とされた我々がどう行動するかが一番知りたいところなのかもしれん」
いくら悪魔たちが地に潜んでも無意味。なのに、何もされないという現状がオゾマの意思をそのまま証明しているといえる。
大地神と地上の民の時代――『調和』の絵が象徴する世界を壊しておいて、そんなものが望みか。まるでこの世界を研究対象としてしか見ていないかのようで、怒りと共に薄気味悪さが虫のように湧き出てくる。
「その中でも、リーンフィリアは、とりわけオゾマが強く興味を示している対象と思われる」
「!」
名指しされてリーンフィリア様がびくりと肩を震わせた。
「オゾマは、天界に取り残されたリーンフィリアをそのまま天使たちに育てさせた。己の生み出した愚者たちの中で、リーンフィリアがどのように育ち、影響されるのか、ヤツにとっておまえは格好の研究材料だったじゃろう」
「何だと……!」
聞き捨てならない内容に、僕の口から思わず怒声がもれた。
「正確にはその周辺環境ごと、疎外する神々の様子も含めての観察じゃろうな。リーンフィリアの邪魔をするヤツらは、愚かしさの代名詞のようじゃったろう。その行動原理、発想、すべてを、ヤツはつぶさに見つめていたはずじゃ」
実験。まるで女神を使った実験だ。いや、事実そうなんだろう。
リーンフィリア様は実験材料として、天界に捕らえられていたんだ。
オゾマがその気になれば、リーンフィリア様を追い出すことも、危害を加えることも容易だっただろう。それをしなかったことは、一つの幸運ではあった。しかし、口が裂けても感謝の言葉は述べられそうにない。そもそも、オゾマがやってこなければ起こらなかった事象だ……。
や、野郎……!
「そういうことだったのですね……」
リーンフィリア様は肩を落とし、ひどく沈んだ声で言う。
「アンシェル。あなたやオメガが、わたしにこのことを秘密にしようとした理由がよくわかりました。わたしは、あまりにも多くの思惟を知らずに生きてきたのですね」
「リーンフィリア様……。決して、決して、思い詰めないでください。すべて過ぎ去ったことです。一族のことも、“弑天”のことも。残されたあなたが背負うことなんて何一つないんです」
アンシェルがそんな彼女の手を握り、懸命に言い募った。
「天界は確かに、住みやすい場所ではないかもしれません。けれど、静かに暮らしていればひとまずは安全です。たとえ御業が使えるようになっても、天界はあまりにも強大です。危ないことだけは、どうかしないでください……」
アンシェルの必死の声には、絞り出したような本音がにじみ出ていた。
彼女が真相を隠そうとした一番の理由がこれなんだろう。
リーンフィリア様は、ある意味でもっとも危険な位置にいる。
オゾマと、そこから生み落とされた愚かな人形たちのど真ん中。
過去を知れば、リーンフィリア様は本当の意味で自分が孤立していたことに気づいてしまう。大地神の力である“御業”の発芽は、その端緒となる恐れの高い事態だったのだろう。
リーンフィリア様は決して好戦的じゃない。でも、追い落とされた同胞に何も手向けられず、天界で安穏と暮らせるだろうか?
もしも反逆の意を示すようなことになれば……。
愚かな神の人形たちは、一斉にリーンフィリア様を攻撃するだろう。そしてオゾマはその浅はかな経過を、興味深く見つめ続けることだろう……。何もせず、あの巨大な目で……。
「オゾマは本当に何がしたいんだ。ただ愚かさについて知りたいだけで、こんなことまでするのか」
僕は忌々しい気持ちを吐き出した。
答えなど誰も知るはずないと思ったけど、ディノソフィアは思い至るものがあったらしい。彼女は慎重な口ぶりで告げた。
「恐らくじゃが……教育ではないかと思われる」
「教育……?」
ごくありふれた単語がやけに身勝手で傲慢に聞こえ、僕は眉をひそめる。
「オゾマに我々と同じ理屈が通じるかは甚だ疑問じゃが、賢い者がそうでない者に知恵を授けることは往々にしてあるじゃろう? それと同じ。ヤツはどこかの段階で単なる観察をやめ、その後天界を襲った。世界の愚かさに対し、“介入”という手段を取り始めたとも取れる。その証拠に、オゾマは天に住み着いた後、地上種族に知恵らしきものを伝授した形跡がある」
「らしきもの、なのか?」
「どのような形のものだったのか、まるで想像がつかんのじゃ。おまえはエルフの住む樹の下の世界を知っておるか」
「! よく知ってるよ。そこに降りたこともあるくらいだ」
思わぬところから飛び出た言葉に、僕は驚きつつ答えた。
樹下世界。発光する体を持つ、異様な生物たちによる凶悪極まりない生態系の土地だ。あの異形の世界は、あらゆる土地の中でも群を抜いて奇怪だった。
あれが一体?
「あそこは元からああだったわけではない。はるか昔、オゾマから知恵を得たヒトの文明が生み出したものじゃ」
「な、何だって!?」
大声を張り上げたのは僕ではなく、やっぱりというか、マルネリアだった。
なまじ地頭がいい分、ディノソフィアの語る内容に誰よりも頭を抱えていた彼女が弾けるように反応したのは、あそこが故郷であると同時に、母であるミルヒリンスがいまだに研究対象として捉えている場所だったからだろう。
「あの土地にいたヒト種族が、何を得てどのように使ったかはわからん。しかし、その結果として生態系が暴走し、文明ともども滅んだことは確かじゃ」
「……!!! 何だよ、それ。そんな話、お母さんだって知らない……」
「無理もない。現代でその痕跡を発見するのは難しかろう」
目を丸くするマルネリアに告げたディノソフィアは、ため息めいた息を落とすと、何かを嘆くようにこうもらした。
「オゾマと我々には知能の差がありすぎる。オゾマがヒトに与えたものは、元来ああした結果を導くためのものではなかったはずじゃ。しかし、ヒトは扱いきれず、予想外の惨事を引き起こした。そうやって消えた文明は、歴史上他にいくつもある。ヤツはこの世界にとって劇毒すぎるのじゃ」
恐ろしい話だった。
オゾマとこの世界は完全に噛み合っていない。
オゾマに悪意があるのか――あるいは悪意という概念があるのかどうかすら――わからないけれど、ヤツの行いは破滅的な反応しかもたらしていない。
「それは、今もどこかで続いているのか?」
僕は恐る恐る聞いた。
「いや……だいぶ前から、なぜかオゾマは地上への介入をやめている。空の目は地上を見ているようではいるが、以前はもっと激しい反応を見せていた。今はそれがない」
「教育を諦めた?」
「わからん。であれば、この世界から離れていくように思えるが」
……不気味だ。考えたくない予想が、一瞬脳裏をかすめる。
ケージの中の実験動物たち。
実験が頓挫したら、どうなる? 解放するか? 野に放つか?
……。いや、後ろ向きに考えすぎだ。
「わしがオゾマについて話せるのはこれくらいじゃ。ヤツは天界よりも高い空に今もいて、地を這う我らにはその正体の大部分を掴ませなんだ」
ディノソフィアがため息交じりに結んだ。
オゾマが僕らとはかけ離れた存在であること。理解できない知性の持ち主であること。この世界に何をしてきたか。……色々とわかった。
あれ……?
ところで、ここまでの話に全然姿を見せない人物がいる。
多くの謎を秘めたまま、たびたび僕の前に現れたあいつ。
誰もその存在を口にしていない。
関係が、ないのか?
ゴア、アアアア、アアアアアアオオオオオ…………!
『!!!?』
獣の咆哮にも似た地鳴りが聞こえてきたのは、そんなタイミングだった。
遠くのようでもあり、すぐ近くのようでもある震源をふらつく目線で探った僕は、ただ一人揺らがず、どこか遠くを眺めるように佇む人影の、不可解とも思える静けさに息を呑んだ。
スケアクロウ。
リーンフィリア様のために暗躍していたような態度を見せながら、秘匿された神話に面影も現れなかった男。
にもかかわらず、真相、そして突然降ってわいた厄災のようなオゾマの存在を知っても、ひとかけらの動揺も見せなかった異様さは、冷静というよりもいっそ無機物の無反応が近しく思えた。そして、訝しく思う僕の目線をはっきりと知りながら、彼は、
「もう、始まるか――」
確かに、そう言ったんだ。
数々の感想でとっくの昔に敵認定されていた神々がついに。




