第二百三十六話 僕たちは怪獣より小さい
考えてみれば、オメガを追ってヤツの周囲を飛び回った段階で、ヘイトは十分こちらに向いていたんだ。真夏の枕もとを執拗に攻めた蚊がどうなるかは火を煮るよりも明らか。後は、僕、オメガ、〈雪原の王〉の団子から、オメガを引っこ抜くだけ。
ディノソフィアの割り込みは、これ以上ない絶好のタイミングだった。あの悪魔のことだ。たまたま、などと奥ゆかしい言葉は使わないだろうし、事実そうしうるだけの目ざとさを持っている。
僕らvs〈雪原の王〉。
悪魔組vsオメガ。
もっとも理想的な対戦カードの実現。
次のチェンジは許されない。
ここでヤツを狩る。
〈メルクリウスの骨翼〉で空間を弾き、荒れ狂う十四連斬から逃れる。
「アンシェル、女神様のところに戻って! んで、パスティス!! アディンたちを!」
声が届かずとも、パスティスは僕の腕の振り一つを見逃すことなく、カイヤを降りたアルルカも加え、アディンたちと浮上してきた。
「騎士様、待ってた……!」
「ありがとう! 遅れてごめん!」
空中でパスティスたちと合流した僕は、すぐにアディンの背中に乗り込んだ。〈メルクリウスの骨翼〉は強力だけど、正直、空で生きるアディンの翼の方が全然頼りになる。
――ブオオオオオオ!
空を撫で斬りにする七支刀から逃れ、一旦高空へ。
〈雪原の王〉は仰向いたまま、苛立たし気に足場の瓦礫を踏みつけているけれど、空に届く攻撃手段は持っていないようだ。
僕は前の戦いを思い出す。
高高度からの魔法攻撃は、ヤツの角が展開した傘状の障壁によって防御、拡散されて雪原を煮沸させた。今ここでそれをやれば、グレッサリアは致命的な存在を被るだろう。
アディンがケルビムとなった今、威力の増した魔法攻撃がヤツの防御傘を打ち砕く可能性はある。ただし、あれが、もしかすると、ケルビムと同じ時代を生きた怪物なのかもしれないことを考慮すると、迂闊には仕掛けられなかった。
だったら。
「狙うは、心臓の一点突破」
見下ろす〈雪原の王〉の背中には、体内で激しい燃焼を続ける蒼い心臓が見えていた。
以前は途方もないバケモノに見えた大鹿も、今では、これまで三体沈めてきた大型コキュータルの一体だと冷静に観察できる。
どんなに強かろうが、どんなに巨大だろうが、あれを潰されたら一巻の終わり。
何よりも狙うべきはあそこだと、これまでの経験が教えてくれる。
届けば、僕らの勝ちだ。僕は素早く指示を出した。
「メインアタッカーはアディンだ。パスティスとアルルカは攪乱を頼む」
「わかっ、た……!」
「任せてくれ」
二人が返事をするとディバとトリアが離脱し、螺旋を描きながら降下していく。すぐに燃える七支刀が襲いかかった。〈雪原の王〉からすれば、憎き相手がわざわざ降りて来てくれたのだから、対応しないわけがない。
「アディン。僕らは低空から一気に接近する。わき腹をぶち抜くぞ!」
キリリリ、と機嫌よくのどを鳴らして応え、アディンが敵に気取られぬよう、戦場から離れた位置へと降りていった。
その時ふと、下界で激突する二つの影が見えた。
スケアクロウとオメガだった。
アメリカンクラッカーのように衝突と離脱を繰り返す二人は、目を凝らしても体の一部分しか見えないような高速の中に身を置いている。
武器同士が接触する金属音は、それに押し出された大気が叩かれる音へと変換され、突風を球状に広げるエネルギーの発生地点としてしか認識できなかった。
アディンが切り裂く風に混ざり込んで来るその衝撃波に、あちらはあちらで、〈雪原の王〉級のパワー同士がぶつかっていることを実感した僕は、身震いを隠して拳を強く握り込んだ。
僕にはあんなけた外れの力はない。
あいつらからしたら、僕なんて単なる貧弱一般人と変わらないのかもしれない。
悔しい。情けない。
戦い一つ自在に決することもできない、己の非力さが。
ふと沸き起こったないものねだりの繰り言をかなぐり捨てて、前方を見据え直す。
パスティスたちは無理のない動きで七支刀の間合いを出入りしていた。〈雪原の王〉は上昇下降を繰り返す竜たちに苛立ち、完全に意識を取られた状態にある。
飛び去った一匹のことなど記憶にもないのだろう。
所詮はケモノ。
ボディが、がら空きだぜ!
「行け、アディン!!」
――キーン、キーン、リーン……!
力強い鐘の音が鳴り、アディンの前方に先鋭化した気流の膜が表れる。
巨大な矢尻となった僕と竜は、眼下に広がる町並みが輪郭を失い、白一色に溶けて見えるほどの速度で、真っ直ぐに〈雪原の王〉へと迫った。
不揃いに並んだ臓器たち、その中でもっとも巨大な心臓が、みるみる視界の総面積を埋めていく。
会心の奇襲だ。もらった!
衝撃に備えて身を固くした、その時。
目の前の壁が、突然消えた。
――え!?
〈雪原の王〉が、巨重さを一切感じさせない、嘘のように軽やかな動きで身を翻したというのに気づくまでに一瞬。次の一瞬で動いた視線が、横合いから斬り上げられる七支刀を呆然と見つめる。
反応された、だと――!?
生身なら、それが僕がこの世に残した最後の思考になっていただろう。
しかし、アディンが攻撃用に張った魔力の錐が、そのまま盾としても機能したらしく、僕は振り上げられた十四の太刀のうちの一つに打たれ、激しく錐もみ回転したのちに竜と共に地面に叩きつけられて、瓦礫の丘を大きくバウンドしただけで許されることになった。
「ガッ、ハ……!」
アディンから投げ出されて地を這う。
手足が重くしびれ、胴体のあちこちで細かな何かが砕けていくような錯覚を味わった。
痛みを超越した痺れの中で思うことは、かわされた、という一極化した驚愕だった。その上で反撃までされた。あのスピードを捉えられたんだ。
愕然とする気持ちを、すぐに納得する痛みが覆い隠す。
あれがドンガメなら、そもそもスケアクロウがとっくに始末してるだろうさ。
そう。少なくとも――こいつがスケアクロウより弱いということは、ないんだ。
これが〈雪原の王〉。
これまでの超大型コキュータルに比べ、その力質はいたってシンプル。
――小細工なしに強い。
今の反応速度もその一端か。こと接近戦において、このヘラジカはいかなる相手にも互角以上の優位を与えないのではないかと思えた。
飛び道具もダメ。接近戦もダメ。
じゃあどうする?
僕に何ができる?
アンサラーは通じない。剣は届かない。膂力比べなんてするまでもない。
――ない。手がない。
それでも、どうにかするしかないだろ。
苦笑いで自分を叱咤しながら、地面に拳を叩きつけて身を起こす。
せめてこの場にひしめく怪物たちに匹敵する力の一つでも僕にあれば、打開策も見えてこように。
またないものねだりをしそうになったその時、妙に懐かしく聞こえる声が上がった。
「騎士殿、大丈夫かい!?」
マルネリアだ。羽飾りから聞こえたか。
大丈夫と言わないと。声。声はちゃんと出るか。かすれていて心配させたら悪い。あちらはあちらで、鉄火場なんだから――
「やれやれ。こういう危なっかしいところがあるから、騎士殿からは目が離せないにゃー」
「え?」
すっと人影が脇に割り込んできて、僕に肩を貸しつつ立ち上がるのを助けてくれた。
「マルネリア……?」
「そうだよ?」
「どうして来た――」
言いかけた言葉がその場に残されたまま、襟首を持ち上げられる。
「わたしたちもいるぞ騎士殿!」
片手で僕を持ち上げつつ、野性味あふれる愛らしい笑顔を突きつけてきたのは、まな板エルフの頭領たるマギアだった。
「わたくしもいます」
「わたしもです!」
見れば、杖を持ったメディーナと、ルーンレギオンフル装備のミリオもいる。
「先生ー! 大丈夫ですのー!? アバドーンが助けに来たのですわ。先生が先に倒されるのはサイクルが崩壊するのでありませんの!」
瓦礫の向こうから声が聞こえ、金色の髪がひょっこり頭を出した。
……モニカ?
「形があるなら、まだ戦えるね……。わたしたちの弱音を散々無視したんだし、先生の弱音は許さないよ……」
続くレティシアが、僕を見てぼそりと言う。
「北部都市のみんなが、住民の保護を請け負ってくれたのデス! だから助けに来れたのデス!」
シンクレイミも。
「……他の都市は盤石。うちの家は、全員生涯現役」
カルツェまで。
ここが一番やばいってわかってるだろうに。
「こちらは体がほぐれてきたところだ。……やるぞ、初代」
「アルフレッド……!? 君まで来たのか!?」
いつの間にかすぐ傍らにいた、スカーフ姿の男に目を見開く。
「で、何かやれることはあるか? 俺ぁいいって言ったんだが、まわりのヤツらがどうしても騎士殿を助けに行けってうるさくてよ」
「父さん、あたしたちもカカッと参上! 普通ならまだつかない時間だけど、みんなの協力できょうきょ参戦したよ!」
ドルドにアシャリスも。
みんなだって余裕がないだろうに……。
いつの間にか握っていた拳に、痛みを殺しきる熱が宿っていた。
確かに、僕は弱い。
でも、それが何だ?
スケアクロウに劣っているから、オメガに劣っているから、ディノソフィアに劣っているから。〈雪原の王〉に、勝てないのか?
いいや。
僕ら一人一人の力はあの怪獣に遠く及ばなくとも、それぞれが、自分にできることを少しずつ持っている。
それを合わせれば、無限のやり方を探れる。僕はその中にある勝てる方法を、たった一つ拾うだけでいい。
だから最初に言ったんだ。
今日のこれまでで、無駄な日は一日たりともなかったと。
全部必要だった。
ここにあるもの全部が、僕の力だ。
だから全部込めて。
最後の勝負だ〈雪原の王〉!!
俺TUEEEEに向かない男。
DLC天使「はやくしろよ」
アンシェル「はやく」
ディノソフィア「あく」
時間読み上げ係「30秒で支度しな」
シリアスさん「…………」
シリアスさん「 レ イ ジ ン グ ス ト ー ム ! ! !」




