第二百十五話 パンデミック
世界中の種族が集う街グレッサリア。
ここがほんの数か月前までは、世界から隔絶された場所だったなどと誰が信じるだろう。
今やこの街は世界再構築の最前線。その突端に位置するきらびやかな都市だった。
しかし、それは数々の文化が集まれば、たとえそれが良識ある担い手たちであったとしても衝突は起こりうる。
たとえそれが産みの苦しみとして避けがたいものだとしても、必ず傷つく者はいる。
僕はリーンフィリア様と二人で、南部都市を歩いていた。
腰にカンテラをつけて歩く人々は、もう色白のグレッサ人とは限らなかった。
人間、エルフ、ドワーフたちが、一切の垣根なしに道を行き交っている。
一見平穏そうではあるが、どこに衝突の火種が潜んでいるかはわからない。
見た目も文明も異なれば、何もなくとも人の関係は複雑になってしまうものだ。その調停役として街を見回る人物が必要だった。
「こうして二人きりで歩くというのは久しぶりな気がしますね」
僕の隣を歩くリーンフィリア様が、少しはにかむ様子で地面に視線を落とした。
「アンシェルもいませんからね。かなり珍しいと思います」
他のメンバーもそれぞれの用事にあたっている。
しかし、『Ⅰ』の最初期メンバー水入らずというわけにはいかない。
道行く人々は常に僕らを注視し、会釈や祈りの言葉を向けてくる。逐一返していたら見回りどころじゃないので、もう大半をスルーしてしまっているが。
「この街もずいぶんにぎやかになりました。みなのおかげです」
リーンフィリア様が澄み切った眼差しを街へと投じた。
「ええ、でも、にぎやかになるとそれなりに問題も起きてきますから。できれば自力で解決してほしいですけど、今はまだ僕らでフォローしましょう」
「そうですね。と、ところで、疲れてはいませんか? あそこにちょうどエルフの茶屋が……」
女神様が言いかけた時だった。温和な空気を乱す鋭い声が耳に届く。
「リーンフィリア様……!」
「は、はい……。い、行きましょうか……」
なぜかしょんぼりしているリーンフィリア様と共に急行する。
裏路地で二人の女性が何か言い合っている。片方はエルフ。もう片方はグレッサ人。声を荒げているのはグレッサ人の方。エルフは完全に受け身になっている。剣呑な雰囲気だ。
先住民と入植者の衝突。やはり生まれてしまうか――
「どうしてあの女からの詫び石を持ってるの!? 答えてよ、ねえ!」
「ち、違うの。これは違うの。一方的に渡されただけで、彼女ともう一度やり直すつもりはないわ。今はあなただけしか見えない!」
ん……?
「今はってどういうこと? 明日は違うの? もうあなたのこと信じられない。せっかく女の人を好きになってもいい日が来たのに、こんなのって……。こんなにつらいなら、愛なんていらない!」
「ダメよ! やけにならないで! ねえ、これ見て。あなたへの詫び石よ。孔雀石――マラカイトよ。あなたの好きな色でしょう?」
「そんな……。わたしにくれるの? 綺麗……。疑ってごめんなさい……」
えぇ……。
抱き合う二人の女性を尻目に、僕らはそっとその場を立ち去った。
「ただの痴話げんかでしたね」
リーンフィリア様が安堵した様子で言う。
「ええ……。ああいうのは文化の違いとかまったく関係なく本人たちに何とかしてもらいましょう」
むしろ文化的には、エルフとグレッサが同性で普通に交際し、ついでにドワーフの風習までクソ馴染みまくっていて、どちかというと大歓迎状態だった。
ま、まあ、何事もなくてよかったさ。しかし! こんなことはまれだから、気を引き締めないといけないけどね!
「それで、少し道は戻りますが、エルフの茶屋――」
表通りに戻った僕らは、息つく間もなく、不穏な気配を放つ二人組を目撃した。
「リーンフィリア様……!」
「あ、はい……」
一人はグレッサ。もう一人は人間。何やら怪しげな物品を取引している。
これは……! すでに都市の闇ができあがりつつあるのか……!?
物陰から取引の様子をうかがう。
どんよりとした目つきのグレッサが言う。
「どうでしょうか……。このブツのデキは」
人間は周囲の視線を気にしながらそれを手に取り、鼻先へと持っていく。においをかいでいるのか……。
「これは上物だ……。これほどの質のものをよく……」
「こちらも生活がありますので……。徹夜で仕上げさせていただきました」
「なんという執念。今ある分すべていただこう。もちろん、これからも取引を続けたい」
何かを秘匿する抑えられた声量に、危険なニオイが混じる。これは、まさか何らかの薬物か――!?
人間はブツを再び鼻先へと持っていき、危うさの漂う恍惚とした表情を浮かべた。
「ああ素晴らしい。これが新商品、反逆の絢爛漆黒新素!」
へっ?
「この高貴さ。この肌ざわり。そして何より未着用にも関わらず、どこか高揚感をもたらす形状と香りはどうだ。これさえあれば、我がニーソリアン探検隊のニーソ工学は爆発的に進歩するだろう。開発局長、感謝する!」
「そのための〈ダーク・クイーン〉です。しかしまだ未発表の新商品ですので、大っぴらに見せびらかすのは控えていただければと」
「そうだったな。すまない。フフフ……」
「ハハハ……」
『ハーッハッハッハ!』
道の端で高らかに笑い合う二人を尻目に僕らは顔を見合わせた。
「ええと……。なんか、普通の商談みたいですね?」
「わたしもそう思います」
紛らわしいんだよクソッ!
「そういえば、リーンフィリア様、さっき何か言いかけてませんでしたか?」
「いえ……いいんです。行きましょう……」
何だか普段から狭い肩をさらにしょぼくれさせながら歩くリーンフィリア様を、僕は静かに追いかけた。
空き地の前にアルフレッドがいた。何やらスケッチブックに熱心に何かを描き込んでいる。
「アルフレッド? 何をしてるんだ?」
「ああ、先代。女神様も! おはようタイラニー! これですか? 実は、エルフのカップルに頼まれて新しい家をデザインしているんですよ」
「へえ。どんなものですか? 見せてもらってもいいでしょうか?」
女神様が興味深そうに頼むと、彼は快諾した。僕も横からのぞき込む。
「これは……何だか塔みたいですね」
「ええ、タワーがほしいと言っていたので」
え、まさか……。
アルフレッドは拳を握り、ゴオオと背後から炎を立ち上がらせた。
「築城五人衆直系の弟子である僕に塔のデザインを頼むなんて、何て大胆不敵な少女たちだ! 最高のものを仕上げてやりますよ、その、キマシタワーとかいうやつを!」
ガハッ!!
やっぱりそうだった!
「そういうわけで仕事に戻ります。すみません、女神様、初代!」
「い、いえ、いいんです。一度始めたら、他のこと一切手がつかなくなるのが〈ヴァン平原〉の気質ですから。頑張ってくださいね……」
僕らはそそくさとその場を離れる。
すると今度は、
『!!?』
見たこともない怪物が道を歩いていた。
サイズは人ほどだったが、金属めいた外皮と、ピンク色の筋肉が不気味に混ざり合って、異様な雰囲気を放っている。
胴体に比べて手足は枯れ枝のように細く、たどたどしい足取りで、一歩一歩踏みしめるように歩いていた。
その姿を一言で言い表すのなら、バイオゾンビ。
「め、女神様がさがって! アンサラー!!」
主人を背後にかばいつつ、銃を構える。
敵……未知なる敵! この混雑に乗じて、街の中に入り込んできたのか……!?
首から何かを提げている。何かのプレートのようだ。文字が書いてある。読めるぞ……!?
“歩行実験中”
ファ?
「お、騎士殿と女神様じゃねえか。おはようさん」
「あー、お父さん、女神様。おっは^^」
脇からかけられた声にぎょっとして振り向けば、ドルドとアシャリスと、他数名のドワーフたちが揃ってその怪奇な物体の後を歩いていた。
「な、な……!?」
僕らが驚いて声も出ないでいると、
「あー、ごめんね二人とも。その子、今稼働実験中なんだ。見回りの邪魔しちゃってるよね」
「そ、その子……?」
慌てて周囲を見回しても、それらしい人物はいない。
いや、待て……。
「まさか、このバイドみたいなヤツが……!?」
「バイド? よくわかんないけど、その看板提げて歩いてる子のことだよ」
やっぱりィ!?
リーンフィリア様も驚きから立ち直れない顔で、
「ど、どうしたんですか、このデザイン……。何だかとても奇妙というか――」
「斬新でしょ? 街の人に、オーディナルサーキットっていうのを見学させてもらったんですけど、見た瞬間みんなビビッと来ちゃってえ。それで、うちらもああいうの作ってみようって全会一致で決まっちゃったんですよ。まだ仮の名前だけど、キングイモんたルっていうんです。生体組織はまだエルフの魔法学から学んでる最中で、うちらの金属組織とうまく結合してなくて動きが危なっかしいけど、これからどんどん改良していくから、お父さんも女神様も全力で期待していいよ?」
ヒェ……。
僕は兜の中で白目をむきながら、キングイモんたルと一緒に歩いていくドワーフたちを見送る。
な、なん……なんだ……この街。
キングイモんたルの異形に驚き凝視する人々も、そのあとにドワーフの一団がついていることで「何だ、彼らか」といった様子で素通りしていっている。
おかしい。その反応はおかしい。
「おまえか。カルツェさんにまとわりついているという男は」
ざしゃあ、と背後で靴底を滑らせる音が響き、僕らを我に返らせる。
「……? 何のことですか? 確かに、ぼくはカルツェさんを尊敬しています。彼女は極めて優れた戦士です。あれだけの技量は、ドワーフの戦士にもそうはいない」
振り向けば、そこには向かい合う二人のショタがいた。
一人はグレッサ。もう一人はドワーフのようだ。
どちらも、スカートをはかせるだけで女の子に見えてしまいそうな美少年ぶりだけど、にらみ合う眼差しには一人前の男のオーラが含まれている。
「おまえのような新参者に、姫は渡せない。勝負だ!」
「……! よくわからないけど、勝負というからには、ぼくもドワーフの男です。負けはしない、かかって来い!」
け、ケンカか? 子供同士とはいえ、こうした小さな火種がやがて種族同士の確執に……! こりゃあいよいよ我々の出番ですな女神様!!
「そんな、わたしのせいで二人が。どうすれば……」
戸惑うつぶやきを発したのは、彼らから少し離れた場所で、か弱い乙女っぽく身をくねらせている、最強のバルバトス家当代姫カルツェだった。
あの、カルツェさん? そんなところで何してんの?
僕がツッコもうとしたその時。どこからともなく不穏な人影が現れる。
「何を困ることがあるんですか、カルツェさん」
「ミリオ……! だって、わたしを争って、二人が……。しかし、わたしにはどちらかなんて選べない。どうすれば……」
うつむくカルツェに、ミリオはにっこりと笑い、
「どうしてどちらかを選ぶ必要があるんです?」
「えっ?」
「片方は堂々と、もう片方は人目を忍んで交友していけばいいんです」
「りょ、両方? しかしそれでは不誠実――」
「その後ろめたさが、かえって互いの感情を高ぶらせることに気づかないのですか? 彼らはあなたを、あなたは彼らを、より一層強い感情で想うことができるんです。あなたはその機会をみすみす逃がそうとしている!」
「そ、そうだったのか! じゃ、じゃあ、ショタドワだけでなく、魅惑のロリ貧乳エルフたちにちょっかい出すのもいいのか!?」
「ロリ巨乳とロリ微乳もいいぞ!」
「は、はああああ……! そんな方法があったなんて不覚。やはりエルフは違う。これこそが世界のあるべき姿。グラッチェ……! タイラニーグラッチェ、ミリオ!」
「タイラニー!」
ぬあああああああああああああ!!
「あっ、騎士様!?」
僕はいたたまれなくなってその場から走り去った。
何だこの街はあああああ!
何でこんなに見事に融和してるんだあああああ!
そしてどうして悪いところばかり見習うううううううううううウウウウ!!!???
「最近、目の疲れが残っちゃってさあ、何かいい方法ないかなマルネリア」
「うーん。あ、ほらお母さん、眼精疲労に効くアイ・ニーソだって」
「アイマスクじゃなくてニーソなの? この街は面白いもの売ってるねえ。グレッサのお嬢さん、これ一つちょうだい。それとさ、今日のお店何時まで? よかった夕食でも一緒にどうかな? 昔、あなたに似た素敵な女の子に恋したことがあってさ、何だかお話したい気分なんだよね。もちろん、その子じゃなくて、あなたのことについて……」
「あはは、お母さんは手が早いなあ」
ぐわああああああああああ!
僕は逃げた。目の前のダメな光景から徹底的に。
しかし。逃げた先にも似たような様子が広がり続け、僕を翻弄する。
「あ、あなたはリーンフィリア様と一緒にいるという褐色ロリ! そ、そのメタリックなニーソは!?」
「おお、靴下で空を飛ぶおかしな人間どもか。はっは、おまえらの大将はどうかしとるぞ。どんな理性の飛んだ独裁者も、あんな夢は見なんだ。それで、わしに何か用かの?」
「総代に許可を……いや、探す時間が惜しい、独断するッ。総代も納得してくれるはず。我々は是非あなたと契約したい!」
「ほーお……。あんなことを考える輩も、最終的には人間じゃったか。まあ、いいがな。言っておくが、わしとの契約は高くつくぞ?」
「いくらでもお支払いしましょう。あなたに、技術開発班の専属ニーソモデルになってもらえるのならッッッ!」
「のじゃぇ……?」
「褐色の肌に交じるニーソの色彩! この新感覚……可能性の広がり! 褐色肌には黒? いや白!? 縞は……あるいはアーガイルは……!? そしてそこから引き出される流体力学の超絶パワー! ああ、考えるだけで夢がタイラリングする! 総代! ここにプロメテウスの火が!」
「……あー……。……そういうのならロハでよいのじゃ……」
違うだろ! ちーがーうーだーろー!!
異種族が混ざり合うっていうのは、もっとこう色々あって、複雑だけど、それでもなんとかわかり合えて、感動とか爽やかな感じのイベントが目白押しのはずだろ!
それがどうして、こんな残念なのばっかなんだよおおおおおおおおおお!! モオオオオオオオオオオオオオオオン!
クワッ。
コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナアアアアアアアアア!
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ダメだ。こいつらを一か所に住まわせちゃダメだ。
仲良しすぎて信じられないレベルで癒着する。見回りなんて全然いらない。
このままでは、世界的にダメなところを合わせた新人類が生まれてしまう!
新都市。新都市構想が必要だ……!
ほう、番外編での経験が生きたな。




