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第二百三話 違和既視感

 小雨が降る。


 捨てられた人形のようだった僕は起き上がり、無人の神殿を無言で歩く。


 白い神殿は壁も床も苔むし、雨に濡れ、空の色と同じく、どこか曇って見える。

 庭木は荒れ放題になった後、立ち枯れていた。


 探してみても誰もいない。

 誰一人いない。


 やがて僕は扉の前に立つ。

 ×××××の部屋の前。


 扉を開ける。


 そこで目が覚める。


 また同じ夢。

 今日も、悲しみと怒りはすぐに消える。


 ※


 今日も狩りの終わりを知らせる鐘がなった。


 西部狩り場の一つ〈学舎〉は、その名の通り学校だ。


 ただし、白煉瓦にはほぼ全面といっていいほどの焦げ跡があり、窓ガラスもほとんどが割れていて、ガーゴイル像は焼けただれ、単に廃校と呼ぶだけは言い表しきれない、おどろおどろしいホラーな空気が漂っているという長い条件をつける必要があるけど。


「昔、事故があって研究者が大勢死んで、魔法文字の資料も多くが焼失した。研究を復活させようとする動きも細々とあったが、結局進まなかったらしい」


 その帰り道。一仕事終えたカルツェが、汗一つかいていない綺麗な顔で言う。


「たくさんの技術がその時に失われたが、それでも生活には困らなかった。そうして既存の魔法文字に頼るうち、それ以外のものは使えなくなったと婆様は言っていた」


 それが、グレッサリアで古代ルーン文字が衰退した大きな理由らしい。

 コキュータルたちに街を追い出されたこと以上に、マルネリアが以前言ったように、複雑すぎて、一つのトラブルによって担い手の供給が追いつかなくなってしまったのだ。


 そして今日、グレッサリアでは、生活用品に使われていた古代ルーン文字のみが生き残っている。船さえ空に浮かべるほどの可能性の片鱗を、住人たちに見せつけるにとどまったまま。


「それにしても、昨日も今日も、何にもすることなかったなあ……」


 僕はコキュータルの死骸だらけの校庭を見ながらぼやいた。


〈学舎〉は、講堂前の並木道をメインとした狩り場だ。

 広々とした石畳の道はその両脇に街路樹を並べ、奥にある学舎の長らしき人物の大きなスタチューの手前で左右に分かれると、像を大回りする階段道へと変化していく。


 狩り場のポイントは、隠し武装満載の学長と、この街路樹。

 八本あるそれぞれに『篤実』『勤勉』『博愛』『協調』『寛容』『精強』『不撓』という名前が振られており、ここに敵を投げつけると様々な状態異常を引き起こす。まあ、おおむね名前とは逆のデバフがつく。

『協調』にぶつければコキュータルが同士討ちをはじめ、『精強』にぶつけると虚弱体質になる。


 え? 七本しかないって? 

 いい目をしている……。


 実は一本だけ、名前のない『伝説の樹』がある。

 ここに片想いの相手を呼び出すと、必ず告白が成功するかもしくは相手が来ないらしい。


 ちなみに現在は、敵を投げつけると失恋の痛みのような鋭い枝が体を貫き、モズのはやにえのようにしてしまう凶悪な即死トラップになっていた。


 なかなか楽しそうな狩り場だったのだが、カルツェが強すぎて僕らの活躍時間がマッハ。ろくに出番のないまま、今日もお帰りの時間だ。


「そちらの神殿に寄っていってもいいだろうか」


 帰り道でカルツェが聞いてきた。


「いいけど、どうしたの?」


 彼女は遠距離攻撃が主体で、さらに移動も早いため、今回も返り血はゼロ。風呂に用はないはずだ。


「ディノソフィア様にお会いしたい」

「ほう」

「そして、この半ズボンとパーカーを着てもらいたい」

「おいィ?」


 カルツェは、どこからか取り出した衣服上下を抱きながら天を仰ぎ、


「最近気づいてしまった。白髪姫カットポニテ少年は尊い。激しく希望。ディノソフィア様は中性的な外貌。十分にいける」

「だんだん要求する属性が多くなってきてるね……」


 前は、ただのショタロリが満足できていたというのに。

 元々悪魔を受け入れる土壌はできていたけれど、こうも根深くあの幼姿に堕ちていることは心配以外の何者でもない。ひょっとして街に何かあったとき、悪魔側につくんじゃないかとすら思う。


 ちなみに、僕が受肉したことは天界組以外は知らない。元々付き合いの浅いグレッサ人が知ったからって何がどうなるものでもないので。


 と。


「あれ、ここはどこだ?」


 先を歩いていたアルルカとパスティスが立ち止まった。


「帰り道、どっちだっけ……」


 パスティスが道を見比べ、助けを求めるように僕へ振り返る。


「ああ、そこは右。その先のお店みたいなところで左に曲がって、階段降りたら、後は窓の大きな民家まで真っ直ぐ」

「うん。わかった」

「すごいな。うっかりいつもと違う道に入ってしまったみたいなんだが、騎士殿はちゃんとこのあたりの地理を覚えているんだな」


 二人の感心する視線を受け、僕は、はたとなる。

 ……? 確かにそうだ。この道を通るのは今日が初めて。


「ごめん、道を勘違いしたみたいだ。さっきの説明は忘れて。僕もこのあたりは知らない」


 慌てて謝るが、


「否定。騎士殿の言ったとおり。その道順で正解。目印も的確」

「えっ……?」


 カルツェの追認を受けて、仲間たちがさらに感心する一方、僕は戸惑いに足を止めていた。それを受けて、怪訝そうにみんなも立ち止まる。


 何で、僕は知ってるんだ……?

 思わず頭に手をやる。


 自分で言った目印を、何一つ想像できないでいる。それなのに。

 店? 窓? 何だそれ? そんなものあったか?


 じわりと浮上する謎の感覚。

 南部都市でも時折感じた、中身の見えない違和感。


 懐かしいような。何かが違うような。そんな二つを混ぜ合わせた不可解な不快感。


「西部都市を解放する時に、竜の背中から見ていた可能性」


 カルツェが憶測を述べる。

 無意識のうちに記憶していた? それなら有りうるか?


 アディンの背中から眺めた映像を思い浮かべようとした瞬間、頭の中を黒い幻影が過った。


 あの時に見た、そこにいるはずのない人影。

 忌々しい黒騎士。

 突然、それが頭の中の何かと繋がった。


「…………!!?」


 あ……?

 ああ?


 ああああああああああああああああああ!?


 僕は弾かれたように周囲を見回した。

 絶叫と共に一直線に連結した情報の断片が、頭の中で次々と立証されていく。


 あれもそう。これもそう。

 僕は走り出していた。


 右へ曲がり、さっき言った商店を見つけ、左に曲がって階段を下りたら、遠くに窓の大きな民家が見える。


 知ってる。よく知ってる。何度も何度も通って。

 僕は知っている。この道を、いや、この街を知っている 来たことがある!

 今よりもっと前に!


 どういうことだグレッサリア。

 頭の中で帝国黒騎士の影が蠢く。笑っているのか。

 どうして今まで気づかなかった。


 この町並みは。街の形は。

『Ⅰ』に登場した帝国とそっくりだ!


何かが始まる予感。

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