第二百十三話 集中と分散
ガシンガシンと重々しい足音をどこかで聞いた気がした。
どこで?
夢の中。だからきっと、これは大したことじゃない。
アルフレッドたちの来訪からはや数日。
彼らはすでにグレッサリアの街並みや〈ブラッド〉集めの風習にも慣れ、一住民としてすっかり日常に馴染んでいる。
雪原に停泊中の飛行ニーソ船は、緊急時用の一隻だけ残して一時的に解体され、新たにクラフトされた街の倉庫に保管されている。……多分、今グレッサリアは世界で一番ニーソの貯蔵量が多い街だ。
燃料は特にないそうだけど、ニーソを一度総洗濯するため、再起動時は事前に女の子に一度使用してもらい、チャージを完了させないといけないらしい。
整備班は、すでにグレッサの民にその協力を要請し、快諾されているそうだ。
僕が何を言ってるのかわからない人。わからなくていいので、心に銘記しろ。
以上のことからもわかるように、冒険団はかなり本格的にここに住み込むことを決め、グレッサたちもそれを歓迎しているようだった。
――そんな、ある日。
朝食を終えた後、みんながそれぞれの事情で家を出ていく中、僕だけがラウンジでぼんやりとしていた。
出ていったみんなと同じように、僕にもするべきことはある。
ただどういうわけか、今日はここにいなければいけないような気がして動けなかった。
「なんじゃ、騎士だけか」
振り返ると、地下室からディノソフィアが気だるげに上がってくるところだった。
「天使どもはまだ出ていかんのか」
すべての椅子が空いているというのに、邪幼女はわざわざ僕の膝の上に、テーブルとの間に割り込むように座ってくる。
ローレグの下着が申し訳程度に隠す小さな尻が、居心地の良い場所を探るように、僕の上を細かく移動した。相変わらずの蠱惑的ムーブ。しかしこれに逐一反応しないのが大人の醍醐味。
「〈雪原の王〉を仕留めるまでは帰らないって。朝飯食って、一番に出ていったよ。欲望の化身って感じだった」
「ちっ。ヤツらがいるせいで、堂々とリーンフィリアがいじれんではないか。あれはどこに行った?」
「新農地の開発会議。北部都市の農地で、作物がどれくらい作れるか話し合ってるよ。〈不滅のタイラニー〉持って」
「つまらん話じゃのう……。茶化しても放り出されるだけじゃな。行くのやーめた、のじゃ!」
本当に自由だなコイツ……。
一匹の悪魔らしく天使の突撃隊に発見されるのは避けているようだけど、それもどこまで本気かはわからない。ただのスニーキングごっこを楽しんでいるだけの可能性もある。
「まあ、たまにはまったりするのもいいじゃろ。悪魔は意外と平和を愛するものじゃからな。なにせ、戦争時は人自身が悪魔になってしまうのでな。はっはっ!」
地味に重い毒を吐いた後、ディノソフィアはぺったりと僕に背中をあずけてきた。
「何さ?」
「何でもないのじゃ♪」
言って、すりすりと背中を擦り付けてくる。
「おー、背中を掻くのにちょうどよいでこぼこじゃ。このでっぱった部分が背中のツボを……ああ^~」
「おいばかやめろ。変な声出すな。誰かに見られたらどうする」
「続けるに決まっとるじゃろ! なんじゃ、可愛いわしが懐いてやってるというのに、人目なぞ気にするのか!?」
「うるさい気が散る! 一瞬の油断が命取り!」
僕がディノソフィアを引き剥がそうとした時だった。
ラウンジから見える戸口に、樽のようなずんぐりむっくり体型の人影が現れた。
彼はだみ声で、
「おう騎士殿。アルルカはいるかい」
「あ、ドルド。アルルカなら裏の倉庫にいるよ」
「そうかい。取り込み中すまねえな」
「いや、そんなんじゃないから」
彼は神殿の裏手に回っていった。
僕はディノソフィアの肩を掴み、強引に引き剥がそうとして、彼がちゃんと裏の倉庫への道がわかるかどうかふと心配になり――
彼が……心配に……。
か……。
????????????????????????
「かあああああああああああああああああああ!!!!?????????」
「わにょ!?」
立ち上がった勢いで、テーブルの上にうつ伏せに押さえつけられる形になったディノソフィアが、「こ、こんなところでか……?」と少し不安げに意味深っぽいことを言ってきた気がするけど、それどころじゃない。
僕は押っ取り刀で神殿の戸口へと走った。
い、い、今! 今、誰がいた!?
裏手に回り込む細い通路の途中で、大木の切り株のようにどっしりとした背中を見つけ、僕は思わず叫んでいた。
「ドルド!?」
「ん? どうした騎士殿。何か用か」
やっぱりドルドだった。
ドルド・ドンガレア・エルボ!〈ブラッディヤード〉にあるドワーフの都市で、南町鍛冶屋の親方を務めるアルルカの実父!
その素性はいい。そんなことはわかっている。理解できないのは、
「な、何でドルドがここにいるんだ!? 夢か!? 幻か!?」
僕はドルドの肩を掴んで滅茶苦茶に揺さぶった。
「何だよ、やめねえか!」
怒鳴られて我に返る。
「ご、ごめん。つい……。……いややっぱり僕の心情も察してよ!? どうしてドルドがここにいるの!?」
ここは〈ダークグラウンド〉であり、断じて〈ブラッディヤード〉ではない。
ドルドはぼりぼりとヒゲをかき、何かに気づいたふうに、
「ああ、さっき着いた」
「たしかに説明の仕方は勝手だけどそれなりの言い方があるでしょう!? いきなりそんなこと言われたら手の打ちようが遅れるんですわ? お?」
ピギャアアアアアア、と倉庫の方から悲鳴が上がったのはその時だ。
アルルカ!?
僕が駆けつけるまでもなく、向こうからこけつまろびつ彼女が走ってくる。
「き、き、騎士殿、大変だ。今、倉庫にアシャリスの生霊が……」
「おうアルルカ。久しぶりだな」
「と、父さん!? とうとう英霊に!?」
「死んでねえよ。アシャリスも本物だ。さっきこの大陸に着いたんだよ」
「…………。ば、爆友。もうダメだ。わたしはこらえられない……」
「ばか、アルルカ! まだ爆発オチには早――」
「おまえ、まだそんなことやってるのか。じゃあ、俺は避難してるからよ」
カッ!! ドッカ! ぼくはしんだ([∩∩])
※
倉庫に行ってみると、ハンガーで整備中のカイヤを、似たような体形の大きな影が何やらいじっていた。あの後ろ姿は……。
「へー、こうなってるのか。ここは、あっ、そっかこの手があったかー。さすがお母さん、やるなー」
「アシャリス……?」
僕が呼びかけると、
「あー! お父さん! やっほ^^元気してた?」
振り返るなりガシンガシンと軽快に走ってきたアシャリスが、僕を両手で引っ掴んで人形のように持ち上げた。
「ほ、本当にアシャリスなのか?」
「そう、あたし! なんか、おじいちゃんがお父さんとお母さんのところに行くっていうから、カカッとついてきちゃった。幻じゃないよ。ドワーフ語で言うとノンフィクション」
体のフォルムは少しスマートになって、パーツのデザインも洗練された気がするけど、この雰囲気、声、間違いなくアシャリス当人だ。
「あ、もちろん街の守りは万全だからね。聞いてよ、工房のみんなで三号機と四号機を造って――」
「ア、アシャリス……」
恐る恐るコンテナの陰から身を乗り出し、声を上げたのはアルルカだった。さっき驚いて逃げ出してしまった負い目からか、ひどく小さくなっている。
「あっ、お母さん。さっきはひとを見るなり逃げちゃうなんてひどいよー。ま、あたしもいきなり声かけちゃったから、驚かせたのは謝るけどさー」
アシャリスの予想外に棘のない声に、アルルカの顔がにわかに明るくなった。
「す、すまない。おまえがここにいるとは思わなかったものだから……」
「だよね。あたしもごめん。でも元気そうでよかった。女神様のお導きかな。タイラニーアーレ!」
おお……。この柔らかい対応は、以前会った時の反抗期のものではない。すっかり落ち着いた大人の態度だ。
「せんせー! せんせえー! ヴァッサーゴたちがドワーフの人たちを連れてきましたわ! ここに案内する以外ありえないですの!」
表口の方から、モニカ・アバドーンの興奮気味の声が聞こえた。
「お、あいつらも来たか」
ドルドのつぶやきのすぐあと、モニカにつれられて、ドワーフの一団がどやどやと倉庫に入ってくる。
「なっ……!? バルジドにバンドイルまでいるじゃん!?」
多くのいかつい顔に交じって、北町工房の親方バルジドや、南町工房の次期親方バンドイルといった重要人物たちを見つけ、仰天する僕。
本来、街運営の中核を担うはずの彼らに、その一斉不在についてたずねると、
「おう、勉強だ勉強。伝説の〈フライング・グレッサ〉の故郷なら、何がすごい素材技術が学べるかもしれねえしな」
「俺もドルドを超えるために必要だと思ってついてきた。工房は他のヤツらに任せてある。たまには自分たちで仕切るのもいいだろ」
と、口々に理由を述べてくる。
これ、一体どういうことなの……?
※
というわけで、ドワーフたちの世話をモニカとアルルカに任せ、僕は帰港中のナグルファル号に急行しました。
「それが騎士様聞いてよお!」
世間話をするおばちゃんのような切り出しで、彼は楽しげに語る。
「ドワーフたちにアルフレッドのことを教えてあげたら、彼らって知り合いだったのね、俺たちもつれてけーって言いだしちゃって。一応、〈ダークグラウンド〉が神様から忌避されてる土地だってことは教えたんだけど、リーンフィリア様が滞在してるんだからそれはありえないって聞かなくて」
ドワーフは元々鍛冶修行のためなら世界中を渡り歩く種族。それに加えて、都市建設の英雄格であるアルフレッドの名前まで出されては、いてもたってもいられなくなったのだろう。その筆頭が街のVIPなのはどうかと思うけど。
「あ、ドワーフはあれで終わりじゃないわよ。二便三便と、予約が詰まりまくってるの。さらにどんどん増えるわ」
「ドワーフだけじゃねえかんな」
と横から声を滑り込ませたのは、異国風の深緑色のワンピースに身を包んだアーネスト。
「エルフのヤツらも、ドワーフの話を聞いて次の目的地をここに定めてる。さすがに普通の船で来られるような場所じゃねーから、ナグルファル号で迎えにいくんだけどな。しばらく交易は中止して客船やるしかなさそーだ。陸の世話はそっちで何とかしてくれよ?」
エルフたちも……!?
世界中の種族が、このグレッサリアに集まってこようとしている。
何だ。何だこの状況。
これまでグレッサリアはホントに孤独な土地だったのに。
まるで、アルフレッドたちが嚆矢となって、〈ダークグラウンド〉を取り巻く見えない皮膜を破ったみたいだった。
これは、何かすごいことになりそうな予感……。
の邪ロリ「わし、放置されるの嫌い……」
タイラ神「邪魔です。早くどきなさい」




