第二百三十八話 小さき者たちの一撃
「来いよ〈雪原の王〉! 武器なんか捨ててかかって来い! 怖いのか!?」
実際に怖いのは僕だけど、精一杯の虚勢を言葉の通じない怪獣にぶつけて、第一の罠ポイントまで誘導する。
――「ここからの囮は僕一人でやる」
そう伝えた時、パスティスは猛反対した。アディンにも乗らない単独行だ。直前のアプローチのような竜の守りもなく、直撃をもらえばそこまで。
しかし、これにはもちろん理由があった。
一つは、敵の誘導は一人の方がやりやすいこと。注意力を一方向に限定させやすい。
そしてもう一つは、パスティスと竜たちには、〈雪原の王〉の心臓を射貫く大役があることだった。万が一ダメージでも受けて、攻撃のタイミングを逃すようなことがあれば作戦は瓦解する。
そうして何とか納得してもらって。
果たして――囮役は順調だった。
〈雪原の王〉は、あの腹立たしい〈メルクリウスの骨翼〉の光を覚えていたのか、あっさりと僕に食いついた。
対する僕も、一度オメガと追いかけっこをした経験が生きた。
七支刀の熱光に惑わされることなく、十四の太刀筋をすり抜けることができた。さっきと違って、無理に飛び回る必要もない。動きは必要最低限でいい。
何度目かの回避を成功させ、僕は息を吐いた。
あと少し。
あと少しで、罠の設置場所にヤツの軸足が踏み込む。
狙いは左前脚。もう少しで――
「…………!?」
その時、〈雪原の王〉は異様な動きを見せた。
それまで荒々しく角を振り乱しながら僕を追っていたのに、罠のある地点の直前でピタッと足を止めたのだ。
何でだ……!?
一メートル角の罠本体は、こいつから見れば豆粒程度のものでしかない。加えて、念のため瓦礫の下に隠してあるんだ。
偶然だ。偶然立ち止まったにすぎない。罠を見切っているはずがない!
そう思った直後だった。
〈雪原の王〉が跳んだ。
「――――!!」
まるで岩場を跳び渡る若鹿のように。罠の地点を鮮やかに飛び越えて。
こいつ――間違いない。罠を見切っている!!
罠の危険性を理解して、その範囲までも読み切っている!!
この図体で。この強さのくせに! まるで、僕たちの強すぎる期待を察したかのように!
曇天を覆い尽くし、まるで空から産み落とされたように降ってくる巨大な怪獣に、圧倒的な危機感が重なる。
しかしなぜか、僕は同時に、こうも思えていた。
これは、好機だと。
ヤツは跳んだ。回り込むでも、後退するでもなく、上に。それが。
右手はすでに兜の面当てに重ねられていた。それを引き裂くように引っ張れば、最大出力の強化型ルーンバースト〈獣躙モード〉が発動する。
なぜ、僕の手は自然とそこに向かったのか。
卓越したパワーとは、踏みしめた軸足から生まれる。飛び上がっての攻撃は、見た目は派手に見えるが、実は強靭な脚によって支えられた地上での攻撃より劣るのだ。
〈雪原の王〉の斬撃も首の一振りで済むとはいえ、地を踏みつける四肢の支えなしには繰り出せない。
つまり今。この瞬間。跳躍した〈雪原の王〉は、重力に従い落下するだけの単なる巨大な肉塊へとなり下がった。
そして僕は、〈メルクリウスの骨翼〉で空を蹴りつけることができる。その瞬間的な加速と、〈獣躙モード〉の防御力を組み合わせてぶち当たれば。
対空せるのでは!?
こんな理屈は、ほとんど事後承諾みたいなものだ。仮定の積み重ねを全段飛ばして結論のみを導いた僕は眼前を指先で引っ掻き、背後の翼に最大加速での突撃を命じていた。
狙いは――獣の急所。鼻だ!
「食らえええええッ!!」
両腕を交差させ、防御状態を作ったまま〈雪原の王〉の鼻っ面に衝突した。
柔らかく湿った感触があった気がしたけれど、超速の中では水面だってコンクリの硬さになる。跳ね返ってきた衝撃はまさにその強さだった。
「ぐおおおおおお!」
――ブギャア!
激突点から跳ね返された僕は見る。
バランスを崩した〈雪原の王〉が、空中で前進する力をほとんど相殺され、跳躍地点とほとんど変わらない場所へ落ちていくのを。
いや。ちょうど一歩分、前。
踏み越えるはずだった罠の、真上へ。
――最適のポジション。発動タイミングは、各暗黒騎士姫に任せてある。号令はいらない。それでも、地面に叩きつけられた僕は叫ばずにはいられなかった。
「いけえええええええええええッ!」
「零式至閃鳴蝗雷轟界ッッッ!!!!」
七支刀の灼熱色が焼きつく網膜に、緑がかった青い稲光が立ち上る世界が来襲する。
通常の罠ではありえない大出力。
先鋒であるモニカが罠を起動させた瞬間、待機していたエルフのリーダーたちが、その効果を爆増させる魔法を解き放ったのだ。
地面から立ち上がった無数の雷光は、まるで天へと駆け昇る龍のようであり、しかもそれは一匹にとどまらなかった。
――ギュアアアアアアアアアア!!
初めて明確に轟く〈雪原の王〉の悲鳴。
つま先からダイレクトに大電流を流されたとあれば、どんな生き物だって神経にくる。
雷撃に焼かれた左前脚を持ち上げ、たたらを踏むように逆側に逃れる。
ちょうど一歩分。
次だッ!
「堅獅凍牢輝煌正殺剣!! 全剣抜刀!」
レティシアの起動に合わせて、今度は〈雪原の王〉の右前脚を純白の霧が覆った。
マルネリアたちによって強化されたそれは、発生と同時に微細な水滴から氷塊へと成長し、まるで鱗のように獣の脚を覆い尽くして、内部へとその刃を伸ばした。
動きの止まったそこに!
「風歌殺奪蛮空イプシロン! デース!」
うずたかい瓦礫の丘に埋め込まれていた罠から、横薙ぎの竜巻が発生し、大量の瓦礫を巻き込みながら鹿の左足に迫った。
竜巻の中を乱舞する破片が、レティシアが張りつけた氷を一時的に砕き、その飛散範囲を拡大させる。加えて、再氷結の際に瓦礫を内部に取り込ませ、〈雪原の王〉の右脚を胴体近くまで凍りつかせる不気味なオブジェを作り出した。
やった! 成功だ!
そこまで見届けた暗黒騎士姫たちが、まるですべてを出し切ったかのように、力なくその場にくずおれていく。
「あ、ああ~……この出力ぅ~」
「どばって……どばって氷出た……ひひ……ひひひ」
「き、切り、切り、切り刻んで、き、きひ、きひひざんでいひい~~」
自らの命を削る大技を放ったから――
ではない当然! エルフの援護のおかげでかつてない規模にまで達した自らの必殺技に、自己陶酔が有頂天になっただけだ!
これが自分を犠牲にしての大技なら感動もののシーンなのに、全然そんなんじゃないところが案の定すぎてコレジャナイ! でもカウントは後回し!
時は来た!!!
見よ!〈雪原の王〉の右脚は地面に固定され、力任せに引き抜こうにも、左前脚は直前の雷撃で踏ん張りがきかずにいる。後ろ足のみでこの束縛から逃れる力はない。これが四つ足動物の体の構造の限界!
「くああああ!」
埋もれていた瓦礫から体を引き抜き、僕は〈メルクリウスの骨翼〉で空へと弾き飛んだ。
上空から〈雪原の王〉を見下ろせるポイントに自身を固定し、アンサラーを構える。
「突撃隊ッッッ!!!!」
僕の合図に応じて、地上の一角から無数の光が走った。
それらは、てんでばらばらのコースをきびきびとした動きで迷いなく駆け上がり、ぞっとするほどの正確さで僕の周囲に再集結する。
恐らくは、これが天使たちの必殺技〈驟雨〉のムーブなのだろう。
後は僕の発射の指示を残すだけ――
「…………!!?」
しかしここに来て、最後の問題が立ちはだかった。
もがく〈雪原の王〉が頭を角を振り乱しているせいで、正確な狙いが付けられないのだ。
ターゲットは、右角の根元。
これは、スケアクロウが折ったのが左角だったため、もしかすると、あの左の七支刀には、単純な物質としての芯がないのでは、という懸念のためだ。
第三のルーンバーストの範囲は小さい。全員が近い範囲に撃ちこめなければ、効果は薄まってしまう。
「どうする、撃つのか!?」
軍曹が叫んでくる。彼女もまずい状況は把握している。けれどこの好機は、そう長くは続かない。
「ま、待て! 今はまだ……!」
僕は一か八かの賭けを避けた。
この作戦が執れるのは一度きり。ダメ元では撃てない。ここまで完璧なくらいうまくいってるんだ。ここで失敗はできない。
せめて、わかりやすい目印があれば……!
そう思った瞬間だった。
地上の瓦礫の上を、青白い光を放つ線が走った。
思わず、〈雪原の王〉と繋がる発射地点を探った僕の目は、一矢を放ち終えて素っ気なく踵を返した銀髪のポニーテールを見る。
カルツェ・バルバトス!!
彼女の放った矢は、〈雪原の王〉の右角の根元、七支刀の炎に焼かれないぎりぎりの位置に、飛ぶハエの目玉を射貫く正確さで撃ち込まれていた。
そこからこぼれる光は、僕らが今日までさんざん世話になってきたカンテラの輝きだ。
目印がついた。
「あの蒼い光を狙え!」
僕の声と同時に、突撃隊全員がアンサラーを肩につけて構え直す。
「〈アグニ〉!」
一糸乱れぬ、赤い樹鉱石をアンサラーに滑らせる音の後、
「撃て!」
無数の火線が下界へと降り注ぐ。
着弾。
「〈アルマス〉!!」
力を失った石を投げ捨て、氷の次弾を装填。
「撃て!」
即、撃発。
着弾。
「〈ヴァジュラ〉!!!」
二石目も虚空へと投じ、残るは最後の一発。
ディスプレイを走る魔法石の擦過音が一つに束ねられ、肩付けされたアンサラーの内部から、ありもしない小さな雷鳴を聞いた直後、心音以外の一切の音が消えた。
この時。
限りなく、万全――
「撃てえッ!!」
最終弾。
弾道に紫電の糸を纏わせた一発が、吸い込まれるように〈雪原の王〉の頭部へと落ちていく。
着――弾!!
瞬間。怪獣の頭部に残留していたルーン文字列が弾け、異様な記述を始めたのが見えた。
複数のルーンバーストの同時発生による、完全想定外の魔力暴走だと知ったのは後のこと。
けれども、この瞬間においても、僕は小さな不安一つ抱いてはいなかった。
小さな暴走地点が、まさに爆発の勢いで膨れ上がり、〈雪原の王〉の頭部に出現したのはその一刹那後。
ぶどうのように連なった中規模連鎖爆発は、その内部に決して摩耗しない破壊力を一点集中させ、発生座標上にあるものを分子結合の多寡にかかわらずすべて噛み砕ききった。
あの〈雪原の王〉に反応する間も与えず、その雄々しい剣さえも、無論。
雷轟と共に砕き飛ばされた右七支刀が、高速回転しながら落ちていく様子は、まるである日の落日を連想させた。
「やれッ! パスティス!!」
これも僕の声は必要なかった。
得物をへし折られた怪物の絶叫に混じり、すでにグレッサリアの上空では、王の凱旋を祝うかのごとき鐘鳴が響き渡っていたのだ。
太陽と大地が、糸で結ばれた。
高空から撃ち下ろされる、超高威力の魔力爆砲撃。
〈雪原の王〉はそれでも、片方残った角で障壁を張ろうと試みてはいた。
しかし、空を舞うのはいまや果てしなく神座に近い竜であり、対する彼は古びた手負いの獣にすぎなかった。
輝く傘は毛糸がほつれるように緩んで消え、直後、直下にある何もかもをアディンたちの魔法が余すところなく貪食した。
罠の前でピタッと止まるモンスター許さない
シリアスさん「あ、あの、今日はもう遅いので、封じ手お願いします……」
※お知らせ
戦いの途中ですが、やっぱり作者の頭でマルチタスクは無理だったよ……次回投稿は、11月27日頃になります。活動報告、ツイッターでお知らせしますので、そのあたりでまた見に来てやってください。無念……。




