第二百十二話 ヴォイジャー
「アルフレッド! アルフレッドじゃないか!」
僕たちは度肝を抜かれつつ、彼の周囲に駆け寄った。
「久しぶりだな。元気にしていたか」
「ええ、アルルカさん。このとおり元気にしてます」
そう言って、力こぶを作るようなポーズを取るアルフレッド。
〈ブラッディヤード〉で築城五人衆らと巨大都市の設計をした活躍は記憶に新しい。だが、何だろう? それだけではない、何か一皮むけたような力強さを感じる。
「みなさん、こんにちは」
アルフレッドの隣にちょこんといた小さな影が、ゴーグルとスカーフを取り払った。
「ディタ!」
現れたのは、ブラウンのふわふわヘアーのイヌミミキメラ少女ディタだった。
「ディタ。元気、だった?」
「うん。パスティスも元気そう。よかった」
パスティスがディタの肉球ハンドと手を取り合い、キメラ同士の再会を喜び合う。
アルフレッドにディタ。これはまるで……。
「そうです騎士様。ここの船員たちはみな〈ヴァン平原〉の住人たちですよ」
僕の思考を先読みするように、アルフレッドが言った。
「やっぱりそうなのか。でも、この飛行船は一体……」
「さすがは初代。この発明品のこともすでに知っていたんですね」
あっ。しまった。つい言っちゃったけど、この世界にはきっと飛行船って単語すら存在しなかったんだ。
何だか知識をひけらかしているみたいな気がして、僕はすぐにフォローを入れた。
「いや、実物を見るのは初めてだよ。実際に存在するとは思わなかった。まさかアルフレッドが造ったの?」
「そうですよ」
「ヘアッ!?」
あっけらかんと返された言葉に、僕たちは驚きを露わにした。
「長い話になりそうですね。ひとまず、グレッサリアの街に来ませんか。わたしの神殿があります」
「女神様、ありがとうございます!」
アルフレッドが感激したように言う。
僕は、間近で見るとのけぞる必要があるほどの巨大な飛行船を、今一度眺めた。
威圧感すら漂わせるこの黒い偉容に、これをアルフレッドが造った……という形容しがたい感慨が湧き上がる。そして彼らが、歴史から忘れ去れた〈ダークグラウンド〉に到達しているという現実。
ただの人間にできることじゃない。
〈ヴァン平原〉に帰ってから、彼に何があったんだ?
※
グレッサリアに入ったのは、アルフレッドとディタを含め、数人のメンバーだけだった。他は飛行船の警護やメンテナンスのために残るという。
「では、ここが本当に“歴史に名前のない大陸”〈ダークグラウンド〉なんですね!?」
神殿のラウンジにて、まず根本的なところから話を始めた途端、アルフレッドが興奮した様子でテーブルに身を乗り出した。
「そうだよ。僕らがここに着いたのは半年くらい前かな?」
「すごい。グレッサ人の街は本当にあったんだ!」
「よかったね、アルフレッド。やったね」
興奮するアルフレッドの横で、ディタがにこにこと笑っている。
「えーと、アルフレッド君は、最初からここを目指して旅をしていたのかな?」
マルネリアが興味津々でたずねる。
「ええ、もちろんです。仲間たちと一緒に」
そうして、アルフレッドはこれまでの経緯を語り始めた。
「〈ヴァン平原〉に帰ってから、しばらくは大人しく暮らしていたんですけど、どうしても外の世界に対する憧れが消えなくて。ドワーフたちの世界を知って、その時に異文明の魅力に魅せられてしまったんだと思います」
その萌芽が、すべての始まりだったようだ。
「一人で悶々としているところで、近くの丘から大規模な遺跡が発掘されまして。初代が最後に、大きな蜘蛛みたいな怪物と戦ったところです」
あそこか。たしか、石板のカケラを見つけたところだったな。
「そこに、世界地図らしきものが残されていたんです。しかも不思議なことに、その地図には、街の年寄り連中も知らない謎の大陸が書かれていました」
それを聞いたラスコーリがはっとした顔で机を叩く。
「誰も知らぬ謎の大陸じゃと? わしワクワクしてきたぞい」
「ここのことじゃぞ、じじい」
立ち上がりかけたところを、アンネに引っ張られてしょんぼりと戻る。
あの丘の古代遺跡には、石板のカケラの他に〈古の模様〉もあった。
〈古の模様〉は〈ディープミストの森〉でも発見され、それが〈黒角の乙女〉、そして『調和』の絵へと繋がっている。
つまり……あの遺跡は、大陸遮断によって滅んだ古代グレッサ人のものだったということだ。なるほど。これはロマンを感じずにはいられない。
「その謎を探りたいという気持ちは日に日に強くなっていきました。でも本当は、もっと外の世界を知りたいという単純な動機だったんだと思います。けれど、今の僕たちには遠い海の果てへと漕ぎ出す技術はありません。何か方法はないか。そんな時でした……」
アルフレッドは溜めを作り、明朗と言い放った。
「ニーソでくるんだ気体が宙に浮くのを発見したのは!!」
…………。
『えっ?』
「そして完成したのが、あの飛行船です」
『は?』
「ちょっと待ちなさい。飛躍しすぎてよくわからないわ」
アンシェルが頭痛をこらえるような顔で口を挟む。アルフレッドは鷹揚にうなずき、
「ええ。確かに、この発見はニーソ学会に飛躍的な進歩をもたらしました」
「ぶっ飛んでるのはあんたの頭よ!」
「あはは、天使様はシャレがうまいなあ。やっぱり普段から飛んでるからですか」
「だまれ小僧!」
え、ええと……。なにこれ……。何……?
「まったくの偶然だったんです。僕が、洗い籠に入っていたディタのニーソをいくつか丸めて観察していたら、ふとした風でふわりと浮き上がったんです」
「何してんだこいつ……」
「すべてがおかしいー」
とうとうDLC天使からもツッコミが入る。
確かにおかしい。おかしい、が……。
「待ってくれ、アルフレッド。つまり、ニーソにはものを浮かせる何かの力が備わっているということなのか?」
「そうなんです、初代」
「だとしたら、ニーソをはいているミニスカートの女子は……」
「初代!! そこに気づくとはやはりあなたは! そうなんです。僕が学会に発表した、『ニーソ少女のスカートがめくりあがる率はかなり高い』は、『ありうる。むしろそうあってほしい』という賛同者たちに大絶賛されました! 我々は、ニーソが浮力を発していることをすでに何度も目にしていたんです!」
「くっあー! そういう法則だったのかあ……!」
「単にニーソに合わせて短いスカート履いてるからでしょボケども!」
アンシェルが横で怒鳴り散らしているけど、男同士の会話に割って入るとは!
「えー、ええと? 騎士殿もアルフレッドもちょっと待ってくれ。じゃあ、あの飛行船の風船のような部分は、ニーソでできているのか?」
半信半疑どころか、95割くらい疑の眼差しで、アルルカが聞く。
「ええ。町中から黒ニーソを集めて……。それでもたらずに大量生産したものを、女の子たちに一度履いてもらって、それを回収して作りました」
「………………工学は死んだ!」
白目で天を仰ぐアルルカ。が、アルフレッドは大真面目な顔で諭すように、
「違います、アルルカさん。この世には不偏の法則があるように見えて、数々の例外が潜んでいるんです。今まで、そんなことあるわけねえだろ、と誰もが見向きもしなかったことに、その例外が潜んでいたというだけのことなんです。むしろ正道的、古典的な工学なんですよ、ニーソ流体力学は!」
「ぐっ……! 確かに、絶対に誰もやろうとは思わない……! アルフレッド以外!」
アルルカのうめき声に、そこだけは同意できると、みんなからのうなずきが寄せられた。
「仲間も募り、旅立ちの準備は整いました。でも、そんなぼくを、ディタが呼び止めたんです。行かないでほしいと。どうしても行きたければ、わたしを倒していけと……」
僕は木漏れ日のように優しく笑うディタをちらりと見た。
彼女はドワーフ行きで一度寂しい思いをしているからな。二度と味わいたくなかったんだろう。
「彼女を傷つけることは絶対にできない。でも、旅立ちの衝動はもう抑えられそうにない。そしてぼくは悩んだ末に彼女に挑み……ボッコボコにされました」
「えぇ……」
まあ、こんな外見でもキメラだし、一般人のアルフレッドよりは強いんだろうなあ。
「そして泣きついて、ディタを一緒につれていくことで何とか旅立ちを許してもらえたんです」
近年まれに見る情けない旅立ちだけどそれでいいんですかね。
「ディタ、頑張った、ね」
「うん。もう、離れ離れになるのはいやだったから」
パスティスが微笑みかけると、ディタは健気な笑みを見せた。相手をボコボコにするのをいとわないくらい大事にしているということなのか(混乱)
「うーん、そんな弱さでよく旅に出る気になったね」
マルネリアが率直に言うと、アルフレッドは「ふっ」と不敵に笑い、
「そこは大丈夫です。ディタには使いませんでしたが、ぼく――というか、ぼくらには長旅の苦難に耐えるための秘密兵器がありますから。今、お見せしましょう」
そう言って、彼ははずしていたスカーフを口元に巻いた。そして、すううううううううううううううううと深呼吸する。
すると。
カッ!
突然彼の目に尋常でない覇気が宿り、緩やかに流れていたラウンジの空気を凍結させる。
こ、この圧倒的な気配を、僕は知っている!
「アルフレッド、そのスカーフはまさか……!」
「そう。これが、ニーソリアン探検隊の秘密兵器……。〈ヴァリアブルおはようニーソ〉だ……」
「〈おはようニーソ〉……! 完成していたのか!?」
おののく僕に、声音も態度も一変させたアルフレッドが厳かに応じる。
「答えはノーだ、初代……。装着に適したリデザイン、軽量化、耐久力の向上、使用者体温保持、いずれの面においても、期待水準の80パーセント未満。しかし……」
シャッ! とアルフレッドの姿がかすれ、その場から消える。
目線でそれを追ったのは、天界組戦闘班および、さっきから聞き役に徹しているバルバトス家のみ。女神様や天使たち、ラスコーリは唖然とするばかりだ。
「実用の第一基準は突破できたと判断し、量産へとこぎつけた。後は実地試験をへて、より向上を目指していくことになる」
彼は忽然と、離れたソファーに座る姿で現れていた。
速い……! しかもあの自然体のくつろぎ……! 人の家だというのに!
これはまさかニーソによるリラクゼーション機能……!
戦い慣れた戦士でも、実戦では実力の七割くらいしか出せないという。
死ぬかもしれないという緊張のせいだ。だから、鍛錬時からその封じられる三割を意識しておかなければいけないと、ドワーフの戦士長は言っていた。
ニーソは、そんな戦う者の宿痾を解消しやがった……!
これで完成度80パーセント未満だっていうのか!?
だが、アルフレッドのあの変貌ぶりに一抹の不安を覚える。
新素を吸収したことによる細胞中のミトコンドリアの暴走――いや、再支配。かつては単独の生物であったミトコンドリアが、現行生物の祖先と結びついて以来続けてきた共生は、〈おはようニーソ〉によって主導権を逆転させられるのだ。
この威圧的な態度で、まともなコミュニケーションが取れるのか?
「はい、アルフレッド」
と思っていたら、ディタがアルフレッドのスカーフをあっさりはずしてしまった。
「……と、こういうわけなんです。わかってもらえましたか?」
アルフレッドは一瞬、目線を泳がせたようだけど、すぐに元通りの口調になって、柔和に笑いかけてきた。
ディタに対し反抗する様子も見せなかったし、人間とミトコンドリアのイニシアチブの交代はどうやら穏便に行われているようだった。
完璧だな……!
「……な、なるほど。お話はわかりました」
一段落ついたところで、リーンフィリア様が口を開く。
「まだまだ話したいことはあると思いますが、今はあなたも仲間を飛行船に残した状態です。アルフレッドは、これからどうしたいと考えていますか?」
「ぼくは、もし許されるのなら、この街に少しでも長く滞在して、ここのことを知りたいと思っています。仲間たちもみな同じ気持ちです」
アルフレッドは、客人の謙虚な態度で、ラスコーリたちを見つめた。
「ううむ。どうする、アンネ?」
「カンテラの余りはあるし、好きなだけいてもらってかまわんだろう」
「本気か?」
アンネの態度が予想外だったのか、ラスコーリは片目を見開いた。
「わざわざ遠くの大陸から冒険心だけでやって来たのだ。無下に追い返すこともない」
「それはそうじゃが……」
渋るラスコーリを無視し、アンネはアルフレッドを優しく見つめた。
「アルフレッドといったか。さっきはなかなかの動きじゃったの。この街には気を付けねばならぬ危険もあるが、あれなら大丈夫じゃろう。ここは過疎が進む街じゃ。空き家は多い。適当なところを見つけてそこに住むといい。粗暴な振る舞いは決して許さぬがな」
アルフレッドとディタは嬉しそうな顔を酌み交わし、
『ありがとうございます!』
と揃って頭を下げた。
こうして、思わぬ人々が〈ダークグラウンド〉に加入した。
冒険心を抱えて人間の大陸を飛び出してきた若者たちは、その行動力とは裏腹に礼儀正しく人当たりもよく、外部との接触に飢えていたグレッサリアの住人たちと急速に仲良くなっていく。
しかし、それが新たなビッグウエーブの始まりにすぎなかったことは、この時、まだ僕らの誰も予想することはできなかったのである。
この作品は確実にフィクションなので、信じないようにしましょう。




