第二百二十七話 スペクトラルキマシタワー(後編)
「エルフたちは古くから多くの魔法を研究してきました。体の内側の力を利用する魔法、外側に満ちる力を操る魔法、文字が秘める魔法……。しかしそんな中、追及すること自体が禁忌とされたものもあるのです」
「それが、神の御業にして悪魔の所業――生命の創造だよ、騎士殿」
キマシタワー第三塔、マルネリア一人が使える個室にて、僕は、二人の話を聞いている。
命を人造することが倫理的に問題なのは、僕もよくわからされている。フィクション作品はもちろん、現実でもクローン技術やなんやかんやでたびたび話題になるからだ。最近はあんまり聞かない気がするけど、きっと下火になったんだろうな(大フラグ)
ていうか、生命の創造とか、ガチ禁忌中の禁忌じゃねえかよ!
前回エルフたちが何してたかわかりますか? 絶対領域の理想的な幅の広さとか真剣に議論してたんですよ!? 落差ありすぎて頭がおかしくなって死ぬ!
「これまで、生命の創造という技術は、口にするのはたやすくとも、実際には何から手を付ければいいのかわからないほど不可能な領域でした。けれど、〈ダークグラウンド〉に来て、古代ルーン文字やドワーフたちの機械に刺激され、そのきっかけを得てしまった者たちがいるのです」
メディーナが声を強張らせて言うと、マルネリアも揺らがない目線で僕を刺してくる。
「彼女たちは、すでに極めて高度な魔法技術を獲得しつつある。認めがたいのは、彼女たちがルーン文字と古代ルーン文字をかなりの深度で理解していることだ。いつの間にこんな人材が育っていたのか、ボクも予想外だったよ」
本来は喜ばしいことなのだろうけど、議題が議題だけに笑顔になれる要素はなかった。
「わたくしはこの研究の完成を阻止したいと考えおります。けれど、ここはグレッサたちの土地ですし、大事にはしたくありません。どうにか説得を試みているのですが、結果は……。大変心苦しいのですが、またわたくしどもに力を貸してはいただけませんか。ことがことだけに、女神様にもご内密に……」
虫のいい話とは思わない。そのための女神の騎士だ。
と、ここで僕はふと思ったことがあり、興味本位でたずねてみる。
「これは純粋に学術的な興味というか、他意のない質問なんだけど、エルフたちはどうして生命の創造を禁じてるの? アシャリスもほとんど命と言っていい存在だけど、ドワーフたちは別に忌み嫌ってはいなかったよ」
すると、メディーナは質問の意図を真っ直ぐに受け止めてくれ、話を聞かせてくれた。
「アシャリスは元々、ドワーフの手によって造られ、生まれてきたものです。ならば、そうして生まれてくるのが自然な存在ということです。けれど生物は違います。はるか昔からどんな生き物も、母体となる生命から生まれてくる定めなのです」
そう言って彼女は自分のおなかに手を当てた。
「生物はすでに生命を作る能力を有しています。魔法というくくりは、所詮学術的な区分にすぎず、魔法も身体の機能も言ってしまえば生物の持つ力の一つ。命を作りたいのであれば、すでに何億何兆回と実践され、これ以上ないほど洗練されたこの人体の機能を使えばいいのです。どうしてわざわざ、遠回りな方法を探る必要があるのでしょうか」
確かに、とすでに納得する僕の顔を覆った鉄兜の前に、メディーナは懐から取り出したネックレスを示す。
初めて見るものだ。先端に小さな琥珀色の石がついている。エルフたちが魔法の触媒として使う、樹鉱石のようだ。
樹鉱石はあくまで資源として消費されるものなので、綺麗に研磨されているのは珍しい。
「これは〈メルアーダの涙〉と呼ばれている樹鉱石です。実はこれは、果実の里のエルフが人工的に作り出した樹鉱石なのです」
「人工的に!?」
僕は驚いた。樹鉱石は〈バベルの樹〉の樹液からできる稀少な鉱石で、その採掘場所を一つ知っているだけでとてつもない価値がある。
それを自前で増やせるなら、エルフの里での覇権争いは、一瞬でケリがついていたはずだけど……。
メディーナは悲しげに〈メルアーダの涙〉を見て、その真相を話す。
「この小さな樹鉱石を作り出すために、わたしの曾祖母メルアーダは、大切な〈バベルの樹〉を二つも失ってしまいました」
「な……」
〈バベルの樹〉は樹上で暮らすエルフたちにとって家であり、畑であり、世界そのものだ。メディーナのほのかに光るような白い手が、祖先の罪科を覆い隠すように宝石を握り込んだ。
「自然が為すこと、自然に為されるべきことを、人の身勝手な意思で引き起こそうとすれば、極めて重い代償を支払うといういい見本です。自然は自然、人為は人為によってなされればいい。わたくしたちはそれを学びました。魔法や学術によって代行される必要はないのです」
「でも、道具は使う人次第だ。それによって、エルフの魔法技術は大幅に進歩するかもしれないとしたら?」
僕の、一瞬聞こえのいい詭弁じみた質問にも、彼女は動じない。
「それを許容してしまう文明は、いずれ自分たちを滅ぼす毒でさえ、喜んで作り出してしまうでしょう。道具が使う人次第なのは、騎士様のおっしゃるとおり。ならば、わたくしたちは常にこう問われているのです。あなたたちは、今までそれほどまでに正しく、賢くありましたかと。歴史を真摯に振り返ってこの問いに首を縦に振れないようなら、その大幅な進歩をむやみに追及するのはやめたほうがいい」
これまで何度も自問してきた答えなのだろう。淀みなくそう言った後でメディーナは首を横に振り、言葉を結論へと向かわせる。
「わたくしは、曾祖母という個人が特別愚かだったとは思っておりません。エルフは過ちを犯す種族です。同胞同士でいがみあってしまうほどに。だから、すぎた力は必要ありません。命の自由な創造は、神の御業か悪魔の所業、人外の領域にある技法です。そこに手を伸ばす必要はない。人は人為によって命を生み出せばいい……。そう思っています」
もし、この〈メルアーダの涙〉を元に、多くの犠牲を生みながら研究を発展させ、最終的に低コストで樹鉱石を造れるようになっていたら、果実の里は絶大な力を持つに至っただろう。
けれどもそれは一過性のもので、敵対するまな板の里も同じ力を手にしたに違いない。それが技術として確立したものであれば、なお確実に。
そうなればあの対立は、より過激な、凄惨なものになっていたかもしれない。両者の和解はさらに困難になっていただろう。
メディーナの、いや、エルフのこの姿勢は、確かに彼女たちを救ったのだ。
「なるほど。よくわかったよ。僕もそれがいいと思う」
緩んでいた頭まわりが、スッと締まった感じがした。
これはかなり重大な話になりそうだ。
「その、生命錬成の一派は、この塔の中にいるの?」
姿勢を正して僕は聞く。説得において、一般論をぶつけることほど無意味なことはない。それは「てめえの事情なんか知ったことか」と言ってるのと同義だ。
むこうも自分たちが禁忌のラインを踏み越えていることは百も承知。そうするだけの理由がある。無軌道な情熱か、それとも、悲壮な思念か。
どちらにせよ、それと正対して受け止めなければ、こちらの言い分なんか聞く耳持たないだろう。
彼女たちについてできる限りを知る必要がある。
「うん。ここはいろんな種類の研究者たちが自由に集まれる場所だからね。彼女たちの研究室も当然ここにある。のぞきに行ってみようか」
「え」
マルネリアの申し出に、僕は思わず唖然とした。
てっきり、そんな禁忌の研究をしている人々だから、地下とかに潜んで秘密裏に活動してるのかと思っていたけど……。
※
「ああ麗しの幼く無垢な瞳よ、両性を内包した未熟で儚い肢体よ」
『ショタ! ショタ!』
「どうしてあなたはそこまで愛らしく優美にわたしたちを惑わせるのか。我が最愛の君をいまだ見ず、わたしの心はいずこ……」
『ショタ! ショタ!』
だからよ……。
止まれよ……。
僕はわずかに開かれた扉の手前で、ゆっくりとくずおれた。床に差し伸ばした人差し指が何を目指しているのかは、僕にもわからない。
なに、この部屋。
なに、叫んでんのこの人たち?
ショタ?
さっきまでさ。どシリアスだったんだよ。この鎧の中の空気は。
とってもCOOLだった。禁忌の魔法に手を出してしまったエルフたちをどうすべきか、必死に考えてたんだよ、バカなりに。
それなのによ……。
どうして止まらなかったんだよ……。
扉の隙間からちらと奥をうかがい、すぐに顔を引っ込めたメディーナが、倒れている僕の異変は一切スルーして「小集会中のようですね」と話を振ってきた。
「彼女たちこそ、禁忌を踏み越えようとする者。オス生態研究会の面々です。表向きは生物学的にオスを研究しています」
「はあ……」
「これまで多くのエルフにとって人の男性というのは、知識としては多少知っていても、実像を伴う存在ではありませんでした。他の大陸を旅した者の中には、直にそれを目にし、興味を示す者もあったのですが、里にもたらされる伝聞はまだ少なく、依然、多くにとって形而上学的の縁遠い存在のままなのです」
哲学扱いかよ。そういえば僕もずいぶん前に、ミリオに鎧が本体扱いされてたような気もする。あれはボケじゃなくて、ガチでオスという性別への認知度が薄かったからなのか……?
「しかも一般的なオスというのは、体が大きく、筋肉質で柔らかさに欠け、顔が怖くて無神経という、わりとわたくしたちにとってネガティブな要素が多く伝えられていたもので、女の子は女の子と恋愛すればいいんだよというエルフの種族通念は揺らぎませんでした」
まあ……確かに生殖関連がオールクリアされたら、オスなんて必要なくなりそうではある。男性にも乳首があるのは、人間の体のデフォルトが女性だからとも聞くし。
「しかしここ最近、エルフが外国に頻繁に出ることで、そのネガティブなイメージを払拭する存在が広く認知され始めました。それがショタ。少女と見まごうほどに愛らしいオスの幼体です。これには面食いのエルフたちもご満悦。オスも悪くないかもと思うようになったのです。そして、彼女たちはそんなショタの妖艶なイメージに憑りつかれ、より愛らしく、より理想的なショタっ子を創造すべく、とうとう生命錬成に手を出したのです。恐ろしいことです……!」
自分コレジャナイいいすか!? これ〈オルターボード〉に「!」とか全然出なかったからダメすかね!? なら空コレジャナイさせてもらうわコレジャナイ!(自由コレジャナイ思想)
命の創造とか人体錬成とかって、もっとシリアスなメンタルで取り組むべきものでしょう? 失った家族とか、恋人を蘇らせるためとか、そういう理由があるものなんだよ!
それがショタショタ連呼しながら集会ってよお……! ただの同類の集まりじゃねえかよお!
行き倒れた落ち武者のようにのろのろと立ち上がり、研究室で行われている集会を改めて見やる。
室内にいるエルフたちには、巨乳も貧乳も微乳もいる。他の論争中の研究室もそうだったけど、基本的に元同じ里の者同士で偏った集団を形成することはないようだ。彼女たちは、すでにあの内乱を過去のものにしている。それだけは救いである。
そんなことを思いながら、ふと、黒板前でみなと向かい合っているエルフの背後に、一幅の絵画が飾られていることに気づく。ここのリーダーの肖像画だろうか?
いや、違う。
それは、薄い上半身を露わにして岩に座り、濡れたタオルで体を拭う美しい子供の絵だった。
肌は妖しいほどに白く、眼差しは物思いにふけるように虚ろだ。しかし頬に差したわずかな赤みが、その子供の命の熱を如実に伝えている。
ここにあるということは、これが彼女たちが目指す理想のショタなのだろうか。確かにここまでくると、もはや性別など超越した存在に思えてくる。
でも、これは……?
「研究の主要メンバーはいないようです。今夜、大きな集会があるそうですから、そのための下準備をしているのでしょう。ここにいる彼女たちをいくら説得しても、大元を止めない限りは無意味です。騎士様、夜にもう一度、ここにいらしてください」
話を続けるメディーナに、僕はある問いかけをした。
その質問に対し、マルネリアはうなずき、逆にメディーナは驚いた顔をした。
これは使えそうだった。
※
夜のキマシタワー。大講義室前。
再集合した僕とマルネリアとメディーナは、教材や実験器具を一時保管しておく講義準備室の薄闇から、のっそりと身を持ち上げた。
扉からそっと講義室をうかがうと、黒いローブに身を包んだいかにも怪しげな人々が、席を埋め尽くしている。かなりの数だ。
首魁と思しきエルフの演説の声が聞こえてくる。
「わたしはこの天使のような少年を必死に探しました。けれど見つからなかった。なぜだ!」
坊やだからさ。
「しかし、彼はわたしを導いてくれました。彼に会いたいという気持ちが、禁忌を踏み越える勇気をくれ、そしてその情熱は、わたしの研究を羽ばたくがごとく成長させてくれたのです。もう完成は目前に迫っています。みんな、あと少しです。頑張りましょう!」
『ショタ! ショタ!』
響き渡る応唱と、振り上げられる拳。会場の心は一つになっている。
「彼女はメイファ。研究室のリーダーです。わたしの古くからの友人でもあります」
メディーナがどこか心痛を帯びた小声で教えてくれた。
「彼女は今まで、それほど際立った存在ではありませんでした。どちらかというと、書庫の隅でひっそりと本を読んでいるような、物静かで奥ゆかしい女性でした。そんなところが気になって、わたくしも何度かアプローチをいやいまのはなんでもないのでわすれてください。と、とにかう、かんな大しょれたことをする人では決してないのれす」
かみかみですねこの里長……。
だが、そんな目立たないメイファが、マルネリアも目を見張るレベルの魔法技術を手に入れているのだ。
かつての彼女とは思わない方がいいかもしれない。
ところで、場内はヒートアップしているけれど、キマシタワーはどこもなかなかの防音機能を有しているらしい。アルフレッドがそう依頼されたようだ。扉をしめ切ってしまえば、中でどんな行為が始まっていようとそうそうわからない。
なぜエルフたちはキマシタワーにそんなものを望んだのか?
はい。もうわかりますね。うるさいからです、好みの主張が。
どこの研究室でも大抵議論が紛糾しているものだから、防音にでもしとかないと色んな性的趣向がごっちゃになってしまうのだそうだ。
なぜ叫ぶ必要があるのか、とお思いの人もいるだろう。
彼女たち曰く「それはね……魂の咆哮だからだよ」。
ナイトもそう思います。
話が脱線して申し訳ない。
メイファの演説はさらに続いている。
「ここで、わたしたちの研究を強く手助けしてくれたパートナーをご紹介します。彼女のおかげで、古代ルーン文字の理解は飛躍的に進歩しました。みんなも、研究室内の噂で聞いたことがあるでしょう。壇上にどうぞ。彼女こそ謎の協力者〈若燕の巣〉さんです!」
「恐縮」
カルツェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!!
わかっていたけどふざけるなああああああああああああああああ!!!
僕たちだけでなく、エルフとも結託していたのか?
いいやこの話、彼女にはメリットしかない。エルフからはロリを選び放題。そして、ショタ錬成が成功すれば、ショタも侍らせ放題になる。禁忌とて乗らない理由がなかった。
「行きましょう。これ以上聞いていられません」
メディーナが準備室の扉を押し開けると当時に、僕たちは議場へと踏み込んだ。
「メイファ、そこまでです!」
「メディーナ……! やはり来たのですね」
騒然とする席上のエルフたちをよそに、壇上のメディーナとメイファの対峙は、すでに承知の上だったかのように落ち着いていた。
メイファは縦じまセーターに長いスカート、それに研究用エプロンという、禁忌の最前線にいるとは思えないほど素朴な格好の女性で、眼鏡をかけた顔立ちからも、優しく大人しい本好きのお姉さんといった無害な人となりが伝わってくるようだった。
バカな……こんな人が。
おねショタのおね役としては、ダイヤの原石だぞ……!!
奥手で男性に苦手意識のあるお姉さんが、初めて気になった相手がショタ。いけないとわかっていても、ついかまってしまいたくなる。やがてそれが初恋だと気づいたとき、彼女は……! ストロングスタイルの設定だ!
僕の内燃をよそに、メディーナとメイファも静かに火花を散らす。
「メイファ、みんなも聞いてください。あなたたちは禁忌を犯そうとしている。この研究を続けてはいけません」
「それはみな自覚しています、メディーナ。説得は無意味です」
メイファは生来の柔らかさを持った目元を精一杯きつく引き締め、メディーナをにらみつけた。
「力ずくで従わせますか? あの時の図書室のように強引に……」
「図書室……。あ、そ、その話はやめましょう」
「……そ、そうですね。やめましょう。あの時はわたしも悪かったので……」
…………。
誰か、脱線した話戻して?
「ち、力ずくでくるというのなら、こちらにも〈若燕の巣〉さんがいます」
「承知」
前後の流れをぶった切って、用心棒のようにずいっと前に出てくるカルツェ。まったく顔を隠していない上に、僕らを見ても少しも動じていないあたり、最初から覚悟は決まっているのか。それとも、ショタ錬成に目がくらんだか。
しかしメディーナは毅然とした態度で、首を横に振った。
「いいえ、メイファ。わたくしはもう二度と、同胞に対して力を向けたくはありません。言葉だけであなたと向き合います」
「またわたしを口説こうというのですか……」
「そ、そういう言い方はやめましょう」
「そ、そうですね。ごめんなさい、つい昔を思い出して……」
いちいち二人で赤くなるのやめて?
彼女たちではらちがあかない。ここは僕がやらせてもらう!
「メイファ。あなたは大きな間違いを犯している」
「騎士様……! 里を救ってくれたことには心から感謝しています。けれど、その言葉は愚かです。わたしたちは、間違いを間違いと承知でここにいます……。ショタのためなら、間違いでも恐れずに進める!」
「命の創造なのですよ、メイファ! その実験過程で、どれほどの不幸な命が生まれると思っているのですか! それは過ちではすまない!」
「メディーナ……。あなたは今まで食べたパンツの枚数をかぞえていますか……?」
「くっ……!!!」
いやゼロだろ……。何でたじろぐの?
「メイファ。間違いというのは、そこじゃないんだ」
会話の主導権を奪い返して言う。メイファの緊張した顔が「えっ」と一瞬ほぐれ、従来のダイヤモンドおね役の柔らかい気配がのぞく。
僕は、壇上の壁に飾られた絵画を見やる。研究室にあったものだ。集会を開くにあたって、こちらに持ってきたのだろう。
「彼は既に実在する」
『ええっ!?』
メイファから出た驚きの声は、緊張に凍りついていた講義室全体の驚愕と重なり、その場にいるすべての人々を揺さぶった。
「そ、そんな……。わたしは、グレッサもドワーフも人間の街も探したんです……何日も、何十日も! でも彼はいなかった!」
日数の多寡に関しては個々の感性に任せる。彼女にとっては、あの絵画のショタを求める数十日が、禁忌を踏み越えるに十分すぎる煉獄だったということにすぎない。
時間は問題ではない、とは誰の言葉だったか。
見つかるべきは、絵の中の彼本人でなくともよかったのかもしれない。同じだけ気持ちを満たしてくれる何か。しかし、彼は美しすぎた。ドワーフにも見ないほどに。
その美徳が、彼女の渇望をさらに干上がらせたのだ。
そこに終止符を打つ。終わりという名のひとすくいの水を、ここに!
「今日、彼に来てもらっている」
「えっ……」
「呼ぼう。入ってきてくれ」
「そそそそ、そんな、待って待って。まだ心の準備が……」
準備室の扉が開く。あの妖しいほどの美少年に恋焦がれたエルフたちの視線は、虫眼鏡で集められた太陽光のように、ただ一点に集束した。
「おう、何だよ騎士殿。夜中にこんなとこに呼び出してよ……」
『!!??』
「エルフは夜更かしなんだねえ。あら、あんた。ほら、あんたの子供の頃の絵があるよ。あんたが一番可愛かった頃のやつじゃないか。近所でも評判だったんだよ」
「ああ? そうかあ? どうでもいいぜ。顔なんか重要じゃねえ」
『!!!!!?????』
僕らが出てきた準備室から現れたのは、ドワーフ街北部工房親方バルジド。それから、その奥さんにして、グレッサリアに詫び石文化を持ち込んだコンシェルジュのランラシドだ。
バルジドはともかく、詫び石に造詣の深いランラシドは、エルフたちの間ではすでにある種のカリスマだ。彼女が今述べた言葉を、エルフたちは決して無視できない。その影響力も考慮して、ここに来てもらった。
案の定、席上のエルフたちは頭が真っ白になり、泣きそうな目を僕に向けてきた。
説明して。そう目で語りながら。
「ドワーフは、子供時代はみんな綺麗なショタで、成人すると今の姿になるんだ」
反応は――半々といったところだった。
知ってるという顔、ウソ? という顔がほぼ同数。
やっぱり。ドワーフの生態について、よくわかっていないエルフたちが、まだいる。
〈ブラッディヤード〉に渡ったエルフがいて、今こうして同じ街で暮らしていても。ミルヒリンスじゃないけど、今この街は神秘がごった煮されている。万人がバランスよくすべての新知識に触れることは難しかったのだろう。
何より彼女たちは、あの絵に憑りつかれて以来、視野狭窄のままずっと熱狂し続けている。禁忌すら踏み越えようという一心不乱ぶりなのだ。色々な情報が耳を素通りしていても不思議はない。
「メイファ、あの絵は古いものなんだ。あの子供はもう成長して、立派な大人になっているんだ」
冷静に考えてみれば当たり前のこと。
膝の力が抜け、倒れそうになったメイファの体を、〈若燕の巣〉さんが咄嗟に支えた。
彼女のショタ探しの旅の始まりが、拙速すぎたことは否定できない。しかし、彼女をそこまで駆り立てたものを、僕は笑わない。
彼女は本気で恋をして、それを探し求めた。
彼女にとっての世界を、その一点に凝縮させきったのだ。
「あんな美ショタがどうして、あんなひげ達磨になるの……?」
「ひょっとして種族に関係なく、ショタはああなるのか?」
「わたしたちはなんてものを造ろうとしていたんだ……」
受講席から上がる戸惑いの声。ショタという未知の熱望に浮かされた頭が、混乱しつつも徐々に冷却されつつある。
申し訳ないが、僕の狙いはこれだ。
あの絵の当人を見つけた――それ自体は、実は彼女たちの研究にとって大きな障害にはならない。歳を経て彼の容姿が失われたのなら、創りだすのみ、という結論に再起することは目に見えてる。
必要なのは、彼女たちを一瞬思考停止させること。
間違いを押し通すなんて、並みの精神力じゃ続けられない。少しでも疑問を持ってしまったらもう脱落と同義。思考停止によって、そのためのクールダウンを引き起こさせる。
オス生態研究会が短期間でこれほどの力を付けたのは、禁忌に抗う精神力と、そしてそれを持った豊富な人材によるところが大きい。
まずは、これを削るところからスタートする。
それには、理屈屁理屈を並べて彼女らを説得するよりも、“萎えさせる”。これが強烈。僕もこれで火を消された側の人間だから、よくわかる。
人を陥れる行為の中で、人の好きな気持ちを消してしまうことほど、忌むべきものはない。だから、僕は彼女たちからショタへの愛を奪うつもりは毛頭ない。その自滅的な熱狂だけもらっていく。
メイファが、眼鏡をずり落としかけながらも、同志に訴える。
「待って、待ってください。そう、そうです。不老不死……不老不死も研究しましょう! 永遠にショタのままにすればいいんです。あんな目つきが悪くて、ライバルに一生突っかかっていそうなツンデレオヤジにはならないはずです」
「何だとこの野郎」
なぜか素性を言い当てられたバルジドが眉間にしわを寄せているけど、それはそれとして、彼女の今のは悪手だった。返ってくる言葉が刺し貫く。
「不老不死ってそれも禁忌じゃないか!」
「何だか怖くなってきちゃった……」
「もうやめよう? 他のドワーフの子だって普通に可愛いし……」
脱落者が次々に増えていく。
見えた妥協点。夢の終わり。
残った賛同者は、一割も満たないか?
「それでもわたしは、わたしは諦めない……。必ず、やり遂げてみせる……」
「メイファ。本当にそんなことをしていいの?」
「え?」
僕は言葉を滑り込ませる。
この時点で、ある確信があった。
メイファがさっきのような悪手を打つなら、カルツェは、本当の意味では、まだ彼女たちに胸襟を開いていない。言うべきことを言っていない。
まだ信じていないんだ。エルフたちが未熟すぎて。
さすがの慧眼。はからずも今のメイファの発言が、その未熟さを証明してしまった。
僕は声に信念を込めて言う。
「ショタを不老不死になんかしたら、できなくなるんじゃないかな……“ショタ育”が!」
ざわ……。
それまで、去ろうとする者、引き留めようとする者で騒がしかった受講席のエルフたちの動きが止まる。
「ショ、ショタ育……?」
メイファが迷子の子供のような不安げな顔で聞いてくる。初めて聞く言葉に戸惑っているようにも見えた。
「おねショタはね……単にショタを愛でるだけじゃなく、ショタの成長にお姉さんが揺り動かされるのも大事なメーンシーンなんだ。転びそうになったところを抱き留められて、意外な力強さに戸惑ったり、突然握られた手が思いのほか硬くてたくましく感じられたり、それまでお姉さん扱いだったのが、恥じらいつつも勇気を出して名前で呼んできたり……。決して、止まった時間の中では味わえない成長イベントが目白押しなんだ。それこそがショタ育さ……!!」
!!!!!!!
「そういうの、みんなは嫌いかな?」
僕は聴衆に問いかけた。答えは、
『ショタ! ショタ! タイラニー!』
大合唱で返された。去ろうとした者、あるいは、すでに廊下に出ていた者まで戻ってきて、拳を振りかざしている。
「メイファ。禁忌に頼るのは、まだ早いよ」
僕は呆けた顔でしゃがみ込んでしまった彼女に告げる。
「エルフたちはまだショタの初心者だ。知らないことがいっぱいある。実は僕もそう。さっきのは全然序の口にすぎない。おねショタは、きっともっと深い。あなたたちは、まずは、それを知るところから始めてもいいんじゃないかな」
優しく手を差し出す。この仕草は、ちょっと前の裏リーンフィリア様で色々学んだので、メイファも、つい、といった様子でそれに手を伸ばす。
しかし、何かを恐れるように、それが直前で止まった。
僕はそれを捕まえず、待つ姿勢で言う。
「大丈夫。“好き”は逃げない。こちらから離れてしまわない限りは」
「……!」
「趣味趣向ってものはさ、普通、一人ないし、ごく少数でしか話し合えないものだよ。でも、メイファにはこんなに好きなことを話し合える仲間がいる。それはとても幸せなことだ。だから、これから、みんなで“好き”に、色と形をつけにいこう。共に地獄に落ちるより、共に正道を探す方が、ハッピーになれるさ」
メイファが触れてきた手をそっと握り、彼女を立ち上がらせる。ショタの大合唱を続けるエルフたちに向き直させれば、部屋を出ていこうとする者は一人もいない、真摯でひたむきな顔ばかりがあった。
「騎士様……。わたし、わたしは……」
メイファの目からぽろぽろと涙がこぼれる。
「メイファ……」
「メディーナ。ごめんなさい。ごめんなさい……」
謝るメイファを、メディーナが優しく抱きしめた。
メディーナは何も語らず、彼女の背中を何度もさすってやっていた。
これでいい。
ショタ熱に焼かれた心は冷め、しかしそれでも、残るものはあるだろう。
ドワーフの窯で熱された金属が、水で冷やされて、目を見張るほど強靭で美しい合金になるように。
彼女たちはこれから、理想や夢という霧の中から、本当に求めるものを掴み取る。
陰ながら――いや、チャンスを見つけて応援するよ。
エルフたちはようやくのぼりはじめたばかりだからな。この果てしなく遠い、おねショタ塔を……!
※
この、一つ間違えばエルフたちから禁忌の一派を出しかねなかった、小さくも大きな事件は、後に堂々たる正道を歩んで市民権を得たおねショタ一派から「悪い夢を見ているようだった」と語られたことから、〈エルフ街の悪夢〉という呼び名がつけられた。
……なんか聞いたことある気がするけど、まあいいか……。
こんな話を前中後編にするわけにはいかなかったので異様な長さになってしまった……本当に申し訳ない。
しかもこれをプラネット・ウィズの最終回とゾイドのベーコン離脱回を見た後に書いてるってマ?
おまえ、それでいいのか?




