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第二百二十六話 スペクトラルキマシタワー(前編)

 ある朝、パスティスとディタが、揃って並んで背中を丸めてしゃがみ込み、神殿の床に置いた一冊の雑誌みたいな本をまじまじと見つめていた。


 何だか二匹の動物が寄り添っているようで微笑ましかったけれど、パスティスの尻尾がページをめくっていくうちに見えた誌面に大きく書き表されたテキストが、僕の背筋に氷水チャレンジを強要する。


 ――「壊すほどに相手を好きになっても、実は三十パーセントも伝わっていません」

 ――「カリスマ病ingやみんぐガールKOTOHA今回の一言:愛は重ければ重いほどいい」

 ――「カリスマ被害者マーコット・シーネさん、一月で三度目の刃傷達成“彼女たちからの愛ですよ”」


 など、理解不能な文章が躍り、僕はふと視線をこちらに向けたパスティスに、つい震える声を向けていた。


「パ、パスティス、ディタと何読んでるの?」

「これ? マルネリアが、くれた。エルフたち、が、作ってるんだって」


 長い尻尾を器用に使って渡された雑誌のタイトルを見て、僕は完全に言葉を失う。


『病ingガール ――恋せよ重い乙女たち』


 うわあああああああああああああ!?

 一見、写実的に書き表されたイラストを豊富に使ったファッション誌的な風体を装っているが、ガワがそれなだけで中身はタイトルがすべて白状している!


「闇を逃がさない抑圧地味コーデ」やら「偽りのパステルカラー」など服装のスタイルから、手錠やロープといった拘束具とそれの使い方、果ては「わたしの地下室探訪」と称して監禁部屋のインテリアを紹介するなど、中身は完全に悪夢よりもどす黒い何かだ。


 読者のお悩み相談コーナーにたどり着いた僕の目は、そこに寄せられたあまりにも身勝手で赤裸々なヘヴィラブに慄然とさせられ、そしてとある投稿者の名前に視神経を凍らせられることになる。


 ――大切な人がなかなかわたしだけを見てくれません。土地が変わるたびに仲の良い女の人が増えていきます。どうしたらいいですか。わたしの大切な人はいつも鎧を着ているのでとても頑丈です。(サベージママさん)


 ――回答:騎士様には全力でいっていいです。(KOTOHA)


 おいいいいいいいいいいいいいいいいいいいィィィィィィィィィィィィィィ!!!?

 い、いやいやいや……。違うよね? 何かここだけすべての登場人物が既知のような気がするけど、勘違いだよね? 騎士様とか見えるけど、世の中には同じ呼ばれ方をされることが稀によくあるもんね?


「あ、ありがと。返すよ……」

「うん……」


 僕は何も気づかなかったふりをし、カタカタと手甲を震わせながら、パスティスに雑誌を返した。彼女の目が、一度もまばたきせずにこちらを見つめていたことを、懸命に認識から追い出しつつ。


「ディタも、こういうの興味あるの?」


 僕が恐る恐る聞くと、


「アルフレッドも……ちょっと移り気なところあるから」


 と、少し困ったように微笑んで返してきた。どこがとは言えないけど……何かのバランスが欠けた笑みのように見えたのは、僕の気のせいだ。


「じゃあ、僕は行くね……」

「うん」

「さよなら、騎士様」


 後ずさるようにその場を後にし、神殿の戸口を出てから僕は駆け出していた。


 マルネリアアアアアアアアアアアア!!!!

 二人になんてもの見せてるんだああああああああああああ!!!!!


 ※


 北部都市。エルフ居住区。


 種族管理というより、エルフ特有の衣類や食料、生活雑貨などを一か所で手に入れやすくするために同一地区で暮らす彼女たちは、今日のグレッサリアにおいて、南部都市の一部の服屋に並ぶほどの文化発信能力を有し始めていた。


 発行物もそのうちのひとつ。

 定期刊行というほどではないけれど、頻繁に色んな読み物を出版している。

 本当に色んな。見境がないほどに色んなものを。


 何しろ、性的趣向の奔放さと押しの強さにかけては全ヒト類最強の種族だ。マジョリティもマイノリティも分け隔てなく底なし沼に引きずり込もうとする彼女たちは、いわば精神的生態系を荒らしまわる危険外来種のようなものだった。


 そんなエルフたちの街の目抜き通りは、特に用はなくとも集まってくる若い男女たちで今日も賑わっている。


 彼らの服装はみな洒脱で、四種族の特徴を混ぜ合わせた時代の最先端と呼べるものだった。頑固な顔つきの人々が、街頭で真剣に技術論をぶつけ合っているドワーフ街とはかなり様相が異なる。


「ごめん、案内させちゃって」


 街の喧騒から通りを二つほど離れると、エルフのもう一つの顔が表れる。

 魔法技術の担い手としての顔だ。


「いいんです。わたくしも、“塔”に用がありましたので」


 僕の謝辞に柔らかい笑みを返したのは、隣を歩く巨乳エルフの代表格メディーナ。

 彼女の言う“塔”とは、アルフレッドが北部都市に設計した研究施設のことで、実はここにマルネリアとミルヒリンスがボスを務める古代ルーン文字の研究室が入っている。


 マルネリア母娘は基本、南部都市の神殿にいるんだけど、何か大きな研究をするときや、勉強会を開くときは、研究員が大勢詰めているこちらに足を運んでいるのだ。

 マルネリアは本日、こちらに来ているはずで、僕はそんな彼女に一言言いに来たというわけなんだけど……。


 正直、別にわざわざ大事な仕事中に苦情を言う必要はなかったかなと、すでに当初の気勢を失っていた。さっき道中でばったり出会ったメディーナにも、ちょっと見学のつもりで、とウソを伝えてしまっている。


「そうだ。どうせなら、他の研究室も見ていかれませんか。騎士様の戦いのお役に立てるものが見つかるかもしれません」


 メディーナの申し出に、僕は渡りに船とうなずいてしまった。ウソは本当にしてしまえばいいのだ。


 ――北部都市魔法研究所。

(仮)がつきそうなほどシンプルな正式名称ではなく、キマシタワー・クインテットの方が街の住人には通じるというこの施設は、敷地内に主となる五つの尖塔をそびえさせている。


 白レンガブロックで統一されたその容貌は、皮肉抜きの象牙の塔といった表現がよく似合う、物静かで清冽な空気を放ち、僕らを迎え入れた。


 メディーナはまず第一塔に僕を案内してくれた。

 ここでは、主に果実の里で栄えた純魔法が研究されているという。

 炎や氷を操ったり、ビームを撃ったりするやつだ。


 その講義堂。

 観音開きの大きな扉は、内側で巻き起こる喧々諤々の議論を、ぎりぎりのところで押し込め切れていなかった。もれ聞こえてくる聞き取り不能な声の様子からして、かなり白熱しているようだ。

 さすが……。魔法の大家だけはある。趣味趣向が特殊なのは、エルフの一側面にすぎない。


 メディーナが扉を開けた瞬間、声が濁流のように廊下へと溢れ出した。


「だーかーらー! シスター服には貧乳なんだって! つるっつるのぺったぺたのがいいの! 清貧っていうじゃん。あれは清らかな貧乳って意味なんだよ!」

「はあー!(クソでかため息) ホントわかってなくてイヤになります! シスター服には巨乳! 神に仕える身でありながら蠱惑的なボディという落差、ギャップにときめかないとか、あなたちょっと普段から何食べて生きてるかわからないですよ! 虫とかです?」


 パタン。


「違うところに参りましょうか」

「いやちょっと待って今魔法と全然関係ないこと話してなかった!? ちなみに僕は貧乳シスターがいいと思います巫女さんの場合は全部アリで!」

「騎士様ならそう言ってくださると思っていましたわ」


 メディーナ満足げにうなずくと、廊下を再び歩き出した。

 他にも研究室は無数にあり、


「え!? ショートヘアの話でしょう? それならシャギー強めの方がいいに決まってるわよ!」

「ウソ! 毛先がばらばらとか野犬だよお! もっとつるっとしてふわっとまとまってカールしてる方が正義だから!」


 はい。


「11・4だろう」

「昨日は11・7だとか言ってたのに? やっぱり18・2では?」

「あたいは一貫して3ジャスト!」

「ふう……。理想の絶対領域幅、いまだ見つからずか」

「遠い道のりですね先生……。我々が滅亡するまでに見つかるかどうか……」

「しかし、誰かがやらねばならんのだ」


 はい。


「どうせわたしはあんたのこと好きよ! ばーか!」

「ふむ……悪くない台詞です。ツンデレ告白スタイルに正規登録しましょう」

「ツンデレ研究もだいぶ進んできましたね、局長!」

「ええ、すでに陳腐化が進行しているジャンルですが、わたしは第二のブレイクスルーがあると信じています。みんな頑張りましょう」

「し、仕方ないわね! 頑張ってあげる!」


 はい。


 はいじゃないが、はい。


「これは……違うのです」


 メディーナはこれまで開いた扉をすべてそっ閉じし、最後にそう言った。


「普段はみなもっと真面目に魔法の研究をしています」

「ほんとぉ?」


 しかし、嘘を突き通すのが滅茶苦茶下手くそなメディーナにしては、そのどこか気落ちした表情はなかなか崩れなかった。


 どこか空気が変わったことに気づき、僕が彼女の出方をうかがうと、


「実は……今、キマシタワークインテットでは、ある異変が起きているのです。これは、その影響だと思われます」

「異変?」

「異文化交流によって生まれた、闇の部分とでも言うべきでしょうか。こちらへ来てください」


 逃げる足取りではなく、はっきりと何かに挑む動きで僕を導いたメディーナは、別の塔にあるとある一室の扉を、これまでになく慎重にそっと開いた。

 中は薄暗く、人影にまぎれて小さな蝋燭がちらほらと見える。やましい者同士の集会を思わせた。


「わたしたちは誓います」

『わたしたちは誓います』


 部屋奥の、黒いローブを深くかぶったエルフが先に発声すると、それと向かい合う形で居並んだ他のエルフたちが一斉に唱和する。

 これは、ただならぬ気配だ。


「同じパートナーを生涯愛します」

『同じパートナーを生涯愛します』

「修羅場を楽しみません」

『修羅場を楽しみません』

「人前では破廉恥な発言を慎みます」

『人前では破廉恥な発言を慎みます』


 メディーナは扉を閉じた。


「恐ろしいでしょう?」


 恐ろしくまともだった。


「彼女たちは他文化の影響で、自分たちがこれまで培ってきた恋愛観や倫理性に疑問を抱いてしまったようなのです。まだ少数ではありますが、グレッサリアの黒衣を身に着け、自分たちの教えを粛々と実践することから、〈ダークグラウンド〉で生まれたエルフ、ダークエルフと呼ばれ警戒されています」


 悲報。ダークエルフ生まれてしまう。

 さらに悲報。ダークエルフの方がまとも。


「ええと、あれ何かいけないんですかね……?」

「騎士様、その発言の真意は……!? いえ、ごほん。騎士様は、永遠の愛というものを信じますか?」


 メディーナはいきなり意味深な質問をぶつけてきた。


「僕はあると思います」

「素敵なお答えです。わたくしもあると信じています。しかしそれは、愛し合う二人がそうあろうと互いに努力した結果なのです。どちらかの気持ちを欠いてしまったら、永遠は終わります」


 何か熱弁が始まってしまった。


「人は極上に甘い果実でさえ、毎日食べれば飽きてしまう生き物なのです。いつか新鮮な気持ちは消え、倦怠がやってくる……。共にいる理由が、互いの気持ちではなく、単なる惰性に堕ちてしまうのです。それは愛し合う二人にとって、とても不幸なこと。だからこそわたくしたちは、愛を守るために、愛と一旦距離を置くのですわ。想い人をいつまでも正しく想うために」


 言ってることはすごく理にかなってると思うんだけど、納得していいのか僕……。


「騎士様もハーレムにもんく言われなかったら嬉しいでしょう」

「はい」


 完落ち。


「しかし、彼女たちは序の口にすぎません。本当の闇は、他にあるのです。実は、それを聞いてほしくて、今日はわたくしにお付き合いただきました。実は、いずれ騎士様にもご相談しようと、この件はマルネリアにも協力を頼んでいました」

「えっ、マルネリアが?」

「ちょうど彼女が来たようです」


 メディーナが目線で示す先に、てくてく歩いてくるコート姿の魔女の影があった。


「やあ騎士殿。不穏な空気をかぎつけてやってきたかな? さすがだね」

「ええと……。うん」


 適当に話を合わせる。彼女はへらっと笑った後、どこか冷えた眼差しをメディーナに送り、


「依頼された例の暗号文、お母さんと解読してみたよ。正直、暗号というほど隠されたものじゃなかった。むしろ、誰にも理解できないほど高度な魔法式だったと言うべきかな……」


 這いずるような声に、僕は唖然とする。何だこの空気。さっきまでとまるで違う。

 メディーナはまぶたを重く閉ざし、悲し気に開いた。


「では、やはり……」

「うん。彼女たちはもう完成目前まで来ている。禁じられた生命錬成のね」


ばかなこと書いてたら長くなりすぎて前後編です。

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