第二百二十八回 三回連続みつめてナイト(前編)
パスティスがこちらを見ている。<〇><●>
パスティスがこちらを見ている。<〇><●> <〇><●>
パスティスがこちらを見ている。<〇><●> <〇><●> <〇><●> <〇><●> <〇><●> <〇><●> <〇><●> <〇><●>
眼圧を持った残像だと!?
ここ最近のことである。
パスティスが後ろにいたと思ったら今度は前方の物陰からこちらを見ていて、そこにいたのにいなかったということが実によくあった。
不可解なのは、彼女はじーっと僕を見つめるだけで何も言ってこないこと。そして近づきもしないということだ。
これはまさか、またキメラの体由来のおかしな本能が発現したのでは……。
パスティスにはサベージブラック由来の発情期があり、この異様な態度は、かつての危機を思い起こさせるに十分な奇行だった。
そんな危惧を抱いている時。
僕が中庭でアディンたちからすり寄る攻撃を受けていると、ティータイムとは異なる時間のラウンジから声が漏れ聞こえてきた。
「つまりパスティスは、ものすごーく騎士殿に恩を感じていると?」
マルネリアの声だ。
彼女は研究が煮詰まってくると一旦現場から離れ、ラウンジなどの人気のない場所で情報の最終調整を行うことがある。
「うん」
答えた声は、今話に出ていたパスティス本人。
盗み聞きみたいになっちゃってるけど、僕もアディンたちに挟まれて動けない。ここは諦めて盗んでいこうと思います。
「恩返し、ちゃんとしたい……」
パスティスの思い詰めたような声が届く。
それは違うよパスティス。君は本当によくやってくれている。
「パスティスはちゃんと恩返しできてると思うよ。騎士殿もそう思ってるはずだよ。キミほど騎士殿に長く尽くして、手助けしている人はいないね」
僕が言うべきことをマルネリアが言ってくれたということは、それが仲間一同、周知の事実であることの証明に他ならなかった。パスティスは不安からか、自分を過小評価するきらいがあるけれど、これならちゃんと安心できるだろう。
が、それに満足する声は聞こえてこなかった。代わりに、
「もっと、じゃないと……釣り合わない」
という落ち込んだ響きが反射され、パスティスが申し訳なさそうに首をすくめたのが気配で察せられた。
「なるほど。今までのやり方じゃ、パスティスが感じている恩は返せていないってことだね。そうだなあ、傍目にはもう十分頑張ってるからなあ。戦いの最前線で手助けして、帰ったら鎧を磨いて、平和な時は料理も作って……誰がどう見ても一番の頑張り屋だ。んー……だったらあとはもう、自分をあげちゃう、くらいしかないかなあ……」
ヘアッ!?
「! なに……それ? どういう、こと? 教えて」
言葉の響きに何か感じるものがあったのか、パスティスが食いつく気配を見せた。
あのエルフ何を話すつもりだ! 止めなければ!
ギュルルルル……。
ぐえ!? こんな時に竜が三匹まとめて飛びついてきた! 動けぬう!
「ニヒヒ……。自分をあげるっていうのはね、そのままの意味だよ。つまり――とか――して、――で――で――どんな要求にも――」
「…………!」
肝心の部分をわざとらしく小声にしてるけど、僕にはわかってるぞ。絶対卑猥な単語をしゃべってやがる!
「お、なんじゃ、猥談か? わしも交ぜるのじゃ! おまえの体は色々特殊じゃからな。人とは違うこともできよう。たとえば尻尾で――を――しながら――して――なところを――とか、なんなら自分を――して――しつつ――するとかも男に好まれそうじゃの、ぐへへ――」
「…………!!!!!」
何で参加者が増えてんだよ!
「そこまでだ!」
魔女に悪魔まで加わって正真正銘のサバト会場になっていたラウンジに、竜をひっつけたままどうにか這いずってきた僕が制止の声を放つ。
好き勝手放言する二人の前に、顔を真っ赤にしてうつむくパスティスが、椅子の上で尻尾ごと膝を抱えて小さく丸まっているのが見えた。
これはそうとういやらしい話を吹き込まれていたに違いない。
「パスティスに変なこと教えるのはやめてもらえませんかねえ!?」
「えー。正しい性教育だよ騎士殿ー」
「なんじゃおまえ聖人か? 聖職者でも隠れてよろしくやっておる時代だというのに」
「おいばかやめろ! このサバトは早くも終了ですね」
「ところがそうもいかないんだよ、騎士殿」
反論してきたのは、アナーキストの極致であるディノソフィアではなく、味方のはずのマルネリアだった。顔には多少のにやつきがあるけれど、声そのものはいたって真面目だ。
「パスティスは騎士殿にもっと恩返しがしたいんだ。でも、騎士殿は今以上のものを求めてくれない。それでここ数日思い悩んで、ボクのところに相談に来たってわけさ」
「実際、パスティスは十分よくやってくれてる。これは本音だよ」
「……違う。できてない」
パスティスが、膝にひたいをこすりつけるようにして首を振った。
「いいかい、騎士殿。これは騎士殿が満足しているかどうかより、パスティス側の問題なんだ。彼女が自分の行為に満足できているか? できていない。その物足りなさは、それだけ彼女の感謝が深いということなんだ。パスティスは、騎士殿にそれをわかってほしいんだよ」
ディノソフィアも口を挟んでくる。
「聞けば、この娘はあのシャックスに捕まって惨めな扱いを受けていたというではないか。自分が何のために生まれてきたのかもわからず、いずれはドブネズミのように命を落とすところを、おまえが救った。そして今や、伝説の神獣三匹を育てた母親役じゃ。おまえが思っている以上にこの娘に与えたものは大きい。普通の恩返しの感覚で捉えてはいかんぞ」
「それは、僕だけの力で成し遂げたことじゃない。パスティスだってすごく頑張ったから今があるんだ」
「騎士殿はいつもそうやって謙遜するねえ」
「僕は別に手柄をアッピルなどしてはいない」
「騎士殿って、たまーに変な言葉使うよね。アッピルってどこの方言?」
「どこだっていいだろ。言語学者なのかよ」
「まあ、おおむねそうだよ」
「――ともかくじゃ」
なぜか仕切り役になっているディノソフィアが、脱線しかけた話を引き戻す。
「このキメラ娘が物陰に張りついているところを眺めるのも飽きた。こいつはトカゲではなく、竜じゃ。そろそろ進展してもらわんとつまらん。下世話な話を抜きに、こやつはおまえに忠誠心を示したがっている。いかにおまえに心酔し、敬服しているかをじゃ。どうすればそれを相手に見せられると思う、騎士? おまえならばリーンフィリアを相手に何をする?」
「日々の小さなことからこつこつ真面目に積み重ねていくよ」
「はっ、出世せんヤツの台詞じゃな。まあ、出世せんだけじゃが」
僕の至言を一言で切り捨てると、ディノソフィアは肩にかかった長い白髪をさっと払いのけて告げた。
「いいかの。忠誠心を見せるには、“無茶振り”じゃ」
「無茶振りい……?」
「なんじゃ、騎士のくせに知らんのか。昔から騎士というのは、主の無理難題に応えることこそ、忠義の証としてきた生き物なのじゃぞ」
「むう……」
ちょっとわかってしまう。
難題を突き付けられて、忠義や愛がなければ、その人はすぐにそれを投げ出してしまうだろう。ひるがえって、それらに立ち向かうということは、忠義が愛があるということの証明にもなる。そういうシンプルな理屈。
「互いを信用し合わなければ、裏切り、殺し合い、結果どちらも死に絶えるしかなかった時代の名残じゃな。身を滅ぼすほどの忠節を、無理にでも最上の美徳にまで押し上げる必要があった。国が豊かになり、生存条件のラインが下がれば、鼻で笑われるおためごかしにはなろうが、その状態で本当に共倒れが防げるかどうかはまだ知らんな」
僕は、抱えた膝にひたいを押し付けているパスティスをちらりと見、ディノソフィアに不機嫌な視線を投じた。
「僕に、パスティスに無茶振りをしろと? 彼女をあえて苦しませろっていうのか?」
「してやれよ。おまえはもう、こいつを苦しませている」
「…………。そういうのは、いやだ。僕は少しも嬉しくない」
「ま、そうじゃろうな」
ディノソフィアは表情からすっと力を抜いて、肩をすくめた。
「そこでじゃ。わしが笑いごとで済む、ほどほどの無茶振りを考えてやった」
「なに……? イヤな予感しかしないぞ」
悪魔はどこからか――本当にどこだよ――箱を取り出した。天面に手を突っ込める程度の穴が空いていて、抽選箱のようにも見える。
「ここに、おまえからこの娘への指示が書かれた紙を入れておく。今日一日、三か所の街の狩り場を回りつつ、その指示に従うのじゃ」
「僕の指示って?」
「こいつをいじめてもおまえは不快になるだけじゃからな。まあ、服装ぐらいがよい加減じゃろう。すでにこの中には、この街で手に入る衣装が書かれた紙が詰めてある。おまえは一狩り場ごとにこれを三回引き、その中から一番好きなものを選んでこいつに着させろ」
「なに……!? パスティスのコスプレ大会を開くつもりか……!?」
「ほどほどの無茶振りじゃろ?」
確かにこっちの好みの服を強制するなんて、ほどほど無茶で、危険や理不尽さは小さい。
この悪魔が考えを変えないうちに、これで手を打ってしまった方が話が早いか?
「パスティスはそれでいいの?」
「騎士様が……そうしたいなら……」
先がどうなるか読めない不安からか、少し心細そうに答えるパスティス。しかし、彼女の心情的にも、これを耐え抜いたということがある種の満足に繋がるのかもしれない。
僕としても、この企画には興味があります。
どんな候補が入っているかはわからないけど、それ込みで気になる。
やってみるか。
「さて、これは念のためじゃ」
ディノソフィアが、手甲に縁取られた細い腕を僕へと向ける。すると、籠手の一部が蛇のように抜け落ち、僕の両手をガシンと拘束してしまった。
「これは……! 最初に会ったときの拘束具……!? 何の真似だ!?」
「今日、おまえはコキュータル狩りをこやつと街人に任せ、見物に徹しろ。おまえが一人で片づけては困難の意味がないからな」
「…………」
僕はパスティスの顔をうかがった。彼女がうなずく。
大丈夫だろう。たとえ一人だとしても、これまで狩り場の手伝いをしている時も、余裕でこなしてきた実績がある。服が変わったくらいで、それほどのハンデがつくとは思えない。
「わかった。でも、命に危険が及ぶときは突っ込むからな」
僕は承諾し、そしてこのゲームは始まった。
この時僕は、ヤツがこのお遊びの難題に、あんな罠をしかけているとは、少しも考えていなかった。
ただ……パスティスのコスプレが見たいだけの一日だったんだ……。
前回ほどではないですがちょっと長くなってしまったので分割。
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めそ……ゲフンゲフン!




